抗議声明 小松基地爆音訴訟5次6次判決

声  明

2020年3月12日

第5次6次小松基地爆音訴訟原告団

団  長 出 渕 敏 夫

第5次6次小松基地爆音訴訟弁護団

事務局長 川 本 藏 石

本日、金沢地方裁判所において、第5次6次小松基地爆音訴訟第一審判決が言い渡された。

第5次6次小松基地爆音訴訟は、2008年12月24日に2121名、2009年4月27日に106名、合計2,227名の小松基地周辺の住民が原告となり、国に対し、自衛隊機及び米軍機の飛行差止めと賠償金の支払いを求めて起こした裁判である。

小松基地爆音訴訟は1975年に12名の原告で始まった。これまでに4度の判決が出され、いずれの判決でも自衛隊機の騒音は受忍限度を超える違法なものであると断罪し国に対して賠償金の支払いを命じた。しかし、基地周辺住民の一番の願いである差し止めは認められなかった。

小松基地爆音訴訟を含む全国の基地訴訟では、慰謝料は増額傾向にあり、防音工事などの慰謝料減額要素の評価は低くなっている。また、新横田基地公害訴訟控訴審判決及び第4次厚木基地爆音訴訟控訴審判決において将来請求が一部認められた。第4次厚木基地爆音訴訟の第一審及び控訴審判決においては、一部ではあるものの自衛隊機の飛行差止めが認められ、少しずつではあるが被害救済に向けて前進してきた。

本日の判決は、これまでの判決と同様に戦闘機騒音が受忍限度を超え違法であると認め、国に対して賠償を命じた。認められた慰謝料の金額は不十分ながら前回訴訟よりも若干増えている。

しかし、判決では原告らが実施した健康被害調査を重視せず、戦闘機騒音による健康被害を認めなかった。また、賠償金は過去分に限られ将来分は認められず、防音工事による減額率も前回訴訟と同じであった。さらに、自衛隊機の飛行差止めは民事不適法であるとして却下され、米軍機の飛行差止めは第三者行為論を根拠に棄却された。

今回の判決では基地周辺住民の被害救済に全く前進が見られず、明らかな不当判決である。本判決は、国民の権利救済を使命とする裁判所がその任務を放棄したと評価せざるを得ず、到底容認することはできない。

私たち原告団・弁護団は、第1次訴訟から一貫して求めている「静かで平和な空」を取り戻すため、戦闘機騒音被害の抜本的解決が図られるまで今後も闘い続けることを誓う。

以上

 

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「新型コロナウイルス感染拡大」に乗じた 人権制限=「緊急事態宣言」に反対する声明(3.12)

「新型コロナウイルス感染拡大」に乗じた

人権制限=「緊急事態宣言」に反対する声明(3.12)

安倍内閣は10日、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下、特措法)に「2年を限度に新型コロナウイルスを加える」改正案(以下、改正案)を提案しました。このことは、この間の安倍政権による「新型コロナウイルス対策」の失敗の批判をかわし、特措法にある「緊急事態宣言」を活用して首相の指導力を誇示し乗り切ろうとする政治的意図を感じざるを得ません。13日には成立が予想されていますが、その内容から極めて危険な法律であると言わざるを得ず、私たちは断固反対します。

特措法では、緊急事態下での行政権の強化と市民の人権制限は、内閣総理大臣が「緊急事態宣言」を発することによって可能となっています。

要件は、「新型ウイルス感染が全国的、急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがある」場合、首相が緊急事態を宣言できるという抽象的であいまいなものとなっており、具体的なことは政令に委ねています。発動や解除については、内閣総理大臣はそれを国会に報告するだけでよく、国会の事前はおろか事後の承認も必要とされていません。これでは、国会による行政へのチェックは骨抜きになり、政府や内閣総理大臣の専断、独裁に道を開くことになってしまいます。

緊急事態が宣言されると都道府県知事に規制権限を与えられ、みだりに外出しないことや感染の防止に必要な協力を住民に要請することができ、学校、社会福祉施設、興行場など多数の者が利用する施設についてその使用を制限し、停止するよう施設の管理者に要請し、指示することができることや、開催者に催物の開催を制限し、停止するよう要請し、指示することができます。

外出については、自粛の要請にとどまるとはいえ、憲法によって保障された移動の自由を制限するものであり、要請にとどまらず指示という形での規制も加え、強制の度合いがさらに強められ、憲法上、とりわけ重要な人権として保障される集会の自由や表現の自由が侵害されることになります。
また、NHKは、他の公共的機関や公益的事業法人とならんで指定公共機関とされ(民放等の他の報道機関も政令で追加される危険がある)、新型インフルエンザ等対策に関し、内閣総理大臣の総合調整に服すだけでなく、緊急事態宣言下では、総合調整に基づく措置が実施されない場合でも、内閣総理大臣の必要な指示を受けることとされている。これでは、報道機関に権力からの独立と報道の自由が確保されず、知る権利も保障されないことになります。
さらに、知事は、臨時の医療施設開設のため、所有者等の同意を得て、必要な土地、建物等を使用することができるが、一定の場合には同意を得ないで強制的に使用することができる。これも私権の重大な侵害であり、憲法が保障する財産権にも深く関わるものです。

 これらは、安倍政権が、憲法「改正」論議が進まないなか、「緊急事態宣言」を活用して「先制的に適用」する、まさに「明文改憲」の先取りと言わなければなりません。今回の特措法「改正」は、「コロナ禍」を活用した人権・私権制限に道を開く「独裁条項」であり、組織の総力をあげて反対していくことを表明します。

2020年3月12日

石川県平和運動センター

 

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新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明(2020.3.9海渡雄一弁護士ほか)

新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する

緊急声明

新型コロナウイルスの感染拡大が深刻さを増すなか、安倍政権は現行の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」と略記)の対象に新型コロナウイルス感染症を追加する法改正(ただし、2年間の時限措置とする)を9日からの週内にも成立させようと急いでいる。
しかしながら、特措法には緊急事態に関わる特別な仕組みが用意されており、そこでは、内閣総理大臣の緊急事態宣言のもとで行政権への権力の集中、市民の自由と人権の幅広い制限など、日本国憲法を支える立憲主義の根幹が脅かされかねない危惧がある
そのような観点から、法律家、法律研究者たる私たちは今回の法改正案にはもちろん、現行特措法の枠内での新型コロナウイルス感染症を理由とする緊急事態宣言の発動にも、反対する。あわせて、喫緊に求められる必要な対策についても提起したい。

1 緊急事態下で脅かされる民主主義と人権
特措法では、緊急事態下での行政権の強化と市民の人権制限は、政府対策本部長である内閣総理大臣が「緊急事態宣言」を発する(特措法32条1項。以下、法律名は省略)ことによって可能となり、実施の期間は2年までとされるものの、1年の延長も認められている(同条2項、3項、4項)。
問題なのは、絶大な法的効果をもたらすにもかかわらず、要件が明確でないことである。条文では新型インフルエンザ等の「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるもの」という抽象的であいまいな要件が示されるだけで、具体的なことは政令に委ねてしまっている。また、緊急事態宣言の発動や解除について、内閣総理大臣はそれを国会に報告するだけでよく(同条1項、5項)、国会の事前はおろか事後の承認も必要とされていない。これでは、国会による行政への民主的チェックは骨抜きになり、政府や内閣総理大臣の専断、独裁に道を開きかねず、民主主義と立憲主義は危うくなってしまう。
緊急事態宣言のもとで、行政権はどこまで強められ、市民の自由と人権はどこまで制限されることになるのか。特措法では、内閣総理大臣が緊急事態を宣言すると、都道府県知事に規制権限が与えられるが、その対象となる事項が広範に列挙されている。例えば、知事は、生活の維持に必要な場合を除きみだりに外出しないことや感染の防止に必要な協力を住民に要請することができる(45条1項)。また、知事は、必要があると認めるときは、学校、社会福祉施設、興行場など多数の者が利用する施設について、その使用を制限し、停止するよう、施設の管理者に要請し、指示することができる。また施設を使用した催物の開催を制限し、停止するよう催物の開催者に要請し、指示することができる(同条2項、3項)。
外出については、自粛の要請にとどまるとはいえ、憲法によって保障された移動の自由(憲法22条1項)を制限するものである。また、多数の者が利用する学校等の施設の使用の制限・停止や施設を使用する催物の開催の制限・停止という規制は、施設や催物が幅広く対象となり、しかも要請にとどまらず指示という形での規制も加え、強制の度合いがさらに強められており、憲法上とりわけ重要な人権として保障される集会の自由や表現の自由(憲法21条1項)が侵害されかねない。
また、特措法の下で、NHKは、他の公共的機関や公益的事業法人とならんで指定公共機関とされ(2条6号など。民放等の他の報道機関も政令で追加される危険がある)、新型インフルエンザ等対策に関し内閣総理大臣の総合調整に服すだけでなく(20条1項)、緊急事態宣言下では、総合調整に基づく措置が実施されない場合でも、内閣総理大臣の必要な指示を受けることとされている(33条1項)。これでは、報道機関に権力からの独立と報道の自由が確保されず、市民も必要で十分な情報を得られず、その知る権利も満たせないことになる。
さらに、知事は、臨時の医療施設開設のため、所有者等の同意を得て、必要な土地、建物等を使用することができるが、一定の場合には同意を得ないで強制的に使用することができる(49条1項、2項)。これも私権の重大な侵害であり、憲法が保障する財産権にも深く関わる措置である(憲法29条)。

