石川県平和運動センター第2回定期総会

13:30 石川県平和運動センター第2回定期総会 労済会館

「石川県平和運動センター第2回定期総会」(2001/9/27、金沢市の労済会館で開催)

市民運動との連携強化などを柱とする向こう一年間の活動方針を決定するとともに、川淵代表、川口事務局長を柱とする新執行部を選出した。なお、総会では「航空機の突入によって崩れ去った世界貿易センタービルのように、今、憲法秩序が音をたてて崩壊しようとしている。かつての参勤交代をほうふつとさせる小泉首相のアメリカ訪問にも象徴されるように、自衛隊法の改正や周辺事態法の拡大解釈による集団的自衛権の行使、そして有事法制の制定などなど、まさにどさくさまぎれの中で長年の懸案を一気に解決したいという本音が見え見えである以上、私たちは断じてこれを容認するわけにはいかない」などとする総会宣言を採択した。

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小松航空祭の中止を求める記者会見

小松航空祭の中止を求める記者会見

「小松基地航空祭の中止を求める記者会見」(2000/9/13、小松市役所記者クラブ)

アメリカにおける同時多発テロ事件を受けて、従来のような形式的な申し入れでお茶を濁すわけにはいかないという認識のもと、急遽記者会見を開いて小松基地航空祭の中止を訴えた。
会見の要旨は「世界情勢が緊迫する中、祭などといって浮かれている場合ではない。自主的に(航空祭を)中止すべきである」というもの。 結果として、記者会見の翌日、「中央からの命令」によって航空祭を中止するとの発表がなされた。

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第21回戦争体験を語り継ぐ集い

第21回戦争体験を語り継ぐ集い 労済会館

「第21回戦争体験を語りつぐ集い」(2000/8/15、金沢市の労済会館で開催)

第21回戦争体験を語りつぐ集い 敗戦記念日である8月15日にこだわって今年も開催した。集会では内灘町に在住する本谷貞次さん(元満蒙開拓青少年義勇軍)が「青少年義勇軍として中国へ行き、見たものは」と題して記念講演し、「列車に乗る時、日本人は客車なのに中国人は荷物扱いであった。なぜ地元の人たちがこのような扱いを受けるのか子ども心にも疑問であった」、「過酷な労働で死んだ中国人を、それこそ丸太をひっくり返すようにして穴に投棄する光景をいやというほど目にした。死体を埋めるための穴はそれこそ無数にあった」などと当時の様子を証言するとともに、「戦争責任の所在を明確にしない限り、真の平和は訪れない」と主張した

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憲法改悪を許さない4.27集会 労済会館

講演タイトル「えひめ丸事件から憲法・安保問題を考える」
講師 前田哲男(東京国際大学教授、軍事評論家)

注.この講演録は、2001年4月27日に開催した「憲法改悪を許さない県民集会」における記念講演の内容を要約したものです。

「えひめ丸事件」の刑事処分不追及には納得できない

ご承知のとおり、「えひめ丸事件」に対する米海軍の採決が4月24日に行われました。
大方の予想通り「お構いなし」、本人の依願退職という形で決着が図られ、日本政府もそれを受け入れる姿勢を示しています。
ところが、この採決が行われた同じ日に自民党の総裁予備選挙が行われ、マスコミの関心は圧倒的にそちらの方へ行ってしまいました。結果としてまさにテレビジャックともいえる小泉フィーバーの状況が、あれだけの「えひめ丸事件」を隠してしまった。もっと言えば、日米安保の本質に迫ることができるような出来事であったにも関わらず、その事について考える大切な機会を奪ってしまったということができると思います。
なお、今日はレジメを準備しましたが、若干内容を変更し、はじめに小泉内閣における憲法と日米安保の位置付けを考え、途中、在日米軍基地・米軍のおごりとたるみを見る中で「えひめ丸」問題に触れ、そしてそれはどのような方向に私たちを導いていくことになるのか、それを阻止するために何が必要なのかという組み立てで話していきたいと思います。

