自民党改憲草案 軍国主義丸出しの改憲案

「日本国憲法改正草案」は、前文から補則まで現行憲法の全ての条項を見直し、全体で11章、 110カ条(現行憲法は10章及び第11章の補則で103カ条)の構成としています。 自民党の憲法改正草案が国民投票によって成立すれば、戦後初めての憲法改正であり、まさに日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。 草案は、前文の全てを書き換え、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを述べています。 主要な改正点については、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、家族の尊重、環境保全の責務、財政の健全性の確保、憲法改正発議要件の緩和など、時代の要請、新たな課題に対応した憲法改正草案となっています。

「日本国憲法改正草案」の概要

(前文)

  • 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。
(第1章 天皇)

  • ・天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
  • ・国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。
(第2章 安全保障)

  • ・平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
  • ・領土の保全等の規定を新設。
(第3章 国民の権利及び義務)

  • ・選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
  • ・家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
  • ・環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。
(第4章 国会)

  • ・選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。
(第5章 内閣)

  • ・内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
  • ・内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。
(第6章 司法)

  • ・裁判官の報酬を減額できる条項を規定。
(第7章 財政)

  • ・財政の健全性の確保を規定。
(第8章 地方自治)

  • ・国及び地方自治体の協力関係を規定。
(第9章 緊急事態)

  • ・外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定。
(第10章 改正)

  • ・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。
(第11章 最高法規)

  • ・憲法は国の最高法規であることを規定。
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有識者会合の評価書にみるS-1,S-2,S-6及び福浦断層の表現の違い

以下は、評価書より一部抜粋

S-1 は MIS5e の海成堆積物堆積後に変位したと解釈するのが合理
的と判断した。また、旧 A・B トレンチ近傍の岩盤調査坑では、
S-1 に右横ずれ逆断層で北東側が隆起する運動方向が得られており、
このことは旧A・B トレンチにおける S-1 に沿う岩盤上面の段差で
北東側が高まっていることと調和的である。
一方、S-1 の南東部に位置する駐車場南東方トレンチ及びえん
堤左岸トレンチでは、S-1 は、少なくとも高位段丘Ⅰ面堆積物に
変位・変形を与えておらず、後期更新世以降には活動していない
と判断した。
以上のことから、S-1 の北西部については、後期更新世以降に
北東側隆起の逆断層活動により変位したと解釈するのが合理的と
判断する。

S-2・S-6 通過位置の海側(西側)の方が高く、山側(東側)が低
い傾向が認められる。No.2 トレンチでは S-2・S-6 に沿う明瞭な
変位は認められないが、MIS5e の海成堆積物中の層理面が山側
(東側)に向かって緩やかに傾斜している状況が認められた。
S-2・S-6 の運動方向の検討からは、S-2・S-6 が現在の広域応力
場によって動き得る断層であると考えられる。
以上を総合すると、S-2・S-6 は、後期更新世以降に、左横ずれ
成分を持つ西側隆起の逆断層として活動した可能性がある。この
際、S-2・S-6 の地下延長部の断層が活動し、地表付近の新第三系
及び上部更新統に変形を及ぼしたものと判断する。

(3)福浦断層の活動性
福浦断層は、大坪川ダム右岸トレンチの調査結果から、高位段
丘Ⅰb 面形成以降、9.5 万年前以前に断層活動があったと考えられ
ることから、後期更新世以降に活動した可能性があると判断する。

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国民を戦争に参加させるには

ナチスドイツの軍人(政治家) ゲーリングの言葉

普通の人間は戦争を望まないが、国民を戦争に参加させるのは簡単だ。国が攻撃にさらされてると国民を煽りなさい。平和主義者のことを、国に危機をもたらし、愛国心がないと公然と非難しなさい。

 

ナチスドイツの宣伝相ゲッペルスの言葉

「もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。」  (嘘も重ねると真実になる、という意味)

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反骨のジャーナリストの“遺言”

101歳で死去 反骨のジャーナリストむのたけじ氏の“遺言”

