被爆74周年 原水禁石川「反核・平和」行進

被爆74周年 原水禁石川「反核・平和」行進 県内集会・行進

被爆74周年 6.20~6.27 原水禁石川「反核・平和」行進(県下6会場で実施)

6月20日(木)18:00 富山原水禁より「横断幕」引き継ぎ式・かほく地区集会(内灘町役場前)  中山隆志内灘町副町長、中川達(すすむ)内灘町議会議長、清水文雄内灘町議参列の下、引き継ぎ式・かほく地区集会を開会。内灘町、かほく市、津幡町勤労協、県教組組合員、町職員、富山原水禁の仲間たち50名が参加しました。

被爆74周年「反核・平和」行進 -基調(案)

ヒロシマ・ナガサキから74年、ビキニ、フクシマと被ばくを強いられた私たちは、総力をあげて「核廃絶」「脱原発」を訴えてきました。その一端は、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル賞や国連の「核兵器禁止条約」の成立として結実しました。

ところがアメリカは、MDシステムを配備し、相手国の核兵器を無力化させ、実戦で使える「小型核」さえ開発しています。ロシアは、そのMDをかいくぐる新型核を、中国は、米軍の中枢を壊滅させる核を配備しました。この夏、米・ロの中距離「核」全廃条約は期限切れとなり、世界は新たな「核軍拡」の時代に突入しようとしています。

このような中で、唯一の被爆国である日本は、核廃絶でリードするどころかアメリカを「全面的に支持」して米軍との軍事一体化を進めており、「核兵器禁止条約」の批准には後ろ向きです。

一方、志賀原発の断層は、「活動性を否定できない」と有識者会合が認定したにもかかわらず、北陸電力は「安全第一」を無視して「再稼働」を目指しています。そもそも、活断層上に原発建設(着工1988年)を誰が認めたのでしょうか。それは、班目(マダラメ)元原子力安全委員長が国会で答弁したように、「そんなことを気にしていたら原発なんか建たない」という考えのもと、北電・行政が強行したものと言わざるをえません。

その北電は、志賀1号炉で「臨界事故」(1999年6月)を起こし8年間も隠蔽しました。その反省は「蛍光灯が切れても報告する安全風土づくり」でしたが、2016年9月28日、雨水6.6トンが原子力建屋に浸水して配電盤がショートする重大事故を起こしました。しかし、10月3日の「原子力環境安全管理協議会」に報告せず、またまた隠蔽したのです。いまだに「安全性」より「利益第一」の北陸電力には、「原発運転の資格なし」と言わなければなりません。

私たちは、世界の労働者・市民とともに、「ノー・モア・ヒバクシャ」「ノー・モア・ニュークリア」「ノー・モア・ウオー」の声を上げなければなりません。憲法9条に「自衛隊を明記」して戦争と軍隊を肯定し、災害対策を隠れ蓑に、独裁条項である「緊急事態条項の新設」を狙い、「教育無償化」を口実に国家主義教育を強化しようとする安倍政権を倒さなければなりません。そうしなければ、世界に、子どもたちに未来はありません。

原水禁石川県民会議はこのことを訴えて基調といたします。

2019年6月20日

富山原水禁引き継ぎ・かほく地区「反核・平和」集会参加者一同

50名

   

6月21日(金)18:00 奥能登地区集会(輪島市マリンタウン)  40名

6月22日(土)14:00 中能登地区集会(志賀町赤住団結小屋前)   80名         

羽咋郡市平和センター、七鹿平和センター、地区勤労協、命のネット、能登女(石川、富山ほか)の方々が参加し、初めに恒例の風船飛ばしを行ない、「反核・平和」行進を行ないました。特に、志賀原発に対し、「原発運転の資格なし!」「隠蔽体質は許さないぞ!」「至急、廃炉にしろ!」「再稼働より安全を第一にしろ!」「廃炉裁判にきちんと向き合え!」と訴えました。

6月24日(月)18:00 白山地区集会(市民工房「うるわし」) 90名

6月25日(火)18:30 金沢地区集会(いしかわ四高記念公園) 100名

       

6月27日(木)18:30 南加賀地区集会(小松市役所前)    50名

2019.6.27平和行進(南加賀地区)

本年も無事、最後まで「反核・平和」行進をやり切りました。6会場の総参加数は370名でした。ごくろうさまでした。横断幕はヒロシマ、ナガサキに引き継ぎます。

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「志賀原発を廃炉に!」訴訟、富山で「北陸電力株主訴訟」を新たに提起!

「北陸電力株主差止め」訴訟―富山地裁に提訴

6月18日(火)、志賀原発株主差止め訴訟原告団が富山地裁に提訴(訴訟を起す)しました。

午後2時より、富山県弁護士会館3Fホールに原告・サポーター・弁護団、報道関係者など約60名が集まり、「富山訴訟原告団結成集会」が開催されました。
集会ではまず最初に、金沢訴訟の北野原告団長があいさつしました。北野さんは金沢訴訟の経緯に触れ、現在の加島裁判長の下で「原子力規制委員会の判断を待つ」という審理方針が示され、裁判が滞っていること、その状況を打破するために、弁護団から「北陸電力のお膝元での株主による」富山訴訟が提案されたことを明らかにしました。
次に弁護団の岩淵弁護団長のあいさつがあり、その後原告団が紹介され、それぞれ決意を述べました。原告団は富山・石川の8名で構成され、うち4名が富山訴訟で初めて原告になった方々です。役員には弁護団長に和田廣治さん、副団長に川原登喜のさん、事務局長に清水哲男さんが推薦され、満場の拍手で承認されました。

結成集会の後、原告・サポーター・弁護団は「活断層上の志賀原発を廃炉に!再稼働は認めない!」の横断幕を掲げて富山地方裁判所まで行進し、訴状を提出しました。

 

株主差止め訴訟原告団結成・提訴声明

 

 

 

 

富山新聞・朝日新聞富山版・北陸中日新聞(6月19日付)

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辺野古埋め立て用の県外土砂搬出を止めよう!

