反戦詩

「君死にたまふことなかれ」全文を以下に掲載する。

「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ すめらみことは戦ひに おほみずから出でまさね かたみに人の血を流し 獣の道で死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは おほみこころのふかければ もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに 君死にたまふことなかれ すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは なげきの中にいたましく わが子を召され、家を守り 安しときける大御代も 母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を 君わするるや、思へるや 十月も添はで 別れたる 少女ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ」

 

 

真珠湾攻撃を指揮した淵田美津雄氏の言葉(アメリカ人を憎む己自身を乗り越えた人)

「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む、憎悪は戦争を生む」

ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ 憎しみを越えて~|NHKスペシャル

 

憎しみの連鎖は真珠湾から始まった

1941年12月7日、ハワイは日曜日の朝でした。2年前にヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていましたが、中立を保つアメリカにはまだ対岸の火事でした。ラジオからはフットボールの中継が流れていました。

「25ヤードラインへ。激しくヒットして27ヤードラインあたりへ。ここで放送を中断しワシントンから臨時ニュースをお伝えします。ホワイトハウスは日本が真珠湾を攻撃したと発表しました。これはジョークではありません。現実の戦争です」(実際のラジオ音声)

日本軍による奇襲でした。

 

日本本土初空襲 米爆撃手 憎しみの告白

2300人以上の命を奪った真珠湾攻撃。復讐の炎をたぎらせていた若き兵士がいました。アメリカ陸軍航空隊のジェイコブ・ディシェイザーです。ディシェイザーは報復作戦に志願しました。日本本土への初めての空襲です。ディシェイザーには爆弾を投下する爆撃手の任務が与えられました。

日本まで1200km。片道分の燃料しか積んでいません。爆撃後は同じ陣営の中国で救出してもらうという命懸けの作戦でした。ディシェイザーが向かったのは名古屋でした。戦闘機の工場やガスの貯蔵タンクなどに300発近くの焼夷弾を投下しました。そして民間人にも機関銃を向けました。軍の指令にはなかった攻撃です。軍需工場の工員5人の命を奪いました。民間人にまで攻撃を向けたこのときの心情をこう記しています。

「小さな黒煙が見えた。あの煙の臭いは我が機に向かって発射された高射砲の火薬の臭いだった。撃たれると撃ち返したくなる。我がアメリカに対する卑劣な攻撃の報いを日本にとことん思い知らせてやる」(ディシェイザー 著述より)

しかし空襲後、80人の乗組員のうち8人が日本軍に捕えられました。ディシェイザーもその一人でした。中国で不時着した場所が日本軍の占領地だったのです。上海で裁判が開かれ国民学校の児童を殺したなどの罪で3人が処刑されました。ディシェイザーなど、残りの5人は終身禁固刑となりました。収容所生活は過酷をきわめました。しらみのわく独房で食事はわずかな米とミミズの浮いたスープでした。尋問の時には激しい暴力もふるわれたと言います。ロバート・ハイトはディシェイザーの隣の独房でした。折れそうになる心を励まし合っていました。

「人として日本人は最低の部類に属する。これほどすさんだ環境に遭遇したことは人生で初めてだった。私は気が狂うほど日本人が憎くてならなかった」(ディシェイザー 著述より)

 

真珠湾 英雄の絶望

真珠湾の功績が認められた淵田は1943年、参謀に昇進していました。翌年には連合艦隊航空参謀にまでのぼりつめ悪化する戦局の打開策に没頭しました。

「基本的な目標はアメリカ人を殺して殺して殺すことだった。皆殺しにして最後までアメリカを苦しめることができるように」(淵田美津雄 証言記録より)

1945年8月15日、淵田は全てを失いました。終戦直後に淵田は公職を追放され、軍人恩給も止められ、一切の収入が絶たれました。敗戦の翌年、淵田は故郷の奈良に帰りました。周囲の目は一変していました。真珠湾の英雄から、国を破滅させた軍国主義者へ。手のひらを返したような態度に淵田は人付き合いを断ちました。妻の実家から譲り受けた土地に自分で家を建て、井戸を掘り自給自足の生活を送りました。

「敗戦とともに日本国民の怨嗟はかつての軍人に向けられた。職業軍人たちが戦いを好んで国を滅ぼしたとの非難であった。今、私を白眼視する日本人が憎くてならない。人を憎むものではないと頭ではわかっているのだけれど心ではどうにもならないのであった」(淵田美津雄 著述より)

 

憎しみから救った日本人看守の心遣い

1948年、アメリカから一人の宣教師が来日しました。日本軍にとらえられていたディシェイザーです。3年前まで、日本人に底知れない憎しみを抱いていたディシェイザーがなぜ日本に戻ってきたのでしょうか。

日本軍に捕えられて1年半が経ち、南京で収容されていた時のことでした。仲間の一人が赤痢で亡くなり、形ばかりの葬儀をすることになりました。その時、青田という日本人看守の一人がこっそりディシェイザーに聖書を差し入れてくれました。ディシェイザーは戸惑いながら聖書を受け取りました。キリスト教徒の家に育ちましたが、聖書はほとんど読んだことはありませんでした。むさぼるように読みふけり、ある一説に大きく心を動かされたと言います。

「父よ、彼らを赦し給へ。その為す所を知らざればなり」

「彼ら」とはキリストを磔にするローマ兵とユダヤ人のことです。残酷な仕打ちを加える日本人たちもまた自分たちが何をしているのか分かっていないのだ、ディシェイザーは反抗してばかりいた日本人看守への態度を変えてみようと思い立ちました。