小泉内閣はまぎれもない改憲志向内閣

改革断行内閣というスローガンを掲げて発足した小泉内閣ですが、実際は「改悪断行」であり、「改憲断行」を念頭に置いたものであることを見逃してはなりません。今のところ小泉さんの個人的な人気と、改革・脱派閥イメージが自民党政治の矛盾をうまく隠していますが、それは薄いバンドエイドのようなものであって、決して治療薬ではない。つまり、ただ単に視界をさえぎるものでしかなく、そのバンドエイドをめくれば自民党が本質的に持っているもの、そして日米安保がめざす方向性が小泉さんの手で、あるいは田中真紀子さんの手でより強力に進んでいくということをしっかりと見ておく必要があります。
ところで、新内閣の方向性、キーワードとして注目すべき熟語が二つ出てきました。一つは、集団的自衛権の行使に新しい方向性を示す。もう一つは、有事法制に積極的に取り組むという小泉さんの発言です。
先般、海南島沖で中国の戦闘機と米軍の偵察機による接触事故が発生しました。この事故を題材にして「集団的自衛権」というものを考えてみたいと思いますが、仮に両国が戦闘状態に突入した場合、ほぼ自動的に航空自衛隊、海上自衛隊が米軍の応援部隊としてそこに加わっていくというのが集団的自衛権の行使であります。まぁ、今のところそうした行動は違憲であり、行なえないという解釈がなされておりますが、いずれにせよ、集団的自衛権の行使というのは、日本が侵略される、日本が攻撃されるという事態ではなく、外国における事態、国外における戦争に日本が加わることだというふうにご理解いただきたいと思います。

「集団的自衛権」と「有事法制」はコインの裏表の関係

集団的自衛権の行使と有事法制はまさにコインの両面のような関係にあります。つまり、外国での戦闘を想定した場合、これまでと違う自衛隊の使い方をすることがその前提で、当然それに対応する軍事基盤、戦闘支援体制が必要になってくる。そして、それらを組織化するために従来にない法律、有事法制といわれるものが必要になるという関係です。
したがって、私たちはそういう事態、方向性が新内閣の誕生とともにより鮮明になってきた、内閣が掲げる課題として具体的に取り上げられてきたということにもっと注目しなければならない。薄いバンドエイドを透かして見る眼力を今のうちにしっかり獲得して本質を見なければならないということを強く訴えたいと思います。

アメリカからの強い圧力

では次に、なぜ日本が、あるいは自民党が集団的自衛権の行使、有事法制制定という反憲法的な方向に走らざるを得ないのか、その背景を見てみたいと思います。
もちろん、この背景を探るためにはいろんな分析が必要ですが、何と言っても一番大きな要因はアメリカからの圧力です。アメリカの戦争感が変わった、軍事戦略が変わった、そして世界戦略が変わった。それにもとづいて、従来はソ連を向き、反共の軍事同盟であったはずの日米安保条約が今や全世界を向き、地域紛争を抑圧し、地域紛争に介入するための形に変わったということです。
具体的にアメリカの戦略変更が現れはじめたのは95年からですが、97年にはそれが「ガイドライン」という形で結実し、さらにそれに対応する「周辺事態法」が国内法として制定される。そして、その延長線上に集団的自衛権の行使と有事法制の制定が準備されているという図式です。
特に、集団的自衛権の関係で言えば、日本の基地をベースにし、自衛隊をその一翼に加えたいというのがアメリカ側の本音であり、何度も言いますが、そのために日米安保を対ソ反共という性格から対地域紛争、オールラウンドの方向性を持つものに変えていく必要があるということです。