辺野古埋め立て用の県外土砂搬出を止めよう!61万筆の請願署名提出(平和フォーラムより)

2019年6月11日

 防衛省は辺野古新基地建設に伴う埋め立て用に、2100 万m³もの土砂が必要とし、うち 約1700 万m³を沖縄県外の徳之島、奄美大島、佐多岬、天草、五島、門司及び瀬戸内各地区 で採取した土砂を使用する計画を立てています。これら土砂の搬出地の住民や環境団体らが2015年5月、「故郷の土で辺野古に基地をつくらせない」との思いから、「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会(略称:辺野古土砂全協)」を設立し、内閣総理大臣宛に土砂搬出反対の署名活動をはじめ、各地で学習会を開催するなど活動を進めていました。

 総がかり行動実行委員会は昨年10月、辺野古土砂全協の呼びかけに応え、新たに始められた衆参両議長宛の請願署名行動にとりくみ、全国の市民、労働組合の協力でこれまでに609,824筆(2019年6月7日現在)が集まっています。
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 辺野古土砂全協と総がかり行動実行委は6月10日、ストップ辺野古の思いが詰まった請願署名約61万筆を衆参両議長に提出し、衆議院第2議員会館でこの署名を背景に防衛省、環境省と交渉を行ったほか、立憲野党4党一会派の国会議員に署名を手交し、国会と市民らが連携したとりくみを行っていくことを確認しました。また請願署名提出後の報告集会では、省庁交渉のようすを北上田毅さん、末田一秀さんらが報告し、また奄美、門司、瀬戸内海から駆けつけた各地の市民団体の代表者らが現地の報告を行いました。そして湯浅一郎さん(全国土砂全協顧問)が軟弱地盤対策で課題となる海砂や鉄鋼スラグ投入の問題をとりあげ、生物多様性の観点から容認できないと批判し、加えて搬出先の特定外来生物の調査を継続して取り組む必要性を訴えました。最後に総がかり行動実行委の勝島一博さんが閉会のあいさつを行い、辺野古土砂全協、「止めよう!辺野古埋立て」国会包囲実行委員会などの市民団体と協力し合いながら、辺野古新基地建設の反対のとりくみを強化し、あわせて建設強行する安倍政権を退陣に追い込むため参議院選挙での野党勝利が不可欠と、参院選への意気込みを訴えました。
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6.8志賀原発を廃炉に!原告団総会・樋口英明氏-記念講演-

6月8日(土)午後1時30分、石川県教育会館3Fホールに原告・サポーター、弁護団、市民ら約230人(講演だけの参加を含む)が集まり、志賀原発を廃炉に!訴訟原告団の2019年度総会が開催されました。(県平和センターよりリンクあり 同HPより無断転載 m(_ _)m)

最初に、北野原告団長があいさつしました。
志賀原発では活断層の上に核燃料がある。万一事故があったら私たちはどうなるのか。北野さんは裁判所がその危険性を放置し続けていることを、怒りを込めて糾弾しました。また「安全最優先の文化確立」を標榜(ひようぼう)しながら、原発の危険性を顧みず「再稼働最優先」に突き進む北陸電力を厳しく批判し、その姿勢が経営面にさまざまな歪みを生んでいることを指摘しました。
そして、富山で新しい訴訟を起す本総会の議案に触れ、52年にも及ぶ志賀(能登)原発反対運動の枠を越えて、新たな1ページを付け加えようと述べ、活発な議論を求めました。

樋口英明元福井地裁裁判長の講演資料を無断転載

樋口英明元福井地裁の判決では、いわゆる「国富論」が有名ですが、樋口さんは、原発を「技術論」に巻き込みたいのは「原発ムラ」と言われる人たちであり、その数値は「歪められ」「修正された」ものが殆どだが、それを裁判官は信用してしまう。その典型が「活断層」であり「基準地震動の値」である。一般人の感覚で、自分の頭で考えることが「裁判官」に求められている最も重要なことと、最近の「安倍政権寄り」の判決を批判した。

特に、一般住宅の「耐地震対策」で示された「値」より圧倒的に低い原発の基準地震動を見れば一目瞭然だと講演し、これは私たちが、ここに集まった全ての人々が伝えなければならないものだと、今後の行動指針まで提案された。

※資料はクリックすると大きくなります。

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米軍ヘリの部品落下事故に抗議する声明

米軍ヘリの部品落下事故に抗議する声明

2019年6月6日

フォーラム平和・人権・環境

共同代表 藤本 泰成

6月4日午後3時半ごろ、またしても米軍普天間基地所属のCH53E大型輸送ヘリが、沖縄県浦添市の浦西中学校のテニスコートに部品を落下させる事故を起こした。落下時には部活動中の同中学校の生徒が二十数人いたという。幸い怪我人もなく事なきを得たが、一歩間違えれば重大な事故になるところだった。

在沖米軍海兵隊は翌日、ヘリコプターの羽根の部分を保護するテープが落下したことを認めたが、「人や物に危害を与えるものではない」と開き直る発言すらしている。言語道断だ。米軍には人命を重視する安全管理の考え方が欠如しているとしか考えられない。落下した部品は、目視で確認できる羽根の部分であるにもかかわらず、飛行前に行うであろう点検で見落としたということだ。たかだか「20g程度のゴムの切れ端」では済まされない。日本政府も「再発防止策がとられている」として飛行停止を米軍に申し入れることはしないと述べている。事態をあまりにも軽く考えているのではないか。これまでも米軍は事故を起こすたびに安全管理を徹底させると述べてきた。しかしどうであろう、この間の相次ぐ事故を振り返れば、具体的な対策を取るつもりがないことは明白だろう。

米軍機による部品落下事故で記憶に新しいところでは、2017年12月7日、宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根に部品が落下した事故、同年12月13日に同じく宜野湾市の普天間第二小の校庭に大型ヘリの窓が落下、児童一名が負傷している。いずれも今回の事故と同型機によるものだ。2017年はこの2件を含めて4件、2018年はオスプレイのエンジン部品など2件の落下事故が起きている。普天間基地周辺や普天間基地所属の米軍機によるものが大半だ。

沖縄県と県教育委員会は「県民に大きな不安を与え極めて遺憾」「児童生徒の安全を脅かすようなことは断じてあってはならない」として学校上空の飛行を取りやめるよう求めている。子どもたちや住民のいのちを第一に考えれば、当然の要求だ。

安全対策を軽んじる日米双方の対応を断じて許すわけにはいかない。まずは、米軍機はすべていったん飛行停止にすべきだ。と同時に世界で一番危険とされる普天間基地を運用停止にすべきだ。そうでなければ、子どもたち、人々のいのちは守れない。

平和フォーラムは、在日米軍の今回の事故に強く抗議するとともに、普天間基地の即時閉鎖・返還、日米地位協定の抜本的な改定を求め、危険と隣り合わせにある基地周辺住民、過剰な基地負担に喘ぐ沖縄の現状を打開するために全力を挙げていく。

