アピール・声明

譲れない命の尊厳!人権・戦争・沖縄-憲法

理念の実現をめざす第53回大会アピール

2016年11月14日

   日本国憲法が公布されてから70年が経過します。侵略戦争と植民地支配に明け暮れ、アジア諸国に多大な被害を与えながら、自らも沖縄戦や広島・長崎への原子爆弾投下に象徴される惨禍を経験し、敗戦に至った日本が、その代償として得たものが、日本国憲法です。日本国憲法の平和主義は、アジア・太平洋戦争で失われた尊い命の集積であり、戦後のアジア諸国への日本の破ることのできない約束なのです。私たちは、そのことを決して忘れてはなりません。

日本国憲法は、敗戦の混乱と米軍の駐留下のなかで制定されたが故に、その制定過程についてさまざまな誹謗を投げかけられてきました。しかし、憲法調査委員会(松本烝治委員長)が、市民社会の前提となるべき個人の自由と民主主義に基づいた憲法草案を作成できなかったことの結果として①戦争の放棄、②象徴天皇制、③封建制度の廃止というマッカーサー指令に基づく連合軍極東司令部(GHQ)の案文が採用され、その後日本政府により加筆・修正のうえ、成人男女が参加する初めての完全普通選挙の下での議会で圧倒的多数で可決された事実、自由に物言えず権力に怯えて暮らした戦時から解放された当時の日本社会から圧倒的賛意をもって受け入れられた事実は、決して消すことはできません。

私たちは、この護憲大会を開催しながら、50年以上にわたり、憲法理念の実現をめざして運動を展開してきました。憲法の公布から70年を迎えたいま、その理念を実現できたでしょうか。貧困と格差の拡大、「戦争法」の成立、沖縄の民意を無視した基地建設の強行、福島第一原発事故の現状と世論を無視した原発の再稼働強行、故郷を奪われた福島の被災者など、今の日本社会において、平和と民主主義、基本的人権の尊重という憲法理念は、何一つとして十分に実現できていません。私たちはいまなお、憲法理念の実現をめざすとりくみの途上にあることを、いま一度確認しあいましょう。

安倍政権は、天皇を元首とし、戦争をすることを前提とし、個人の権利が「国益と公の秩序」によって制限され、個人にも憲法尊重義務を課すという、「憲法改正草案」なるものを振りかざし、憲法の改正を提起しようとしています。しかし、憲法の何をどうするか、何が不足していて何が間違っているのか、具体的な議論はありません。自民党によって示された「憲法改正草案」は、およそ近代憲法と呼べるものではありません。何よりもそれは、戦争に明け暮れた時代へと逆戻りさせる内容であり、不戦の誓いを破り、一人ひとりの権利を抑圧し、物言えぬ時代に逆戻りさせようとするものです。このような憲法改悪の策動を、絶対に許してはなりません。

70年間、一度として改正されることのなかった憲法が、古色蒼然としたものであるかのような一部の主張は、あきらかに誤りです。日本国憲法の理念は揺らぐことなく、私たち一人ひとりの「不断の努力」によって、少しずつ輝きを増してきたのです。そして、この憲法理念を実現する営みは、多くの人びとによる、さらなる努力を必要とすることでしょう。現実に止まることなく、怯まず、諦めず、そして弛まず、信念をもって憲法理念の実現に向け、全力でとりくんでいかなくてはなりません。そのことを確認しつつ、私たちのたたかいをよりいっそう強化し、さらに発展させる決意をお互いに確認しつつ、53回目の大会を閉じていきます。

