辺野古・大浦湾 海上保安官の「狂気」の先に見えるもの 2017.3.9にも

辺野古・大浦湾の今。海上保安官の「狂気」の向こうに見えるものは、何!?

2015年6月14日 14:00 2017.3.9にも衝突発生  (日刊ゲンダイより)

渡瀬 夏彦(わたせ なつひこ)

ノンフィクションライター 1959年埼玉県生まれ。高校3年のときに「与那国島サトウキビ刈り援農隊」に参加して以来、約28年間沖縄通いを続け、2006年に移住。『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』で講談社ノンフィクション賞とJRA馬事文化賞を受賞。他の著書に『修羅の華 辰吉丈一郎がゆく』(講談社)、共著書に『誰が日本を支配するのか!? 沖縄と国家統合』(マガジンハウス)など。普天間問題からスポーツ(琉球ゴールデンキングス、琉球コラソン、FC琉球、高校野球、ボクシング等)まで、幅広いジャンルで雑誌、新聞等にドキュメントやコラムを執筆。関心は、脱基地、脱原発から、沖縄文化、自然、芸術・芸能・音楽、スポーツまで多岐にわたり、Facebook、Twitterやブログ「渡瀬夏彦の沖縄チムワサワサ~日記」(http://watanatsu.ti-da.net/)でも情報発信。現在、沖縄を舞台にした複数のノンフィクション作品を構想中。「沖縄戦・精神保健研究会」会員。

少し遡って書きたい。

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抗議船でもみ合う市民と海上保安庁の職員=4月29日、名護市辺野古沖

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海保の追跡で転覆した抗議船=4月28日午前11時30分、名護市の大浦湾

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初会談する翁長雄志知事(右)と菅義偉官房長官=4月5日午前、

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抗議船でもみ合う市民と海上保安庁の職員=4月29日、名護市辺野古沖

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海保の追跡で転覆した抗議船=4月28日午前11時30分、名護市の大浦湾

 

4月28日、辺野古新基地建設に抗議する市民グループのボート(定員6名)が、海の安全を守るべき海上保安官によって、意図的に転覆させられたとしか言えないような、「重大事件」が起きた。

皮肉にも、サンフランシスコ講和条約によって沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」に、海上保安官たちが沖縄県民の逆鱗に触れる「事件」を引き起こしたのである。 その転覆事件の起きた日、たまたまわたしは美しく優雅な「帆かけサバニ」を漕ぐチームの一員に加えてもらい、大浦湾の海上パレードに参加していた。それは、いつものように抗議行動に参加しているというよりも、むしろ清々しい海風を頬に受けつつ自然に抱かれる心地よさを味わった、と言えるようなアクションであり、時間となった。

つまり予想外の心地よさを堪能できた日だっただけに、なおさらこの「事故」とは言い難い出来事には、動揺を覚えた。

あれから1カ月半の時が過ぎた。

5月7日、転覆させられた抗議船船長の弁護団が那覇地方検察庁に告訴状を提出し、記者会見も行われた。告訴された海上保安官の容疑は「艦船転覆罪」である。

この「犯罪行為」をわたしたち市民が正確に把握するために最も貢献したのは、じつはNHK沖縄が撮影した「証拠映像」であった。

ここにその映像のURLを貼り付けたいと思ったのだが、NHKのホームページで探そうとして、どんなに検索ワードを駆使しても、転覆事件当日のニュースも告訴を伝えるニュースも、さっぱり見当たらない。WEB上で辛うじて見つけたアドレスは、これである。

テキストだけ読めば、バランスを崩した「不慮の事故」のように受け取られかねないが、映像は正直である(念のため記せば、動画サイトで検索すると、今もNHKのニュース映像は非公式な形で見ることはできる)。

複数の海上保安官が乗り込んだために定員オーバーになった抗議船が左へ大きく傾いたところへ、1人の海上保安官が泳いで船に近づき、わざわざ船の左舷後方に這い上がるようにして体重をかけて、意図的に転覆させようとしている。そう断言できるシーンがしっかり映っているのだ。

その上、右舷側の海保GB(複合型ゴムボートの略。ゴムのコーティングはされているが、ふかふかした感触のいわゆるゴムボートとは違って、船体の大半は強化プラスチックでできた堅牢な高速艇だ)の上には、転覆を手伝っているかのような動きをする2人の海上保安官の姿もはっきり見て取れる。

わたしは映像を見ながらこう呟いていた。「これは正気の沙汰じゃない」

検察はじめ裁判の関係者は、このNHKの映像や被害者側が撮影した動画を証拠としてきちんと分析して、立件し、毅然とした裁きをしてほしいものである。

つまりは、この海保による「転覆」は、誰が見ても明らかに犯罪だとわかる事件なのだ。

けれども、何がなんでも新基地建設をゴリ押ししたい右派勢力からは、こんな声も聞こえてくる。「いや、あれはそもそも制限区域に入った抗議船がいけない。抗議船の違法な行動を海保が制止しようとして起きた、やむを得ない事故だ」と。

