(9/18)の北陸中日新聞(東京新聞)より
歴史家であり作家の保阪正康さんが発言。その一部を抜粋します。
安保保障関連法制が意味するのは、憲法の非軍事主義を軸にした日本の戦後民主主義が崩れつつあり、「準戦時体制」へと移行するということだ。
戦争が起きるまでには過程がある。十段階のまん中くらいに国交断絶があって、最後が武力衝突だ。それは国交で回避できるというのが、戦後の日本が選らんできた道だった。
それなのに、この法制を進めようとする人は、脅威を強調して、明日にも戦争が起こるようなことを言う。論理が逆立ちしている。多くの国民が反対するのは、そのおかしさを感じているからだ。
僕は国会審議を見ていたら、たった一つの結論に落ち着いた。司法、立法、行政の三権が独立して、民主主義の体制が維持されるのだが、行政つまり内閣が、他の二つを従属させようとしているんだね。それはファシズム(独裁)だ。
僕は延べ四千人の軍人などに取材してきた。特攻隊の七割は学徒兵や少年飛行兵。エリートではない庶民だった。かつての軍事主義主導体制は人間を序列化し、死の順番を決めた。
戦争の怖さは、今までと違う価値観の社会空間が生まれることだ。国家総動員法のよ うな法律が必要とされ、メディアも統制される。文科系学部で学ぶヒューマニズムやシェークスピアなんて役に立たない。軍に都合が良い人間が優先され、日常が壊されていく。
今回、安倍さんは国民に改憲の危険性を教え、改憲を遅めたと思う。民主主義がどれだけ根付いたかが試されている。いうなれば、準戦時体制に移行しようとする動きと、それを骨抜きにしようという新しいデモクラシーをつくるせめぎあいだ。
僕は後者に勝ってほしいと痛切に願っている。