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国連総会第1委員会での「核兵器禁止条

約」の交渉開始決議案への反対に強く抗議

します

2016年10月28日

国連総会第1委員会での「核兵器禁止条約」の交渉開始決議案への反対に強く抗議します

国連総会第1委員会において、非核兵器保有国30ヵ国以上が提案した「核兵器を禁止しそれらの全面的廃棄に導くため『核兵器禁止条約』の早期締結をめざして2017 年から交渉を開始するという決議案」が採択されました。「決議案」は、「核兵器廃絶に向けた法規定を協議する国連総会の作業部会」の報告書を踏まえたもので、投票結果は賛成123、反対38、棄権16でした。原水爆禁止日本国民会議は、核軍縮に向けた確実な一歩であると決議採択を評価し、歓迎します。しかし、あろうことか日本は、「安全保障での核の役割」を主張し、米国など核保有国と同調して採択に反対しました。
この「決議案」の議論の当初から日本は、「核軍縮は、核保有国と非核保有国が協力し、段階的に進めるべき」として、核兵器保有国の立場に立って主張してきました。「決議案」に反対する日本は、世界で唯一の戦争被爆国であり、核兵器廃絶を主張しその非人道性を訴えながら、日米安全保障条約の下で米国の「核の傘」に依存する立場に立っています。非核兵器保有国の中で、人道的見地から早期の核兵器廃絶を求める声が高まる中、今回の反対により日本は被爆国としての存在意義を大きく損ねてしまいました。また「日本が提出した核廃絶を呼びかける決議こそが、核兵器のない世界の道筋を示していることを表している」と決議同士を対置させる日本政府の主張は、核兵器保有国と非核兵器保有国を分断するものです。
ウクライナ紛争や度重なる朝鮮民主主義人民共和国の核実験とミサイル発射実験など、核戦力を全面に据えての対立と緊張が強まっています。核に依存した安全保障からの脱却が、世界平和のために求められています。決議への反対は核の惨禍を経験し、そこから被爆者とともに核廃絶を呼びかけてきた日本に対する、世界各国の期待を大きく裏切るものです。核兵器国と立場を同じにしていては、核兵器国と非核兵器国との架け橋になることが出来ないことは明白です。
日本は、核兵器保有国に対して核兵器禁止条約早期締結に向けた交渉に参加するよう呼びかける立場に立つべきです。誤った侵略戦争と植民地支配の結果として核兵器の惨禍を経験し、多くの被爆者を生んだ事実から、日本は平和を考えていかなくてはなりません。
日本国憲法前文にあるように「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」ならば、日本が立つべき立場は明らかです。
原水爆禁止日本国民会議は、被爆者の皆さんと共に核兵器廃絶にとりくんできた立場として、日本政府が、この決議案に反対したことに強く抗議します。核に依存した安全保障からの脱却を目指す立場を確立し、「核兵器禁止条約」の早期締結をめざす交渉に参加し、核廃絶へ進むイニシアチブを取り、積極的な役割を果たすことを、強く求めます。

2016年10月28日

総会アピール(案)

 7月参院選で「改憲勢力」3分の2を制した安倍政権は、「戦力不保持・交戦権否認」を明記した現行憲法9条の破棄にむけて、ますます動きを活発化しています。

沖縄では選挙で示された民意を完全に無視し、東村・高江地区においては米軍のヘリパット建設に反対する地元の住民・労働者の抗議行動を本土から動員した機動隊を使って暴力と弾圧の限りを尽くして工事を強行しています。

ここ石川でも防衛省は、石川県沖に広がる「G空域」で新型ミサイル(SM3ブロック2A)の実射訓練を発表し、米韓合同演習と連動して、朝鮮半島をにらんでの日米合同訓練が活発化しています。安倍政権が安保法制=戦争法を施行した直後には、宮崎県の新田原基地から小松基地へのアグレッサー(仮想敵機)部隊が配備されました。日本全土で、このようにいつでも先制攻撃ができる戦争の準備が着々と進められているのです。

福島第一原発事故から6年を迎え、いまだ故郷に帰れぬ人が数万を数えます。事故原因も究明されず、誰も責任を取らないなか、昨年8月の川内原発、今年1月の高浜原発(但し、高浜3・4号機は裁判で運転差し止め)、8月には伊方原発(MOX燃料を使ったプルサーマル発電)が再稼動を強行しました。もんじゅは「廃炉」を隠れ蓑に新型高速炉で生き延びようとしています。北陸電力は、原子炉直下の断層を「活断層ではない」として志賀原発の再稼働を目論んでいます。私たちは全ての原発の再稼動を許すことはできません。