あげ句の果てに5月20日、海上保安庁の佐藤雄二長官自身が記者会見で「私の知る限りでは、現場の対応というのは非常に冷静かつ丁寧にやっている。現地での報道ぶりが非常に事実関係より、誇張されている部分があると感じている」(5月21日付本紙社会面)と言い出す始末。どの報道のどの部分が誇張なのかさえ明らかにしない物言いは許しがたい。

海上保安庁のトップの言う「私の知る限り」には、おそらくNHKニュースの「証拠映像」は入っていないのであろう。もしもそれを見ていてこんな暴言を吐くのなら、確信犯的な暴力集団のボスと言わざるを得ない。

案の定、この海保トップの「事実歪曲の暴言」は、辺野古・大浦湾の現場の海上保安官の横暴に拍車をかけてしまった。

5月22日付の本紙は、非暴力抵抗のカヌーチームの女性に対しての暴力的な過剰警備の様子を大きく報じている。「落とせ」の号令のもと、カヌーを転覆させ、非常に手荒な拘束の仕方をしたことが明らかになった。海上保安官の放った「あなたたちは一般市民ではない」という暴言も記されている。ちなみに、一般市民ではないとされた20代の女性は、日々普通に仕事をしながら、時間を見つけてはカヌーチームに参加しているわたしの友人である。名誉棄損に当たる暴言には、心の底からの怒りを禁じえない。友人によれば、制限区域内の作業船に対して抗議行動中の彼女のカヌーを、海に飛び込んだ海上保安官がすでに拘束していたにもかかわらず、GBの班長が船上から「落とせ」の命令が発せられ、そのあと、傍にいた海上保安官にライフジャケットを掴まれ海に引きずり落とされた、とのことであった。

号令をかけた班長は、これよりも前の別の日には自ら海に飛び込み、カヌーチームの別の女性を確保しているのだが、その際には、女性の頭を三度も水面下に沈ませて海水を飲ませた「罪」が指摘されているいわくつきの人物だ(この「被害者」にもわたしは直接話を聞いている)。

これに止まらず、海保の「犯罪的行為」は続いている。

6月4日の午後、21歳の男性がボーリング調査再開に抗議して制限区域内を泳いでスパット台船を目指していた。その生身の人間に対して、なんと海保は、GBの船体を衝突させたのだ。

6月8日、那覇市の第11管区海上保安本部前で「基地の県内移設に反対する県民会議」が、海保の度重なる暴力を糾弾する抗議集会を開いた。この被害者の男性は、その場で次のような報告のスピーチをした。

「スパット台船に向かって泳いでいるわたしに突然、海保の船(GB)の先端がぶつかってきました。船はゴムボートと呼ばれてはいますが、船体は鋭利です。船底は固い強化プラスチックでできています。わたしは死んだ(死ぬかもしれないの意)と思いました。わたしを見ていた仲間たちも、そう思ったそうです。海保は、船底の中ほどまで乗り上げるような形で、わたしを轢きました。でもなんとか自力で、船の下から脱出することができました」

彼は路上で自動車に轢かれたのに等しい恐怖を味わったのに違いなかった。だからこういう表現になったのだ。彼は救急車で搬送され、顔面打撲、海水誤飲などで3日間加療を要するという診断を受けた。

彼は、恐怖心を乗り越えて集会の2日後に海に出るようになったのだが、その場ではこうも付け加えていた。

「わたしが船に引き上げられたとき、海保はこう言ってきました。『あまりスピード出てないから、大丈夫だろう』と。その後、仲間たちがわたしに衝突したGBに謝罪を求めて抗議をしてくれましたが、未だに海保からは一切謝罪の言葉はありません」いったい、海保の暴力はどこまで、エスカレートしていくのか。なぜこんなことが許されているのか。

やむにやまれず普通の市民が、丸腰でカヌーを漕いで、あるいは海を泳いで抗議せざるを得ないような状況に追い込んでいるのは、いったい誰なのかを、海上保安庁の諸君は一度、虚心坦懐に考えてみるがいい。