以上

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6.6 臨界事故隠し20周年「志賀原発を廃炉に!」北電本社申し入れ

2019年6月6日

申 入 書

北陸電力株式会社 社長  金井 豊 様

さよなら!志賀原発ネットワーク

志賀原発を廃炉に!訴訟 原告団

命のネットワーク

石川県平和運動センター

富山県平和運動センター

今から20年前の1999年6月18日、定期検査で停止中の志賀原発で3本の制御棒が抜け落ち原子炉が臨界に達するという臨界事故が起きました。緊急停止に失敗し原子炉を直ちに停止させることができず臨界が15分間継続、止まっているはずの原発が急に動き出して、すぐには止められなかったという事故です。原子炉の制御に失敗したチェルノブイリと同じタイプの事故で、臨界が15分で収束しなければ、あわや核惨事になるところでした。3.11福島事故の前に、能登で原発過酷事故が起きていたかもしれなかったのです。

原子炉設置許可の際、安全審査で想定されているのは制御棒1本の落下だけですが、この事故では3本の制御棒が落下したのです。つまり安全審査の想定がまったく不十分で、安全審査に通っても『「止める」・「冷やす」・「閉じ込める」という重大事故防止策の第一歩の「止める」に失敗することがあり得る』ことが実証されたわけです。

ところが北陸電力は運転日誌を改ざんし、この事故を隠蔽してしまいました。臨界事故を隠蔽したまま志賀原発2号機の建設が同年8月に開始され、事故と隠蔽の事実が明らかになったのは8年後の2007年3月15日、2号機の営業運転開始1年後のことでした。もし臨界事故が発生後直ちに公表されていたら、2号機の建設は困難だったでしょう。

隠蔽されていた臨界事故が明らかになり、事故の重大性に加え、隠蔽が長期間に及んだその悪質さ、しかもその事実を国が把握していなかったことに、地元住民だけでなく多くの市民がたいへんショックを受けました。この事故は全国的にも大きく報道され、志賀原発の名は全国に知れ渡ることになりました。臨界事故隠蔽が発覚した後、当時の原子力・安全保安院は事故の重大性にかんがみ、直ちに志賀1号機の停止措置をとり原因調査・再発防止策の策定を指示しました。この時点で設置許可が取り消されてもおかしくはありませんでした。この時、北陸電力は原発から撤退の決断をするべきだったし、それが最も確実な再発防止策でした。

臨界事故の発覚後、明らかになった沸騰水型原発の制御棒の構造的欠陥は、結局、何ら改良されておらず、手順の確認を強化するなどソフト面の対応がとられただけで抜本的な再発防止対策はありません。ところが北陸電力は「隠さない企業風土と安全文化の構築」とか、「法令・ルールを遵守し、絶対に隠さない、新しい北陸電力を創り上げる」などと事故を隠蔽したことが問題だったかのように臨界事故の重大性を矮小化してしまいました。しかしその後も相変わらず事故・トラブルは繰り返されています。その原因は一体どこにあるのでしょうか。また、“絶対に隠さない”企業になっているでしょうか。事故・トラブルの度に不都合な情報は隠されて、“安全文化の構築”も掛け声に過ぎないことが明らかではないでしょうか。

2011年3月11日の東日本大震災以降、志賀原発は1号機、2号機ともに停止したまま8年以上になりますが、電力供給には問題は生じていません。一方、北陸電力はこの間終始一貫して「志賀原発の早期再稼働を目指す」として、2014年8月には2号機の新規制基準への適合性審査(安全審査)を申請しました。しかし審査は進捗せず再稼働の目処は立たない状況です。

一方、原子炉は停止していても原子炉建屋への雨水流入、大雨によるモニタリング・ポスト床上浸水、あるいは運転開始以来一度も点検していなかった換気装置の損傷が発見されるなど、次から次へと事故・トラブルが繰り返されています。事故を想定した原子力規制委員会との訓練で最低評価を受けていた事実が数ヵ月後に明らかになったこともありました。停止中でもゆるがせにはできない安全管理体制に緩みが生じているのではないかと危惧される状況です。「安全文化の構築」には程遠い志賀原発の実態に、私たちは不安を感じています。

いま原子炉内の核燃料はすべて使用済み核燃料プールに移されており臨界事故が起きる可能性はありませんが、直下に活断層があると指摘されている原子炉建屋の使用済み核燃料プールに使用済み、使用中に加え新燃料まですべての核燃料が入っています。その総数は1号機と2号機あわせて2985体、うち使用済み核燃料は872体あり、もしプールが冷却できない状況になればたいへん危険です。しかも沸騰水型原発では原子炉建屋の最上階に蓋のない燃料プールがありテロ攻撃には非常に脆弱であり、停止していても核燃料が存在すること自体が大きなリスクとなっています。

20年前の臨界事故で明らかになったのは、北陸電力の安全軽視と隠蔽体質、それ加えて原発の運転管理に関する技術的能力の欠如であったと、私たちは考えています。残念ながらこの状況は改善されておらず、むしろ長期間停止による運転員の士気の低下など新たな問題も生じています。

何よりも深刻な問題は、敷地内の活断層の存在です。その活動性が否定できない以上、志賀原発の再稼働などあり得ません。臨界事故を忘れフクシマから何も学ぼうとしない北陸電力に、原発運転の資格はありません。臨界事故隠蔽の発覚後、「経営トップからの『安全最優先』の強力な意思表明」ということが謳われていましたが、活断層問題に『安全最優先』で対応するなら、当然、志賀原発は廃炉の選択をするべきです。

電力供給には必要のない、まったく発電せずに電力を消費しているだけの原発のために、これ以上危険にさらされることのないよう、臨界事故から20年のいま、あらためて「北陸電力に原発運転の資格なし!」と訴えるとともに志賀原発の速やかな廃炉を求め、以下、申し入れます。

【 申入れ事項 】

1.『臨界事故から20年』の節目にあたり「原発は停止中であっても過酷事故に至る危険性がある」という臨界事故の教訓を踏まえ、改めての総点検作業を行い「安全文化の構築」、「隠さない企業風土づくり」がいまだに達成できていない原因と今後の対策を明らかにすること。

回答:日々、安全を追及し体制を整えている。毎年、6月をコンプライアンス月間として最大限、追い求めている。臨界事故は深刻な事故だったと受け止めている。隠ぺい体質といわれても仕方なかった。そこで臨界事故を風化させないよう再発防止対策にずっと取り組んでいる。臨界事故を起こした6月をこコンプライアンス月間として、幅広くコンプライアンスに係わる社会の問題について社員間で討議する機会を設けている。2017年は臨界事故が発覚して10年ということで全社員で何があったかを共有している。ただ、安全文化は直ちには確立できない。日々努力している。

