ユーチューブ
石川県平和運動センターは労働組合とPEACEネット会員で構成し、議員、市民団体などと連携する反戦・平和団体です。1989.9県評センター2000.9連帯労組会議を経て誕生 平和憲法を活かし反戦・平和 反核 脱原発 環境 教育 人権などを取組む。信条の一つに「信頼は専制の親である」:国民が政府を信頼すると専制政治を生み出してしまう、「猜疑心こそが民主主義国家を作る」がある。画像は改憲に反対する集会 米軍B1爆撃機と共に「核威嚇」する空自小松の戦闘機 「戦争法」成立により「参戦」準備を進め「先制攻撃」体制を強化している。絵は抽象画 熊谷守一氏の紫陽花、蟻・・、辺野古、友禅作家志田弘子さんの母と子・・。団結して平和人権環境を破壊する政権を倒し平和で自由な世界を創ろう!
ホワイトハウスは30日夜に発表した声明で「イエーツ氏は米国市民を守るための合法的な命令(大統領令)の執行を拒否することで司法省を裏切った」と非難した。また、オバマ前政権で任命されたイエーツ氏が不法移民の問題に「非常に弱い」態度を取っているとの認識を示した。
イエーツ氏は2015年、オバマ前政権下で司法副長官に就任し、今月20日の新政権発足に伴い、トランプ氏の求めで長官代行に就いていた。

私達「日本会議」は、前身団体である「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」とが統合し、平成9年5月30日に設立された全国に草の根ネットワークをもつ国民運動団体です。
私達の国民運動は、これまでに、明治・大正・昭和の元号法制化の実現、昭和天皇御在位60年や今上陛下の御即位などの皇室のご慶事をお祝いする奉祝運 動、教育の正常化や歴史教科書の編纂事業、終戦50年に際しての戦没者追悼行事やアジア共生の祭典の開催、自衛隊PKO活動への支援、伝統に基づく国家理 念を提唱した新憲法の提唱など、30有余年にわたり正しい日本の進路を求めて力強い国民運動を全国において展開してきました。
今日、日本は、混迷する政治、荒廃する教育、欠落する危機管理など多くの問題を抱え、前途多難な時を迎えています。私達「日本会議」は、美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくりを」を合言葉に、提言し行動します。
また、私達の新しい国民運動に呼応して、国会においては超党派による「日本会議国会議員懇談会」が設立されています。私達は、美しい日本の再建をめざし、国会議員の皆さんとともに全国津々浦々で草の根国民運動を展開します。皆様のご声援をよろしくお願いします。
設立宣言
我が国は、古より多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。
また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある。
加うるに、冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時 代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、 亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。
我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に頁献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する。ここに二十有余年の活動の成果を継承し、有志同胞の情熱と力を結集して広汎な国民運動に邁進することを宣言する。
平成9年5月30日 日本会議設立大会
我々「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」は、設立以来20有余年にわたり、戦後失われようとしている健全な国民精神を恢弘し、うるわしい歴史と伝統にもとづく国づくりのため相提携して広汎な国民運動を展開してきた。
なかでも、全国の有志とともに運動を展開した元号法制化実現をはじめ、御在位60年や御即位などの皇室敬慕の奉祝運動、歴史教科書の編纂事業や終戦50年に際しての戦没者への追悼事業や昭和史検証事業、さらには、伝統に基づく国家理念を構想した新憲法制定の提唱など、これらは戦後日本の再建を願ってきた 我らが国民運動の結晶である。
しかしながら、戦後50年を経た現在、国の内外を巡る諸情勢はますます厳しさを増すばかりである。外にあっては、冷戦の終結後、世界には多くの地域紛 争・民族紛争が勃発し、日本を取り巻く東アジアの諸情勢もますます緊迫している。南北の経済格差は増大し、地球環境の悪化は人類の生存にかかわる重大事と なっている。今や我が国は、世界からこれらの解決にむけて責任ある国際貢献を強く求められているのである。