自分たちの行為が、尋常ではないこと、「狂気」を孕んでいることに気付くべきである。

海保がエスカレートさせる暴力的警備の意味するところを考えるために、さらに遡って話をしよう。

周知の通り、翁長雄志知事は4月5日、那覇市のホテルで菅義偉官房長官と、4月17日には首相官邸で安倍晋三首相と会談した。

その会談内容を知って、やはり正義は沖縄側にある、と勇気づけられた県民は多いに違いない。

では、これを伝えるテレビニュースを見た全国の視聴者はどう感じただろうか。
これまでは、例えばNHKの全国ニュースにおいては、知事との会談から逃げ続けておきながら「法治国家なのだから、前知事から承認を得たのだから、なんの問題もない。粛々と(辺野古新基地建設を)進める」との詭弁を繰り返す官房長官の言い分ばかりを垂れ流してきた感は否めないわけだが、会談が実現した以上、翁長知事の筋の通った主張を、電波に乗せないわけにはいかなくなった。するとどうだろう。これまで「沖縄の基地問題は難しくてよくわからない」と言っていた東京在住のわたしの友人からもこんな声が聴こえてくるようになった。

「官房長官や首相よりも、沖縄県知事の発言のほうが、ずっと説得力があるね。辺野古の海を埋め立てて基地を造るのが普天間問題の唯一の解決策だ、なんて理屈は、だいぶ疑わしくなってきたね」

ようやく国策の理不尽さに気づき始めたようなのだ。

それが証拠に毎日新聞が4月18日、19日に実施した世論調査では、政府の対応に反対する人が53%と過半数を超えた。沖縄ではあらゆる世論調査で常に7割前後の人(沖縄テレビと琉球新報の最新の調査では8割)が辺野古新基地建設に反対の意思を明確に表明しているのと比べると、まだまだ少ないが、少なくとも以前とは風向きが変わってきている。

いずれにせよ、辺野古新基地建設など絶対に許すわけにはいかない、という沖縄の民意の正しさは、ここに来てますます明白になり、国内外に伝わり始めている。

菅官房長官、安倍首相と続けて会談し、沖縄の民意を的確な表現でわかりやすく伝えた翁長知事の貢献度は、とても大きいと評価すべきだろう。

例えば東京新聞は4月18日付の社説で「翁長・首相会談 沖縄の声、米に伝えよ」という見出しを掲げ、こう踏み込んでいる。

<首相に必要なことは、県民の理解を得て辺野古「移設」を強行することではなく、辺野古「移設」の困難さを認め、政府の責任で代替策を検討することだ>

朝日新聞は同日付の「安倍・翁長会談 まだ『対話』とは言えぬ」と題された社説で、安倍政権のこれまでの対応を厳しく批判し、こう結論付けた。

<政権が本気で「粛々」路線から「対話」路線へとかじを切るというのなら、ボーリング調査をまず中断すべきだ。そうでなければ対話にならない>

ヤマト(日本本土)のジャーナリズムのなかにも、まともな沖縄支援の論調が増えてきているのである。

わたしは昨年8月11日以来、幾度となく市民グループの抗議船に乗せてもらってきており、時にはカヌーチームの臨時メンバーに加わって海へ出て「体験取材」をすることもあったわけだが、その経験から強調できるのは、首相官邸主導の「県民弾圧」の道具として、海上保安官たちも都合よく利用されている、という紛れもない事実である。

海上保安官の株を上げたとされる映画「海猿」シリーズを未だに一度も鑑賞していないので申し訳ないのだが、昨夏以来の、辺野古・大浦湾における海上保安官たちの振る舞いを知ったなら、おそらくは映画に感動した人も、心底がっかりさせられるのではないだろうか。

それぐらい、辺野古・大浦湾における海上保安官の言動は酷い。

わたしが直接「被害者」の市民から証言を得た「海保の狂気」を感じさせる事例だけでも、さらにいくつかここに挙げておこう。

3月10日、海保の現場指揮船に相当する特殊警備救難艇「あるたいる」(全長10メート、5トン)が、抗議の市民2人が乗る小さなゴムボートに背後から激突するという事故を起こしている。翌日の辺野古ゲート前集会で、「あるたいる」の船体(舳先)をその肩にぶつけられた男性は、「Yというリーダーは、市民の弾圧のために手荒な真似をしてもいいと考えている男で、許せません。明らかに僕らのボートのエンジンを壊しにきていると感じました」と、そのリーダーの実名を挙げて非難していた。

3月31日、報道陣のために用意された市民船に乗せてもらったとき目撃した光景は異様だった。

ある一隻の市民船が、執拗に海保GBに追い掛け回され、3度も海上保安官に乗り込まれて操船の自由を奪われ、沖合まで連れていかれていた。港に戻ってから船長に話を聞いた。この日不当拘束を繰り返された船長は、それ以前に海上保安官によって親指に全治3週間以上の怪我を負わされ、告訴している人だ。その船長に向かって、乗り込んできた海上保安官は「また怪我するぞっ」と言い放ったというのだ。

それだけではなかった。海上保安官の暴言に抗議する船長に対して、例の指揮船のリーダーYが近づき、「黙れ、告訴人っ」と罵ったというのである。

開いた口が塞がらぬ、とはこのことである。

4月にも、海上保安官が海上で抗議を続ける市民に対して、「出て行け、犯罪者」と暴言を吐き(4月15日)、翌日には市民に対して謝罪をする、というお粗末な出来事があったばかりだ。