安倍政権の閣僚は、ほとんどが極右団体「日本会議」のメンバーで占められています。その影響は各地での教科書採択に現れています。侵略戦争を美化する国家観に基づく愛国心の強要は、子どもたちの未来に暗闇しかもたらしません。そして、自衛隊が白昼堂々と市内で武器を携えて行進することによって、生活の中に軍隊が入り込んでいます。11月には南スーダンに「駆け付け警護」を新たな任務とする部隊が「出兵」します。私たちは“いつか来た道”を絶対に繰り返すわけにいきません。

安倍政権は、9月26日から開催された臨時国会で憲法審査会を再開させ、「改憲」の国会発議に野党を巻き込みながら、「戦争をする国」づくりの総仕上げを狙っています。

社会全体が戦争に向けて、政治経済・教育が大きく変貌する中、私たちは危機感を持って、職場・地域から声をあげ、闘う戦線の拡大に全力を尽くします。以上を決意して総会アピールとします。

2016年9月28日

石川県平和運動センター第17回定期総会

高浜原発運転差し止め仮処分命令取り消し決定に関する事務局長見解

平和フォーラム

12月24日、福井地方裁判所(林潤裁判長)は、本年4月14日に関西電力高島原子力発電所3・4号機の運転差し止めを命じた同地裁の仮処分(樋口英明裁判長)を取り消す決定を行いました。本決定では、「新規性基準の内容や規制委員会の判断には不合理な点はない」とし、基準値振動についても「規制委員会の議論は専門的・技術的知見に基づき、中立公正な審査が担保され合理的である」としています。なぜ同地裁において、わずか8か月にも満たない中で、全く異なる判断が下されたのか、司法はしっかりとした説明責任を果たすべきです。

原子力規制委員会は、再三「安全審査ではない」「あくまでも新規制基準への適合審査である」と述べてきました。田中俊一規制委員会委員長は、「私は安全とは言わない」と表明しています。本決定では、原発再稼働に不合理な点はないとしながら、「想定を超える地震の可能性を否定できない」とし、「炉心溶融などの過酷事故への備えなくてはならない」としています。しかし、その備えがきわめて困難なのは福島原発事故の実態を見れば明らかです。放射性物質の飛散の方向と範囲の確定は、被ばくを防ぐ避難計画は、溶融した核燃料の処理はどうするのか、どれをとっても不確かであり安全が確保されているとは言えません。

本決定は、エネルギー問題を経済的側面のみを以て判断する中で、過酷事故の可能性を社会通念上無視しうる範囲としています。しかし、その可能性が現実となった場合に、周辺地域の広範囲にわたって放射性物質の汚染で人間生活が拒絶されることは、福島原発事故が証明しています。高浜原発の過酷事故では、関西地方住民の水源である琵琶湖の汚染の可能性が高く、きわめて深刻な事態の招来が予想されます。2014年5月21日に福井地裁(樋口英明裁判長)で出された大飯原発運転差止請求事件判決では、「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と断じています。

原発の再稼働の結果として、万が一の事故が将来したなら市民生活にどのような影響があるのか、そのことを合理的と考え得る範囲で回避できないのか、本決定は、そのことを真剣に考えたとは到底言えません。現在、九州電力管内を除いて原発は稼働していませんが、電力不足の話はありません。また、電力の高騰によって輸出産業が危機に陥っているという話も聞いていません。日本においても、太陽光発電や風力発電、地熱発電などの再生可能エネルギーの割合は拡大しています。火力発電や水力発電、また小水力発電やバイオマス発電などを組み合わせることで、合理的な範囲において脱原発社会を実現することは可能であり、結果として原発の過酷事故を回避できるこのようなとりくみが、日本の社会にとってきわめて有益な判断であることは論を俟ちません。

本決定が論拠とする社会通念は、福島原発事故以前の「原発の安全神話」に基づいたものです。事故以降の市民社会は圧倒的に脱原発を志向しており、その意味で本決定の内容は、現在をも見つめることのないきわめて無分別で無責任なものであるといえます。原発のリスクを社会的合理性の中に組み入れることはできません。福島原発事故とその後を見つめながら、日本の社会通念は、原発事故の可能性をみじんも許さないものとなっています。原水禁は、脱原発社会こそが、そのことへの不断の努力こそが、日本の将来を明るいものに変えていくと考え、圧倒的多数の市民とともに、脱原発社会実現へのとりくみを一層強化していきます。