ところが内にあっては、独立国家としての国民の気概は薄れ、国益をかえりみない党利党略の政治は、いっそう国民の政治不信を募らせている。一方、東京裁 判史観の蔓延は、諸外国への卑屈な謝罪外交を招き、次代を担う青少年の国への誇りと自信を喪失させている。世界有数の経済大国を誇った我が国も、かつての 崇高な倫理感が崩壊し、家族や教育の解体などの深刻な社会問題が生起し、国のあらゆる分野で衰退現象が現出しているのである。
かかる現状にかんがみ、我々の国民運動も、新たな時代を迎えて大きく飛躍すべき秋を迎えている。すなわち、ますます深刻化する我が国の危機的状況を打開 し、新世紀に生きる国家・国民の将来を展望する、新たな国づくり、人づくりをめざした広汎な国民運動の形成である。そのために我々は、いっそう国政や国民 思潮を動かすに足る組織力を強化し、国家基本問題に果敢に取り組む時局対応能力を向上させ、さらに我が国の良き伝統・文化を次代を担う青少年に伝える啓蒙 運動を強化することが求められているのである。
ここに、我々日本を守る会と日本を守る国民会議は、従来の国民運動の理念と成果を受け継ぎ、両組織を発展的に統合し、新たな時代に対応する国民運動を全国において展開せんとするものである。
願わくは、全国の心ある人々が我々の趣旨に賛同され、明日の祖国日本のためにともに献身されんことを。
平成9年5月30日
判決文 20170125【判決文】金沢市役所前広場「使用不許可違憲!」訴訟
2.アベノミクス失敗による税収減を赤字国債で賄う第3次補正予算案
第3次補正は「ロシア補正」になるとも言われていたが、日露首脳会談が期待外れに終わったことなどと相まって、自衛隊の増強に対し追加歳出がなされることとなった。
歳入面では、アベノミクスの失敗により、税収を下方修正するとともに、減収分を補うため赤字国債(特例公債)を追加発行することになった。安倍総理は「社会保障の充実に赤字国債を発行するのは無責任」とレッテルを貼っているが、赤字国債で税収不足を賄うことは許されるのか。安倍政権は、アベノミクスによる「税収増」を成果として強調してきたが、この間の法人税減税などと相まって、その税収増という「果実」は減ずることとなった。もはやアベノミクスによる「税収増」の期待は、剥がれ落ちたとしか言いようがない。
3.消費税依存の歳入
歳出規模97.45兆円の2017年度予算案における歳入は、配偶者控除の見直しなど「所得税改革」のかけ声もむなしく、所得税制の抜本改革はなされず、相変わらずの消費税依存となっている。また、アベノミクス失敗による税収の伸び悩みにより、「埋蔵金」を活用せざるを得なくなり、外為特会の運用益などを税外収入として活用することとした。その結果、2016年度当初より、新規国債発行額をわずかに減少させることに一応は成功はした。しかし、税収見通しの前提である「政府経済見通し」は、本年8月にアベノミクスの失敗を自ら認めたに等しい「未来への投資を実現する経済対策」と称する旧来型の大型公共事業の効果なども見込んでおり、それは事実上、効果が不透明な経済対策を通じた「景気回復による税収増」を演出し、財政再建を堅持している姿勢を印象付けようとの思惑が透けて見える。もはやアベノミクスでは「税収増」は期待できず、経済政策の転換、消費税依存税制からの脱却、さらには発効のメドがないTPP対策予算の執行停止などで財源を捻出すべきである。
さらに、2017年度予算では、改正特例公債法により、赤字国債を2020年度まで自動発行できる状況となっており、国会のチェックもなしに「防衛費等の膨張のために赤字国債を発行」するのは「無責任」である。
4.削減優先の社会保障
略
5.拡大を続ける防衛予算
2017年度予算の防衛関係費は前年度比710億円増(1.4%増)の5兆1251億円となり、過去最高を更新した。安倍政権の成立後5年連続の増額である。同時に決めた2016年度第三次補正予算の防衛省分1706億円を合計すると5兆2957億円となっており、苦しい財政事情の下で防衛予算を聖域化し防衛力の拡大をはかろうとする安倍政権の姿勢がいっそう明確になった。当初予算で比べると安倍政権前の2012年度の4兆7138億円から約9%の拡大である。
次期主力戦闘機F35機を6機・880億円、垂直離着陸輸送機オスプレイ4機・391億円、新型潜水艦の建造728億円、C-2輸送機3機・553億円、16式機動戦闘車33両・233億円、滞空型無人機グローバルホーク168億円など、戦争法による新たな任務を見据えた装備の導入、南西警備部隊の配置など島嶼防衛態勢の整備が急ピッチで進んでいる。