「こんな日本人をどうやって愛せるんだ。ひどい本当にひどいやつだ。そんなやつを愛さなければならないのか。扉に近づいたら看守が来た。私はのぞき窓に顔を近づけて、おはようございますグッドモーニング サー、そう言ってにっこり笑った。すると看守はとても驚いていた。私は毎日そんなふうにおだやかに振るまった。すると6日目の朝に当番の看守がやって来て食事用の小窓からゆでたてのおいしいサツマイモを差し入れてくれた」(ディシェイザーの音声テープより)

収容所から解放されたディシェイザーはアメリカの大学で神学を学び宣教師になりました。当時、アメリカは日本の民主化の一貫としてキリスト教の布教を推し進め、3000人の聖職者を送りこんでいました。日本に到着したディシェイザーは真っ先に収容所で聖書を差し入れてくれた元看守・青田武次さんの行方を捜しました。捕虜と看守の再会はぎこちないながらも喜びにあふれたものとなりました。

ディシェイザーは自分が爆撃した名古屋に小さな教会を作り、全国各地を伝道してまわりました。日本人に抱いていた憎しみをどう赦しに変えることができたのか、体験を語り続けました。

 

真珠湾攻撃 元指揮官 突然の転身

一方、淵田は敗戦の失意から抜け出せないでいました。1949年12月、淵田のその後の人生を大きく変える出来事が起こりました。GHQの取り調べを受けるため、渋谷駅に降り立った時のことでした。アメリカ人がキリスト教布教のパンフレットを配っていました。淵田も差し出されるままに受け取りました。タイトルは「私は日本の捕虜でありました」あのディシェイザーが書いたものでした。そこには真珠湾攻撃に始まる日本人への激しい憎しみを断ちきった体験が書かれていました。自分もまた抑えきれない憎しみを抱えていた淵田はすぐに聖書を購入。農作業の合間に2ヶ月をかけて読みました。淵田は最も感銘を受けた一説を書き記しました。

「父よ、彼らを赦し給へ。その為す処を知らざればなり」

ディシェイザーが心動かされた言葉と同じでした。

「私はハッとした。彼らをお赦し下さいという彼らの中に自分も含まれている。私は軍人として戦争もまた正義の名において平和へ至る道だと心得ていた。私は自分の罪を自覚した」(淵田美津雄 著述より)

淵田はキリスト教徒となることを決意しました。淵田はすぐにディシェイザーのもとを訪ねました。ディシェイザーは真珠湾の指揮官がキリスト教徒となったことを祝福しました。そして淵田はディシェイザーが日本人への憎しみをどう断ちきったのか話に聞き入りました。

「捲土重来、臥薪嘗胆などと言っていた自分が恥ずかしかった。私は祖国を愛するあまり火のような敵がい心を抱いて戦ってきたが偏狭にして独善なものがなかったか。私は無知だった。それが悲劇を生んだのだ」(淵田美津雄 著述より)

 

憎しみ渦巻く米国へ 覚悟の旅

淵田はアメリカへ伝道の旅にでました。目的は真珠湾攻撃を申し訳なく思っている気持ちを伝えることと、無知が招く戦争を二度と起こさないために日本人を分かってもらい、またアメリカ人を知ることでした。淵田はアメリカ全土をまわりました。ほぼ休みなく1日に4つの講演をすることもざらでした。しかし、覚悟をしていた以上の憎しみの声が浴びせられました。「大量虐殺者」「茶番だ」「淵田を日本に帰せば空気がきれいになる」など。淵田は最も激しい憎悪が待つ場所にも飛び込みました。真珠湾攻撃で2300人以上の命を奪ったハワイです。覚悟を決め、どんな小さな教会でも訪ねました。教会ではさすがに罵声は発せられませんでしたが、多くの人が刺すような視線を浴びせました。

 

終わらない戦争 米伝道者の苦悩

1970年、ディシェイザーの一家に大きな出来事が起こりました。21歳になる次男のジョンさんがベトナム戦争に徴兵され味方であるアメリカ軍のまいた枯葉剤を浴びたのです。ジョンさんは糖尿病や静脈瘤を発症。66歳の今もアメリカ政府からの補償を受け続けています。伝道に忙しいディシェイザーには傷ついた帰還したジョンさんと十分に向き合える時間がありませんでした。ベトナム戦争について触れることも互いに避けていました。

この出来事以来、ディシェイザーの戦争への考え方は変わったと言います。1948年に来日してから平和を訴えてきたディシェイザーでしたが、実は戦争そのものを否定したことはありませんでした。太平洋戦争はアメリカの正義の戦争であり、世界に平和をもたらしたと考えていたからです。しかし、この頃から戦争自体に反対する考えを持つようになっていきました。しかし、アメリカとソビエトは互いの憎しみを世界各地の代理戦争でぶつけあっていました。戦争を止めることなどできるのか、平和を祈り続けることにどれだけ意味があるのか、ディシェイザーは苦悩していました。

 

真珠湾の元指揮官 苦しみの伝道

その頃、淵田は再び真珠湾攻撃の指揮官として脚光を浴びることになりました。真珠湾攻撃を描いた日米合作の大作映画「トラ・トラ・トラ」が公開されたからです。この映画の中で淵田は実名で登場。この人物が今、敬虔なキリスト教徒になっていると淵田にはインタビューの依頼が殺到しました。淵田は苦しんでいました。人々にどれだけ憎しみを断ちきろうと訴えていても、アメリカ人が関心を持つのは真珠湾のことでした。

元GHQの歴史課長だったゴードン・プランゲは淵田と興味深い研究対象と考え、伝道に同行するなどしてリポートを作成しました。

「注意してお読みください。私の発見によって伝道者淵田のイメージは悪くなるかもしれません。淵田はキリストの信念に真剣に向き合う立派な人間ですが、同時に葛藤を抱える複雑な人物であることがわかりました。淵田は話を飾り立てる傾向があります。彼は何度も自分の語っていることはすべて真実だと言いますが、私がそれを確かめようとするとひどく嫌がります」(プランゲ「淵田リポート」より)