えひめ丸事件はたまたま起きた海難事故ではない

えひめ丸事故はハワイで発生した事故です。つまり、アメリカの領海内でありましたし、なおかつ日米共同訓練=安保協力の中で発生した事故ではありませんから、一見するとそれは不幸な一過性の出来事のように思われがちです。実際、日米両政府はそのように描き出すことによって、問題の沈静化を図ったわけであります。しかし、えひめ丸を実際に引き裂いたグリーンビルは日本にも入港したことがありますし、また、グリーンビルと同じロサンゼルス級の原子力潜水艦にいたっては週に1回のペースで横須賀佐世保、沖縄に入ってきています。つまり、本質的には横須賀沖であのような事故が起こったとしても何の不思議もないことですし、佐世保や沖縄で起こる可能性があったというふうに受け止める必要があると思います。
えひめ丸事故は緊急浮上訓練中に発生したわけですが、例えば神奈川県の相模湾で同様な訓練、しかも今回の場合と同じ「体験搭乗」付きの訓練を行っていたことが明らかにされています。相模湾には、ハワイ沖と同じような潜水艦のための訓練水域が設けられ、そこでアメリカの原子力潜水艦は緊急浮上訓練を含む様々な訓練を行い、そこに日本の民間人が招待されたことも何度かある。こうした事実をあらためて知りますと、遠いところでたまたま起こった不幸な事故として見るだけでは明らかに不足であるということがよくおわかりいただけると思います。

傲慢な在日米軍の行動

えひめ丸事件に前後して、大分県の日出生台演習場ではアメリカの海兵隊が日本の民間人に155ミリ榴弾砲の引き縄を引かせ、実際に大砲を発射させるという出来事が起こりました。仮にこうしたことが自衛隊基地の中で行われますと、それは銃砲・刀剣類等所持取締法違反になるわけですが、米軍であれば「米軍の公務中の行為」ということで何のおとがめもない。つまり、米軍基地では国内法が適用されないという実態があり、さらにはその国内法の中に「水先法米軍特例法」「関税法米軍特例法」「航空法米軍特例法」といった優遇的な法律が定められております。
例えば「航空法米軍特例法」によって、自衛隊であれば絶対に行うことができない低空飛行訓練が日常的に行われているという実態があります。島根県の桜江町という山奥の町ですが、そこではこの低空飛行訓練による衝撃波によって学校の窓ガラスが17枚割れるという出来事が実際に起きていますし、なかには自動車のリアウインドウが割れたというケースもあるくらいです。しかし、共通して言えることは実際に補償が行われるのはごく限られたケースでしかないということです。大抵のケースは因果関係を立証できない。物凄い音とともにやってきて、一瞬のうちに飛び去ってしまうわけですから、それが米軍機によって行われたということを証明するのは極めて困難です。そういうわけで、低空飛行訓練による被害の実態は実際どれくらいになるのかわかりませんし、低空飛行訓練自体、正規に定められた空域で行われているわけではありませんから、事故でも起きない限り、そこが低空飛行訓練のルートてあるということはなかなかつきとめられないのが実態です。
冷戦終了後の状況の中で、特に目立つようになったのが米軍艦船の民間港への寄港であります。日米安保条約にもとづく地位協定、基地提供取り決めにもとづいて、日本のどの港であろうとそこに艦船を乗り入れる権利を有していると米側は主張し、日本側もそれを支持しています。日本における米軍基地といえば、沖縄や厚木、横須賀、岩国、佐世保などであり、それ以外に米軍基地はないと考えておられる方が多いと思います。しかし、それは正確ではありません。日米地位協定によれば、日米で合意すれば日本のどこにでも基地を置くことができると書かれています。いわゆる全土基地方式といわれるものですが、これによって基地を増やすことも可能だし、性格を変えることだって出来る。例えば、小松基地は自衛隊の基地ですが、日米で合意すれば一瞬のうちに米軍基地になることが出来るということを是非知っておいていただきたいと思います。

