2017年
大丈夫か!ニッポン 現代日本を覆うファシズムの正体=特別寄稿
ノンフィクション作家・評論家、保阪正康 2017年1月1日 Texts by サンデー毎日
2015年3月、国会で三原じゅん子議員は「八紘一宇」を称揚し、16年10月に沖縄・高江では機動隊員がヘリパッド建設に反対する住民を「土人」と罵倒した。これらの事件が象徴する日本社会の劣化を「こころのファシズム」をキーワードに、保阪正康氏が分析する。
▼国会で皇国史観の宣言が堂々と行われた
▼「私は歴史に関心がない」という姿勢
▼インターネットにより虚像が実像化する社会
この社会は、少しずつ軸が揺らいでいるのではないだろうか。十年ほど前まではあからさまに語られることがなかった政治思想なるものが、堂々と立法府で表に出てくる。さらに現役の大臣が「土人」という語に差別はないと言い出したり、それが批判されてもどこ吹く風と取り消す様子がない。立法府は討論の場ではなく、法案の通過機関に成り下がっているようなのだ。
女子大で教鞭(きょうべん)をとっている五十代の教員が、「虫も殺さぬような十九歳、二十歳の女子学生が、尖閣諸島を武力で守れと何のこだわりもなく言ってのける。世の中の空気が変わってきたね」と嘆くのである。私自身、たまたま乗ったタクシーの中年運転手から、「日本は中国や北朝鮮に対抗するために核武装すべきだ」とか「自衛隊の底力を見せるべきだ」などと真顔で言うのを聞いて、社会の底流にファシズムに通じる心理が流れているとの感を受けたほどだった。
こうした現象がすべて立法府のレベルの低い討論に端を発していると断言するつもりはないが、私はある女性議員の「日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」との発言に絶句したことがある。議事録によれば、平成二十七(二〇一五)年三月十六日の参議院予算委員会である。ここでこの議員は、
「今日、皆様方のお手元には資料を配布させていただいておりますが、改めて御紹介をさせていただきたいと思います。これ、昭和十三年に書かれた『建國』という書物でございます」
と前置きしたうえで、「八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である」と礼賛するのである。この議員は、たぶん得意げにこの「八紘一宇」を皆さんにお知らせするとの意気ごみがあったのだろう。しかしその理解たるや一知半解そのものであった。この考えについて答弁を求められた麻生太郎財務相の答弁内容もひどい。今でも宮崎県に行くと八紘一宇の塔があるとか、千五百年以上も前から同じ場所で同じ言語を話しているのは日本だけ、といった具合なのである。
「柔らかなファシズム」が進行している
立法府では皇国史観の宣言が堂々と行われていたのである。たぶん同時代の感覚ではわからないのだが、歴史のスタンスではこの国はかつての戦争の思想となった「八紘一宇」を公然と容認した記念すべき日として、この日が記憶されるであろう。私は近刊の拙著(『ナショナリズムの昭和』)をまとめるために、この期(昭和十年代初め)の『国体の本義』『青少年学徒に賜りたる勅語』をはじめとして天皇神格化を説くイデオローグたちの空虚な書の分析を試みたが、この議員や麻生大臣の答弁は、まるで昭和十三年ごろの議会と同じ構図なのである。
この期のイデオローグのひとり、橋本欣五郎(A級戦犯)は、その著書『第二の開闢(かいびゃく)』の中で、世界を救う思想は、「惟(おも)フニ八紘一宇ノ顕現ヲ国是トスル我国ハ、即時其本然ノ発揮ニ依リ」、日本がその役を担わなければならないとした。太平洋戦争が始まっての緒戦で戦果を上げた日本軍、それを指揮する大本営参謀たちはこの思想をもとにドイツとの世界分割を考えて、そのための具体案(「帝国領土として総督府を設置する地方」)まで想定していたのである。
八紘一宇を説くならこうした負の役割を検証するべきで、それが行われていないなら戦争の思想を復権させて悦にいっていると評されても仕方ないであろう。