プランゲは淵田の話には事実と異なるものが含まれていると報告しています。例えば、淵田が自叙伝に残したある伝道集会でのエピソードです。

「一人の中年夫人が12歳くらいの男の子の手を引いて来た。『私の夫は戦艦アリゾナの砲台長でありました。あなたが真珠湾を爆撃した時、私の夫は永遠に消え、その時この子が産まれました。どうぞこの子のために祈ってやってください』それから10年ほど過ぎ、ある集会で陸軍士官学校の学生の一人が私に声をかけてきた。『私は祈っていただいたあの時の少年ですよ』この子は私の集会があると知って応援に駆け付けた次第であった」(淵田美津雄 自叙伝より)

プランゲと共に淵田の研究をしたピッツバーグ大学名誉教授のドナルド・ゴールドスタインは、淵田からこのエピソードを聞き感動し、この少年を探しだそうとしました。しかし、真珠湾の戦死者や陸軍士官学校の名簿を探りましたが該当者は見つかりませんでした。淵田はなぜこのような話しを語ったのでしょうか?淵田は人々に向け感動的なエピソードを作ることで自分の平和へのメッセージに耳を傾けてもらおうとしたのではないかとゴールドスタイン教授は考えています。

1967年、淵田の15年に渡るアメリカ伝道の旅は終わりました。行った講演は2000回。帰国した淵田は64歳になっていました。

 

憎しみの連鎖を断つ ふたりのラストメッセージ

1975年、淵田とディシェイザーは久しぶりに再会しました。アメリカのキリスト教団体が二人の対談番組を企画したのです。共に憎しみの連鎖を断ち切るという使命を自らに課し、格闘した二人はまさに同志でした。しかし、このとき淵田の体調は悪く、じっくり言葉を交わすことはできませんでした。これが二人が会った最後となりました。

半年後、淵田は亡くなりました。73歳でした。葬儀はキリスト式で行われましたが、棺は軍艦旗で包まれました。ディシェイザーも葬儀に参列していました。人目もはばからず号泣していたと言います。

「私は心から泣きました。淵田とは天国でまた会えると思います。淵田と私は兄弟ですから」(ディシェイザー)

淵田が亡くなった翌年、ディシェイザーは29年間伝道を続けた日本を離れ、アメリカに帰国しました。重度のパーキンソン病に苦しみながらも、なお説教台に立ち続けました。911のテロも目撃しました。正義の戦争を始めるアメリカでひたすら平和と愛を訴え続けました。「次の説教はいつかね?」と家族に訊ねながら、95年の生涯を終えました。

淵田の娘・美彌子さんはアメリカ人と結婚し、カリフォルニアで家族を築いています。美彌子さんが海兵隊員のアメリカ人と結婚したいと言い出した時、母親や親戚が反対するなか父親だけは賛成してくれました。国籍を越えて家族となることには特別な意味があると考えていたのです。

「父は『いろんな国が混ざれば混ざるほどいい。お互いをもっとよく理解することができるようになる』と言っていました」(美彌子さん)

亡くなる直前まで淵田は伝道で繰り返していたある言葉を周囲に語っていたと言います。

「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む。そして憎悪こそ人類相克の悲劇を生む。無知から生まれる憎しみの連鎖を断ち切らねばならぬ。これこそ『ノーモア・パールハーバー』の道である」

 

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第53回大会(護憲大会)参加の呼びかけ

憲法理念の実現をめざす

2016年8月 2日

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戦後社会の基本原則を変えようとする安倍晋三首相は、選挙公約ではごくごく小さく憲法改正に触れていたものの、「選挙で争点とすることは必ずしも必要はない」と述べ、街頭演説においても憲法改正に触れることはありませんでした。「アベノミクスのエンジンを最大限に吹かす」、「この道を。力強く、前へ。」と、経済政策を前面に押し出して選挙戦を闘いました。野党4党は、一人区すべてに統一候補を立て善戦しましたが及ばず、改憲勢力は、改憲に前向きといわれる議員も含めて参議院議員の3分の2を確保したとされています。衆議院を含め、改憲の発議の条件が固まりつつあります。

世論調査によれば、憲法改正の議論が深まっていないとする回答が62%(朝日新聞、7月4日)となっています。2007年からNHKが実施してきた世論調査では、「憲法改正が必要」との意見が「必要ない」を上回ってきましたが、2016年5月の調査では、「必要ない」が31%で「必要」との意見の27%を上回りました。朝日新聞も55%対37%、共同通信も56.5%対33.4%と、「憲法改正は必要ない」との意見が上回っています。毎日新聞社が東日本大震災で被害を受けた岩手・宮城・福島3県の42自治体に「緊急事態条項は必要と感じるか」と尋ねた調査では、必要と感じたと回答した自治体はわずか1自治体でした。世論は、改憲を必要としていません。

安倍首相は参議院選挙後、「自民党案をベースにしながら、どう3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術と言ってよい」と発言し、衆参両院の憲法審査会で発議可能な項目を、選択することを示唆しています。しかし、どこに憲法を改正する必要があるのか、どのような理由から何を変えるのか、全く明らかになっていません。

安倍首相は、2013年の参議院選挙、2014年の衆議院選挙を、アベノミクスで闘いながら特定秘密保護法や日本版NSC、そして安全保障関連法(戦争法)を成立させました。第一次安倍内閣が、教育基本法改悪、防衛庁の省昇格法、そして国民投票法を制定してきたことを考えると、その意図は明らかです。「戦後レジームからの脱却」という安倍首相の基本姿勢は、数の力を以って着々と進められてきました。平和と民主主義、基本的人権の尊重という日本国憲法の基本姿勢を、安倍首相は根底から覆そうとしています。