新ガイドライン(97年)の本質

先ほども少し述べたように、97年に新ガイドラインが制定されました。新たな基地の提供、米軍による自衛隊基地の使用、そして民間空港・港湾施設の一時使用が主な三要素ですが、それに加えて政府および地方公共団体並びに民間の能力、つまり場所だけではなくて能力の活用をも日本は約束したわけです。
もともと地位協定によって、アメリカは全土基地方式という非常に特権的な権利を持っていたわけですが、この新ガイドラインによって、全土基地方式を文字通り全土に、しかも随意の時に適用する条件が整ったということです。実際、97年のガイドライン制定前後から、日本の民間港における米軍の親善訪問が活発になってきた。新ガイドライン交渉が進む中で、デモンストレーションのような、あるいは地慣らしのような形で民間港への訪問がはじまり、ガイドライン終了後には当然の権利として全国各地で行われています。
つまり、何を言いたいかといえば、固定的な在日米軍基地だけではなく、自衛隊基地があるところはもう自動的に米軍基地としての潜在的な性格を持っているということであり、港を持っているということは、そこにアメリカの軍艦が入ってきたとしても何の不思議もない。むしろ入ってくる権利があるんだということになってきたというのがガイドラインの枠組みであります。

周辺事態法(99年)の本質

次に周辺事態法の本質について考えてみたいと思いますが、一言でいえば前述したガイドラインを実現する、実行するための法律であるといえます。日本以外の場所で起きた戦闘行為に対して、「後方支援」という条件付きではあるが自衛隊が参加する。そして、そういった米軍および自衛隊の活動に対して、地方公共団体の長が、その有する権限の行使を国から要請された場合、それを引き受けねばならないというものです。
港を例にとって説明しますと、国が金沢市長に対して金沢港の使用を要請した場合、市長にはそれを引き受けることが求められるという話ですが、そもそもこれまでは自治体が港湾の管理を行うという原則が日本の港における基本的なルールとして続いてきました。
言うまでもなく、憲法における地方自治の精神をそのまま引き継いだもの、実体化したものという考え方でして、例えば神戸市なんかはこの原則に立って、神戸港に入港する外国の軍艦に対して、その軍艦が核兵器を積んでいないという非核証明書を提出しない限りは入港を認めないという条例を作りました。その結果、神戸港には1975年の条例制定以来、アメリカの軍艦はただの一隻も入港していません。ところが、今回の周辺事態法では地方公共団体の長に対して必要な協力を要請するということを決めましたので、両者は完全に矛盾しています。実際に多くの自治体から政府の態度に対する異議申し立てがなされ、また、それを適用しないというふうに表明した石垣島のような自治体もあるわけですが、いずれにせよ政府はガイドライン、周辺事態法でそのような方向性をアメリカに約束したわけですから、今や憲法の規定にのっとった港湾の民主的な運営、自治管理は崩れつつある。そしてこれがもっと進んで有事法制というところにまで行くならば、それは罰則をもって強制されるようになることは必然的な流れであります。

集団的自衛権の行使、有事法制に突き進む小泉内閣

冒頭にも申し上げたとおり、小泉さんは「集団的自衛権」と「有事法制」をキーワードとして掲げました。集団的自衛権の行使、つまり国外で戦争ができる、外国と交戦できる、そのような自衛隊に憲法解釈を変える。とりあえずは憲法解釈を変える。やがては憲法そのものを変えようとするわけでしょうが、今は間に合わない。ガイドラインや周辺事態法といった対米公約を実現するのに、憲法改正では遅すぎる。とりあえずは、集団的自衛権の行使は憲法違反であるとしてきた岸政権以来の解釈を変更する。そうすれば周辺事態法が定め、ガイドラインが約束した国外での戦闘、外国との交戦に自衛隊を差し出すことができる。そして、そのような国外での活動を行うためにこれまでになかった有事法制をつくるというこの二つの流れに小泉政権の危険な本質を見ることができるわけで、いずれにせよ、これまでにない速度と圧力で物事が変わろうとしていることだけは確かだと思います。