反論:努力を重ねていると言っても結果的には2016年9月の雨水流入事故発生や活断層問題への対応などを見ても「隠さない風土」や「安全文化」は口先だけだということが一目瞭然。活断層問題でも安全優先の姿勢は全く見えず、はじめに再稼働ありきである。にもかかわらず日々努力を重ねているから認めてくださという。こういう企業がいま現在も2985体の使用済み核燃料など多くの核物質を扱っている。
コンプライアンスについても、この申し入れ行動に参加した市民の顔写真を北電社員が無断で撮影していることが参加者から指摘された。コンプライアンス月間を設けていると言ってもやってることはコンプライアンスの欠如。指摘されるまで自覚すらない。

2.臨界事故隠蔽の発覚後に示された『安全最優先』の方針を、改めて経営トップが表明すること。

回答:ご意見として拝聴します。久和前社長、金井社長も様々な場面で安全最優先を表明している。

反論:それが社内的に全く浸透していない。むしろ社長自ら再稼働最優先の発言を繰り返している。

3.とくに、敷地内断層の問題について『安全最優先』の方針で対応すること。すなわち、専門家の間で活動性についての評価が分かれる場合は、安全側に立って「活断層である」と判断すること。

回答:見解の相違   我々は「活断層」と見ていない。

反論:まずは有識者会合の評価書が「重要な知見」であると認め、安全最優先の対応を実践すること。再稼働に都合の悪い真実から目をそらす姿勢ばかりが目に映る。

4.敷地内断層の活動性が否定できるまでの間、断層上にある原子炉建屋から核燃料を撤去し、より危険性の少ない場所で保管すること。

回答:見解の相違  ご意見として拝聴します。

反論:まさに安全意識の欠如。活断層であることを否定できないうちは「推定活断層」として核燃料の撤去など行い、少しでも住民の安全性を高めるための取り組みがあってこそ、「安全文化」ではないか。

5.廃炉後の核燃料の取扱いについて検討を開始するとともに、核燃料が存在する限りは核燃料プールへのテロ攻撃の可能性があることを想定して、「特定重大事故等対処施設」(いわゆるテロ対策施設)の準備を早急に進めること。

回答:鋭意、検討中。

反論:核物質を保管している限り、テロのリスクは常に付きまとう。加えて活断層上にある建屋の燃料プールの中に核物質がある。臨界事故など「特定重大事故等対処施設」は待ったなしである。しかし、現実時点で具体的な計画はなく、予算額も不明。新規制基準適合のための安全対策費を1千億円台と述べてきたが、その中にも含まれていない。この特重施設の建設には数百億円、場合によっては1千億円を超えるケースもあるという。安全対策費がさらに経営を圧迫することが明らかになった。

やり取りでは、活断層であると認定されたのだから「安全側」で対応し、「廃炉」にすべき。「蛍光灯が切れても報告する風土づくり」をやってきたが、2016年、雨水事件を起こし「全電源喪失の危機」一歩手前であったのに、それを9日間、隠蔽した。その後の金井社長の「ちょっとした気の弛みがあった」発言にこそ、「安全第一」を放棄した姿勢がみえる。それが「再稼働第一」しか言わない北陸電力の根本問題である。

一方、申し入れ団を勝手に、前から撮る北陸電力社員に抗議した。 これらの「ゆるい」認識があるから、私たちは北電本社まで「廃炉を申し入れ」に来ていることを分かるべきだ、と追及した。

北野 進原告団団長ブログより無断転載部分あり。m(_ _)m

 

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米国の未臨界核実験に対する抗議声明

2019年06月03日

米国の未臨界核実験に対する抗議声明
原水爆禁止日本国民会議
議  長 川野浩一
事務局長 藤本泰成
 2019年5月下旬、米国が2017年の12月以来トランプ政権で2回目となる未臨界核実験を、2019年2月13日にネバダ州の核実験場で行ったことが明らかになった。核兵器禁止条約採択に象徴される世界の核兵器廃絶への思いを踏みにじる米国の核実験に、原水爆禁止日本国民会議は強く抗議する。核実験を繰り返す米国に、朝鮮半島の非核化を主張し、朝鮮民主主義人民共和国をきびしい制裁阻止で追い詰める資格はない。
 トランプ政権は、2018年2月2日、核政策の指針となる「核戦略態勢の見直し」(NPR)を発表し、小型核(低出力核)や新たな潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)など、使用可能な核兵器の開発をすすめるとした。2020年度の予算教書では、124億ドル(約1兆3500億円)、前年度比11%増の核兵器関連予算がつけられている。米国は、2019年2月1日、中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を宣言した。条約は8月に失効する。ロシア・中国に加えて、米国が中距離核の開発に着手することは、ヨーロッパと東北アジアの脅威となるに違いない。米国情報機関からの、「ロシアが低出力核実験を行っている可能性が高い」との報告もあり、米ロ間の核兵器競争が激化する可能性も否定できない。
 2020年4月末からの開催が予定される核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備会が5月10日に閉幕した。準備会では、核兵器保有国と非保有国との間で意見が対立し、本会議の方向性を決定づける勧告案が不採択となった。2017年7月7日、国連で採択された核兵器禁止条約は、現在70カ国が署名し、23カ国が批准している。世界の思いに、核兵器保有国は背を向けてはならない。核兵器保有国と非保有国の対立を深めるとして、核兵器禁止条約に反対する日本政府は、条約を批准し、唯一の戦争被爆国としての態度を明らかにしながら、核兵器廃絶への道筋を明確にしていく責任がある。
 原水禁は、連合・KAKKINと協力し、日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める「核兵器廃絶1000万人署名」に、全力でとりくむ。「核と人類は共存できない」ことを基本に、2020年のNPT再検討会議の成功と核廃絶の明確な道筋の構築に向けて、全力でとりくむ。その決意を確認して、米国の未臨界核実験への抗議とする。(5月30日)
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「何故攻撃に出ぬか…」 昭和天皇の「お言葉」

「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々  戦争責任の苦悩も明らかになったが…

辻田 真佐憲 文筆家  近現代史研究者

 

12月8日は、太平洋戦争開戦の日である。

この戦争を巡っては、昭和天皇が晩年の1987年まで「辛い」「戦争の責任のことをいわれる」などと悩んでいたことが、今年発見された資料で明らかになった(「小林忍侍従日記」)。