  • 2016年8月23日

安倍政権の危険性を糾弾していた(C)日刊ゲンダイ拡大する日刊ゲンダイより

戦時中、中国戦線やジャワ戦線の悲惨さを目撃し、戦後は反戦運動で活動──。むのたけじ氏(享年101歳)は最期まで反骨を貫いたジャーナリストだった。戦争を「狂い」と表現し、平和の大切さを訴え続けたむの氏を失うことは、安倍首相の下で保守化している現代の日本にとって大きな損失だ。

むの氏は1915年生まれ。東外大を卒業後、朝日新聞などで中国や南方戦線の従軍特派員を務めた。有名なのが敗戦時のけじめだ。1945年8月15日、「負けた戦争を『勝った』と言い続け、うそばかり書いていた。けじめをつけたい」と朝日を退社。郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発行し、「反戦」「反権力」を訴えてきた。

昨年11月、日刊ゲンダイのインタビュー欄にも登場。戦後70年を経て、平和憲法が大事だと思う日本人が育ってきたことを喜ぶ一方で、「それじゃあダメだというのが安倍首相で、米国と手をつなぎ、強国と一緒に発展していきたい。そのために、米国との軍事同盟を強くして、戦死者が出てもやむを得ないような体制に持っていこうとしている」と安倍政権の危険性を糾弾した。

また、敗戦とともに日本の国民と政府は戦争の締めくくりをするべきだったのに、それがなされていないとも主張。あの戦争を誰がいつ始めたのか、南京虐殺や従軍慰安婦など、戦場で何が起きていたのか。そして侵略した中国、韓国への償い。この3点の締めくくりがなされていないと批判した。

「ジャーナリストとして尊敬すべき人物でした」と言うのは政治評論家の森田実氏だ。

「戦争の本質を明らかにし、その惨劇を語ることで平和の尊さを次世代に伝えられるという信念を抱いた人でした。ご自身は退職できっちりけじめをつけたが、日本人は戦争責任を曖昧にしてきた。しかも現在、戦争を経験した世代は戦争の苦しみを痛感しているが、安倍首相を筆頭に戦争を知らない世代は戦争を甘美なものと捉える傾向がある。政治権力は国民を抑えつけようとしている。こうした実情への憤りと使命感が、長寿につながったのだと思われます。むの氏は日本民族にとって偉大な宝です」むの氏が語る戦争の実態は悲惨きわまりない。戦場は殺さなければ殺される二者択一の世界。人は兵士として戦地に派遣されると3日で理性を失い、「狂い」の中に放り込まれる。中国では兵士が婦女子を強姦し、中には襲われる前に刃物で自殺する女性もいた。戦後、復員兵士が戦争を語らなかったのは、こうした事実に遭遇したからでもあるという。

「戦後71年間、日本人は戦争の恐ろしさを忘れようとしています。だからこそ、むの氏のようなジャーナリストがいたことを語り継ぎ、戦争の問題点を検証しなければなりません」(政治評論家の山口朝雄氏)

前述の森田氏は「あと10年長生きして後進のジャーナリストを育てていただきたかった」と残念がる。言論界の巨星が日本人に語りかけたメッセージはあまりにも重い。

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中立・公平とは

阪南中央病院  副院長  村田三郎さん (水俣病の認定を棄却された方々のカルテを検証した医師)

科学的に「中立」だと思っていても患者にとっては「否定」になる。患者の目線に立ってこそ、医師は「中立」と言える。

20160823105825水俣病の認定棄却を検証した医師 村田三郎さん

キャスター岸井成格さん

政治家や官僚は大事なことをしゃべらない、隠す、場合によっては嘘をつく。

(政治権力は暴走する)それにブレーキをかけるのが、ジャーナリズムの『公平・公正』だ。それを忘れたらジャーナリズムではない。本当のことを知らせ、国民の知る権利に答える、これを公平という。

「これは政治権力とメディアの戦争だ!」 田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、金平茂紀氏、岸井成格氏、青木理氏、大谷昭宏氏らテレビ関係者が高市総務相「停波」発言に怒りの抗議会見!