有事法制でどんな現実がやってくるのか

有事法制といいますが、実際、言う方にしても聞く方にしてもどんな中身をさしているのかよくわからないというのが現実です。 政府の側も、国家の緊急事態に備えて法律を持っているのは当然である。治に居て乱を忘れず、平和なうちにそれを作っておく必要があるんだというような言い方しかしません。
しかし、私たちはそんな建前の有事法制論議ではなく、有事法制とはどういう現実なのか、具体的にどんな法律なのか、そしてそれはどういう事態を市民に、地域に、民間に与えるものなのかを具体的に質す中で議論していかないとダメだと思います。つまり、抽象的な有事法制論議あるいは単に合憲か違憲かという議論では必ず負けてしまう。治に居て乱を忘れずという言葉の説得力は非常に強いものがあります。今は平時だ、だから今のうちに有事の備えをしておく必要があるという建前に対して、我々は反論できないと思います。形式論議ではまさにその通りなわけですから。
では、有事法制とはどんな現実なのか。労働組合にとってどんな現実なのか、新聞社にとってどんな現実なのか、交通運輸労働者にとってどんな現実なのか、我々ニュースを読む者にとってどんな現実なのか。このようにして具体的に有事法制の中身を探っていくならば、この法律が持つ恐ろしさ、同時にそれが憲法と真っ向から対立するものであることが明らかになってくると私は考えております。

かつて体験した「有事法制」の現実

 1937年に「国家総動員法」という有事法制ができて以降、日本の有事法制は勅令、天皇の命令によって次々にできるようになってきました。ちょっと調べてみれば誰にでもわかることですが、まずやられたのは労働組合であり、その次は報道、新聞の検閲です。
労働組合に関して言えば、1938年以降の状況を見れば一目瞭然でして、本当に見事なくらい数が減っていって、最後は労働組合の解散です。日本海員組合が一番最後でしたが、こうしたことはきれいに年表で読み取ることができます。同時にマスコミが規制される。県紙、一つの県に新聞が一つになったのは国家総動員法以降のことですが、この背景には検閲しやすいように各県の警察部が指導したという現実があります。ちなみに、それ以前は一県一紙どころか一町一紙ぐらいの数の新聞があったわけですが、それがある時からきれいに一つになる。つまり、有事法制というのはこうした国家総動員法下の状況を見れば明らかなとおり、はじめに何がきて、その次に何がくるという筋書きが過去の経験によってすでに確立されていると見ておくことが大切だと思います。

危険な潮流を皮膚感覚でとらえることが大切

 集団的自衛権と有事法制をキーワードにしながら、今日的な憲法の危機的な状況を検証してきましたが、ただ単にそれは憲法違反であるから憲法を守れということだけで押し返すことは困難だと思います。今必要なのは、憲法を守るという意識を少し皮膚感覚のところ、現実感覚のところ、わかりやすく言えば何が起こるのかという現状想定のところまで下ろした上でそこから反対していく。つまり、憲法を守れという抽象的な論議ではなく、団結権の問題だ、地方自治の問題だ、情報を受ける側の問題だという具体的なレベルで考え、そこを結集軸にしていくことが大切だと思います。
 確かに今の小泉内閣は実に手強い相手だと思います。けれども、基本的に自民党政治が持っている矛盾を彼はパフォーマンスと個人人気という薄いバンドエイドで隠しているに過ぎない。そしてそれは見透かすことができるし、また私たちは見透かさねばならない。今まさに、私たちの護憲意識が根本から試されようとしていることを最後に訴えて、私の話を終わりたいと思います。

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歴史教科書の改悪を許さない県民集会 フレンドパーク

講演タイトル「歴史教科書改悪問題から見えてくるもの~沖縄からみる日本の平和」
講師 山本隆司(沖縄県教組教文部長)