このペースが続けば2014年から18年の中期防衛力整備計画の枠(23兆9700億円+調達改革等による7000億円)を上回るのは必至であり、防衛費が際限なく膨張していくおそれが強い。
6.沖縄の民意を完全無視
普天間飛行場の名護市辺野古への移設や岩国飛行場への空母艦載機移駐等をすすめる費用として、米軍再編等関連経費2039億円が計上された。辺野古新基地建設など、米軍の求める基地再編をさらに強行する姿勢が表われている。沖縄県知事選挙や総選挙、県議会議員選挙などの結果が、県内への新基地建設反対の民意を明確に示す中で、問答無用で工事を進めるための予算は到底認められない。
在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)は前年の1933億円から1946億円に微増となった。別枠の米軍再編関係経費も同じ性質の予算が多く含まれ、米軍の肩代わりをするための予算全体が急増している。基地周辺対策経費(1220億円)や施設借料・補償経費等1363億円と合わせ基地対策等関連経費は4529億円に及んでいる。
米国のトランプ新政権がさらに日本の負担増を求めてくる可能性は高く、日米地位協定はもとより特別協定上の対象ともならない法的根拠のない支出がさらに拡大していく可能性がある。
沖縄縄振興予算は3150億円と前年度より200億円の減となった。とくに沖縄振興交付金は16年度の1613億円が1358億円に16%近く削減されており、辺野古の基地新設に関する政府と沖縄県の対立を背景にした、懲罰的な減額とも考えられる。そもそも沖縄振興予算は米軍基地受け入れの対価ではなく、沖縄の「特殊事情」を考慮して本土との格差是正や沖縄の自立的発展を目的とするものだ。安倍政権の露骨な基地と予算のリンク論は、これまでの沖縄振興制度を否定するものであり、到底認めることはできない。
セシウム値が急激に上昇? 東京湾のコイも福島原発沖のヒラメ以上に汚染されていた!
2017年01月23日 06時00分 週プレNEWS
旧江戸川と通じる新中川(江戸川区)で捕まえた体長70㎝ほどのコイ。身から50Bq/kgのセシウムが出てきたことに驚きが…
福島第一原発の事故で放出された放射性物質は、依然として首都圏に滞留しているのだろうか。それを知るために本誌は2016年秋、新中川の下流域で全長70㎝ほどのコイを捕獲して調査した。
■新中川のコイから、50Bq/kgのセシウムが…
旧江戸川と通じる新中川(江戸川区)の下流域で捕獲した全長約70cmのコイを、すり身にして放射能測定所のNAI(TI)シンチレーション検出器で測定したところ、50Bq/kgのセシウムを検出した。身を乾燥させれば水分が除去されてセシウムが濃縮されるため、さらに高い数値が出たはずだ。
単純比較はできないが、取材班が同じ時期に福島原発沖3㎞で釣り上げたヒラメから検出されたセシウムは2.1Bq/kgだったというのに…。
食品のセシウムの基準値は100Bq/kgだが、乳児用食品などは50Bq/kgとなっている。また、茨城県のように50Bq/kgを超えた魚介類は出荷を自粛する自治体もあるなかで、首都圏の魚からこの数値が検出されたことに取材班は驚きを隠せなかった。
放射線や水文学に詳しい長崎大学大学院の小川進教授によれば、「これまでの知見から、魚類では放射性物質の生態濃縮が100倍から1万倍の規模で起こることがわかっていて、大型で魚の生態系の上位に位置する魚は特にそれが顕著に現れる」のだという。
調査したコイは海水と淡水が混在する汽水域に生息していた。潮の満ち引きで流れが変わるこうした区域では放射性物質が海洋に流出せず、滞留しやすいことも関係していると推測できる。
■この年末年始にセシウム値が急上昇
コイではないが、汽水域に生息する魚で、成長すれば1mにもなる大型魚のスズキで気になることがある。
千葉県の銚子・九十九里沖で昨年12月から今年1月にかけて、県が調査したスズキのセシウム値が急激に上がっているのだ。さかのぼって昨年1月からのデータを見ると、不検出かせいぜい1Bq/kg程度だったのが、なぜか年末年始にかけて上昇を続け、今年1月12日に採取したものでは69Bq/kgを計測していた。
スズキは河川と外洋を回遊する魚。汚染の高い汽水域で被曝したのだろうか? 千葉県水産局漁業資源課の担当者も首をかしげる。
「スズキは以前からセシウムの値が出やすいので注意はしていました。他県ですが汽水域のクロダイで高い値が出る傾向があったので、同様に川で被曝している可能性はあります。ですが、汚染値が上がっているはっきりした原因はわかりません」
しかし、湖や沼も含めれば100Bq/kgを超える魚は何種類も検出されている。首都圏だけでも千葉・手賀沼のコイ、ギンブナ、モツゴ、利根川のウナギなどには依然として出荷規制がかかっているのが現状だ。
■モニタリングの継続が必要だ!