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「戦争法の廃止を求める2000万人統一署名」(最終集約)

  単位/ 筆

2016/7/29現在
単産・単組名 単組報告分 現物 合  計 備  考
石川県平和C計 25,607 0 25,607
地区平和C計 6,102 516 6,618
市民・勤労協・政党計 2,068 136 2,204
合  計 33,777 652 34,429
目   標 88,000 実績 34,429
八団体合計 93525
 石川県平和Cの内訳 単組 25,607
横・組織・個人 8,822

戦争法に反対し、署名していただいたすべての人に感謝いたします。

 m(_ _)m

引き続き、戦争及び戦争準備に反対し、「戦争する国づくり」と憲法改悪の企みを阻止するため、全力で取り組みましょう。

 

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沖縄・高江報告(上伊那地区労)

20160818144931沖縄・高江報告(上伊那地区労)

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8.5~8 写真で見る沖縄・高江現地の闘い

IMG_8213N1裏ゲートへ続く農道を埋める参加者たちIMG_8222

現地闘争本部を先導する山城博治沖縄県平和センター議長

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がんばる、福島瑞穂参議院議員

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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をもじった「安倍ニモマケズ」

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明日、8.7早朝5時に行動開始を確認し、気勢を上げる集会参加者

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闘う!高江現地闘争本部?のテント内

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反戦詩

「君死にたまふことなかれ」全文を以下に掲載する。

「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ すめらみことは戦ひに おほみずから出でまさね かたみに人の血を流し 獣の道で死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは おほみこころのふかければ もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに 君死にたまふことなかれ すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは なげきの中にいたましく わが子を召され、家を守り 安しときける大御代も 母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を 君わするるや、思へるや 十月も添はで 別れたる 少女ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ」

 

 

真珠湾攻撃を指揮した淵田美津雄氏の言葉(アメリカ人を憎む己自身を乗り越えた人)

「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む、憎悪は戦争を生む」

ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ 憎しみを越えて~|NHKスペシャル

 

憎しみの連鎖は真珠湾から始まった

1941年12月7日、ハワイは日曜日の朝でした。2年前にヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていましたが、中立を保つアメリカにはまだ対岸の火事でした。ラジオからはフットボールの中継が流れていました。

「25ヤードラインへ。激しくヒットして27ヤードラインあたりへ。ここで放送を中断しワシントンから臨時ニュースをお伝えします。ホワイトハウスは日本が真珠湾を攻撃したと発表しました。これはジョークではありません。現実の戦争です」(実際のラジオ音声)

日本軍による奇襲でした。

 

日本本土初空襲 米爆撃手 憎しみの告白

2300人以上の命を奪った真珠湾攻撃。復讐の炎をたぎらせていた若き兵士がいました。アメリカ陸軍航空隊のジェイコブ・ディシェイザーです。ディシェイザーは報復作戦に志願しました。日本本土への初めての空襲です。ディシェイザーには爆弾を投下する爆撃手の任務が与えられました。

日本まで1200km。片道分の燃料しか積んでいません。爆撃後は同じ陣営の中国で救出してもらうという命懸けの作戦でした。ディシェイザーが向かったのは名古屋でした。戦闘機の工場やガスの貯蔵タンクなどに300発近くの焼夷弾を投下しました。そして民間人にも機関銃を向けました。軍の指令にはなかった攻撃です。軍需工場の工員5人の命を奪いました。民間人にまで攻撃を向けたこのときの心情をこう記しています。

「小さな黒煙が見えた。あの煙の臭いは我が機に向かって発射された高射砲の火薬の臭いだった。撃たれると撃ち返したくなる。我がアメリカに対する卑劣な攻撃の報いを日本にとことん思い知らせてやる」(ディシェイザー 著述より)

しかし空襲後、80人の乗組員のうち8人が日本軍に捕えられました。ディシェイザーもその一人でした。中国で不時着した場所が日本軍の占領地だったのです。上海で裁判が開かれ国民学校の児童を殺したなどの罪で3人が処刑されました。ディシェイザーなど、残りの5人は終身禁固刑となりました。収容所生活は過酷をきわめました。しらみのわく独房で食事はわずかな米とミミズの浮いたスープでした。尋問の時には激しい暴力もふるわれたと言います。ロバート・ハイトはディシェイザーの隣の独房でした。折れそうになる心を励まし合っていました。