東日本大震災、福島原発事故、熊本震災、多くの災害が日本社会を襲いました。震災のがれきの中からの復興は、多くの人々に我慢と自己犠牲を強いてきました。デフレ脱却をめざすとした大規模な金融緩和策は、格差と貧困を増大させ、非正規労働者の比率は40%を超え、子どもの貧困率は16.3%、沖縄県では実に39%に達しています。命をないがしろにする政策が進んでいます。

「戦後の社会は、明るかった」との大江健三郎さんの言葉は、戦争に明け暮れ多くの犠牲を国内外に払ったアジア・太平洋戦争の時代から、日本国憲法の時代への国民の思いを象徴しています。1945年8月15日、私たちは敗戦の中から、何を紡ぎ、何を生み出したかをしっかりと見つめ直さなくてはなりません。戦後70年、私たちはどこへ向かわなくてはならないのか。子どもたちの未来に、今に生きる私たちの責任を果たさなくてはなりません。

私たちは、11月12日から14日、憲法理念の実現をめざす第53回大会を富山県富山市で開催します。戦後社会の最大の危機に際し、一人ひとりの命に寄り添い、平和と民主主義を守り抜こうとする多くの仲間に、参加を呼びかけます。

2016年8月2日
憲法理念の実現をめざす第53回大会実行委員会
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われわれ元米兵は、激しい怒りを感じている。

米退役軍人団体VFPの「高江ヘリパッド建設工事を巡る緊急非難決議」全文

高江ヘリパッド建設工事を巡る緊急非難決議の英文

高江ヘリパッド建設工事を巡る緊急非難決議

沖縄の有権者は、日本で7月10日に行われた参議院選挙で、辺野古の新基地建設と高江の計画に反対する候補者を選んだが、日本政府は選挙翌日の夜明け前に、高江周辺でのヘリパッド建設のための資材輸送を開始し、沖縄県民の意思は重要ではないとの明確なメッセージを送った。

県と日本政府が合意した和解は、辺野古の新基地建設計画に関連するすべての工事の中止を定めている。

辺野古の新基地と同様、高江のヘリパッドはオスプレイの訓練に対応するために設計されたものであり、運用面における二つの計画の関連性は明白だ。従って、工事再開は和解内容に反している。

一方で7月22日、日本全国から集められた約800人の機動隊が高江の小さな村に群がり、抗議者やテントや車を排除する行為は、日本政府が沖縄を植民地とみなしているということを再確認させた。

われわれ元米兵は、米軍が沖縄の人々に対するあからさまな差別待遇に加担していることを恥じ、激しい怒りを感じている。

よって、われわれ平和を求める元軍人は、高江のヘリパッド建設工事の再着工を非難する。同問題を解決するには、米国がこの恥ずべき反民主的で差別的な行為に加担せず、米国は新基地を望まないと日本に伝え、高江と辺野古の新基地建設計画を放棄することだ。

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伊方原発3号機の再稼働に強く抗議する(声明)

本日(8月12日)、四国電力は、多くの県民が事故への不安を抱く中で、伊方原発3号機(愛媛県)の再稼働を強行した。原水禁は、危険な再稼働に強く抗議し、一刻も早く運転を中止し廃炉に向けた決断を強く求める。

再稼働に「安全」のお墨付きを与えた原子力規制委員会、民意を問うこともなく安易に再稼働を許容した地元愛媛県知事、再稼働を政権運営の柱とする安倍政権に対しても強く抗議する。

伊方原発の再稼働については、先の参議院選挙中に行われた地元紙の県民世論調査において、「再稼働すべきでない」と「どちらかというと反対」という否定的な回答が54.2%と半数を超えている。再稼働に関しての県民の不安や不満はいまだ強く、県民合意にはほど遠い結果となった。

現在唯一稼働している九州電力・川内原発が存在する鹿児島県の知事選において、脱原発を標榜する三反園訓候補が現職をやぶり当選した。熊本地震の発生などによって再び原発への不安が高まっている。

高浜原発の稼働を差し止めた大津地裁の判断は、福島原発事故の甚大な被害を考えるなら住民らの人格権が侵害される恐れが高く、発電の効率や経済的利益を優先することはできないとし、「新規制基準」についても「福島第一原発事故で得られた教訓の多くが取り入れられておらず、過酷事故対策が不十分である」としている。

伊方原発が存在する佐多岬沖の伊予灘には、国内最大規模の活断層「中央構造線断層帯」が走っている。また近い将来予想される南海トラフの地震の想定震源域にも近く、多くの専門家から重大事故の可能性が指摘されている。中央構造線上にあるとされる日奈久・布田川断層帯で起こった4月14日の熊本地震では、震度7で地震動の最大加速度は1,580ガルを記録した。伊方原発の基準地震動は650ガルでしかなく、「中央構造線断層帯」が引き起こす地震動は、それらを上回る可能性があり、福島原発事故に続く原発震災の惹起が強く懸念される。

伊方原発のある佐多岬半島の地形の特殊性は、土砂崩れや路肩崩壊、橋梁破損等による道路の寸断などによって、地域住民が孤立する危険性を高めている。津波の可能性も危惧される中で、県が策定した船舶を利用する避難計画は、実効性に乏しい。避難計画の課題さえ解決できずに強行される再稼働は、県民の命の軽視するものであり、決して許されない。

さらに防災拠点となる免震重要棟についても、耐震性不足が指摘され対策が求められた。新たに敷地内に建設した緊急時対策所は、平屋建て約50坪程度と狭く、重大事故の発生に対して中長期にわたって対応できるのかとの指摘もある。福島原発事故の教訓さえまともに活かされていない。

伊方原発3号機は、すでにプルサーマル発電で使用するMOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料16体を原子炉に装填している。プルサーマル発電は、燃料棒が破損しやすくなるなど事故のリスクが高まること、毒性の高いプルトニウムを利用することで事故の影響もより大きくなることが指摘されている。