私たちが今生活しているこの時代空間について、あえて私は目に見えない形での「柔らかなファシズム」「こころのファシズム」が進行していると考える。まったく新しい形の国家主義史観によって支配されつつあるといっていいように思う。そこにはさしあたり四つの特徴がある。
(一)歴史への無自覚な対応
(二)異形、アンバランスな思考感覚
(三)虚像が実像化する社会
(四)討論、議論欠如の社会と人間関係
(一)の歴史への無自覚というのは、前述のような立法府での皇国史観の宣言といった時代錯誤の状態を指している。そして(二)は、社会全体が奇妙な異形を描いているとの意味である。前述の現職大臣の「土人」発言は、太平洋戦争下で日本軍の将兵が、東南アジアへの侵出を進めていったときに、現地の人びとを平気で「土人」呼ばわりした史実を無視している。こんな事実は戦争の実態を調べればすぐにわかることだ。
日本語のその意味を知った現地の人びとが激怒し、しだいに「日本はかつての宗主国だったイギリス、オランダなどよりひどい」といって抗日闘争に転じた例は決して少なくない。この大臣が、土人は差別的ではないと断言したことは、「私は歴史に関心がない(あるいは知らない)」との姿勢と一体である。私たちはそのことを批判するのではなく、こういう歴史に無神経な人物が沖縄担当の大臣であるということを理解すればいい。つまり政治の劣化が進んでいるとの裏づけだ。
この異形な姿というのは、前述したように人間的には穏和なのに、ネットでの一方的、扇動的な情報をもとに「いざとなれば戦争ででも相手をやっつけろ」といった短絡的発想に結びついていく。そこには情念に支配される人間があり、そしてあまりにも貧困な戦争観がある。戦争というのは、国家を背負った兵士たちが果てしなく殺りくを繰り返すことにある。そのような想像力がまったく欠如している。こういう欠如の原因はどこにあるのか。私はむろんネット情報で簡単に動かされる主体性なき人たちの責任は大きいと思うが、もう半面で、巧妙に没個性を要求していく社会のシステムの責任がより問われるべきであろう。
小学校から高校までの学校教育は、つまるところ自主的・主体的意識の向上を行っていない点にあるということだろう。
「災害史観」ともいうべき歴史観
前述の(三)になるのだが、現在の社会は虚像が実像化され、実像が虚像化されている。どういうことか。これは私自身のことになるが、インターネットで私の来歴などが書かれている。ところが訪ねたこともない地が誕生地になっている。小学校時代のエピソードが書かれているが、これはまったくのでたらめ。どうしてこんなことが書かれるのか、定かには知らない。私はインターネットに関心はない。だから日ごろこんなことは、すべて担当編集者が教えてくれる。
この話を他人にすると、ほとんどの者がでたらめを書かれているらしいとわかる。訂正を申し出るのも大変なのだそうである。私自身は訂正する気もないので、でたらめを書かれても気にしない。しかし、私の友人は仙台出身で早稲田大を卒業しているのに、インターネットで勝手に東北大卒業にされ、あまつさえ今度は学歴詐称だとこれまた勝手に書かれていると怒っていた。
講演などで主催者が、このインターネットの略歴を紹介するのに驚かされるが、なんと杜撰(ずさん)なの人たちかとの判断材料に用いている。私は、こういう主催者の依頼には二度とこたえない。今の社会は、虚像が実像化し、実像が虚像化しているというのはこういう事態を指しているのだ。人びとは虚像を信じ、これはおかしいなと思っても実像を調べるには情報公開の手続きは面倒であり、虚像が独り歩きしている社会である。気の弱い人は実像を虚像に合わせて生きていくことになりかねない。
インターネット時代、つまり二十一世紀の人間関係は虚像をもとにした虚構空間の人間のふれあいになる。人びとは今後はより仮面をかぶった状態で生きていくことになるのだろう。
柔らかなファシズムの(四)は討論や議論を忌避する感情が一般化している。スマホやケータイによる人間関係が常態化し、目を見て、表情を確かめながらの人間関係は極端に少なくなっている。そのことは何を物語るか。相手に対しての感情が無機質化するということだろう。これは現在の社会全体で加速度的に進んでいる。あえて一例とするが、安倍首相はトランプ氏がアメリカ大統領に当選するとすぐに駆けつけ、朝貢外交ならぬ媚態(びたい)を示す。プーチン大統領との会談では何の収穫もなく、温泉に入って語り合うなどは実現していない。この首相は、外遊に赴いて各国の首脳と話し合うが、しかし誰とも親しい関係にはなれない。