日本共産党の志位和夫委員長は、この資料発見のニュースに関連して「昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ」(8月23日)などとツイートし、大きな反響を引き起こした。

志位和夫 ✔@shiikazuo

「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」
昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ。

昭和天皇と戦争の話題は現在でも尽きるところを知らない。では、昭和天皇は太平洋戦争下にどのような発言をしていたのだろうか。既存の資料からその「お言葉」をたどってみたい。

昭和天皇〔PHOTO〕gettyimages

「余り戦果が早く挙がりすぎるよ」

昭和天皇が、一貫して平和主義者だったかどうかについては、様々な議論がある。ただ、アメリカとの戦争に当初乗り気でなかったのは間違いない。高い国力を誇り、資源も豊富な同国を相手にすれば、惨敗する蓋然性が高かったからである。

もっとも、その心配を払拭するかのように、日本軍は緒戦で驚異的な快進撃を続けた。1941年12月に開戦するや、日本海軍は、真珠湾攻撃でアメリカ太平洋艦隊主力を戦闘不能ならしめ、またマレー沖海戦でイギリス東洋艦隊主力を海の藻屑と葬り去った。

日本陸軍もこれに負けじと同月に香港を占領し、1942年1月にマニラ、2月にシンガポール、3月にラングーンおよび蘭印(オランダ領東インド諸島)をつぎつぎに占領、連戦連勝の凱歌をあげた。

続々ともたらされる勝報に、不安に苛まれていた天皇も気が大きくなっていった。1941年12月25日には早くも、

「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむ」(「小倉庫次侍従日記」)と戦勝後のことを語り、南方作戦が一段落した1942年3月9日には、

「余り戦果が早く挙がりすぎるよ」(『木戸幸一日記』)

といって、喜びを隠さなかった。

そのため、同年4月にアメリカの空母部隊によって東京が初空襲されても(ドゥーリトル爆撃)、なかなか信用せず、すぐに避難しようとしないぐらいだった。

「近頃我戦果揚らざる傾向あるが如何」

しかし、日本軍の快勝は長く続かなかった。本土への空襲を許した日本軍は、西太平洋の制海権を掌握するためミッドウェー島の攻略を企図した。開戦以来、無敵を誇る日本の空母部隊は、意気揚々と内地を出発し、進路を東に取った。

――よく知られるように、1942年6月、日本海軍はミッドウェー海戦で主力空母4隻を失うなど大敗を喫し、戦争の主導権をアメリカ側に譲り渡してしまった。祝杯の準備までして戦果報告を待っていた海軍中央は、これに大きな衝撃を受けた。

この敗北は国民には伏せられたが、天皇には正確に伝えられた。天皇は6月7日に永野修身軍令部総長より報告を聞くや、

「之により士気沮喪を来さゞる様に注意せよ、尚、今後の作戦消極退嬰とならざるようにせよ」(『木戸幸一日記』)

といって、注意を与えた。残念な気持ちはあったものの、それほど動揺せず、むしろ大局的観点から士気を励ましたのである。

しかるに、天皇はいつまでもその態度を貫けなかった。同年8月、今度は南太平洋のガダルカナル島で日米の攻防戦がはじまった。日本軍は、米軍の本格的な反攻を読みきれず、戦力を小出しにして、いたずらに消耗を重ねていった。

天皇も段々と不安になり、ガダルカナル島の戦況を尋ね、大丈夫か、どうなっているのか、確保できるのかと質問を繰り返した。

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「近頃我戦果揚らざる傾向あるが如何」(『侍従武官城英一郎日記』)

これは、8月28日の「お言葉」である。3月には「戦果は早く挙がりすぎる」といっていたのに、この変化には驚かざるをえない。

数多の戦闘を重ねたにもかかわらず、日本軍は結局ガダルカナル島の確保を果たせなかった。そして12月31日、ついに同島からの撤退を決するのやむなきに至った。天皇はこの決定を受けて、

「ただガ島攻略を止めただけでは承知し難い。何処かで攻勢に出なければならない」(井本熊男『作戦日誌で綴る大東亜戦争』)

とこぼした。急速な戦局の悪化に焦った天皇は、もはや以前のようにどっしりと構えられなくなっていた。

「米をピシャッとやることは出来ぬか?」

1943年は、太平洋戦争の攻守が完全に逆転した年だった。米軍は、新型空母や戦闘機を次々に配備して、戦力を大幅に強化した。日本軍はこれに抗しきれず、各地で後退を強いられた。

4月には、山本五十六連合艦隊司令長官が南太平洋で戦死し、5月にはアリューシャン列島のアッツ島守備隊が全滅した。

天皇は焦燥を隠せず、陸海軍に対して露骨に決戦を要求しはじめた。その頻度はいささか異常だった。

「何んとかして『アメリカ』を叩きつけなければならない」(6月9日、『眞田穰一郎少将日記』)
「何処かでガチッと叩きつける工面は無いのかね」(7月8日、同上)
「何れの方面も良くない。米をピシャッとやることは出来ぬか?」(8月5日、同上)

いつ決戦か。いつ叩くのか。いつ攻撃をやるのか。天皇の矢のような催促は延々と続いた。1944年に入っても、

「各方面悪い、今度来たら『ガン』と叩き度いものだね」(2月16日、上同)

といった有様だった。だが、米軍を叩きつける日はこなかった。日米の戦力差はもはや広がるばかりで、1944年7月には絶対国防圏の一角に設定されていたマリアナ諸島のサイパン島まで陥落してしまった。

「命を国家に捧げて克くもやって呉れた」

つぎの主戦場は、フィリピンだった。天皇はこの戦いについても多くの言葉を残したが、ここでは特攻に関するものを見てみたい。

よく知られるとおり、日本軍の組織的な特攻はこのフィリピン戦で開始された。まず10月26日、及川古志郎軍令部総長より、海軍の神風特別攻撃隊敷島隊などの戦果が報告された。天皇は、こう述べてその功績を讃えた。

「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」(読売新聞社編『昭和史の天皇1』)

つぎに11月13日、梅津美治郎参謀総長より陸軍特別攻撃隊万朶隊の戦果が報告された。天皇はこれについても「お言葉」を与えた。

「体当りき[機]は大変良くやって立派なる戦果を収めた。命を国家に捧げて克くもやって呉れた」(『眞田穰一郎少将日記』)

こうして日本軍では、特攻が広く行なわれるようになった。もっとも、これで破滅的な戦局を挽回することなどできようはずもなかった。米軍は日本軍の抵抗を排して1945年3月、マニラを奪還した。