「人として日本人は最低の部類に属する。これほどすさんだ環境に遭遇したことは人生で初めてだった。私は気が狂うほど日本人が憎くてならなかった」(ディシェイザー 著述より)

 

真珠湾 英雄の絶望

真珠湾の功績が認められた淵田は1943年、参謀に昇進していました。翌年には連合艦隊航空参謀にまでのぼりつめ悪化する戦局の打開策に没頭しました。

「基本的な目標はアメリカ人を殺して殺して殺すことだった。皆殺しにして最後までアメリカを苦しめることができるように」(淵田美津雄 証言記録より)

1945年8月15日、淵田は全てを失いました。終戦直後に淵田は公職を追放され、軍人恩給も止められ、一切の収入が絶たれました。敗戦の翌年、淵田は故郷の奈良に帰りました。周囲の目は一変していました。真珠湾の英雄から、国を破滅させた軍国主義者へ。手のひらを返したような態度に淵田は人付き合いを断ちました。妻の実家から譲り受けた土地に自分で家を建て、井戸を掘り自給自足の生活を送りました。

「敗戦とともに日本国民の怨嗟はかつての軍人に向けられた。職業軍人たちが戦いを好んで国を滅ぼしたとの非難であった。今、私を白眼視する日本人が憎くてならない。人を憎むものではないと頭ではわかっているのだけれど心ではどうにもならないのであった」(淵田美津雄 著述より)

 

憎しみから救った日本人看守の心遣い

1948年、アメリカから一人の宣教師が来日しました。日本軍にとらえられていたディシェイザーです。3年前まで、日本人に底知れない憎しみを抱いていたディシェイザーがなぜ日本に戻ってきたのでしょうか。

日本軍に捕えられて1年半が経ち、南京で収容されていた時のことでした。仲間の一人が赤痢で亡くなり、形ばかりの葬儀をすることになりました。その時、青田という日本人看守の一人がこっそりディシェイザーに聖書を差し入れてくれました。ディシェイザーは戸惑いながら聖書を受け取りました。キリスト教徒の家に育ちましたが、聖書はほとんど読んだことはありませんでした。むさぼるように読みふけり、ある一説に大きく心を動かされたと言います。

「父よ、彼らを赦し給へ。その為す所を知らざればなり」

「彼ら」とはキリストを磔にするローマ兵とユダヤ人のことです。残酷な仕打ちを加える日本人たちもまた自分たちが何をしているのか分かっていないのだ、ディシェイザーは反抗してばかりいた日本人看守への態度を変えてみようと思い立ちました。

「こんな日本人をどうやって愛せるんだ。ひどい本当にひどいやつだ。そんなやつを愛さなければならないのか。扉に近づいたら看守が来た。私はのぞき窓に顔を近づけて、おはようございますグッドモーニング サー、そう言ってにっこり笑った。すると看守はとても驚いていた。私は毎日そんなふうにおだやかに振るまった。すると6日目の朝に当番の看守がやって来て食事用の小窓からゆでたてのおいしいサツマイモを差し入れてくれた」(ディシェイザーの音声テープより)

収容所から解放されたディシェイザーはアメリカの大学で神学を学び宣教師になりました。当時、アメリカは日本の民主化の一貫としてキリスト教の布教を推し進め、3000人の聖職者を送りこんでいました。日本に到着したディシェイザーは真っ先に収容所で聖書を差し入れてくれた元看守・青田武次さんの行方を捜しました。捕虜と看守の再会はぎこちないながらも喜びにあふれたものとなりました。

ディシェイザーは自分が爆撃した名古屋に小さな教会を作り、全国各地を伝道してまわりました。日本人に抱いていた憎しみをどう赦しに変えることができたのか、体験を語り続けました。

 