こうした放射能汚染と向き合いながら生活していくには、どうすればいいのだろうか。
沖縄琉球大学の古川雅英教授(物質地球科学)が言う。
「健康リスクを真剣に心配するほどの汚染値ではないが、それでも汚染された食品を食べすぎれば過剰な被曝をしてしまうのは事実です。それに50Bq/kgという通常ならありえない汚染値が魚から出たということは、さらに高濃度に汚染された魚がまだどこかにいるかもしれないということ。国や自治体はモニタリングを継続することが大切になるでしょう」
さらに取材班は、東京湾内と東京湾に流れる河川の合計24地点で放射能汚染を調査。その結果、なんと1000Bq/kgを越えるスポットが2地点もあったのだ!
※異常な濃度のセシウムが検出された2地点とは? なぜこのような事態になっているのか? 詳しくは発売中の週刊プレイボーイ6号「これが東京湾放射能汚染の実態だ!!」でお読みください。
(取材・文・撮影/桐島 瞬 取材協力/有賀 訓 伊藤周吾)
※取材班が捕獲した魚について、発売中の『週刊プレイボーイ』の同記事ではスズキとしていますが、コイの間違いでした。記事の趣旨が変わるものではありませんが、お詫びして訂正します。


ケースワーカーに黒いジャンパーは似合わない(写真:アフロ)
英文だから気付かれにくいと考えたのかも知れないが、エンブレムは「悪」の漢字に×印がつけてあるなど、かなり威圧的である。これで生活保護家庭を訪問していたという。彼らは「ゴーストバスターズ」ならぬ「不正受給バスターズ」気取りだったのではないか。ケースワーカーとは生活保護を求める人々の相談に乗り、自立を支援する仕事のはずだが。
ジャンパーを作ったのは07年、生活保護の支給を打ち切られた男性が市役所で暴れて職員たちを負傷させる事件がきっかけだった。どんな事件だったのか、当時の朝日新聞の記事をかいつまんで紹介する。
事件を起こしたのは無職の61歳の男性だ。市役所2階の窓口を訪れて、「生活保護を打ち切られた」「保護費を入れろ」と騒ぎ、応対した職員を杖で殴り、駆けつけた2人の職員にカッターナイフで切りつけた。杖で殴られた職員は軽い打撲、カッターナイフで切りつけられた職員は腹と手に軽いケガを負った。61歳の男性は傷害の疑いで現行犯逮捕されている。
生活保護が打ち切られたのは、この男性が最後に保護費を受け取ったあとに住所不定になり、受給要件を失ったためだ。市はこの男性に「住所がなくなると保護費の受給ができなくなる」と電話や面談で4回説明し、市でアパートを用意したが、指定の日に来ず連絡が取れなくなったという。それで生活保護費の廃止措置が取られた。
事件後、士気を高めるために当時の担当課長の発案でジャンパーを作るアイデアが出され、職員たちが自費で購入したという。デザインの意図は神奈川新聞の報道によると「自分たちの自尊心を高揚させ、疲労感や閉塞感を打破するための表現だった」という。
4回も説明してアパートまで用意したのに来ず、それで暴れてカッターで切りつけられるとは、市の職員の憤りは理解できる。しかしそれでもなお、このような士気の高め方は間違っている。また、このようなジャンパーを作成して着用して仕事に従事することは、自らの仕事を貶める行為だと考える。
そもそもこの男性は記事を読む限り、生活保護の不正受給を企む者というより、制度を理解していない、あるいは理解しようとせず暴力に訴えた粗暴犯である。このような人物が念頭にあるから「くず」という言葉が浮かんだのだろうが、たったひとりのおかしな人物と他の生活保護受給者を結びつける発想が理解できない。どこから来たのだろうか。
小田原市役所のHPでは生活保護についてこう説明している。
《生活保護の申請をされますと、銀行や郵便局、生命保険会社などに資産調査をさせていただくことになります》
《貴金属などあらゆる売却可能な資産は、売却して最低生活費に当てていただく場合があります》
《生活保護受給中は、原則的に自家用車の運転はできませんので処分を指導させていただくことがあります》
もし自分が困窮家庭が多いシングルマザーの女性だったとして、この文言を見てどう思うだろうか。子どもの学資保険も解約しなくはいけないのか、亡き夫の形見の指輪まで売り飛ばすことになるのか、子どもを病院につれていく車も失うことになるのか。「場合もあります」と例外があることもにおわせてはいるが、絶望の淵にいる人をさらに不安にさせる効果は大きいだろう。