2 政府による対策の失敗と緊急事態法制頼りへの疑問
政府は、特措法改正の趣旨を、新型コロナウイルス感染症の「流行を早期に終息させるために、徹底した対策を講じていく必要がある」(改正法案の概要)と説明している。
しかし、求められる有効な対策という点から振りかえれば、中国の感染地域からの人の流れをより早く止め、ダイヤモンドプリンセス号での感染を最小限にとどめ、より広範なウイルス検査の早期実施と実施体制の早期確立が必要であった。にもかかわらず、国内外のメディアからも厳しく批判されてきたように、初期対応の遅れとともに、必要な実施がなされない一方で、専門家会議の議論を踏まえて決定されたはずの「基本方針」にもなかった大規模イベントの開催自粛要請、それにつづく全国の小中高校、特別支援学校に対する一律の休校要請、さらに中国と韓国からの入国制限などが、いずれも専門家の意見を聞かず、十分な準備も十分な根拠の説明もないまま唐突に発動されることによって、混乱に拍車をかけてきた。
本来必要な対策を取らないまま過ごしてきて、この段階に至って緊急事態法制の導入を言い出し、それに頼ることは感染の抑止、拡大防止と具体的にどうつながるのか、大いに疑問である。根拠も薄弱なまま、政府の強権化が進み、市民の自由や人権が制限され、民主主義や立憲主義の体制が脅かされることにならないか、との危惧がぬぐえない。現に、特措法改正を超えて、この際、今回の問題を奇貨として憲法に緊急事態条項を新設しようとする改憲の動きさえ自民党や一部野党のなかにみられることも看過しがたい。

3 特措法改正ではなく真に有効な対策をこそ
今回の特措法改正はあまりにも重大な問題が多く、一週間の内に審議して成立させるなどということは、拙速のそしりをまぬかれない。私たちは、政府に対し今回の法改正の撤回とともに、特措法そのものについても根本的な再検討を求めたい。加えて、次のことを急ぐべきである。すなわち症状が重症化するまでウイルス検査をさせないという誤った政策を転換し、現行感染症法によって十分対応できる検査の拡大、感染状況の正確な把握とその情報公開、感染者に対する迅速確実な治療体制の構築、マスクなどの必要物資の管理と普及である。感染リスクの高い満員通勤電車の解消、テレワークを可能にする国による休業補償、とりわけ中小企業への支援、経済的な打撃を受けている事業者に対するつなぎ融資や不安定雇用の下にある人々や高齢者、障がい者など生活への支援を必要とする人々への手厚いサポートが必要である。そのため緊急にして大胆な財政措置が喫緊である。
強権的な緊急事態宣言の実施は、真実を隠蔽し、政府への建設的な批判の障壁となること必至である。一層の闇を招き寄せてはならない。

2020年3月9日

梓澤和幸 (弁護士)/右崎正博 (獨協大学名誉教授)/宇都宮健児 (弁護士、元日弁連会長)
海渡雄一 (弁護士)/北村 栄 (弁護士)/阪口徳雄 (弁護士)/澤藤統一郎 (弁護士)
田島泰彦 (早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)/水島朝穂 (早稲田大学教授)
森 英樹 (名古屋大学名誉教授)  (*あいうえお順)

 

今日の午前中に公表された新型インフルエンザ特別措置法の改正に反対する法律家の共同声明です。
2020年3月9日記者会見におけるコメント
海渡雄一

〇各地で医療機関に何度も行きながら、検査も受けられず、重篤化してからコロナウィルス感染者とわかる悲しい事例が次々に報告されていることに心を痛めています。これは、人災であり、人権侵害です。
〇安倍政権は科学と事実を無視し、法解釈を曲げて平気な政権です。コロナウィルスについても、故意に検査をさせない体制をつくり、感染者数を抑えることを自己目的化しています。その政策を改めさせることの方が先決です。

〇そのような政権に強権を与えることはあまりにも危険です。安倍政権は、北海道などで実際に緊急事態を宣言しようとしているのではないでしょうか。
〇この法律には、数多くの私権制限の規定だけでなく、集会開催の制限やNHKや民放も指定公共機関に指定されるなど、表現の自由そのものを侵害する危険性のある条項があります。
〇元民主党の議員の方々は、もとの法案をつくったという過去のメンツは捨てて、欠陥のある法律を抜本的に修正すべきという立場に立っていただきたい。

〇いま、緊急に必要なことは、こんな法律をつくることではなくて、検査の体制を改め、感染者に早期に治療を開始できるようにすること、経済的な困難に直面している企業や個人に支援の手を差し伸べることだと思います。

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辺野古新基地建設反対3.6首都圏集会に寄せて 沖縄平和運動セ山城議長メッセージ 

  3月6日に開催が計画されていた、「止めよう辺野古新基地建設!辺野古裁判勝利!3.6首都圏集会」(共催:「止めよう!辺野古埋立て」国会包囲実行委員会、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)は、諸般の事情により延期となりました。沖縄の今の状況を全国に伝えるために、山城議長の集会用発言メッセージをそのまま掲載します。

辺野古新基地建設反対3.6首都圏集会に寄せて

本日この教育会館大ホールに大結集をいただきました首都圏を中心とした全国の仲間のみなさん。今晩は。沖縄平和運動センターの山城です。

本来なら私自身も本集会に参加して、緊迫する辺野古情勢また強行される先島諸島への自衛隊基地建設問題について報告し、引き続き全国支援のお願いを申し上げるべきでありますが、諸般の事情で集会参加がかなわなくなりました。まずそのことをお詫びを申し上げますと共に主催者のご配慮で挨拶に代えてメッセージさせていただく機会を得ましたこと深く感謝申し上げます。

さて安倍内閣は遮二無二に辺野古新基地建設を進めるために、沖縄県に対し今月中にも埋め立て変更申請を行うという緊迫した局面で、首都圏の皆さんが時を違うことなく本集会を開催され辺野古新基地建設計画に反対する決意を新たにする場を設けた意義はまことに大きく、今後この熱が全国に波及し反対運動に大きな盛り上がりをつくってくれるものと期待しています。

すでに数多く指摘されているところではありますが、この辺野古新基地建設は大浦湾に広がる軟弱地盤問題をはじめ幾つもの重大な問題に突き当たっていと言われます。本集会案内書にも詳細報告されている通りであります。現地沖縄では辺野古新基地建設がいかに無謀で杜撰な計画であるかが連日のように報道されています。整理すると

①埋め立て予定地に広がるマヨネーズ状と言われる軟弱地盤の存在。

②世界でもかつて経験したことがないという海面下90mでの深海工事。

③大浦湾に群生するサンゴ移植問題

④先日政府が唐突に発表した全ての埋め立て土砂を県内調達で行うことに関する問題

などとなります。どれを取り上げても政府がこれまで十分な説明を行えないでいる難問であり、さらに埋め立て予定地のど真ん中に流れ出る美謝川(びじゃがわ)の水路変更問題について水利権を所轄する名護市との協議が今だに行われないまま棚上げにされていること。この件は野党多数の名護市議会の構成を変えない限り打開の糸口はないことなどです。

 先の4項目については全て知事権限が行使される『埋め立て承認に関する変更申請』の対象となっており、玉城知事が圧倒的な県民世論を受けて政府の変更申請を受け付けないことが明白である以上、常識的に言えばもはやこの計画をこのまま続行することは不可能であり、政府は建設をすみやかに断念すべきなのです。辺野古の闘いは丸5年が経過しやがて6年になろうとしています。表向きは、辺野古でも安和や塩川港でも抗議行動が機動隊に排除されて政府主導で事が運んでいるように見えますが、如何ともし難い壁にぶち当たり、追い詰められているのは政府の方です。お集まりの皆さん。まずはそのことを確認しましょう。

その上で今後の私たちの運動について考えてみましょう。

悪辣極まりない安倍内閣のことです。間違いなく県知事に対し変更申請を行うでしょう。そして知事が応じないと見るや翁長知事が行った承認撤回の際に取った防衛省と国交省間での猿芝居で県知事権限を封じるか、あるいは政府の御用機関と化した福岡高裁那覇支部に訴え出て計画変更を正当化していくでしょう。

しかし変更申請に関する沖縄県とのやりとりの難しさは強権発動で押さえ込んだとしても、先に挙げた工事遂行に伴う技術的困難さは依然として解決されず残ることになります。

 ①②について。70mより深い海域での工事はできない。政府は70mまでの工事で可能と開き直っていますが、新潟大学の立石名誉教授はそれでは護岸は崩壊すると警告しています。

 ③世界遺産にも登録されようとする大浦湾のサンゴ群は、それが息づく条件が大浦湾に揃っているからそこに生息する訳でそこ以外に持って行きようがないし、そもそもあの巨大なサンゴ群を移植する技術などないのです。

