復帰48年 5・15平和アピール(資料付き)

復帰48年 5・15平和アピール

 新型コロナウイルス感染症と向き合い、その拡大防止のため生活を犠牲にしながらたたかっている県民の皆さん、全国の皆さん、そして平和を愛するすべての世界の人々に敬意を表します。

 今日は43回目の平和行進のスタートを予定していましたが、私たちも新型コロナウイルス感染拡大防止のため、県民や参加者のいのちを優先し、先達が築いてきた平和行進を中止いたしました。同時に5・15平和とくらしを守る県民大会も中止をいたしました。県民大会の平和アピールにかえて、復帰48年目の5・15平和アピールを発信いたします。

 復帰48年目の沖縄は、安倍政権による暴政のひとつ、民意無視の辺野古新基地建設が強行されています。戦後75年を経た今日なお、巨大な米軍基地が横たわり、復帰前の米軍支配下と変わらず、陸も海も空も米軍優先がまかり通っています。昼夜問わず耐えがたい爆音が轟き、事件や事故は後を絶ちません。2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故が如実に示したとおり、沖縄にはいまだ憲法など存在しない、行政も立法も司法も、その全権は米軍にあるとでも言わんばかりの米軍の横暴がまかり通り、米軍支配が現在も続いていること、そして日本政府が無力なことをあらためて表しました。

 安倍首相は、「日本を取り戻す」とのキャッチコピーとは裏腹に、武器の爆買いにも象徴されるとおり、歴代首相では随一の米国一辺倒です。一方で、日米安保について歴代政権は、民主主義や人権など米国と共通の理念や価値観にたっているとしてきましたが、「米国ファースト」を掲げるトランプ政権の登場で今どうなっているのでしょうか。日米安保は本当に必要なのでしょうか。「核の傘」は必要なのでしょうか。

 1972年5月15日、沖縄は日本に復帰をしました。県民の願いであった基地の「即時・無条件・全面返還」は受け入れられず、ときの総理佐藤栄作が約束した「核抜き・本土並み」さえも反故にされたまま5年を迎えた1978年に平和行進はスタートしました。私たちは平和行進で「復帰の内実」を問うてきましたが、その内実は、辺野古への新基地建設や最新兵器を使用した軍事演習、宮古島、石垣島、与那国島にいたる米軍と一体となった自衛隊及び自衛隊基地の増強と、ますます「軍事の島」の要塞化が推し進められています。一方で沖縄の内実を問うことと同時に、本土参加者と共に本土の現実も問うてきました。沖縄から安保がよく見えると表現してきましたが、今では全国で安保がよく見えます。それほど憲法は危機的な状況になっています。

 私たちが復帰にめざしたものは、平和憲法下への復帰でした。そこには、基本的人権、国民主権、地方自治、なによりも軍備と戦争放棄が謳われています。今その憲法は、集団的自衛権の行使容認、安保法制、共謀罪など切り裂かれてきました。それでもまだ憲法は生きています。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう」に、沖縄から為政者に守らせなければなりません。

 平和センターが参加をしている広島、長崎を原点とした原水爆禁止国民会議は、かねてより北東アジアの非核化地帯構想及び非核法の制定を提唱しています。かつて核の島とも言われたこの沖縄からその運動を大きくつくっていくことを誓います。5・15平和行進は、九州全県を歩き、そして8月9日に長崎へタスキを渡す「非核平和行進」の出発でもあります。

 今日的な人類共通の敵が、新型コロナウイルスなど感染症とするならば、今人類がしなければならないことは、絶対に核軍拡ではありません。それこそグローバリゼーションで立ち向かわなければなりません。核も戦争もない21世紀でなければなりません。

平和行進も昨年まで42回を数え、復帰後世代がその運営を担うようになっています。歩くことで知る沖縄があります。新たな県民運動の展開も期待されます。

 復帰48年目に誓います。沖縄をアジアの軍事の要石から平和の要石へかえていくことを。それが県民の長年の希望であります。平和のための万国津梁の架け橋となることを。

2020年5月15日 5・15平和行進実行委員会/沖縄平和運動センター

<資料>

515平和行進地元紙clipping

 

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