心底から討論をしていない、あるいは表面上の会談に終始しているからではないか。
昭和十六年四月に、当時の松岡洋右外相はヒットラーやスターリンと会談を行い、松岡自身、まるで国際社会を動かすような大物と自負して日本に戻った。しかしそう思っていたのは本人だけで、歴史的にはヒットラーやスターリンにいいように手玉にとられたというべきであった。安倍首相の姿に松岡外相の姿が重ね合わされるのは、その自負がいずれの国にも認められていなかったためであろう。
こうした社会変化の様子を見ていくと、私たちの現在は幾つかの原因が重なってつくられていることに気づく。私は、政治家の劣化や討論、議論の欠如は、平成六年の小選挙区比例代表並立制実施に端を発していることに因を求めるべきだと思う。小選挙区制と比例代表制を結合させたこの選挙制度は、結果的に新しい形のファシズムの温床になったのだ。
政治的緊張感の欠如は、比例代表制を導入することにより、明白な形になった。しかもこの選挙制度は日本人の政治の成熟度がかなり高いという前提で進められ、そしてこの制度導入に反対する人々は、一様に「守旧派」として謗(そし)られた。ファシズム的空気の中でつくられた制度だったのである。しかもこの制度の導入によって政党は複数の意見を有する組織でなく、そのときの党指導者によって、実に簡単に政党支配が容易になったのだ。
そしてあえて挙げれば、この国は「災害史観」ともいうべき歴史観を内部に常に抱えていた。思い起こせばわかることだが、大正十二年の関東大震災は、当時の社会には二つの特徴があることを裏づけた。ひとつは形のあるものは崩壊する、あるいは現実はあっさりと解体するという現実だった。田山花袋をはじめとする多くの作家たちは、そのような無常を綴(つづ)っている。こうした心理が人びとの心理の底に沈殿したのである。
もうひとつは、情報閉鎖空間の中に根拠のない噂(うわさ)話を投げ入れると、その空間はたちまちのうちに異常空間となり、暴行、殺りくを平気で働くようになる。このときの虐殺事件がそうした事実を物語っている。
私のいう災害史観は、この二つの特徴を引きずって大正末期から昭和への時代空間へと突き進んだ史実を評してのことだ。エログロナンセンス、さらには自殺ブーム、そして満州事変以後の戦争、その中での虐殺事件などは災害史観の結果と考えられるのではないか。
この暴力的なファシズムは、つまり戦争と重なった。
底流に流れている不安・虚無
今、私たちの社会は平成七年の阪神淡路大震災、そして平成二十三年の3・11災害を体験して、大正時代の災害史観を乗り越えたといえるだろうか。むろん情報閉鎖集団ではないから、根拠のない噂が撒(ま)かれても暴力、殺りく事件などは起こらない。しかし福島県からの被災者が大都市圏に移り住んで、そこで心ないいじめに遭っているケースが幾つも報じられている。なかには小学校の教師が、○○君と呼ばずに○○菌と呼んで生徒の気持ちを傷つけているとの報道もされている。
私たちの社会の中に災害史観からくる恐怖、あるいは不安・虚無が底流に流れているのではないか。それが政治や社会風潮にそのまま反映しているといえるように思う。私の指摘する「柔らかなファシズム」という意味はそのような現実を指している。そこに共通しているのは事実を正面から見据えるのではなく、事実から目をそらして私たちの歴史の過去に逃げたり、面倒と思われることは避けたいという姿勢ではないか。現実から目をそらして虚構に満足する、本質を求めての討論を避ける、それがこの社会を誤った方向に進めていくように思う。
柔らかなファシズムは、過去の生硬な暴力を伴ったファシズムと異なり、私たちの心理そのもののありように根ざしているだけに、今後どのような形になるのか、とくに二〇一七年にはどう推移していくのか。政治をはじめ他の分野も社会の空洞化、融解現象をさらに加速させるのは間違いないだろう。(サンデー毎日2017年1月8・15日合併号から)