 ④本来2000万立方メートルに及ぶ埋め立て土砂の大半は全国各地から搬入予定であったが、県条例に阻まれて全てを県内調達に変更するという。そうするとこれまで県内調達を全体の四分の一程度と見込んでいたことからすれば全ての搬入調達に関する条件を4倍にしなければならない。トラックや運送船舶の数、積出港、あるいは各地に際限なく広がる採石場で警備に当たる警備員や警察機動隊など単純に言えば全て4倍揃えなければならないことになる。今日、概算でチャーターされている運搬船や台船の数およそ20隻それが80隻に、トラックは1日当たりおよそ500台それを2000台に。動員される機動隊の数150人は600人に、という計算になる。すでに土建業界からすべてのトラックや資機材または人員を総動員しなければならないがそれは不可能だと漏れ伝わっている。

結論から言えばこの工事は技術的にも不可能なのです。それを強引に行おうとすればいたずらに工期が延びるだけです。全ての工事条件を変えないとすれば、単純に政府の予想する工期13年が52年に延びることになりそもそもそんな公共工事はあり得ないし、米軍も納得しないでしょう。

遅かれ早かれ政府はこの工事を断念しなくてはならないでしょう。

 ただここで注意されなければならないのは、政府は自らは引かない。時の経過とともに自動的にそうなるものではない。政府はますます強引に迫ってくるはずです。

沖縄県政に対する圧力は翁長知事の最期を思えば想像絶するものがあると肝に銘じなければならず、またゲート前で立ちはだかる人々に対する警備弾圧も一層厳しさを増してくるでしょう。

この辺野古新基地建設を巡る政府との攻防いよいよ正念場に差し掛かる、そう認識し決意を固めあいましょう。

  私ども沖縄平和運動センターを含め心ある多くの県民が政府の不当な介入・弾圧をはねのけて闘いに総立ち上がりするでしょう。

お集まりの首都圏の仲間の皆さん。手を携え連携してまいりましょう。

コロナウィルス対策にみる政府の危機感の欠如した後手後手の対応は、政治行政権力を一手に収め、その果実の全てを政権の延命と私利私欲にあてがう安倍政治の究極の姿を映し出したものと言わねばならず、このままこの政権が延命すれば、ますます悲惨な事態が待ち受けているだろうことは明らかであり、全国の団結でこの内閣を打ち倒して自らの運命を切り開く回路を取り返して行かなくてはなりません。

見境もなく大国中国との緊張を煽り地域の軍事化、軍事基地建設に余念のない日本政府安倍内閣を打倒して、不信と緊張が支配する沖縄先島諸島海域の平和を取り返す闘いが、脈々と全国の闘いと繋がっていることを感じながら、常駐する先島諸島宮古島からのメッセージとさせていただきます。首都圏の皆さん。全国の仲間の皆さん。共に手を取り合い闘って参りましょう!

2020年3月6日

沖縄平和運動センター議長 山城博治

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「幻」となった決議案 新型肺炎に便乗した「緊急事態条項の新設」と「病院船の建造」に反対する特別決議

新型肺炎に便乗した「緊急事態条項の新設」と 「病院船の建造」に反対する特別決議(案)

新型コロナウイルスによる肺炎の蔓延を理由に、自民党有力国会議員らから『非常時に国民の権利を一部制限できる「緊急事態条項」が必要』との発言が出されています。感染症などの対策は、現行の法律で対処できるものであり、今回の発言は、自分たちのゴテゴテを反省することなく、これを奇貨として改憲を急ぐ自民党内改憲派の「勇み足」と言わざるを得ません。

全国肢体障害者団体連絡協議会(全国肢障協)は2月10日、これに反対する緊急声明を発表しました。「戦争や災害などでは『役立たず』『足手まとい』と切り捨てられるのは障害者だ」として「緊急事態条項の不要」を訴えました。

緊急事態条項とは改憲四項目の一つであり、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」時に、内閣総理大臣が「国家緊急権」を発令できるようにするものですが、自然災害のみならず、戦争災害や労働者・市民の決起にも適用される、基本的人権と三権分立を「瞬時」に停止する極めて危険なものであり、「ナチスの手口」とも言われているものです。まったく言語道断であり、その撤回を求めます。

また一方、現在の新型肺炎や地震災害などで陸路が遮断された場合の対応として、病院機能を持つ「病院船」の活用を検討せよと2月12日、自民党が提案しました。これに安倍政権は、「関係省庁とも協議し病院船の配備の在り方を加速的に検討していく」と述べ、14日には河野防衛相が導入に向けた検討を始めたと報道されました。

「病院船」とは、戦争や飢餓、大災害時に現場で傷病者に医療ケアをする船舶であり、通常、世界ではアメリカやロシアなど“戦争する国”が運用しているものです。しかし、医療システムの維持費やコストが莫大であることから、それらの国々も輸送艦や強襲揚陸艦など戦時艦船を利用しているものが殆どです。

私たちは、「病院船」の建造が災害対策の見地からみても「陸路の代替」とはならないと考えます。地震が港湾のみならず関連施設をも破壊したことを知っているからです。

従って、改憲推進派による「災害対策」に名を借りた「緊急事態条項の創設」と「病院船の建造」は、きわめて意図的、恣意的な「コロナウイルス騒動に便乗した世論操作」と考えます。これらは、憲法改悪へと道を開き、民主主義を破壊し戦時体制を強化するなにものでもなく、断乎として反対していくことを宣言します。

 以上、決議します。

2020年2月28日

 石川県憲法を守る会総会参加者一同

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へいわってどんなこと 「絵本作家」浜田桂子さんの主張 

平和ってどんなこと。

知識で知っている事と感覚で感じる事ことには、とても離れている、乖離がある。

南京事件や朝鮮支配、フィリピンやベトナムなどでの数限りがない虐殺、悲劇は、いまの私たちにとっては感覚しようがない。

だから、被害を受けた人の語りは、「内からの感情の昂ぶりの声」として「怒りの声」として受け止めなければならない。

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「緊急事態条項」の先取り!「2類感染症」でも「無症状病原体保有者」を“強制入院”

20200225「緊急事態条項」の先取り! 「2類感染症」でも「無症状病原体保有者」を“強制入院”できるように政令を改正  (20.2.24毎日新聞より)野党、批判無し!

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樺美智子はなぜ死んだのか 安倍首相が見ない条約の影 日米安保60年(1)(2)(3)(4)(5)(6)

2020/2/25 07:00 (JST) ©株式会社全国新聞ネット  江刺昭子 女性史研究者

国会構内で亡くなった樺美智子

1960年1月16日朝、都心から羽田空港に通ずるメインストリートではなく、裏道を猛スピードで駆けぬける車列があった。車に乗っていたのは、岸信介首相を首席とする日米新安保条約調印の全権団だった。そのまま滑走路に乗り入れ、午前8時、アメリカに旅立つ。同日夜出発の予定を急きょ繰り上げての慌ただしい旅立ちであった。

「これをおくるフィンガーの見送りは約五十人の報道関係者のほか約百人の関係者だけ、日の丸もただ一本が雨にぬれてポツンと立っていた」(『読売新聞』1月16日夕刊)。記事中の「フィンガー」とは、送迎用のフィンガーデッキのことである。

全学連による実力行使を避けての出発だったが、『毎日新聞』の「余録」はこう評した。

「もとより無用な混乱は避けるにこしたことはない。だがそれを顧慮するあまり、コソコソ逃げ出すように出かけては、第一相手のアメリカは何ととるだろう。これが国民から全権を託された人たちとは、とても認めてもらえまい」

「もし政府に大多数の国民から支持されているとの自信があるなら、もっと堂々たる態度をとるべきだろう。ほかのときとは違うのである。逃げ回っていればすむという場合ではない」

こうしてコソコソと渡米した全権団によって19日、ホワイトハウスで新安保条約の調印式が行われた。それから60年、岸の孫にあたる安倍晋三首相はことし1月19日、署名60年記念式典のあいさつで「日米安保条約は不滅の柱」と胸を張ったが、課題は多い。

改定と同時に定められた日米地位協定は、基地の町に重い負担を強いる。沖縄はとりわけひどい。過去も現在も、基地があることで起きる事件・事故や騒音被害、土壌汚染などに苦しめられている。

まもなく羽田空港の国際便が増便されるが、首都圏の大部分の制空権はいまだに米軍にあり、日本の民間機は自由に飛ぶことができない。

この理不尽な条約を結ぶことに対し、調印前年の59年、非武装中立を唱える社会党と多くの労働組合を束ねる総評を軸にした安保条約改定阻止国民会議(国民会議)が結成され、反対運動をリードした。冒頭に書いた岸の渡米に、国民会議は当初、羽田での行動を計画したが、直前になって回避、日比谷での集会にトーンダウンした。

なぜか。わずか2カ月足らず前の59年11月26日、傘下団体の一つである全国学生自治連合会(全学連)と労働者が、国会に突入し6時間にわたって構内を占拠した。前代未聞、「革命前夜」とも形容された事態だった。国民会議の指導部は、羽田で再び混乱することを恐れたとされる。