無責任極まりない原発の再稼働を許すことはできない。四国電力は、今年5月に伊方原発1号機を廃炉にした。引き続き2号機、3号機の廃炉を、原水禁は強く求める。その実現に向けて現地の人びとと連帯して、再稼働阻止に向けた運動をさらに強化していく。

 

2016年8月12日

原水爆禁止日本国民会議

議長 川野 浩一

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三上智恵の「高江大弾圧」~臨界点を超えた政府の暴力~

 運命の7月22日、夜が明けるとやんばるの奥地を走る県道70号は、機動隊であふれかえっていた。県外から500人、沖縄県警を合わせると800とも1000人とも言われているが、予定地に繋がる4カ所に同時に押し入った警察官と、途中途中の車両や物資の集積地、検問ポイントや裏のダムに隠れている人員を合わせたら、やはり800人は動いていたと思う。とにかく、狂気の動員だった。今回、明らかに国はある一線を越えてしまった。

参院選が明けてから、日に日に追い詰められていく高江の工事予定地で、国の実力行使の着工予定日を翌日に控え、21日に緊急集会が開かれた。平日の午後2時、炎天下。突然の呼びかけにもかかわらず、なんと1600人が高江の通称「N1ゲート前」に集まってきた。過去10年、高江の取材を続けてきたが、1000人を超える人がここに集まるなんて、もちろんかつてなかったことだ。

ゲンさん夫妻も伊佐さん夫妻も、ついに県民が本気になってくれたと喜びを隠さない。1600人なら機動隊の倍の人数だ。明日未明には通行規制がされて応援に来ようにも近づけなくなることから、できる限り泊って欲しいと呼びかけた。しかし、宿もない山の中である。ほとんどが帰ってしまったため、夕方にはいつもの100人くらいの人数になった。これではあっという間に排除されて終わりになる。現場に焦りが広がった。

6時半ごろ、私たちはテントからだいぶ離れた路肩に車を止めた。そのときおもむろに「駐車違反」の看板が私たちの車の前後に立てられた。名護署によると、その看板からテント寄りの車はすべて駐車禁止で、レッカー対象だそうだ。そんなあと出しの交通ルール、ありえない。駐車したときには規制がなかったのに、車に戻ったらあたり一面が駐禁になっているなんて!

「非常事態なので名護署長の権限で規制ができるのだ!」。幹部らしき警察官がやみくもに怒鳴って立ち去った。このあとのレッカーも、テントの撤去も、過剰な警備も、手すりや柵の設置も、全部「非常事態」の名のもとに進めるつもりなのだ。ここはもう法治国家ではないのか。内容を問わずに国策なら是であり、それを進めるために警察権力はあらゆる権利を市民から取り上げることができるのなら、それはもう恐怖政治ではないか。

夜中1時を過ぎたころから、道の両側は人と車で埋まってきた。さすがに沖縄県民、かなりの数が戻ってきてくれた。市民側の車は200台以上。私の目算では300人近くが建設を許さない覚悟で結集してきた。

ヒロジさんを中心にいくつかの作戦が立てられていた。1つは、道の両側に止めた車をじりじりと中央線に向かって移動させ、大型車両やレッカー車を通れないような陣形を作ること。夜中の3時にその作業が始まった。警察は4時には県道を封鎖、5時にはレッカー移動を始めるという計画だ。4時も回って、もう援軍も道路封鎖で近づけなくなったことを確認して、県道全体に車をパズル状に配置した。

「これでレッカー移動はかなり難しくなった!」
第一段階は勝利だとヒロジさんは気勢を上げた。

しかし、全国から集められた機動隊員は、夜明けと共に南北両側から一気になだれ込んできた。確かにレッカー車は入れなかったが、車輪のようなものがついたジャッキを車の下に手際よく入れていき、一台につき20人が襲い掛かればあっという間に車は浮く。そしてみんなの手で押して「だんじり」のように号令をかけながら車を引っ張っていった。毎回、車の下にしがみつく人たちを、まるで果実に取り付いた虫を取り除くように淡々と引き剥がして、バリケードの車は端から順に機動隊の手で運ばれていった。

次に運ばれる車によじ登り、屋根に座り込んだ女性が叫んだ。

「沖縄を返して!
私たちの生活を返して!
子どもたちの未来を元に戻して!

…守れなかったんですよ
私たち大人は 子どもを守れなかった!
警察も守れなかったーっ!

また犠牲者つくるんですか?
新しい基地を造って?」

私も悔しくてカメラを持つ手が震えた。彼女はRINAさんのことを言っているのだ。米軍が70年間も我が物顔で居座るこの島は異常だと思いながら、状況を変えられなかったこと。守るべきものを守れなかった惨めさ。悔しさ。自分への怒り。その思いが彼女を突き動かしているのだろう。今回はこういう場所ではあまり見ない女性たちの姿が目立った。4月末に起きた暴行殺人事件は、まだ多くの人の心に突き刺さったまま、悲鳴を上げている。

今日の防衛局側の最大の目的は、N1と呼ばれる予定地に進入するためのゲートを確保することだ。そこには9年前から車を並べ、テントを張って見張りを立ててきた。資材が入れられればまた投げ返してでも、これまで死守してきた場所だ。ど真ん中に置かれた街宣車の上に陣取った市民を引き摺り下ろそうと警察官がよじ登る。怒号と悲鳴がいっそう大きくなり事態は緊迫した。その中で一人の女性がロープの絡まる中、首を絞められる形になり、その騒動を近くで見ていた女性も気を失って病院に搬送されてしまう。怪我人と逮捕者は出さない、と決意を何度も述べてきたヒロジさんはたまりかねて車に上り、叫んだ。