研究者の試算によると、日本では生活保護制度を利用する権利のある人たちのうち、現に利用している人の率(捕捉率)は高めに見積もっても2割と言われている。8割の人が必要なのに利用できていない。一方で保護費総額のなかで不正受給額が占める割合は0.28%という(以上、日本弁護士連合会作成「知っていますか? 生活保護のこと」より)。
不正受給者を憎むあまり、本来は生活保護制度を利用してしかるべき人々を威嚇して遠ざけてしまうのは、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。
この文言は「生活保護」というコーナーに4つある項目のひとつ「生活保護制度について」にある。実はこの「生活保護制度について」はこのコーナーのトップに掲げられていたのだが、ジャンパー問題発覚後、「自立生活サポートセンター・もやい」の専務理事などを務める稲葉剛氏がそのおかしさをツイッターで指摘後、1月18日にコーナーのいちばん最後に変更している。
つまりそれまでは生活保護の受給を考えた市民が最初に読むべきページとして、小田原市役所はこの文言を掲げていたのである。ジャンバーを着たケースワーカーたちの生活保護受給者、ないしは申請者を潜在的な不正受給者とみなす姿勢は、市役所全体の姿勢から来ているのではないか。
他にも稲葉氏の指摘で市役所はこのコーナーの文言を書き換えるなどしている(経緯は稲葉氏のブログを見てほしい)。だがこの記事を書いている1月20日現在、もっとも大切なことが書かれていない。
それは生活保護が憲法25条で保障された国民の人権である、ということである。
生活保護制度について、小田原市のHPはこう説明する。
《生活保護とは、自分の資産や能力、様々な他の制度を活用して努力しても生活が出来ないとき、国が一定の基準に基づいて最低生活の維持に不足する分を支え、やがては自分の力で生活していけるよう手助けをする制度です。》
比較で横浜市の生活保護についてのコーナーをのぞいてみると、トップページの冒頭に、目立つように太字でこのように書かれている。
《私たちは、だれでも人間として生きる権利(生存権)を持っています。日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定め、この権利を具体的に実現するために作られたのが生活保護制度です。》
生活保護制度とは国の国民への「施し」や「お情け」ではなく、憲法で保障された人権を具現化するために作らねばならない制度なのであり、国民はその制度を利用する権利がある。小田原市にはその視点が決定的に欠けている。
憲法25条の生存権は、戦後焼け野原の中から立ち上がろうとする当時の日本人の願いが込められた条文である。
日本国憲法はGHQ案が「下書き」になっていることはよく知られているが、実はそこに25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言はない。
この趣旨の文言を憲法改正草案として初めて盛り込んだのは、戦後すぐに立ち上がった民間団体「憲法研究会」だった。1945(昭和20)年12月に彼らが公表した「憲法草案要綱」にこうある。
《一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス》
この条文を付け加えることを提唱したのは、経済学者の森戸辰男であった。ドイツのワイマール憲法に由来する。
しかし1946(昭和21)年2月13日に日本政府に手渡されたGHQ案でも、帝国議会に提出されたときの日本政府案にも、「健康で文化的な最低限度の生活」という文言はない。憲法改正を具体的に議論する芦田均を委員長とする通称・芦田小委員会で、8月1日、この点が議論になった。
森戸辰男は、社会党代議士として小委員会のメンバーでもあった。そこで「健康で文化的な」という文言を付け加えるよう主張し、挿入されることになったのである。
この議論の前の5月19日、皇居前で25万人が集結する「食糧メーデー」が開かれていた。食糧不足が日本を覆い、餓死者が出ていた時代である。そこで「日本国民は健康的で文化的な最低限度の権利を有する」とは、なんと心強い言葉だっただろうか。
日本国憲法が施行されて、最初に憲法25条の法的性格を分析したのは偉大な民法学者の我妻栄である。我妻は25条を「生存権的基本権」と呼び、
《現実の社会において、かかる利益を享受し得ない者に対して、国家が現実にこれを与えることに努力すべき積極的な責務を負託したのだと解さねばならない》