昭和天皇と特攻といえば、4月からの沖縄戦についても言及しておかなければならない。天皇は海軍の作戦に関して、

「航空部隊だけの総攻撃か」(防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 大本営海軍部・連合艦隊(7)』)

と述べ、暗に海上部隊の参加を求めたといわれる。そしてこの発言が、戦艦大和の海上特攻につながったとの指摘が存在する。

これについては、本当にそんな発言があったのか疑う声も少なくない。『昭和天皇実録』にも、別の「お言葉」が採用されている。

「現地軍は何故攻撃に出ぬか、兵力足らざれば逆上陸もやってはどうか」(『戦史叢書 大本営陸軍部(10)』)

制海権・制空権がないなかでの逆上陸は、特攻的といえなくもない。これはこれでかなり厳しく重い「お言葉」ではあった。

「万一の場合には自分が御守りして運命を共に」

天皇はいつ敗戦を覚悟したのか。これも諸説紛々たるところだ。

天皇が早く手を打たなかったので戦禍が拡大したとの批判がある一方で、ここまで待たなければ軍部を抑えられず、終戦処理など不可能だったとの見解もある。

いずれにせよ、1945年7月米英中三国の連名でポツダム宣言が発表された。日本への降伏勧告だった。日本は、ソ連を通じての和平交渉に望みを託す傍ら、本土決戦も覚悟せざるをえなくなった。

天皇がここで心配したのは、三種の神器のことだった。7月31日に木戸幸一内大臣にこう語った。

「先日、内大臣の話た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。[中略]万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(『木戸幸一日記』)

三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことで、皇位の証とされる。このうち八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮にあった。

そのため天皇は、敵に奪われないように自分の身近に移そうかと悩み、いざというときは「運命を共にする」とまで決心していたのである。

そうこうする間に8月になり、米軍が広島と長崎に原爆を投下し、また頼みの綱だったソ連が対日参戦するに至った。万策尽きた日本は、国体護持の条件が容れられたとみなし、同月14日、米英中ソの四国に対してポツダム宣言の受諾を通告した。有名な玉音放送が行なわれるのはその翌日のことである。

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単純な二者択一では実態に迫れない

以上をみてもわかるとおり、昭和天皇は戦時中たいへん多弁だった。一旦開戦した以上、大元帥としての役割を果たそうとしたのかもしれない。明治天皇はここまでではなかったので、これは昭和天皇に顕著な特徴だった。

もちろん、これのみをもって好戦的だと断ずるのは早計すぎる。昭和天皇の「お言葉」は、平時の平和志向のものも実に多いからだ。だからこそ議論を引き起こして止まない。

平和主義者か、軍国主義者か。そんな単純な二者択一から卒業しなければ、その実態に迫ることはできないだろう。来年の改元で、昭和もいよいよ遠くなる。これをより冷静で多元的な議論のきっかけにしたいところである。

【参考文献】
・「『戦争責任』いわれ辛い 昭和天皇素顔の27」(小林忍侍従日記)『47news』、2018年。
・宮内庁(編)『昭和天皇実録』8・9巻、東京書籍、2016年。
・防衛庁防衛研究所戦史部(監修)、中尾裕次(編)『昭和天皇発言記録集成』上下巻、芙蓉書房、2003年。
・山田朗『昭和天皇の戦争指導』昭和出版、1990年。
・同『大元帥昭和天皇』新日本出版社、1994年。
・同『昭和天皇の戦争 「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』岩波書店、2017年。
※引用にあたっては、読みやすさを考え、カタカナをひらがなに直し、適宜句読点を付すなどした。
※引用資料のうち『眞田穰一郎少将日記』は、上掲の『昭和天皇発言記録集成』と山田書で微妙に引用の文言などが異なっている。同資料はきわめて難読であり、筆者も所蔵する防衛省防衛研究所で原本の複製を確認したが、ミミズがのたくりまわっているような状態で、確定できなかった。そこで本稿では、『集成』の文言に従った。

 

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連合と右派運動の「共闘」

連合と右派運動の「共闘」「民社党・同盟」どこへ向かうのか

©株式会社西日本新聞社より

 参議院選挙が近づく中、連合の股裂き状態が解消されていない。もともと連合は民主党・民進党を支援してきたが、大きく立憲民主党と国民民主党に分かれたため、組織内候補も二分化されている。比例代表の統一名簿も提案されているが、立憲民主党は応じていない。このまま選挙に突入すると、政党支持率が低迷する国民民主党は苦戦することが予想される。当然、国民民主党から比例代表で立候補予定の5人の組織内候補は、全員の当選が難しくなる。

 連合は、もともと一枚岩ではない。社会党を支持してきた「総評」や民社党を支持してきた「同盟」などが統一して結成されたため、思想的な背景を異にする人たちが参集している。

 朝日新聞の言論サイト「論座」でスタートした藤生明の連載「日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか」は、「民社党・同盟」勢力の現在を追うことで、今後の野党を展望する。

 連載第1回「生きていた民社党、保守運動をオルグする」(5月5日)の中で、藤生が注目するのは、現在、日本会議会長を務める田久保忠衛の存在である。田久保は「民主社会主義研究会議」(民社研)の中枢で活動した言論人で、民社党の綱領づくりにも参画した。民社研は1960年の民社党結成と同時に発足した組織で、民社党の政策を理論的に支えるシンクタンク的存在だった。

 日本会議のような右派運動が、「民社党・同盟」系の田久保に期待しているものは何か。藤生曰(いわ)く「民社協会の地方議員ネットワークやUAゼンセンのような活発な労働組合の存在は戦力として魅力的に映ったに違いない」。民社協会は、旧民社党系の国会議員・地方議員が構成するグループで、国会では国民民主党に属している。

「民社党・同盟」の人脈は、現在でも様々な右派運動に関与している。「新しい歴史教科書をつくる会」、「文化の日」を「明治の日」に改める運動、そして拉致問題。かつては「元号法制化実現運動」にも参画し、大きな役割を果たした。

 立憲民主党と国民民主党の亀裂は、労働運動のイデオロギー的な再分化・先鋭化を加速させる可能性がある。これは野党共闘の大きなネックになるだろう。国民民主党は、草の根の右派運動と、どのような関係性を保つのか。両者の関係が深まれば深まるほど、リベラルな価値観を重視する立憲民主党との溝は深まり、自民党との思想的近さが鮮明になる。