全学連はこの方針に不服だった。岸の全権団の出発時間が繰り上がったのをキャッチして15日夜、警戒線を突破した。約700人が空港ビルのロビーを占拠、バリケードを築いて決起集会を開く。スクラムを組み、革命歌「インターナショナル」を高唱した。

退去させるために実力行使を始めた警官隊と激しいもみ合いの末、唐牛(かろうじ)健太郎委員長ら80人近くが検挙され、残りが空港外に放り出された。混乱が収束したのは16日未明。その後、冒頭に書いたように、岸の全権団がこっそりと出発した。

これで「ゼンガクレン」は海外にも知られるようになり、ジグザグデモは「スネークダンス」と翻訳された。

羽田で検挙された中に、女子学生が2人いた。東大文学部の学友会副委員長、樺(かんば)美智子と女子美術大の学友会委員長、下土井(しもどい)よし子で、ともに3年生。2人とも不起訴処分になり、17日後に釈放された。

このあとメディアが2人に取材攻勢をかけ、下土井は新聞や週刊誌で「全学連ナデシコ」とアイドル扱いされた。メディアは「警視庁のご飯をペロリ」などと書いたが、なぜ安保に反対するのかという彼女の主張には耳を貸そうともしない。

樺美智子は取材をきっぱりと断り続ける。だが、中央大教授である父の俊雄が「全学連に娘を奪われて―羽田空港事件で東大生の娘を検挙された父親の手記」を『文藝春秋』60年3月号に発表したことから有名になる。

俊雄の手記は「国会乱入事件後における全学連指導者の狂人じみた英雄気取の言動が国民のあいそづかしをどれだけ増したことか」と全学連の国会突入と羽田闘争を非難する。

よもや自分の娘が参加していようとは夢にも思わなかったと明かし、娘が「馬鹿げた事件」に巻きこまれたのは「なんといっても大学の友人仲間のうちに原因があったとしか考えられない……単純な考えで正義感にかられると、情熱的な行動をする性質が娘にはあったらしい」と推測した。

このことが5カ月後の娘の死につながっていった可能性がある。

のちに俊雄は、あの文章は娘をよく知らず、取り乱したための誤解であったと書くが、娘は激しく反発した。友達に誘われたからではなく、単純な正義感だけからでもない。彼女は明確な政治的意志をもって、学友たちをオルグして羽田に向っている。仲がよかったという母親にも告げず、旅行に行くと見せかけて家を出ている。

1960年6月18日、日米新安保条約の自然成立前日、国会を包囲する学生や労働者のデモ隊

60年5月19日に自民党が衆院で安保条約の批准を強行採決すると、学生、労働者、市民ら何十万人もの人が連日、十重二十重に国会を取り巻き、条約に反対した。その闘争のさなか、樺美智子は国会構内で命を落とす。

勉強好きの真面目な学生で、研究者を目指していたという。彼女はなぜ命の危険をも冒すほど、情熱を傾けて闘争にのめり込んでいったのだろうか。

×   ×   ×

激しい反対運動にもかかわらず、安保条約は60年6月19日、参院の議決なしで自然成立する。それと引きかえのように岸内閣は退陣し、熱気にあふれた運動の波も引いていった。

あの運動は何を残し、何を残さなかったのか。新たな取材資料も合わせ、樺美智子の生と死を重ね合わせて、それを探りたい。(6回続き、敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家、大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。「樺美智子 聖少女伝説」など著書、編著書多数。

 

樺美智子とは何者だったのか

恵まれない人への強い関心から闘争へ 日米安保60年(2)

©株式会社全国新聞ネット

樺美智子。全学連慰霊祭の遺影

 安倍晋三の祖父、岸信介が首相に就任したのは1957年2月。3年後には民意を踏みにじって米国と強引に新安保条約を結ぶことになる。これに反対する闘争の中で、伝説的人物として語られる樺(かんば)美智子が、東大に入学するのは57年4月。その月のうちに「原水爆実験反対」のデモに参加している。

 岸内閣が退陣に追い込まれたのは3年半後の60年7月であり、樺美智子が22年の生涯を閉じるのは60年6月だった。現実には決して交わることのなかった2人だが、登場と退場の符節は一致する。痛み分けとするには、断たれた彼女の未来があまりにも惜しい。

 樺美智子は1937年11月、東京で生まれた。父俊雄は大学教員、母光子も日本女子大卒という知的な家庭だった。豊かで自由な環境でのびやかに育てられ、兄が2人いるが、両親は女の子だからと差別はせず、娘に期待を寄せている。

 戦時中に疎開して8年余、静岡県の沼津で暮らした。富士山を目の前に仰ぐ風光明媚な地だが、漁村は貧しい。まともに食事をとれない「欠食児童」が少なくない戦後、樺家のハイカラな暮らしぶりと、彼女が飛び抜けて優秀だったことが語り草になっている。感受性の強い彼女が、貧富の差に気づき、恵まれてあることの後ろめたさを感じたのは、この時期だったと思われる。

神戸高校卒業のとき。左端が樺美智子

 父が神戸大の教授になったことから、中学1年で兵庫県芦屋市に転居し、県立神戸高校に進む。勉強やスポーツに励み、読書欲も旺盛だった。宮本百合子を愛読し、主人公の感じ方が自分と似ていると、友人に打ち明けている。

 「時間が足りない」が口癖。高校2年の終業式の日、母親に「今年は私は1時間も無駄にしなかった」と晴れ晴れとした表情で話したという。

 まっすぐな性格だった。おかしいと思ったら、相手が教師であっても臆せず主張する。

 男子が多い神戸高校で、早くも性差別に疑問を持つ。自治会の役員になぜ女子が立候補しないのか、体育祭の練習はいつも男子優先で女子が待たされるのはなぜなのか。そんな問題提起をして、全校アンケートまでした。

 京大総長の滝川幸辰が高校に講演に来て、女子は良妻賢母がいいと話したときは、気色ばんで滝川に抗議しようとして友人に止められている。

 炭鉱不況で鉱夫の家族が困窮しているのを知ると、救援カンパを集めて送った。恵まれない人への関心から社会主義思想に傾斜していく。時代は政治の季節であり、学生だけでなく労働者も市民も、街頭デモやストライキで政府や資本家への抗議の意志表示をした。特に米軍基地の拡張や米英の核実験には各地で抗議運動が燃え上がった。

樺美智子の1957年11月の小遣い帳。自分の楽しみのための支出がほとんどないのに、運動や困っている人の支援には出費を惜しまない

 東大に入学した直後にクラスの自治委員に立候補し、デモにもしばしば参加している。一方で学業も手を抜かず、歴史学研究会でサークル活動もしながら、社会科学系の本を多読した。

 岸信介のほうは首相就任後まもなく、自衛のための核兵器保有は憲法解釈上、禁じられていないという趣旨の答弁で物議をかもす。政権発足から4カ月後には米国を訪問し、安保条約改定に関わる協議を開始。反対勢力を抑え込む意図で警察官職務執行法(警職法)改正案を国会に提出したが、激しい反対運動が起こって法案は流れる。

 安保反対運動をリードしたのは、社会党や総評を中心とする安保条約改定阻止国民会議(国民会議)だった。しかし、その傘下団体である全日本学生自治会総連合(全学連)の主導権を握ったのは、共産党を離党した学生らによって58年11月に結成された前衛党・共産主義者同盟(ブント)である。樺美智子も早い時期からブントに加盟し、書記局を支えている。

 ブントは日本帝国主義打倒を掲げた。安保条約を葬ることを目標とし、より先鋭な運動方針を打ち出す。これに対して共産党系の学生らは、全学連の反主流派として、ゆるやかなデモ行進から流れ解散で抗議の意志を示した。

 権力を握る者への対抗軸がまとまらない構造は今に続く。

 樺は3年の秋に文学部学友会の副委員長になり、学友たちに主流派の方針を説得する。59年11月27日の国会突入と、翌年1月16日の羽田ロビー闘争に参加したのも当然のことだった。羽田闘争で検挙され、18日間の勾留を経て帰ってきた美智子は、父が文芸春秋に書いた「全学連に娘を奪われて」という文章に肩身の狭い思いをしながら、かえって強い意志で運動にのめり込んでいく。

 60年4月26日、全学連は首相官邸に突入する。唐牛(かろうじ)健太郎委員長ら幹部は装甲車を乗り越えて警察官の群れに飛び込み、逮捕された。樺も装甲車を乗り越えたという人がいるが、真偽は不明だ。その日の夕方、九州に転勤する次兄を見送るため、東京駅に現われた彼女は泥だらけだった。

 5日後のメーデー。心配する母は街頭に出て、デモの隊列の中に娘を発見する。隊列は「アンポ」「ハンタイ」を連呼している。

「東大文学部自治会の旗の長いすそが娘の黒い髪の上を何度もなぜて、私がみつめている姿をその度にかくした。私は動く気力もなくたたずんで、心に残るその影を追ったのだった」(樺俊雄・樺光子著『死と悲しみをこえて』)