とした。生活保護制度が救貧政策による国家の「施し」ではなく、「国の責務」と明確にしたのである。
ケースワーカーとは本来的に生活困窮者の相談に乗り、自立を支援する仕事である。不安と絶望にある人々を勇気づけ、戦後この国が掲げた理想を受け継く立場だ。私が語ることは現実を見ない理想論だと思われるかもしれないが、憲法25条ができたときの方が現実はもっと悲惨である。目の前の現実が悲惨であればあるほど、理想と希望を人々は必要とする。小田原市のケースワーカーさん、いや全国のケースワーカーさん、あなたたちの仕事は人々に希望を届ける誇りある仕事なのだ。真っ黒いジャンパーなど、あなたたちには似合わない。
2017年
大丈夫か!ニッポン 現代日本を覆うファシズムの正体=特別寄稿
ノンフィクション作家・評論家、保阪正康 2017年1月1日 Texts by サンデー毎日
2015年3月、国会で三原じゅん子議員は「八紘一宇」を称揚し、16年10月に沖縄・高江では機動隊員がヘリパッド建設に反対する住民を「土人」と罵倒した。これらの事件が象徴する日本社会の劣化を「こころのファシズム」をキーワードに、保阪正康氏が分析する。
▼国会で皇国史観の宣言が堂々と行われた
▼「私は歴史に関心がない」という姿勢
▼インターネットにより虚像が実像化する社会
この社会は、少しずつ軸が揺らいでいるのではないだろうか。十年ほど前まではあからさまに語られることがなかった政治思想なるものが、堂々と立法府で表に出てくる。さらに現役の大臣が「土人」という語に差別はないと言い出したり、それが批判されてもどこ吹く風と取り消す様子がない。立法府は討論の場ではなく、法案の通過機関に成り下がっているようなのだ。
女子大で教鞭(きょうべん)をとっている五十代の教員が、「虫も殺さぬような十九歳、二十歳の女子学生が、尖閣諸島を武力で守れと何のこだわりもなく言ってのける。世の中の空気が変わってきたね」と嘆くのである。私自身、たまたま乗ったタクシーの中年運転手から、「日本は中国や北朝鮮に対抗するために核武装すべきだ」とか「自衛隊の底力を見せるべきだ」などと真顔で言うのを聞いて、社会の底流にファシズムに通じる心理が流れているとの感を受けたほどだった。
こうした現象がすべて立法府のレベルの低い討論に端を発していると断言するつもりはないが、私はある女性議員の「日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」との発言に絶句したことがある。議事録によれば、平成二十七(二〇一五)年三月十六日の参議院予算委員会である。ここでこの議員は、
「今日、皆様方のお手元には資料を配布させていただいておりますが、改めて御紹介をさせていただきたいと思います。これ、昭和十三年に書かれた『建國』という書物でございます」
と前置きしたうえで、「八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である」と礼賛するのである。この議員は、たぶん得意げにこの「八紘一宇」を皆さんにお知らせするとの意気ごみがあったのだろう。しかしその理解たるや一知半解そのものであった。この考えについて答弁を求められた麻生太郎財務相の答弁内容もひどい。今でも宮崎県に行くと八紘一宇の塔があるとか、千五百年以上も前から同じ場所で同じ言語を話しているのは日本だけ、といった具合なのである。
「柔らかなファシズム」が進行している
立法府では皇国史観の宣言が堂々と行われていたのである。たぶん同時代の感覚ではわからないのだが、歴史のスタンスではこの国はかつての戦争の思想となった「八紘一宇」を公然と容認した記念すべき日として、この日が記憶されるであろう。私は近刊の拙著(『ナショナリズムの昭和』)をまとめるために、この期(昭和十年代初め)の『国体の本義』『青少年学徒に賜りたる勅語』をはじめとして天皇神格化を説くイデオローグたちの空虚な書の分析を試みたが、この議員や麻生大臣の答弁は、まるで昭和十三年ごろの議会と同じ構図なのである。
この期のイデオローグのひとり、橋本欣五郎(A級戦犯)は、その著書『第二の開闢(かいびゃく)』の中で、世界を救う思想は、「惟(おも)フニ八紘一宇ノ顕現ヲ国是トスル我国ハ、即時其本然ノ発揮ニ依リ」、日本がその役を担わなければならないとした。太平洋戦争が始まっての緒戦で戦果を上げた日本軍、それを指揮する大本営参謀たちはこの思想をもとにドイツとの世界分割を考えて、そのための具体案(「帝国領土として総督府を設置する地方」)まで想定していたのである。