真珠湾攻撃 元指揮官 突然の転身

一方、淵田は敗戦の失意から抜け出せないでいました。1949年12月、淵田のその後の人生を大きく変える出来事が起こりました。GHQの取り調べを受けるため、渋谷駅に降り立った時のことでした。アメリカ人がキリスト教布教のパンフレットを配っていました。淵田も差し出されるままに受け取りました。タイトルは「私は日本の捕虜でありました」あのディシェイザーが書いたものでした。そこには真珠湾攻撃に始まる日本人への激しい憎しみを断ちきった体験が書かれていました。自分もまた抑えきれない憎しみを抱えていた淵田はすぐに聖書を購入。農作業の合間に2ヶ月をかけて読みました。淵田は最も感銘を受けた一説を書き記しました。

「父よ、彼らを赦し給へ。その為す処を知らざればなり」

ディシェイザーが心動かされた言葉と同じでした。

「私はハッとした。彼らをお赦し下さいという彼らの中に自分も含まれている。私は軍人として戦争もまた正義の名において平和へ至る道だと心得ていた。私は自分の罪を自覚した」(淵田美津雄 著述より)

淵田はキリスト教徒となることを決意しました。淵田はすぐにディシェイザーのもとを訪ねました。ディシェイザーは真珠湾の指揮官がキリスト教徒となったことを祝福しました。そして淵田はディシェイザーが日本人への憎しみをどう断ちきったのか話に聞き入りました。

「捲土重来、臥薪嘗胆などと言っていた自分が恥ずかしかった。私は祖国を愛するあまり火のような敵がい心を抱いて戦ってきたが偏狭にして独善なものがなかったか。私は無知だった。それが悲劇を生んだのだ」(淵田美津雄 著述より)

 

憎しみ渦巻く米国へ 覚悟の旅

淵田はアメリカへ伝道の旅にでました。目的は真珠湾攻撃を申し訳なく思っている気持ちを伝えることと、無知が招く戦争を二度と起こさないために日本人を分かってもらい、またアメリカ人を知ることでした。淵田はアメリカ全土をまわりました。ほぼ休みなく1日に4つの講演をすることもざらでした。しかし、覚悟をしていた以上の憎しみの声が浴びせられました。「大量虐殺者」「茶番だ」「淵田を日本に帰せば空気がきれいになる」など。淵田は最も激しい憎悪が待つ場所にも飛び込みました。真珠湾攻撃で2300人以上の命を奪ったハワイです。覚悟を決め、どんな小さな教会でも訪ねました。教会ではさすがに罵声は発せられませんでしたが、多くの人が刺すような視線を浴びせました。

 

終わらない戦争 米伝道者の苦悩

1970年、ディシェイザーの一家に大きな出来事が起こりました。21歳になる次男のジョンさんがベトナム戦争に徴兵され味方であるアメリカ軍のまいた枯葉剤を浴びたのです。ジョンさんは糖尿病や静脈瘤を発症。66歳の今もアメリカ政府からの補償を受け続けています。伝道に忙しいディシェイザーには傷ついた帰還したジョンさんと十分に向き合える時間がありませんでした。ベトナム戦争について触れることも互いに避けていました。

この出来事以来、ディシェイザーの戦争への考え方は変わったと言います。1948年に来日してから平和を訴えてきたディシェイザーでしたが、実は戦争そのものを否定したことはありませんでした。太平洋戦争はアメリカの正義の戦争であり、世界に平和をもたらしたと考えていたからです。しかし、この頃から戦争自体に反対する考えを持つようになっていきました。しかし、アメリカとソビエトは互いの憎しみを世界各地の代理戦争でぶつけあっていました。戦争を止めることなどできるのか、平和を祈り続けることにどれだけ意味があるのか、ディシェイザーは苦悩していました。

 

真珠湾の元指揮官 苦しみの伝道

その頃、淵田は再び真珠湾攻撃の指揮官として脚光を浴びることになりました。真珠湾攻撃を描いた日米合作の大作映画「トラ・トラ・トラ」が公開されたからです。この映画の中で淵田は実名で登場。この人物が今、敬虔なキリスト教徒になっていると淵田にはインタビューの依頼が殺到しました。淵田は苦しんでいました。人々にどれだけ憎しみを断ちきろうと訴えていても、アメリカ人が関心を持つのは真珠湾のことでした。