 娘の闘う姿を見るのは、これが最後になる。闘う娘と見守る母の姿が浮かんできて、読むたびに目頭が熱くなる。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

日米安保60年(1)

逃げずに闘い続けた樺美智子

国会の暴力から「革命前夜」に 日米安保60年(3) 2020/2/27 07:00 (JST)2/27 12:13 (JST)updated  ©株式会社全国新聞ネット

ハガチー大統領秘書が乗った車を取り囲むデモ隊=1960年6月10日、羽田空港

 昨年、香港で逃亡犯条例の改正案に反対して市民の激しい抗議デモが起こり、持続的な運動になった。その最前線に若者たちがいた。それに比べて「日本の若者は政治に関心が薄い」と嘆く声も上がった。

 特定秘密保護法が制定されても、自衛隊が海外に派遣されても、若者の多くはスマホに目を落したままのように見える。60年前、日米安保条約に反対して立ち上がった若者たちとどこが違うのか。

 60年安保闘争のときの学生たちを当時のメディアは、こぞって「はねあがり」「赤いカミナリ族」などと批判した。カミナリ族は集団でバイクなどを駆る若者たち。今で言う「暴走族」で、そこに共産主義を意味する「赤」という形容詞を付している。

 しかし、体を張って行動した学生たちや、それに続いた民衆の姿に、革命の未来を見た人もいた。それをあながち幻想と呼べないほど運動が盛り上がっていったのは、1960年5月20日以降である。

 反対運動は国民運動ともいうべき様相を呈した。デモ隊は雪だるま式にふくれあがった。この年、早大に入学したばかりの一般学生のわたしが、手作りの旗を持って、サークルの仲間たちとはじめて街頭デモに参加したのも、5月20日だった。

 画期をもたらしたのは何か。

 5月19日深夜から20日未明にかけて、衆議院で新安保条約、新行政協定(地位協定)、関連法案の3案が強行採決されたのだ。警官隊500人を入れ、秘書も使って、反対する野党議員をゴボウ抜きにした。国権の最高機関が暴力で支配された。もちろん討論は行われていない。

 与党が民主主義を踏みにじり、議会政治を崩壊させたことで、安保闘争の風景は一変する。政府攻撃の世論は日に日に高まり、衆議院の解散と岸信介内閣の退陣を求める戦後最大の大衆運動に発展した。

 社会党と総評を中心とする安保改定阻止国民会議(国民会議)は、連日デモを組織し、今まで動かなかった市民団体、女性団体、学術団体、全国の大学の教授団も相次いで声明を出し、組織に属していない主婦や商店主も街頭に出た。

 30歳の画家、小林トミが一人ではじめた「声なき声の会」の旗のもとに、たちまち300人もの行列ができた。文学者や芸術家、芸能人やプロ野球選手も岸内閣を責める発言をしている。

 樺(かんば)美智子はその春、東大4年に進み、文学部学友会の副委員長の任期が終わる。これからは卒論に集中すると周りにも宣言し、力を入れはじめた矢先、皮肉にも反対運動が日ごとに盛り上がっていった。

 樺が所属する共産主義者同盟(ブント)は全学連主流派を指導し、国民会議の請願デモを「お焼香デモ」と批判した。穏健なデモを揶揄した言い方である。主流派は5月26日に国会に、6月3日には首相官邸への突入を試み、多くの検挙者を出す。

 そんな過激な闘争から足を洗って、公務員試験や司法試験、就職活動、大学院進学の準備に向かう学友もいたが、樺は逃げなかった。睡眠時間を削って卒論の準備を進めながらも、デモに出かけた。

1959年、教育実習の運動会の日の樺美智子

 亡くなるまでの1カ月、さまざまな顔を友人たちに目撃されている。ゼミのレポート作成のため、先輩に熱心に質問する後ろ姿を写真に撮られている。渋谷の横断歩道ですれ違った学友もいる。樺は母親と腕を組み「温和で、嬉々とした」笑顔だったという。

 デモに行く地下鉄でマルクス・エンゲレスの共著『ドイツ・イデオロギー』を膝に広げて居眠りをしていても、いざ現場に立つと勇敢な闘士になった。首相官邸突入をひるんだら、彼女に腕をむんずと掴まれスクラムを組まれたと、回想する男子学生もいる。どんな場面でも、いい加減にとか、適当に、ということができない人だった。

樺美智子の日本経済史のノート。左ページをメモ用にあけている

 6月10日、羽田でハガチー事件が起きた。アイゼンハワー米大統領の来日が予定されていて、その下見のために秘書のハガチーが羽田に着く。しかし、ハガチーを乗せた車はデモ隊に取り囲まれ、ヘリコプターで脱出する騒ぎになった。取り囲んだのは全学連の主流派ではなく、共産党系の反主流派と労働者の集団だった。

 それが主流派のブントの焦りをよぶ。これでは全学連の主導権を反主流派に奪われてしまう。これまで中心を担ってきた指導者たちの多くが逮捕され、不在の中で、慌てて「6月15日国会突入」という方針をうちだした。

 国会構内では「鬼の4機」と呼ばれた屈強の第4機動隊が重装備で待ち構えていた。一方、デモ隊はと言えば、のちの全共闘運動のときと違い、ボール紙で作ったプラカードや布の旗だけ。足元はズックや下駄履きもいる。女子はスカート姿がほとんどだった。

 武器はみんなと固く組んだスクラムだけ。正面からぶつかれば、誰かが死ぬかもしれない。指導部には「死者が出るのではないか」と、不幸な予感を持つ者もいた。そして、その予感は的中してしまう。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

日米安保60年(1)

樺美智子とは何者だったのか 日米安保60年(2)

樺美智子「運命の日」

警官隊と衝突、斃れる 日米安保60年(4)

©株式会社全国新聞ネット

亡くなる数時間前、デモ行進する樺美智子

 日米新安保条約は、1960年5月20日に衆院で強行採決された。これにより、参院の採決なしでも1カ月後の6月19日には自然成立することになった。そのタイムリミットの4日前、6月15日が、樺(かんば)美智子にとって運命の日となった。

 反対運動を主導した安保改定阻止国民会議(国民会議)はこの6月15日をヤマ場とし、全国に統一行動を呼びかけた。国民会議の中心となった総評傘下の組合を中心に、全国で実に580万人が抗議行動に参加した。

 今では考えられない規模だが、軍事同盟に対する拒否感情はそれほど強かった。戦争の記憶が色濃く、平和への希求は切実だったのだ。

 その日、東京のデモ隊は、国会、首相官邸、アメリカ大使館などを目標とした。統一行動の模様を伝える朝日新聞夕刊1面の見出しは「六・一五統一行動/大した混乱なし」。至って穏やかなスタートだった。夕刊締め切りの午後の早い時間までは。

 全学連主流派のデモは午後4時ごろから始まった。全学連委員長代理の北小路敏(さとし)、都学連副委員長の西部邁(すすむ)らが乗った宣伝カーが先導し、東大、明大の順で各大学が続き、最後尾の早大とつながったまま国会を2周。先頭集団に樺もいた。

 同じころ、国民会議が主催する請願デモも続々と国会周辺に集っていた。そのなかの新劇人グループや市民のデモ隊に、右翼の「維新行動隊」がカシの棒で殴りかかった。女性の多い新劇人と市民約70人が負傷したのに、警察官が傍観していたと学生たちに伝わり、怒りの引き金を引いた。

 全学連デモ隊の中の「工作隊」が国会の南通用門の扉を外した。守備側がバリケードにしていたトラックを、学生たちが引っ張りだす。構内には約1千人の武装警察官と100人を超える私服警官がいたが、一瞬うしろに引いた。

 誘われるように入り込んだ学生たちを警察が包囲した。指揮者の「かかれ!」の合図で、警棒を振りかざして「やっつけろ」とかかってくる。前の方にいた学生は、警棒で頭、顔、肩を乱打され、腹を突かれた。逃げ出す者を追い、うずくまっている者を叩いて、後方の私服警官に検束させた。社会党の議員や報道関係者が制止しても、警官隊の暴行はやまなかった。混乱のなかで樺は斃(たお)れた。これが第1次の激突である。

6月15日、警官隊との激突で多数の学生らがけがをした

 女子学生が死んだと門外の学生たちに伝わり、再び学生が構内に入る。9時ごろ構内で黙祷した。その後、また学生と警官隊がぶつかり、多くの負傷者が出た。

 警察側は門の外の学生たちにも催涙ガス弾を撃ち込み、逃げるのを追って警棒を打ちおろした。学生を心配して国会周辺に集まっていた教員や大学職員にも襲いかかり、教授陣からもけが人が出た。16日午前2時ごろまで続いた激突で、学生の検挙者182人、負傷者は589人で、うち43人が重傷を負う。救急車が48台も出動した。

 樺は救急車で飯田橋の警察病院に運ばれた。文学部学友会委員長の金田晋(かなた・すすむ)と同期生の北原敦(あつし)が呼ばれて遺体と対面し、樺美智子と確認。金田はそのままパトカーに乗せられて西荻窪の樺家に行くが、留守だった。