「もうやめてくれ。もういい! こちらも降ろすから、もう手を出すな!」

いつもカヌー隊として海に出て行くその女性は、辺野古の信頼できる仲間だった。彼女らを傷つけてしまったことにヒロジさんの心は折れた。まだ午前、早々に白旗を上げる形となった。これ以上怪我人と逮捕者を出すよりも、仕切りなおして工事を止める。仲間を守り、その力を残して引き際を決断すること。それがヒロジさんの流儀だった。

翌朝の県内紙のトップは高江工事強行。暴力的で痛々しい写真が大きく掲載されたが、呼びかけもしないのに100人以上がやんばるの森の中にまた集まってきた。朝日を浴びて、その顔は朗らかでさえあった。

「負けてないですよ、これからですよ」
「そう、これからが肝心!」

また、またしても沖縄県民の強さは私の予想を超えていく。わたしは、こんな場面を見ないですむように『標的の村』を映画にまでして全国行脚したのに、なんて無力なんだろうと大泣きしてぺっこり凹んでいた。丸50時間以上寝ていない目で泣くから悲惨な顔になっていた。なのに、森に集まった人たちの前向きなオーラは、なんなのだろう? 私はまだ彼らの一員にはなれていない。

それにしても、今回の常軌を逸した政府の手法は「ティッピングポイント」を超えたと感じた。ある事象が臨界点を超えて一気に崩壊していくさまを見た気がしたのだ。いくら政府が決めた国策といえども、私たち国民には異議を唱える権利がある。その前提で、沖縄県民は基地の重圧に対して長い間非暴力の抵抗を重ねてきた。これまで、県民を排除する側にもある一定の良識があったと思う。これ以上力ずくでやると民意を敵に回すので加減するという線が、国家権力にもあったはずだ。しかし、丸腰の県民に対し異常ともいえる物量で迫り、まるで勝つことが決まっているモンスター退治のゲームのように抵抗を押しつぶしていった今回の国のやり方に、私は恐怖を感じた。自公政権の議員を全部落とすような沖縄には、もはや手加減など必要ない、という現政権の本性を見た思いだ。

高江は辺野古の前哨戦。本気で和解も協議もする気がない安倍政権が、次は辺野古にこの手法を拡大して迫ってくるのは間違いないだろう。辺野古の埋め立てが始まるときには、海上自衛隊も呼んでくるのかも知れない。第一次安倍政権は掃海母艦「ぶんご」を辺野古に出動させた経緯もある。なりふり構わないこの政権の暴走がどこまで行くのか、わたしは本当に恐ろしいと思う。矛先は今後、沖縄だけではないだろう。でも翌日の新聞のトップはポケモンGOだったというから、もはやそれを止められる力がこの国の国民にあるのかどうか。本当に倒すべきモンスターは、スマホの外にいるというのに。

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沖縄・高江で住民弾圧 機動隊員は“優雅ホテル生活

ヘリパッド建設に反対し座り込みをしていた男性を排除する機動隊員ら(C)共同通信社
ヘリパッド建設に反対し座り込みをしていた男性を排除する機動隊員ら(C)共同通信社
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 “第2の辺野古”と呼ばれる沖縄・東村高江のヘリパッド(着陸帯)建設地で繰り広げられている、反対住民と機動隊のバトル。建設反対を訴える無抵抗の住民を、屈強な機動隊員が胸ぐらを掴んで次々と強制排除する様子は、かつての「三里塚闘争」を彷彿させる。(※例えが「三里塚闘争」となっているが、公権力と真っ向から、労組・市民が一体となり、行政をも味方につけて整然と、かつ組織的に闘っている所は全く違うのでご注意を。)

沖縄で“暴力装置”と化している約500人の機動隊員は、沖縄県公安委員会の要請に基づき、東京や千葉、大阪など6都府県の公安委員会(警察)から派遣されている。任務の目的は「米軍基地移設工事等に伴い生ずる各種警備事業への対応」ともっともらしいが、やっていることは住民弾圧に他ならない。

機動隊の派遣費用はどこから出ているのか。大野ひろみ佐倉市議が県警に情報公開を求めたところ、県警分だけで2800万円の「国費」が投じられていたことが分かった。

「県費だと思っていたら国費負担だったので驚きました。つまり、機動隊の派遣を決めたのは県ではなく国であり、恐らく警察庁でしょう。国が各都道府県の知事をすっ飛ばして命令を出したわけで、いわば戒厳令ですよ」

他の県警も同額程度と考えると、国費の総額はざっと2億円近い。しかも、その高額な血税で機動隊員はバカンス気分も満喫しているという。

「沖縄でも有数の高級ホテル『カヌチャベイ』に宿泊している機動隊員は、空いている時間は広いホテルの敷地内をゆっくりとランニングしたり、ジムで筋トレしたりしています。食事会場は一般客とは別で、のんびりと食事を取り、夕方からはコンビニで買ったビールを飲んでいますよ」(沖縄県政担当記者)

高江で常態化している機動隊員の暴力行為は、現地を視察した安倍首相の妻、昭恵夫人も目の当たりにしたはず。機動隊が国の命令で派遣されているのであれば、一刻も早い撤収をダンナに求めてもいいのにナ~ンもしない。

「高江のケースは沖縄だけの問題にとどまりません。国が直接、各地の警察組織や機動隊を動かしていることが、どれほど恐ろしいことか。これでは地方自治も何もありません。こういうのを国の暴挙というのであり、許されない行為だと思います」(大野市議)

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<大分県警別府署>隠しカメラ、「民進党」関連建物敷地内に 毎日新聞 より

<大分県警別府署>隠しカメラ、「民進党」関連建物敷地内に 毎日新聞 8月3日(水)10時55分配信

隠しカメラが設置された別府地区労働福祉会館。カメ大分県警が盗撮カメラを設置した場所ラの一つは、入り口などが見えるように木の幹(手前左側)の高さ約1.5メートルの所にくくりつけられていたという=大分県別府市で2016年8月3日午前9時7分、大島透撮影