元GHQの歴史課長だったゴードン・プランゲは淵田と興味深い研究対象と考え、伝道に同行するなどしてリポートを作成しました。

「注意してお読みください。私の発見によって伝道者淵田のイメージは悪くなるかもしれません。淵田はキリストの信念に真剣に向き合う立派な人間ですが、同時に葛藤を抱える複雑な人物であることがわかりました。淵田は話を飾り立てる傾向があります。彼は何度も自分の語っていることはすべて真実だと言いますが、私がそれを確かめようとするとひどく嫌がります」(プランゲ「淵田リポート」より)

プランゲは淵田の話には事実と異なるものが含まれていると報告しています。例えば、淵田が自叙伝に残したある伝道集会でのエピソードです。

「一人の中年夫人が12歳くらいの男の子の手を引いて来た。『私の夫は戦艦アリゾナの砲台長でありました。あなたが真珠湾を爆撃した時、私の夫は永遠に消え、その時この子が産まれました。どうぞこの子のために祈ってやってください』それから10年ほど過ぎ、ある集会で陸軍士官学校の学生の一人が私に声をかけてきた。『私は祈っていただいたあの時の少年ですよ』この子は私の集会があると知って応援に駆け付けた次第であった」(淵田美津雄 自叙伝より)

プランゲと共に淵田の研究をしたピッツバーグ大学名誉教授のドナルド・ゴールドスタインは、淵田からこのエピソードを聞き感動し、この少年を探しだそうとしました。しかし、真珠湾の戦死者や陸軍士官学校の名簿を探りましたが該当者は見つかりませんでした。淵田はなぜこのような話しを語ったのでしょうか?淵田は人々に向け感動的なエピソードを作ることで自分の平和へのメッセージに耳を傾けてもらおうとしたのではないかとゴールドスタイン教授は考えています。

1967年、淵田の15年に渡るアメリカ伝道の旅は終わりました。行った講演は2000回。帰国した淵田は64歳になっていました。

 

憎しみの連鎖を断つ ふたりのラストメッセージ

1975年、淵田とディシェイザーは久しぶりに再会しました。アメリカのキリスト教団体が二人の対談番組を企画したのです。共に憎しみの連鎖を断ち切るという使命を自らに課し、格闘した二人はまさに同志でした。しかし、このとき淵田の体調は悪く、じっくり言葉を交わすことはできませんでした。これが二人が会った最後となりました。

半年後、淵田は亡くなりました。73歳でした。葬儀はキリスト式で行われましたが、棺は軍艦旗で包まれました。ディシェイザーも葬儀に参列していました。人目もはばからず号泣していたと言います。

「私は心から泣きました。淵田とは天国でまた会えると思います。淵田と私は兄弟ですから」(ディシェイザー)

淵田が亡くなった翌年、ディシェイザーは29年間伝道を続けた日本を離れ、アメリカに帰国しました。重度のパーキンソン病に苦しみながらも、なお説教台に立ち続けました。911のテロも目撃しました。正義の戦争を始めるアメリカでひたすら平和と愛を訴え続けました。「次の説教はいつかね?」と家族に訊ねながら、95年の生涯を終えました。

淵田の娘・美彌子さんはアメリカ人と結婚し、カリフォルニアで家族を築いています。美彌子さんが海兵隊員のアメリカ人と結婚したいと言い出した時、母親や親戚が反対するなか父親だけは賛成してくれました。国籍を越えて家族となることには特別な意味があると考えていたのです。

「父は『いろんな国が混ざれば混ざるほどいい。お互いをもっとよく理解することができるようになる』と言っていました」(美彌子さん)

亡くなる直前まで淵田は伝道で繰り返していたある言葉を周囲に語っていたと言います。

「無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む。そして憎悪こそ人類相克の悲劇を生む。無知から生まれる憎しみの連鎖を断ち切らねばならぬ。これこそ『ノーモア・パールハーバー』の道である」