 民社党・同盟の源流をたどると、鈴木文治らが大正期に創設した友愛会(1912年)、日本労働総同盟(1921年)に行きつく。東京・芝にある「友愛労働歴史館」では、連合に至る歴史が展示されており、現在は「民社党結党60年、勤労国民政党の旗を掲げて」という企画展が開催されている(6月28日まで)。重要な展示なので、見に行ってみた。当然、1960年に民社党を結成し、初代委員長に就任した西尾末広が大きく取り上げられている。

 西尾は1928年の第1回普通選挙で社会民衆党から立候補し、当選。1930年代には無産政党が結集した社会大衆党に所属し、中核を担った。社会大衆党のメンバーは、国粋主義的な国体論に接近し、全体主義的な労働者の解放を主張。西尾は社会主義の観点から国家総動員法案を支持し、近衛文麿首相に対して「もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、かのヒトラーの如(ごと)く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」と演説した。「一君万民」という国体論は、天皇の超越的権威のもと、万民は平等であるというイデオロギーである。西尾らにとって、この国体論は資本家から労働者を解放する根拠となった。

 このような社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない。しかし、「民社党・同盟」には、その皇国主義的ナショナリズムが連続的に受け継がれている側面がある。ここが藤生の指摘する「日本会議と共闘する労働戦線」につながる。現在の「民社党・同盟」は、どこへ向かおうとしているのか。今後の政局に関わる重要なポイントにほかならない。

(中島岳志 なかじま・たけし=東京工業大教授)

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懸念される米ロの核軍拡競争の再燃

懸念される米ロの核軍拡競争の再燃

 

         湯浅一郎(平和フォーラム平和軍縮時評より  ピースデポ代表)

2019年5月31日

 2020年4月の核不拡散条約(NPT)再検討会議まで残り1年を切った。1970年に第1回再検討会議が開かれてから半世紀、1995年に無期限延長されてから4分の1世紀、そして2017年に核兵器禁止条約(以下、TPNW)が成立してから初めての再検討会議である。この間、NPTは,「不拡散」条約としての制約を持ちつつも、「核なき世界」をめざして、多国間での議論、交渉ができる最も重要な場の1つとして機能し、2000年や2010年合意など幾多の成果をあげてきた。しかし、その重要な節目を前に、米国のINF(中距離核戦力)全廃条約からの離脱などを契機に、新たな核軍拡競争が起きるという深刻な事態となっている。そこで、ここでは、「力による平和」を目指すトランプ政権の核軍事戦略の現状とそれに対抗するロシアの動向をフォローし、米ロの新たな核軍拡競争を食い止めることの重要性を指摘したい。

1)「力による平和」を目指すトランプ政権の核軍事戦略
 核兵器国は、TPNWへの反対では一致しているが、相互の敵意を丸出しにして新たな軍拡競争に邁進している。特にトランプ政権は、「力による平和」を前面に打ち出し、国家防衛戦略(NDS)、核態勢見直し(NPR)を相次いで発表し、オバマ政権の8年間でようやく緒についた「国際協調に基づく核兵器のない世界」への道筋を否定する方向に向かった。トランプNPRには、局地攻撃を想定した低威力弾頭や、新型の巡航ミサイル開発が盛り込まれ、核兵器の役割を高める方向で安全保障政策を再構築しようとしている。さらにイラン核合意からの脱退、宇宙軍の創設や中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱表明、宇宙への展開も含むミサイル防衛見直し(MDR)策定など核軍縮に逆行する動きを強めている。
2019年2月2日、米トランプ政権は、米国と旧ソ連間で締結したINF全廃条約(中距離核戦力全廃条約)からの離脱をロシアに正式に通告した。声明文は、ロシアが2017年から配備している核弾頭搭載可能な地上発射型巡航ミサイル「ノバートル9M729」(NATO名SSC-8)が500kmを超える射程を有し、同盟国に脅威を与えていることを離脱の理由にあげている。そして、「ロシアが条約不履行を続けることは米国の至高の利益を危うくするものであり、米国はもはや条約に制限されないと結論づけた」と新型ミサイルの開発・配備の意志を明確にした●1。これに対してロシアは、9M729は短距離弾道ミサイル「イスカンデルM」の精度を向上させたものであり、重量が増した分だけ射程が短くなり、最大でも480kmを超えることはないと主張している●2。そして、むしろ米国がルーマニアやポーランドに配備したイージス・アショアこそ海洋発射型巡航ミサイルを陸上から発射する形に置き換えたものとして条約違反だと応酬しています。ロシアは、米国の主張を受け入れる様子もなく、INF条約の履行停止を宣言し、米国の行動と同様の措置をとるとした。条約は通告後6か月の8月2日で失効しますが、すでに事実上の失効状態となってしまったと言える。
INFとは、中距離核戦力のことを言う。INF全廃条約とは、1987年12月8日、核弾頭・通常弾頭の搭載を問わず、射程500~5,500kmの中距離及び準中距離の地上発射型の弾道及び巡航ミサイルの保有・生産・飛行実験を禁止することを米ソ2国間で結んだ条約である。ただし、海洋及び空中から発射するミサイルは条約の対象にはなっていない。
条約の前文には、「核戦争がすべての人類に壊滅的な結果をもたらすことを認識し、戦略的安定性を強化するという目的に導かれ、本条約に規定された諸措置が、戦争勃発の危険を減少し国際の平和と安全を強化するのに寄与することを確信し、ならびに核兵器の不拡散に関する条約の第6条の下における義務に留意し」協定したと格調の高い共同意思が示されている。つまり核戦争勃発の危険を減少させて国際の平和と安全に寄与すること、核不拡散条約(NPT)第6条にうたう核軍備の縮小撤廃の義務を果たすことを掲げている。条約により米ソ間の核兵器が撤廃されるのは初めてで、これがきっかけとなり米ソ冷戦が終結へと向かい、その後の戦略兵器削減条約(START)にもつながっていったという歴史的に大きな役割を果たした。INF全廃条約は核軍拡から核軍縮へと歴史を大転換させた大きな意義がある。