◇参院選の選挙期間中に設置 人の出入りなど録画
7月10日に投開票された参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居する大分県別府市の建物の敷地内に、同県警別府署員が選挙期間中、隠しカメラを設置し、人の出入りなどを録画していたことが、3日分かった。カメラの設置は無許可で、建造物侵入罪などに該当する可能性があり、県警の捜査手法に批判の声が出るのは必至だ。
県警や関係者によると、隠しカメラが設置されていたのは、別府市南荘園町の別府地区労働福祉会館。連合大分の東部地域協議会や別府地区平和運動センターなどが入居しており、参院選の際には大分選挙区で立候補した民進党現職の足立信也氏(59)や、比例代表に出馬した社民党の吉田忠智党首(60)の支援拠点になっていた。
カメラは参院選公示前の6月18日深夜から敷地内に2台設置され、同会館の玄関と駐車場の出入りを録画していたとみられる。公示翌日の同23日、敷地内で草刈りをしていた別の施設の職員が発見した。1台は敷地内の斜面に、もう1台は木の幹にくくりつけられていたという。
内蔵のSDカードを確認したところ、別府署員がカメラを設置する様子も映っていたため、同会館の関係者が同署に連絡。署幹部が謝罪に訪れ、同24日にカメラを撤去したという。県警によると、カメラを仕掛けたのは別府署刑事課の署員2人。同署が設置を決め、場所は同課で判断したという。設置した署員は「雑草地だったので、(同会館の)管理地だとは思わなかった」と話したという。
県警は「個別の事案について、特定の人物の動向を把握するためにカメラを設置した。対象者が誰かは言えない。不特定多数を対象にしていたわけではない」と説明。「刑法上の処置が必要なら厳格に対応する。調査がいつまでかかるかは分からず、公表や処分の必要性はその後判断する」とした。捜査上のカメラの設置は警察署の判断でできるため、県警本部に設置の報告は上がっておらず、過去に同様の問題が報告されたこともないという。
大分県内の野党関係者は「無許可で監視カメラを設置するなど言語道断で、許されない。選挙活動への不当な介入だ」と話す。
大分県警の小代義之刑事部長は3日、「捜査活動の一環としてカメラを設置したが、他人の管理する敷地内に無断で立ち入ったのは不適切な行為であり、関係者におわび申し上げます。今後は適切な捜査について指導を徹底します」とのコメントを発表した。
参院選大分選挙区では、民進、共産、社民の野党3党が支援した足立氏が、1090票差という大接戦の末に自民党の新人候補を振り切って3選。吉田党首は比例で落選した。【西嶋正法、田畠広景、大島透】

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PEACE石川 NO52

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人生を歩むとき、「言葉」と出会う

(政府への)信頼は専制(政治)(生みの)親である

    自由な政府は、信頼ではなく猜疑心に基づいて建国される 

                ※アメリカの建国宣言も起草した、米国第3代大統領トマス・ジェファーソンの言葉 

「人間はいずれ死ぬが法律は死なない(改悪もされる)。共謀罪が子や孫の代にどのように使われるか、いまが大事なとき」 

                      (反対声明の記者会見場で) 日本ペンクラブ会長  浅田次郎さんの言葉

 (辺野古や高江の基地に反対する闘いは)

「沖縄の怒り」ではない  私たちの怒りだ                ※北陸中日新聞     平和の俳句より

「あなたはどこん国の総理ですか」2017.8.9河野浩一(ヒバクシャ 原水禁国民会議議長)さんの言葉  (国連の核兵器禁止条約に署名しない安倍首相を直接批判した。)

クリント・イーストウッド 

戦争を美しく語る者を信用するな、彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから。

「大君の/御楯となりて/捨つる身と/思へば軽き/我が命かな」                                                                                                                         横山小一さん       ベニヤの船に250キロ爆弾を積んで夜間に敵艦に体当たりする水上特攻隊に所属して、沖縄で亡くなった。

私たちは、戦争を「絶対悪」と認識しなければなりません。戦争からは、何も生まれません。戦争は国土と人心を荒廃させます。人々の心に残るのは悲嘆と怨念です。戦争に聖戦などというものはありません。戦争は、老人が決め(ジイサンが宣戦布告し)、中年が命令し(オッサンが進軍ラッパを吹き)、青年が戦う(アンチャンが殺し合いをする)理不尽極まりないものです。戦争は国家が国民の基本的人権を蹂躙し、国民に他国民の大量殺人を強制するものです。

三重県桑名市が、被爆者団体と共催している原爆写真展から、遺体などの一部の写真を展示から外したことが報告されていた。投稿者の伊藤智子さんは、「原爆の図」で有名な画家の丸木俊さんの「体験しなければわからぬほど、お前は馬鹿か」との言葉を引いて、「子どもが原爆の衝撃的な写真や絵画を見て怖がったなら、それはまさに体験していないのに想像し、わき上がった感情ではありませんか」と語っている。事実を隠して何を伝えようとするのか。

「オプティミズムをやめよ/眼を開け/日本の人々よ/日本は必ず負ける/そして我ら日本人は/なんとしてもこの国に/新たなる生命を吹き込み/新たなる再建の道を/切りひらかなくてはならぬ」                                                       ※オプティミズム:楽観主義

学徒出陣で航空隊員となり戦死した林尹夫さんの言葉

人生で「賭け」をしてはならないときが「二度」ある  それは、お金のあるときとないときだ 

※「トムソーヤの冒険」が売れ、莫大なお金を儲けたトゥエインは賭け事にも興じた。そのマークトゥエインの言葉だ。身に染みる人が一杯いるのでは?

