教育勅語の「どこが悪い」、道徳を教えることが「なぜ悪いのか」

戦前の教育勅語の「どこが悪い」、道徳・徳目を教えることがなぜ悪いのか

それは、それぞれ「天皇の臣民としての生き方」を示したものだからです。徳目の一つ一つを個別に取り上げても意味がありません。天皇に命を捧げるために、夫婦仲良く、友を大切にせよ、としているのです。

論理性も道徳性もない「アメリカ・ファースト」にひれ伏し、朝貢外交をしている国粋主義者、軍国主義者の安倍首相が言っているからでもあります。日本会議や右翼などが主張しているからでもあります。その主張は、72年前の1945年に総破産を遂げ、「無条件降伏」してしまった国家を支えた思想なのです。その意味で「歴史上の亡霊」とも言えます。

文科省(官僚)は違法の天下りをし、他者を踏みつけ、甘い蜜を吸ってきた。そして電力資本に頭を垂れ、猛毒プルトニウムを使ったもんじゅを進め、失敗したときには嘘でかばい、1兆数千億もの血税をどぶに捨て、廃炉にしたのです。こんな方々が、道徳の教科化を声高に叫んでいるのです。

ものもんじゅは、廃炉に向けてもこれからまだ数千億円を消耗します。教育予算に回せばどれだけ子どもたちが助かることでしょうか。このような方々に「人を大切にし、親を大切にし、社会のために働け」と言われたくない。だから反対しているのです。

道徳の必要性は、学力偏重の社会、社会への貢献度が人間と軽重の尺度ともなっている現代社会の根本矛盾を問うものと一体でなければなりません。そうしないと、単に「この社会」を支える道具となってしまいます。

安倍首相なら、「御国のために死ぬ覚悟」を持つ社会人を育てること、これを貢献というでしょう。かってがそうでした。教育勅語で「滅私奉公」を謳い、大東亜共栄圏を夢想した戦争犯罪人の指示の元、アジアへ侵略する兵士となったこと。その指導者にいかに多くの教育者がいたことか。
この総括を抜きにした道徳とは、おぞましいことに、またぞろ「国家の臣民」の教えとなり、戦争に協力する人々を大量に生み出すだけとなるにちがいありません。

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