八紘一宇を説くならこうした負の役割を検証するべきで、それが行われていないなら戦争の思想を復権させて悦にいっていると評されても仕方ないであろう。
私たちが今生活しているこの時代空間について、あえて私は目に見えない形での「柔らかなファシズム」「こころのファシズム」が進行していると考える。まったく新しい形の国家主義史観によって支配されつつあるといっていいように思う。そこにはさしあたり四つの特徴がある。
(一)歴史への無自覚な対応
(二)異形、アンバランスな思考感覚
(三)虚像が実像化する社会
(四)討論、議論欠如の社会と人間関係
(一)の歴史への無自覚というのは、前述のような立法府での皇国史観の宣言といった時代錯誤の状態を指している。そして(二)は、社会全体が奇妙な異形を描いているとの意味である。前述の現職大臣の「土人」発言は、太平洋戦争下で日本軍の将兵が、東南アジアへの侵出を進めていったときに、現地の人びとを平気で「土人」呼ばわりした史実を無視している。こんな事実は戦争の実態を調べればすぐにわかることだ。
日本語のその意味を知った現地の人びとが激怒し、しだいに「日本はかつての宗主国だったイギリス、オランダなどよりひどい」といって抗日闘争に転じた例は決して少なくない。この大臣が、土人は差別的ではないと断言したことは、「私は歴史に関心がない(あるいは知らない)」との姿勢と一体である。私たちはそのことを批判するのではなく、こういう歴史に無神経な人物が沖縄担当の大臣であるということを理解すればいい。つまり政治の劣化が進んでいるとの裏づけだ。
この異形な姿というのは、前述したように人間的には穏和なのに、ネットでの一方的、扇動的な情報をもとに「いざとなれば戦争ででも相手をやっつけろ」といった短絡的発想に結びついていく。そこには情念に支配される人間があり、そしてあまりにも貧困な戦争観がある。戦争というのは、国家を背負った兵士たちが果てしなく殺りくを繰り返すことにある。そのような想像力がまったく欠如している。こういう欠如の原因はどこにあるのか。私はむろんネット情報で簡単に動かされる主体性なき人たちの責任は大きいと思うが、もう半面で、巧妙に没個性を要求していく社会のシステムの責任がより問われるべきであろう。
小学校から高校までの学校教育は、つまるところ自主的・主体的意識の向上を行っていない点にあるということだろう。
「災害史観」ともいうべき歴史観
前述の(三)になるのだが、現在の社会は虚像が実像化され、実像が虚像化されている。どういうことか。これは私自身のことになるが、インターネットで私の来歴などが書かれている。ところが訪ねたこともない地が誕生地になっている。小学校時代のエピソードが書かれているが、これはまったくのでたらめ。どうしてこんなことが書かれるのか、定かには知らない。私はインターネットに関心はない。だから日ごろこんなことは、すべて担当編集者が教えてくれる。
この話を他人にすると、ほとんどの者がでたらめを書かれているらしいとわかる。訂正を申し出るのも大変なのだそうである。私自身は訂正する気もないので、でたらめを書かれても気にしない。しかし、私の友人は仙台出身で早稲田大を卒業しているのに、インターネットで勝手に東北大卒業にされ、あまつさえ今度は学歴詐称だとこれまた勝手に書かれていると怒っていた。
講演などで主催者が、このインターネットの略歴を紹介するのに驚かされるが、なんと杜撰(ずさん)なの人たちかとの判断材料に用いている。私は、こういう主催者の依頼には二度とこたえない。今の社会は、虚像が実像化し、実像が虚像化しているというのはこういう事態を指しているのだ。人びとは虚像を信じ、これはおかしいなと思っても実像を調べるには情報公開の手続きは面倒であり、虚像が独り歩きしている社会である。気の弱い人は実像を虚像に合わせて生きていくことになりかねない。
インターネット時代、つまり二十一世紀の人間関係は虚像をもとにした虚構空間の人間のふれあいになる。人びとは今後はより仮面をかぶった状態で生きていくことになるのだろう。
柔らかなファシズムの(四)は討論や議論を忌避する感情が一般化している。スマホやケータイによる人間関係が常態化し、目を見て、表情を確かめながらの人間関係は極端に少なくなっている。そのことは何を物語るか。相手に対しての感情が無機質化するということだろう。これは現在の社会全体で加速度的に進んでいる。あえて一例とするが、安倍首相はトランプ氏がアメリカ大統領に当選するとすぐに駆けつけ、朝貢外交ならぬ媚態(びたい)を示す。プーチン大統領との会談では何の収穫もなく、温泉に入って語り合うなどは実現していない。この首相は、外遊に赴いて各国の首脳と話し合うが、しかし誰とも親しい関係にはなれない。