 

無知は無理解を生む、そして無理解は憎悪となる。

※太平洋戦争でお互いを憎み殺し合い、それゆえ、お互いの国民を「みな殺しにしたい」ほどの憎悪にかられ、その憎悪に自分自身が苦しんだ。しかし、それを乗り越え、それぞれが到達した「言葉」である。ナショナリズムは憎悪を助長する。

真珠湾攻撃を指揮した淵田美津雄さんの述懐

ジャーナリストとは

自分で知って、調べて、考えること。中立ではなく独立を。                      『「現行犯」は犯人ではなかった』。真実を追及して解明した原寿雄さん(故人)の言葉

 

「諸君は、自分の仕事をなくすことを目標にせよ」 米国第34代大統領ドワイト・アイゼンハワーの兵学校卒業式での祝辞

今の憲法、「できないのは戦争だけ!」   2016第53回護憲大会(富山県)発言より

ヘリパッド建設阻止! 「戦わないためにいま、闘っている」 沖縄・高江で闘う“おばぁ” の言葉

教育勅語の「どこが悪いのか」 木を見て森を見ない森友学園籠池理事長の言葉。アベさんに「梯子を外され」て怒り心頭。「㊙」をつぎつぎと暴露している・・。

 

ダラ幹が   争議を売れば   あがる株  鶴彬(つるあきら 反戦川柳作家)

ダラ幹に   なってスパイに   敬まわれ  鶴彬(つるあきら 反戦川柳作家)

(共謀罪を) 人民に問えば  ゼネラルストライキ! 鶴彬(つるあきら反戦川柳作家)

シンガー山崎まさよしさんの言葉

自国の軍隊を持たないで子供を守れますか? というナショナリストに反論しています。(HP参照)

 

ナチスの障害者虐殺を検証

どんなことにも、どんな戦争にも、どんな悪行にも、必ず最初がある。あるいは前触れがある。その段階で気づく力、ここが問われてくる。
社会的に弱い立場、障害者に問題が表れやすい。これが前触れの警鐘であるととらえる事がダイジ。      (日本障害者フォーラム議長 藤井克徳さん)

命の価値を尊重しなくなると、人を殺せてしまう。
これは過去の歴史ではなく、現代につながる。私たちは、人間を改良しようと考えるべきではありません。社会の中に、病い、障害、苦悩、死が存在することを受け入れる。こういった意見が少なすぎます。命に関する問題に直面したとき、他人の価値観に振り回されていないかそれがもたらす結果まで想像できているか、と、自分に問うことが必要。             (ナチスの障害者・ユダヤ虐殺の前には精神病患者虐殺があった。それを検証する第三者委員会  ハンス・ヴァルター・シュムール教授の言葉)

 

(いま)大変なことになっている。戦争の足音に敏感すぎることはない。戦争の危機には過剰に怯えなきゃいけない。怯えすぎることはない。もし、間違いだったら後で笑えばいい!                                                    映画監督 大林宣彦さん

 

「戦争になってからでは反対できないのです、いま戦争反対を声を大にして叫ばなければならないのです。」         

 元七尾市議会議員 松田清良さん(故人) 九条の会・七尾 「97だより」より転載

リアリティを持って戦争を、 自衛隊を語ろう                                               2017年12月 2日

 11月11日、横浜市にある「教科書・市民フォーラム」主催で、室蘭工業大学准教授の清末愛砂さんの「賢明な選択としての平和主義」と題する講演会に参加した。

パレスチナのキャンプで活動していた清末さんは、ある日、イスラエル軍のまさに尋常ではない攻撃に目を開けた。その時、壁に銃弾が当たって窓枠に火の玉を見たという。ひたすら壁を打たれ続けている。パスポートを入れた鞄を手にしたが、腰を抜かして動けなくなった。「死にたくない人間が、生きられないと感じる恐怖と残虐性」、それは、イスラエル軍の自衛の名の下に行われる。清末さんは「自衛」とは、残虐になれない人間が残虐になるための手段だと述べる。

紛争地はまさにこれが日常、現代の戦争なのだ。東京新聞に「改憲派からは、護憲派は空想論的平和主義者との批判があるが、私はとても現実的な平和主義者だ。パレスチナやアフガニスタンで非暴力運動や難民支援に取り組んだ経験があり、安倍晋三首相よりもはるかに戦闘地や紛争地の現実を知っている」「自衛の名の下に暴力が増大する。武力に抑止力なんてない」と、清末さんは書いている。

多くの改憲派が安全保障の充実を取り上げる。武力の抑止力、安全保障が平和を作るといわんがばかりだ。しかし、清末さんは「人権のない平和は意味がない」という。私も同感だ。一人一人の命が守れなくて何の平和だろうかと思う。満州侵略も、対米開戦も、すべては「自衛」の名の下に行われ、日本を守るとして何百万という血が流され、命が失われた。「他国の脅威からわが国を守る」とする戦争法は、これまでの専守防衛論と違い、米国との集団的自衛権行使のなかで自衛官に多くの犠牲を伴うに違いない。それが戦争だ。だからこそ、平和憲法とそのことを具現化する平和外交がまさに重要だ。自衛隊を憲法に位置づけては、平和主義が意味を失う。

「日本の美しい憲法をつくる会」(日本会議のフロント組織)は、「災害救助などでお世話になる自衛隊を日陰者にしていいのか」と主張する。

自衛隊は災害救助隊なのか、違う。その本質は軍隊だ。ある日、一発の銃弾が人の頭を吹き飛ばす現実を、いかにリアリティを持って伝えるか。改憲阻止の闘いはそこにかかっている。災害救助などという欺瞞で自衛隊の本質を隠してはならない。

平和フォーラム藤本共同代表

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裸足のゲンを広める会

http://hadashinogen.jp/

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