 

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第53回大会(護憲大会)参加の呼びかけ

憲法理念の実現をめざす

2016年8月 2日

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戦後社会の基本原則を変えようとする安倍晋三首相は、選挙公約ではごくごく小さく憲法改正に触れていたものの、「選挙で争点とすることは必ずしも必要はない」と述べ、街頭演説においても憲法改正に触れることはありませんでした。「アベノミクスのエンジンを最大限に吹かす」、「この道を。力強く、前へ。」と、経済政策を前面に押し出して選挙戦を闘いました。野党4党は、一人区すべてに統一候補を立て善戦しましたが及ばず、改憲勢力は、改憲に前向きといわれる議員も含めて参議院議員の3分の2を確保したとされています。衆議院を含め、改憲の発議の条件が固まりつつあります。

世論調査によれば、憲法改正の議論が深まっていないとする回答が62%(朝日新聞、7月4日)となっています。2007年からNHKが実施してきた世論調査では、「憲法改正が必要」との意見が「必要ない」を上回ってきましたが、2016年5月の調査では、「必要ない」が31%で「必要」との意見の27%を上回りました。朝日新聞も55%対37%、共同通信も56.5%対33.4%と、「憲法改正は必要ない」との意見が上回っています。毎日新聞社が東日本大震災で被害を受けた岩手・宮城・福島3県の42自治体に「緊急事態条項は必要と感じるか」と尋ねた調査では、必要と感じたと回答した自治体はわずか1自治体でした。世論は、改憲を必要としていません。

安倍首相は参議院選挙後、「自民党案をベースにしながら、どう3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術と言ってよい」と発言し、衆参両院の憲法審査会で発議可能な項目を、選択することを示唆しています。しかし、どこに憲法を改正する必要があるのか、どのような理由から何を変えるのか、全く明らかになっていません。

安倍首相は、2013年の参議院選挙、2014年の衆議院選挙を、アベノミクスで闘いながら特定秘密保護法や日本版NSC、そして安全保障関連法(戦争法)を成立させました。第一次安倍内閣が、教育基本法改悪、防衛庁の省昇格法、そして国民投票法を制定してきたことを考えると、その意図は明らかです。「戦後レジームからの脱却」という安倍首相の基本姿勢は、数の力を以って着々と進められてきました。平和と民主主義、基本的人権の尊重という日本国憲法の基本姿勢を、安倍首相は根底から覆そうとしています。

東日本大震災、福島原発事故、熊本震災、多くの災害が日本社会を襲いました。震災のがれきの中からの復興は、多くの人々に我慢と自己犠牲を強いてきました。デフレ脱却をめざすとした大規模な金融緩和策は、格差と貧困を増大させ、非正規労働者の比率は40%を超え、子どもの貧困率は16.3%、沖縄県では実に39%に達しています。命をないがしろにする政策が進んでいます。

「戦後の社会は、明るかった」との大江健三郎さんの言葉は、戦争に明け暮れ多くの犠牲を国内外に払ったアジア・太平洋戦争の時代から、日本国憲法の時代への国民の思いを象徴しています。1945年8月15日、私たちは敗戦の中から、何を紡ぎ、何を生み出したかをしっかりと見つめ直さなくてはなりません。戦後70年、私たちはどこへ向かわなくてはならないのか。子どもたちの未来に、今に生きる私たちの責任を果たさなくてはなりません。

私たちは、11月12日から14日、憲法理念の実現をめざす第53回大会を富山県富山市で開催します。戦後社会の最大の危機に際し、一人ひとりの命に寄り添い、平和と民主主義を守り抜こうとする多くの仲間に、参加を呼びかけます。

2016年8月2日
憲法理念の実現をめざす第53回大会実行委員会
カテゴリー: トピックス, 人権, 住民の暮らしに直結する課題, 全国・中央・北信越, 護憲・憲法改悪反対・教育・歴史, 護憲・憲法改悪反対 | 第53回大会(護憲大会)参加の呼びかけ はコメントを受け付けていません