最後に、冒頭に問題にした「転覆事件」のボートに乗っていた被害者の声をお届けしたい。

転覆させられたあと、海水を飲まされ、救急車で運ばれた男性は、わたしの取材に対して「とにかく海猿が怖かったです。こらぁーっ、○○っと自分の名前を叫びながら襲い掛かってきて、羽交い絞めにされて、海水に何度も頭を沈められました。一瞬で意識が遠のいてしまいました」と語っている。

同じく転覆した船から投げ出された青年も、「海上保安官の狂気を感じて恐ろしかった」と証言している。

「僕らが、○○さんの安否が気になって尋ねたところ、指揮船のリーダーYが、『死んだかもしれない』と吐き捨てたかと思うと、続けて『死んだかどうかわかったら連絡する』と言うんです。この海に基地を造らせたくなくて何かをしなくてはならないという気持ちで、一生懸命抗議行動をしている僕らの気持ちを、この人たちは踏みつぶしても平気なんだ、命を危険に晒しても平気なんだということが伝わってきました。彼らの背後にある権力そのものが恐ろしくなりました。狂っていると思いました」

多数の県民の意思を踏みにじって続けられようとする不当な新基地建設現場を守り、市民・県民・全国からの支援者に牙を剥く「国家公務員ガードマン」としての姿には、怒りを通り越して哀れさえ感じるほどである。

一方、こんな声があることも、あえて紹介しておきたい。

「落とせ」の号令のもとカヌーから海中に引きずり落とされ、「一般市民ではない」と言われた20代の女性の言葉である。

「冷静に見ると、非常に暴力的な海上保安官は、全体の2割程度かな、と思います。皆が皆、乱暴者というわけではありません。でも、一部の保安官は、まるでネット右翼が洗脳されているように、わたしたちのことを乱暴に扱っても構わない、と信じ込まされているように感じます」

頷ける発言だ。取材者であり抗議者の一人であるという立場で、昨夏から折に触れて辺野古・大浦湾の海に出続けているわたしも、これまでいろんなタイプの海上保安官に会っている。

わたしの乗る抗議船にGBを横付けして拘束しつつ、「俺だって(この警備のやり方について)個人的な意見はあるよ。言えないだけで」と苦笑いしつつ語りかけてくれた海上保安官もいた。彼はウチナーンチュだった。こちらのウチナーンチュの船長と親しく会話している姿には、救われる思いがした。

わたしたちの本当の敵は、大浦湾で対峙している一人ひとりの海上保安官などではないのである。彼らを沖縄県民と対峙させ、民意圧殺のために働かせようとしている「官邸主導の強権政治」なのだ。

今回は言及するスペースはないけれども、辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前で県警機動隊員やガードマンと抗議の市民が対峙させられている光景を見ても、同様のことが言えるはずである。

5月26日、菅官房長官は記者会見で、翁長知事が「埋め立て承認の取り消し」をしたとしても、工事は続行すると表明した。「辺野古を断念すれば、普天間飛行場の固定化を容認することにほかならない」とまで強調した。

翁長知事がこれに対して「脅しをかけてきた」と猛烈に反発したのも無理はない。民主主義を完全否定する独裁者的なこの発言に、多くの県民が憤りを禁じ得なかったはずである。

5月28日の未明、すなわち翁長雄志県知事や稲嶺進名護市長ら、米国に「新基地建設反対」の民意を伝える訪米団が那覇空港から飛び立った翌日だが、政府(防衛相沖縄防衛局)は、ボーリング調査のための作業台船を大浦湾に再投入した。沖縄の民意に対する侮辱的な挑発行為である。

翁長知事をはじめとする訪米団が、ハワイからワシントンDCへと移動した後の6月2日には、海底ボーリング調査の掘削作業を再開した。

梅雨が明けた大浦湾では、今日も明日も「粛々と」新基地建設工事作業が強行され、海上保安庁の「海猿」たちが、過剰警備の暴力的任務に就かされている。

沖縄県民は、とっくに答えを出している。

もう絶対に新しい基地は造らせない。

普天間基地の撤去は当然。辺野古新基地など言語道断。

本来は命輝く美しい海、辺野古・大浦湾。そこで繰り広げられている愚かな光景に一刻も早く終止符を打つために、必要なことはなんだろう。

民意を無視し踏みつける安倍政権の暴走に、NO!の声をはっきりと突き付け、自ら動くこと。

それは、国土の0.6%に過ぎない沖縄に現在も約74%の在日米軍専用施設を押し付けて安穏としている全国の人びとの、重大な責任ではないだろうか。責任を感ずべき人びとの中には、もちろん、わたし自身も含まれている。

 

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