2)ロシアは、弾道ミサイル防衛網に対抗し新型核・ミサイルを開発
   ―プーチン大統領の最近の年次教書演説から
米国のこうした動きに対してロシアは、21世紀に入って以降、米国のBMDシステム設置に対抗して、BMDシステムを無力化するために次世代ミサイル開発を継続し、新型巡航ミサイルや無人潜水機など新たな核兵器運搬システムを開発してきた。
2018年3月1日、プーチン大統領は、モスクワで当面の施政方針を包括的に述べる年次教書演説の中でロシアの軍事、核政策の強さをアピールした。。約2時間にのぼる演説の3分の1の時間をさいて、大きなスクリーンに映し出された動画を背景に、世界中が射程に入るとする巡航ミサイルなど新型の核・ミサイル兵器を公表し、米国による世界規模の弾道ミサイル防衛(BMD)網に察知されることなく攻撃できる体制を確保していることを誇示した。
まずプーチン大統領は、2001年の米国の対弾道ミサイル制限条約(以下、ABM条約)からの一方的な撤退と、米国による世界規模のBMDシステムの実戦配備を批判しつつ、この間の流れを振り返った。2001年12月13日、ブッシュ米大統領は、「ABM 条約は、テロリストやならず者国家のミサイル攻撃から守るための方法を開発しようとするわが政府の能力を妨げるものである」●3と主張し、ABM条約から脱退する旨をロシアに一方的に通告した。ロシアは、この決定に強い懸念を表明したが、米国は、2002年6月13日に同条約から正式に脱退した。
ABM条約とは、戦略弾道ミサイルを迎撃するミサイルシステムの開発、配備を制限するために、1972年5月に署名された米ソ間の条約で、両国間の安全保障システムの基礎と見なされていた。この条約の下で、米ソは、当初2ヶ所、74年7月の議定書によりそれぞれ一ケ所にBMDシステムを配備する権利を有していたのである。
しかし、米国のABM条約からの脱退により、BMD配備を制限する構図が崩れた。ロシアの言い分では、米国のABM条約からの撤退から15年間、ロシアは一貫して戦略的安定の範囲内で合意に達するため米国と交渉を続けた。2010年には、ロシアと米国は戦略核兵器のさらなる削減と制限のための措置を含む新START条約に調印した。しかし、ロシアからの多くの抗議と要請にもかかわらず、米国の弾道ミサイルの無制限な増加とBMDシステム設置の動きは続いた。アラスカ州とカリフォルニア州に新たなBMD基地が設置され、西ヨーロッパでは東方拡大されたNATOの一員であるルーマニア、ポーランドで2つの新たなBMD基地が創設された。更には韓国にサード・ミサイル、日本に陸上アショアと北東アジアにおいても建設の動きが起きた。

ロシアは、上記の米BMDシステムを無力化するために、次世代ミサイル開発に乗り出した。2004年、プーチン大統領は、「他国が武器及び軍事上の潜在能力を増強する時、ロシアも新世代の兵器及び技術を確実に持てるようにする必要がある」とし、「近い将来、ロシア連邦軍、とりわけ戦略ミサイル軍が、大陸間をまたぐ距離にある標的を攻撃することが可能で、飛行中に飛行高度及びコースを調整できる極超音速で高精度な新しい兵器システムを手にするであろう」と述べた。

演説で、プーチン大統領は、今日、ロシアは、米国による世界規模のBMD網に察知されることなく攻撃できる新たな核兵器運搬システムを開発したと動画を使って説明した。まず、重量が200トンを超え、加速段階が短い開発中の新型の大陸間弾道ミサイル「サルマット」(RS-28)●4を示した。「サルマット」は北極や南極を経由してターゲットを攻撃することができ、最先端のBMDシステムでさえも攻撃の障害にはならないとした。
さらに、ターゲットに向かう際に弾道軌道を全く使用しない新型の戦略兵器の開発を始めたとする。その1つが最新のX-101空中発射ミサイルである。これは、核弾頭を搭載した低空飛行ステルス・ミサイルで、制約のほとんどない射程、予期せぬ軌道、迎撃境界を迂回する能力を備え、すべての既存および将来のBMDシステムに対して無敵であるとする。
もう1つは、長距離ミサイルを発射できる無人潜水機の開発である。ロシアは、最先端の魚雷の速度よりも数倍高い速度で、相当な深度で移動可能な無人潜水機を開発したとする。
さらに、キンジャル(短剣)と呼ぶ高精度の極超音速空中発射ミサイルシステムを構築しており、実験は完了し、17年12月から試験運用を開始した。発射航空機は、数分以内でミサイルを発射地点に運搬することができ、音速の10倍速い極超音速で飛行するミサイルは、飛行軌道のあらゆる段階で操縦可能であり、2000キロ以上の射程で核及び通常の弾頭を運搬し、将来のBMDシステムを無効にすることも可能であるという。

演説の最後で、プーチン大統領は、発表されたばかりのトランプ核態勢見直し(NPR)によれば、「通常兵器による攻撃及び、サイバー空間での脅威に対してさえ」核兵器を使用しての反撃がありうることになると深刻な懸念を表明した。これに対して、「ロシアの軍事ドクトリンには、核による攻撃に対してのみ、または、その他の大量破壊兵器によるロシアまたは同盟国への攻撃、または、通常兵器を使用した、まさに国家の存亡を脅かすロシアへの侵略行動に対してのみ、ロシアは核兵器を使用する権利を保有する」と米国との違いを強調した。

3)新たな核軍拡を食い止めよう
 現状のままでは、2019年8月2日にINF全廃条約は失効する可能性が高い。このまま進めば、2002年、米国のABM条約からの脱退を契機に、米国が始めたBMD体制の構築に対して、ロシアが、米BMDを無力化するための新型兵器の開発を推進することで、結果として、相互の軍拡が進んできたのと同じ状況が生み出されてしまう。ロシアが新たな兵器の開発を進めれば、それによって、米国によるミサイル防衛態勢の構築が止まり、縮小されるとは考えられない。むしろ、トランプ政権の軍備拡張の方針を考えれば、米国は、ロシアの新型兵器の開発に対抗できるBMD体制の強化や、先行してきた極超音速・通常戦略兵器の更なる開発に向かうだろう。その結果、米ロのかつての冷戦時代の核軍拡競争の再燃が懸念される。人類が、「核兵器のない世界」へ向け前進していくためには、この状況を打開する国際的努力が強く求められる。


●1 米国務省「INF条約から脱退する米国の意思」、2019年2月2日。
https://www.state.gov/secretary/remarks/2019/02/288722.htm
●2  セルゲイ・ボビレフ「ロシアの新ミサイルはINFに違反しない―軍事トップは言う」、タス通信、2019年1 月23 日。
●3 ピースデポ刊『核兵器・核実験モニター』第154-5号(2002年1月15日)。
●4 ニュークリア・ノートブック;「ロシアの核戦力2017」、原子科学者会報。
https://thebulletin.org/2017/03/russian-nuclear-forces-2017/

 

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