 時間を少し巻き戻して、この日の樺の行動をたどろう。

 いつものように半徹夜で勉強をした樺は、朝になってクリーム色のカーディガンにチェック柄のスカートで家を出た。午前中は近世史のゼミでレポーターを務め、昼食後、スラックスに着替えて地下鉄で国会正門前に行き、抗議集会に参加する。雑誌『マドモアゼル』(小学館)の記者がデモに伴走しながら、写真を撮らせてくれと頼むが、「わたくし、こまるんです」と断っている。

死の数時間前。デモ隊の中の樺美智子

 マドモアゼルの記者は樺に、この行動によって国会を解散に追い込み、安保改定を阻止できると信じているのかと問いかける。樺はこう応じた。

 ―「はい、信じています。わたくしはわたくしの信念にしたがって行動しているんです」。一瞬、あなたの声は強くはりつめて、その語尾は、泣くかのようにふるえていた―

 南通用門前の学生たちに警官隊が放水し、彼女はビニールの水玉模様の風呂敷で頬かぶりした。その姿がお茶目で周囲の者が笑った。同期の榎本暢子と卒論の進行具合を話し合ったのが最後になった。死亡推定時刻は15日午後7時10分から13分ごろ。

 父の俊雄は、学者・研究者グループによる「民主主義を守る会」の抗議デモに初めて参加し、騒がしい南門前に行き、死者がわが娘とは知らずに黙祷している。現場を離れ食事に立ち寄った店のラジオで娘の名を聞き、深夜、東京・飯田橋の警察病院に駆けつける。

 母の光子も娘を心配してひとりで国会周辺に行くが様子がつかめず、池袋の実家に帰り着いた。遺体と対面を果したのは夜明け近く。遺体の顔はきれいで、ほほえんでいるようだったという。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

 【注】検挙者数などは『現代教養全集 別巻 一九六〇年・日本政治の焦点』(1960年9月、筑摩書房)による。

樺美智子、死因の謎

捏造証言で印象操作か 日米安保60年(5)©株式会社全国新聞ネット

 
死の20日前、文学部研究室で。樺はなかなか写真を撮らせなかったという。名前を呼ばれて振り返った瞬間をとらえた1枚(加藤栄一さん撮影)

 樺美智子の死因については、圧死説と扼死説があり、60年を経た今も謎のままである。圧死であれば、国会構内でのデモ隊と警官隊の衝突の中で、デモの隊列が崩れ、下敷きになったことになる。首を絞められた扼死であれば、加害者は故意の殺人罪に問われよう。

 死後約3時間半後、6月15日午後10時42分から検視した監察医の渡辺富雄は「圧死の疑い」とした。ただし、父親に渡す死亡届の用紙には死因を「不詳」と書いている。当時の週刊誌への寄稿で、父親に「圧死の疑い」とするのは「忍びがたく」と説明したが、医師が死因を虚偽記入する理由としては、説得力がない。

 司法解剖は翌16日。遺体は慶応大法医学教室に運ばれ、中館久平と中山浄が執刀した。その前半だけ、東大医学部教授上野正吉も同席した。

 中館の鑑定書は、扼殺されたとも、そうでないともいえるというあいまいな表現だった。傷害致死の疑いで捜査していた東京地検は、上野に再鑑定を依頼する。再鑑定の結論は、警察官との接触はなく、デモ隊の人なだれの下敷きになった窒息死、つまり圧死だった。

 これに対し、解剖に立ち会った社会党の参院議員で医師の坂本昭の見解は扼死。現場の写真や証言を集め、樺のいたデモの先頭近くでは「人なだれはなかった」と断定する。さらに、膵臓と頸部に出血があったことから、警棒で腹部を強く突かれて気を失い、首に手をかけられて窒息死したと結論付けた。

 坂本は参院法務委員会で法務省を追及、死体検案書と中館・上野の鑑定書の公開を求めるが、法務省は拒否した。

 近年まで扼死を主張し続けた人もいる。医師で詩人の御庄博実(みしょうひろみ、本名・丸屋博)は、執刀した中館のプロトコール(口述筆記)を伝染病研究所(現・東大医科研)の草野信男に届け、草野の所見をまとめた。「扼死の可能性が強い」という内容だった(「樺美智子さんの死、五十年目の真実―医師として目撃したこと」(『現代詩手帖』2010年7月号など)。御庄は2015年に亡くなっている。

 わたしは関係資料を調べ、国会構内に入った樺の学友たちに会い、坂本の遺族や御庄にも取材した。その結果、扼死の心証を得たが、決定的な証拠がない。真相を明らかにするため、死体検案書と2つの鑑定書の公開が望まれる。

6月15日、警官隊との激突で多数の学生らがけがをした

 扼死か圧死か。決定的な証拠がないのに、圧死と思っている人が少なくない。ネット上の百科事典『ウィキペディア』の「安保闘争」の項も、圧死と断定して記述する。これには当時の新聞報道も影響しているのではないか。

 樺が死亡した翌朝、6月16日の朝日と毎日がそろって、樺の隣でスクラムを組んでいたという明治大学生の証言を載せた。警官隊とぶつかり、うしろから押してくる学生集団に圧迫されて人なだれが起きた。樺は学生のドロ靴に踏まれて死んだというリアルな証言である。週刊誌などもこの学生の話を載せた。

 しかし、住所氏名まで出ているこの学生は実在しないことが判明している。捏造(ねつぞう)された証言である可能性が高い。誰がどのような意図で証言したのか。

 父親の俊雄は、60年1月の羽田ロビー闘争で娘が検挙されたときは、彼女が学生運動に深入りしていることを知らずに『全学連に娘を奪われて』(『文藝春秋』3月号)を書き、全学連を批判したが、このころには娘の行動に理解を示し、新聞報道に厳しい目を向けている。

樺美智子の死の直後、記者の質問に応える父、俊雄=1960年6月16日、東京・飯田橋の警察病院

『中央公論』60年8月号には「体験的新聞批判」を寄稿し、娘の死を伝える6月16日の朝日新聞朝刊を例に検証した。

 11版社会面の見出し「学生デモに放水」が、12版では「デモ隊警察の車に放火」にかわる。11版の「まるで野戦病院」は学生の負傷者の惨状を報じるが、12版でこの記事が消え、13版では「暴力は断固排す」という政府声明が加わる。

 早版と遅版の違いは、第一線の取材記者のなまなましい現地報道が、上級幹部の意図に反するからだと分析している。

 幹部の意図の浸透を示すように、各新聞の論調が政府の主張と軌を一にして暴力追放を強調するようになり、6月17日朝刊では東京に拠点を置く主要7紙が「七社共同宣言」を掲載。「理由のいかんを問わず、暴力を排し、議会主義を守れ」と呼びかけた。

 中央公論で俊雄は、この宣言文の「その依ってきたる所以は別として」を挙げ、混乱の根本の原因である政府・与党の非民主的な行動(国会に警官隊を導入した強行採決など)を不問に付していると指摘した。

 また「暴力ということについていうならば、単にデモ隊の暴力だけをとり上げるべきではない」。武装警官が「非武装の国民大衆のデモ隊にむかって行使した暴力」こそ糾弾されるべきだと述べている。説得力のある議論を展開した。

最後の微笑

 同年9月刊行の『最後の微笑』では、官の責任について次のように述べる。

 「娘の死という事実について、自分にその責任があると申し出られた人が一人も現われないのはおかしいという気持ちです。虐殺にしろ、事故死にしろ、ああいう公けの事件で、公けの場所で死んだのでありますから、その公けの立場にある誰かが、娘の死について哀悼の意志を表明してもいいのではないでしょうか」

 「娘のとった行動が法の秩序を破るものであったとしても、娘が死んだという事件はまた別の事実であります。かりにその死が事故死であったとしても、そこに出動していた多数の警官にはその死を阻止する義務があったのではないでしょうか」

 父の視点は、直接の関係者・関係当局の責任だけでなくもっと深い所まで届く。「それらの関係当局をこえた岸内閣の政治的意向が表れていると思われてなりません」

 俊雄は1980年に亡くなるが、最晩年まで一貫して、娘は警官に扼殺されたと主張している。(敬称略、肩書は当時、女性史研究者=江刺昭子)

樺美智子が投げかけた問い

「可憐な少女」拒否する実像 日米安保60年(6)

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1960年6月24日の「国民葬」。葬列は日比谷公会堂から国会へ向かった

 昨春、東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞が話題になった。東大入学者の女性比率が2割の壁を越えていないことや、東大男子と他大学の女子だけで構成されるサークルがあることなどを列挙して、性差別が温存されていると指摘した。

 樺(かんば)美智子が東大に入学した1957年はどうだったのか。入学者の女性比率はわずか3・1%。将来を期待されていいはずの彼女たちについて、東大文学部学生掛の尾崎盛光(のちに文学部事務長)が『週刊東京大学新聞』(58年9月17日)に「東大花嫁学校論」を寄稿している。趣旨を要約すれば次のようである。