心底から討論をしていない、あるいは表面上の会談に終始しているからではないか。
昭和十六年四月に、当時の松岡洋右外相はヒットラーやスターリンと会談を行い、松岡自身、まるで国際社会を動かすような大物と自負して日本に戻った。しかしそう思っていたのは本人だけで、歴史的にはヒットラーやスターリンにいいように手玉にとられたというべきであった。安倍首相の姿に松岡外相の姿が重ね合わされるのは、その自負がいずれの国にも認められていなかったためであろう。
こうした社会変化の様子を見ていくと、私たちの現在は幾つかの原因が重なってつくられていることに気づく。私は、政治家の劣化や討論、議論の欠如は、平成六年の小選挙区比例代表並立制実施に端を発していることに因を求めるべきだと思う。小選挙区制と比例代表制を結合させたこの選挙制度は、結果的に新しい形のファシズムの温床になったのだ。
政治的緊張感の欠如は、比例代表制を導入することにより、明白な形になった。しかもこの選挙制度は日本人の政治の成熟度がかなり高いという前提で進められ、そしてこの制度導入に反対する人々は、一様に「守旧派」として謗(そし)られた。ファシズム的空気の中でつくられた制度だったのである。しかもこの制度の導入によって政党は複数の意見を有する組織でなく、そのときの党指導者によって、実に簡単に政党支配が容易になったのだ。
そしてあえて挙げれば、この国は「災害史観」ともいうべき歴史観を内部に常に抱えていた。思い起こせばわかることだが、大正十二年の関東大震災は、当時の社会には二つの特徴があることを裏づけた。ひとつは形のあるものは崩壊する、あるいは現実はあっさりと解体するという現実だった。田山花袋をはじめとする多くの作家たちは、そのような無常を綴(つづ)っている。こうした心理が人びとの心理の底に沈殿したのである。
もうひとつは、情報閉鎖空間の中に根拠のない噂(うわさ)話を投げ入れると、その空間はたちまちのうちに異常空間となり、暴行、殺りくを平気で働くようになる。このときの虐殺事件がそうした事実を物語っている。
私のいう災害史観は、この二つの特徴を引きずって大正末期から昭和への時代空間へと突き進んだ史実を評してのことだ。エログロナンセンス、さらには自殺ブーム、そして満州事変以後の戦争、その中での虐殺事件などは災害史観の結果と考えられるのではないか。
この暴力的なファシズムは、つまり戦争と重なった。
底流に流れている不安・虚無
今、私たちの社会は平成七年の阪神淡路大震災、そして平成二十三年の3・11災害を体験して、大正時代の災害史観を乗り越えたといえるだろうか。むろん情報閉鎖集団ではないから、根拠のない噂が撒(ま)かれても暴力、殺りく事件などは起こらない。しかし福島県からの被災者が大都市圏に移り住んで、そこで心ないいじめに遭っているケースが幾つも報じられている。なかには小学校の教師が、○○君と呼ばずに○○菌と呼んで生徒の気持ちを傷つけているとの報道もされている。
私たちの社会の中に災害史観からくる恐怖、あるいは不安・虚無が底流に流れているのではないか。それが政治や社会風潮にそのまま反映しているといえるように思う。私の指摘する「柔らかなファシズム」という意味はそのような現実を指している。そこに共通しているのは事実を正面から見据えるのではなく、事実から目をそらして私たちの歴史の過去に逃げたり、面倒と思われることは避けたいという姿勢ではないか。現実から目をそらして虚構に満足する、本質を求めての討論を避ける、それがこの社会を誤った方向に進めていくように思う。
柔らかなファシズムは、過去の生硬な暴力を伴ったファシズムと異なり、私たちの心理そのもののありように根ざしているだけに、今後どのような形になるのか、とくに二〇一七年にはどう推移していくのか。政治をはじめ他の分野も社会の空洞化、融解現象をさらに加速させるのは間違いないだろう。(サンデー毎日2017年1月8・15日合併号から)
民進、社民、共産、自由など各政党は、安倍政権のからめ捕り「論点整理」に注意しなければなりません。
20170111124439改憲論議促進へ 論点整理 項目絞り込み 緊急事態条項 環境権 9条への自衛隊明記 参院合区解消 衆院解散権の制限 教育の無償化 憲法裁判所設置 統治機構改革 (北国新聞より)