 これからは国際社会で活躍する外交官、学者、音楽家などの夫人の需要が増える。こうした大型ホステス向きの夫人を養成できる花嫁学校はどこにもない。東大女子学生諸君はすべからく「わたしは日本最高の花嫁学校にいる」という誇りを持つべきだ―。

 こんな女性観がまかり通っていた時代、この根深い性差別を、樺は社会主義やマルクス主義に拠(よ)って解決しようとした。そして前衛党を名乗る政治集団、共産主義者同盟(ブント)に参加した。だが、ほとんど結成メンバーのような立場でありながら、与えられた役割はガリ切りや同盟費の集金といった雑務ばかりだった。

 ガリ切りとは「ロウ紙」と呼ばれる原紙に、鉄筆でガリガリと文字を書き込む作業で、その部分だけにインクが入って多くの紙に印刷できる。ビラ作りなどには不可欠の、しかし、恐ろしく根気のいる作業だ。樺はいつもガリ切りをしていたと、周囲は証言する。

 支配するのは男、手足になって働くのは女という構図のなかで、組織に忠実であろうとして消耗した。性別役割分業を批判してウーマンリブが声を挙げるのは10年後である。リブには安保世代も少なからずいる。彼女の願いが受け継がれたのだと思いたい。

 安保闘争を主導した国民会議も、報じるメディアも、全学連の行動に否定的だったが、樺の死によって評価が一変する。死の3日後の6月18日、東大で「樺美智子さんの死を悼む合同慰霊祭」が全学を挙げて行われ、教職員と学生約6千人が本郷から国会まで喪章を付けてデモ行進した。23日と24日には日比谷公会堂で全学連葬と国民会議主催の「国民葬」が続けて行われた。

 国民会議が盛大なセレモニーを主催したのは、全学連に世間の同情が集まるなかでの政治利用に見える。式後、長い隊列が彼女の死の現場となった国会の南通用門前まで続き、群衆が沿道で手を合わせて見送った。その人波は、約1年前の59年4月に行われた皇太子(現上皇)と正田美智子(現上皇后)の結婚パレードに匹敵し、樺は悲劇のヒロインに祭りあげられる。

 この過程で樺は、ラジカルな学生運動家ではなく、デモに巻きこまれて犠牲になった真面目な一般学生というイメージに仕立てあげられる。被害者として、美化されていく。

 葬儀をプロデュースした脚本家松山善三の「この暴挙許すまじ 6月19日午前0時 歴史の瞬間に立って」(『週刊朝日』7月3日)を読むと、それがよくわかる。

 「セーターに身をつつんだ可憐な少女のつぶらなひとみが、はっきりと物語っている。一ファシストに牛耳られたおろかな不安な日々の政治下になかったならば、彼女の未来には、恋や結婚や育児という、輝かしい、そして美しい人間の生活があり得たはずだ」

 22歳の女性を「少女」とみなすのはおかしい。彼女は成熟した大人であり、明確な政治的意志をもってデモに参加し、斃(たお)れたのだ。女子学生の未来に、恋や結婚や育児を置き、それが「輝かしい」とか「美しい人間の生活」と形容するのも、枠に閉じこめるものだ。当時、大学1年だったわたしは、激しいいらだちを覚えた。

作家・秋田雨雀の色紙。「永遠の処女は平和のためにたたかいて今ぞ帰りぬ盾にのせられ」

 松山善三や東大花嫁学校論の尾崎だけではない。近年でも「清楚な姿の写真を見るにつけ、彼女は進んで学生運動に身を投じるタイプには見えない」と書く男性ジャーナリストがいる。「可憐」や「清楚」を求められても、樺なら断固拒否するだろう。

 樺の死は政治に激動をもたらした。

 6月16日、政府はアイゼンハワー米大統領の訪日を断念する。18日は空前絶後の反政府デモとなった。「岸内閣打倒、国会解散、安保阻止、不当弾圧抗議」を掲げた国民大会に33万人が参加。4万人が首相官邸前に徹夜で坐りこんだ。官邸突入という情報もあって、首相の岸信介は蒼白になって震えだし、自衛隊出動を要請したと伝えられている。

1960年6月18日に国立劇場建設予定地で開かれた国民会議デモ隊の大集会。今では信じられないほどの人並みだ。左奥に国会議事堂が見える

 防衛庁長官の赤城宗徳が要請を断ってことなきを得たが、自衛隊が市民に銃を向ける寸前までいったのだ。全学連主流派はこの大群衆を前に方針を出せなかった。衆院での強行採決から1カ月後、6月19日午前零時、新安保条約は自然承認された。

 このあとも国民会議の反対行動は続き、22日には全国で111単産、540万人が参加した。岸は23日、ついに辞意表明する。

 高揚した国民運動の波は去って、中核を担ったブントも解体する。学生運動は四分五裂し、党派間の激しい争いも起きた。一方で安保闘争のエネルギーはのちの、ベ平連運動や反公害などの多様な市民運動に形を変えて引き継がれ、育っている。

 だが、日米安保条約は廃止も改正もされずに残り、軍事同盟が一貫して強化されてきたことも事実だ。安倍晋三首相は、この安保体制の下で憲法改正を狙う。3年前の6月15日には、共謀罪法案を参院法務委員会の採決抜きで、いきなり参院本会議に持ち込み、強行採決した。民主的な手続きを無視し、開かれた議論を拒むやり方は、祖父を想起させる。

樺美智子の遺稿集「人しれず微笑まん」

 オリンピック・パラリンピックの狂騒のなかで、あるいは、新しい感染症の恐怖や他国の脅威を利用して、戦争体制に突き進もうというもくろみを警戒しなくてはならない。

 安保条約は60年後の今も、わたしたちの日常を縛り、憲法の平和主義と衝突している。それなのに、沖縄をはじめとする基地の町以外で、樺美智子が命をかけて投げかけた問いを、わがこととして受け止める動きは少ない。それは樺の死後、その実像を受け止めず、美化してしまったことと、無関係ではないだろう。(敬称略、終わり、女性史研究者=江刺昭子)

 えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家、大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち」など著書・編著書多数。『樺美智子、安保闘争にたおれた東大生』が河出文庫から6月刊行予定。

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自衛隊の砲艦外交を定着させてはならない ―定期化するインド太平洋派遣訓練- 湯浅一郎

自衛隊の砲艦外交を定着させてはならない ―定期化するインド太平洋派遣訓練-

2020年1月31日  ピースデポ 湯浅一郎

安保法制が施行されてから、自衛艦の長期にわたる海外展開が日常的になってきている。その典型は、2018年から始まったインド太平洋派遣訓練である。空母化が予定されている「いずも」型護衛艦を中心として、2か月半にもわたりインド洋から西太平洋に至る広大な海域において、海自艦船が日米共同演習はもちろんのこと、沿岸各国海軍との共同演習を繰り返している。これは、砲艦外交の定着を狙った危険な動きである。

海自艦船のインド太平洋派遣訓練
海上自衛隊の平時の演習における海外展開には、日米印共同訓練「マラバール」やリムパック環太平洋合同演習などもあるが、期間、広域性、関連する国数などから「インド太平洋派遣訓練」(IPD)は最大級のものである。2019年4月30日から7月10日、72日間の長期に及び平成31年度「インド太平洋方面派遣訓練(IPD19)」が実施された●1。参加したのは、護衛艦「いずも」(横須賀)、「むらさめ」(横須賀)、「あけぼの」(佐世保)の3隻である。このIPD訓練は、2018年から始まった。その時は、8月26日から10月30日まで、「いずも」型護衛艦の2番艦である護衛艦「かが」(呉)が中心となり、やはり護衛艦「すずつき」(佐世保)、「いなづま」(呉)の3隻で実施された2。●2。
防衛省によれば、訓練の目的は、「インド太平洋地域の各国海軍等との共同訓練を実施し、部隊の戦術技量の向上を図るとともに、各国海軍との連携強化を図る」もので、また、「本訓練を通じ、地域の平和と安定への寄与を図るとともに、各国との相互理解の増進及び信頼関係の強化を図っていく」としている。主な訓練は以下である。

  • 5月3日、5日、8日とも日米印比共同巡航訓練。米海軍ミサイル駆逐艦「ウィリアムP. ローレンス」とインド海軍ミサイル駆逐艦「コルカタ」、同補給艦「シャクティ」及びフィリピン海軍フリゲート艦「アンドレス・ボニファシオ」との巡航訓練。
  • 5月9日~12日、拡大ASEAN国防相会議プラス海洋安全保障実動訓練。
  • 5月19日~22日、スマトラ島の西方海空域(インド洋)において日仏豪米共同訓練(ラ・ペルーズ)を実施。5月20日、自衛隊員たちは、仏海軍空母「シャルル・ド・ゴール」の艦艇見学。
  • 5月23日 – 24日、インド海軍と対潜訓練や戦術運動など共同訓練を実施。
  • 5月26日~29日、ポートクラン港沖海空域において、マレーシア海軍フリゲート艦「レキウ」と戦術運動や通信訓練など親善訓練。
  • 6月10日~12日、南シナ海において、米海軍原子力空母「ロナルド・レーガン」ほかと日米共同訓練。
  • 6月13日-15日、カナダ・フリゲート艦「レジャイナ」及び補給艦「アステリクス」とベトナム沖において日加共同訓練(KAEDEX)。
  • 6月17日、ベトナム人民海軍のコルベット「381号」と親善訓練。
  • 6月19日、20日、南シナ海において米原子力空母「ロナルド・レーガン」ほかと日米共同訓練。
  • 6月26日, ムアラ港(ブルネイ・ダルサラーム)沖でブルネイ海軍哨戒艦「ダルタクワ」と親善訓練。
  • 6月26日~30日、「第3回日・ASEAN乗艦協力プログラムを実施。
  • 6月28日、パラワン島周辺海空域(スールー海)においてフィリピン海軍揚陸艦「ダバオ・デル・スール」と捜索・救難訓練などの日比共同訓練。

この訓練の主な特徴は以下のように整理できる。

  1. 垂直離着陸ステレス戦闘機F35Bを搭載可能に改造し、装備としては空母としての能力を保有する予定である「いずも」型護衛艦が、米原子力空母「ロナルド・レーガン」との南シナ海での共同演習を2回行っている。インド太平洋海域において、日米の空母打撃団が定常的に合同演習を繰り返し、「米海軍との相互運用の更なる向上を図るとともに、強固な日米同盟を礎に、地域の平和と安定への寄与を図る」としている。
  2. 日米印比共同巡行訓練(5月3,5,8日))、日仏豪米共同訓練(5月19~22日)、日印共同訓練(5月23-24日)、日マレーシア親善訓練(5月26~29日)、日加共同訓練(6月13~15日)、日ベトナム親善訓練(6月17日)、日ブルネイ親善訓練(6月26日)と様々なレベルでの多国間の共同訓練を断続的に実施している。特にスマトラ西方海域での日仏豪米の4か国は「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて協力する友好国である。
  3. ASEAN国防相会議プラス海洋安全保障実動訓練(5月9~12日)、第3回ASEAN乗艦協力プログラムといったASEAN諸国との交流が組み込まれている。ASEAN全加盟国の海軍士官が「いずも」に乗艦して、法の支配の貫徹のための国際法の認識共有や海洋安全保障に係る能力向上支援及び相互理解・人的ネットワーク構築の促進を図ることで、地域の安定に寄与することを目的としている。

平時プレゼンスという砲艦外交が始まっている
上記の2,3に関して指摘すべき重要なことは、インド太平洋派遣訓練は、総体として、「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」が防衛力強化方針として初めて打ち出した「海外プレゼンスと外交を一体」として推進する考えを具現していることである。大綱は「防衛力が果たすべき役割」の第1項に「積極的な共同訓練・演習や海外における寄港等を通じて平素からプレゼンスを高め、我が国の意思と能力を示すとともに、こうした自衛隊の部隊による活動を含む戦略的なコミュニケーションを外交と一体となって推進する」と述べている。
古くから武力を背景に展開する外交戦略として砲艦外交がある。古くは、欧米列強が中国に対して砲艦を派遣して交渉を行なったり、ペリー提督が黒船を東京湾に浮かべて日本の開国を迫った。今日では、軍事能力のプレゼンスが「武力による威嚇」だけではなく、軍事力をもつ国への依存の誘因を形成する砲艦外交の役割がある。米空母の常時の世界的パトロールはその典型である。海自のインド太平洋派遣訓練は、平時に遠隔地に艦船を派遣して軍事力のプレゼンスにより影響力を行使しようとしている。これは、まさに梅林が指摘してきたように4、砲艦外交の始まりと言える。砲艦外交は専守防衛と無縁であるどころか、それに反する軍事任務である。
これらは、防衛大綱の「(3)防衛力が果たすべき役割、ア 平時からグレーゾーンの事態への対応」での「積極的な共同訓練・演習や海外における寄港等を通じて平素からプレゼンスを高め、我が国の意思と能力を示すとともに、こうした自衛隊の部隊による活動を含む戦略的なコミュニケーションを外交と一体となって推進する。」に完全に符合している。これは、平時における自衛艦のプレゼンスによる砲艦外交の始まりであり、軍事力を外交の道具とする概念が動き出している。

背景に米軍事戦略の要請
この背景には、米国からの軍事的分担を求める強い要請がある。「日米防衛協力のための指針」では、「日米両政府は、航行の自由を含む国際法に基づく海洋秩序を維持するための措置に関し、相互に緊密に協力する」とした上で、「適切な場合に、情報収集・警戒監視・偵察(ISR」及び訓練・演習を通じた海洋における日米両国のプレゼンスの維持及び強化等の様々な取組において協力する」としている。
さらに米国防総省「インド太平洋戦略報告」●3は、上記の日米防衛協力指針に触れながら、「米軍と自衛隊の作戦協力の強化が優先事項であるとした上で、「インド太平洋地域全体の二国間プレゼンス作戦、相互資産保護ミッション、および二国間演習は、米軍とJSDFが共同目標を推進するために協働する作戦協力のまさに数少ない領域である」と位置づけている。
米国防戦略は、「中国とロシアに対する米国の軍事的優位性が低下している」なかで、中国、ロシアとの戦略的競争に勝つことが最大の課題であるとしている。それへの対処に向け、米軍は同盟国や友好国との軍事的連携をめざしている。先のインド太平洋戦略は、「インド太平洋地域で我々が直面する課題は、どの国でも単独で対処できる範囲を超えている。国防総省は、共通の課題に対処するために、志を同じくする同盟国およびパートナーと協力することを目指している」とした上で、「米国は、競合他者やライバルが対抗できない永続的で、非対称で、比類のない優位性を表わす、同盟国と友好国が平和と相互運用性を広げる力であることに感謝する」とし、日本への軍事的共同関係の強化を求めている。
こう見ると、インド太平洋派遣訓練は、米国が求める米軍を補完する自衛隊戦力の海外展開を具象化した演習と言える。同演習は、日米の軍事一体化をはかるとともに、東シナ海からインド洋に至る広域にわたる中国包囲網の多国間連携において自衛隊が重要な位置を占める形になっている。安倍政権はあくまでも米軍戦略に寄り添いながら、自衛隊に砲艦外交という「国軍」の役割を担わせようとしていると捉えることができる。この姿は、「専守防衛」という自衛隊への縛りをますます形骸化するものである。

専守防衛の形骸化を許さない
余り議論されていないが、専守防衛の担保は、以下の3つの分野において必要である。
(1)防衛政策・教義(ドクトリン)
(2)態勢(ポスチャー)と訓練
(3)装備の能力。
18年の防衛大綱は、(1)の政府の政策として、言葉の上では専守防衛を継続することは明確に示した。これ自体は重要である。しかし、同大綱は、「いずも」型護衛艦の空母化、スタンド・オフ・ミサイルの導入を初めて明記し、装備能力の面で専守防衛を明確に超えようとしている。第一に、「いずも」型護衛艦をSTOVL機を搭載できるよう改修し、事実上、空母化することである。改修後の「いずも」型護衛艦は、世界中のどこの海からも戦闘機を離発着させることのできる空母となる。第二は、大綱はスタンド・オフ・ミサイルの整備を盛り込んだことである。これは「島嶼部を含む我が国への侵攻を試みる艦艇や上陸部隊等に対して、脅威圏の外からの対処を行うため」のスタンド・オフ防衛能力の強化として、敵の射程外からの長距離攻撃ができる巡航ミサイルである。つまり、(3)の面では、すでに専守防衛を超えている。
さらに(2)の「態勢と訓練」においても、F-35という高度の攻撃能力を持つ装備を常時搭載しないことは重要な態勢ではあるが、必要時に搭載できるという態勢だけで専守防衛は揺らぐ。しかも、大綱は自衛艦の平時からの海外プレゼンスを重視する方針を初めて打ち出したのである。インド太平洋派遣訓練にみられる砲艦外交の日常化は、まさにそれを促進しようとするものである。その先に、(1)の防衛政策や協議においても、専守防衛という枠を切り崩していくことが懸念される。
このようなことが常態化した時、国の政策としても、専守防衛の枠を外していくことになりかねない。自衛艦の運用態勢や訓練の情報公開による透明性を高める(例えば航泊日誌、訓練シナリオなどの情報公開など)ことで、専守防衛を担保することが極めて重要である。今こそ、安倍政権の防衛政策の危険な本質に私たちは警戒をさらに強め、憲法の平和主義や専守防衛の観点から見て、なし崩し的な海外展開を容認しない世論形成が緊急に求められている。


●1 「2019年度インド太平洋方面派遣訓練」
https://www.mod.go.jp/msdf/operation/cooperate/IPD19/
●2 「2018年度インド太平洋方面派遣訓練」
https://www.mod.go.jp/msdf/operation/cooperate/kaga-inazuma-suzutsuki/
●3 米国防総省「インド太平洋戦略報告」。URLは以下。
https://media.defense.gov/2019/Jul/01/2002152311/-1/-1/1/DEPARTMENT-OF-DEFENSE-INDO-PACIFIC-STRATEGY-REPORT-2019.PDF

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