 注.この講演録は、2001年1月31日に開催した「歴史教科書の改悪を許さない県民集会」における記念講演の内容を要約したものです。

近代教育の闇

講師:山本隆司さん いきなりですが、皆さん方ご自身はもとより、ご家族の方々も含めて教科書を使わずに育ったという方は皆無だと思います。明治以降、寺小屋の時代を含めなければ、学校で教科書を使って授業するというスタイルはかれこれ百数十年続いておりますが、1945年以前は基本的に国定教科書、つまりお上が定めた教科書を教員が教えるというもの、具体的に言えば国の方針を忠実に教えるというのが日本の教育でありました。
ですからある意味で言えば、あの15年戦争の中で多くの国民が例えばマスコミによる情報操作や学校教育の内容によって戦場へ出かけて行ったという事実があるわけでして、そういう意味ではまさに学校の先生こそが真の戦争犯罪者であったのかも知れない。だから、そうした反省の上に立って日教組は「教え子を再び戦場に送るな!」ということをスローガンとして掲げ、それが今日においてもなお続いているわけであります。

歴史教科書の「歴史」

 さて本題の歴史教科書に話を移していきたいと思いますが、中学校で使用する歴史の教科書に関して言えば、問題になっている扶桑社を含め現在八つの出版社が検定を申請しています。検定に出された教科書は、文部科学省の教科調査官、もちろん調査官の氏名は秘密ですが、その調査官が学習指導要領に則って検定し、検定意見を出す。すると出版社の側はその検定意見を踏まえて記述内容を修正し、検定を通過するというのが一連の流れでありまして、今回の場合で言えば3月末までにその作業を終了し、4月頃には検定をクリアすることになるわけです。
 まぁ、検定の仕組みはこれくらいにして、話を沖縄に移したいと思います。ご存知のとおり沖縄は1972年まで27年間の米軍支配を受けていました。ですから文部省管轄ではありません。琉球政府の文教局であったわけですが、沖縄においても文部省の検定教科書を使っておりました。私はかつて、1972年以前の教科書における沖縄の記述を調べてみたことがありますが、ほとんど記述されていない。単に沖縄で戦争があったという程度のものであります。まあ、その後の復帰運動などを通じて、沖縄に関する記述が徐々に増えてくるわけですが、決定的になったのはある出版社が1982年に出した高校の歴史教科書に対して、文部省から強烈な検定意見・修正意見が付けられたという出来事であります。
 簡単に言いますと、沖縄戦における住民虐殺の記述に対して、「住民虐殺がなかったとは言えないが、集団自決の方が多いだろう。だから、住民虐殺について書くのならもっと集団自決について書け」というものでありまして、これに対しては当然出版社の側も反論することになるわけですが、その中で住民虐殺があったという事実は何にもとづいて書いているのかということがあって、沖縄県が戦後、住民から聞き取り調査を行う中でまとめた「沖縄戦史」にもとづいて書いたと出版社側が言うんだけれど、文部省サイドはそれに対してあまり信憑性がないというような事を言ったわけです。
それでその話がマスコミに取り上げられたこともあって、沖縄県民は非常に怒ります。ちょうどその時の検定は「侵略」を「進出」に書き換えた時にあたりますが、中国をはじめとしたアジア各国からこの検定内容に対して当然クレームがつけられたことなども幸いし、結果として住民虐殺という実態がはじめて教科書の記述として日の目を見ることになったわけであります。

「脅し」と「自主規制」の関係

 80年代のその頃から数えるとすでに20年近くが経過し、その20年の間に3回の教科書検定が行われていますが、沖縄戦に関する記述は物凄く良くなってきました。もちろん沖縄戦のみならず、南京大虐殺や七三一部隊などに関する記述もそうですが、今回の検定ではそうした記述が日本書籍という会社を除いて軒並みパッサリとカットされたか、あるいは減少しております。
つまり、検定意見や修正意見が出される前の段階で、自主規制という名のもとで出版社側が自主的にカットしたということがこれまでにない大きな特徴であります。まぁ、こうした動きの背景としては、そもそも教科書会社というのは弱小会社がほとんどてして、一番大きい東京書籍でも、出版社全体で見るとたかが知れたものでしかありません。それで、基本的に教科書だけを作っている会社が多いわけですが、教科書というのはゼロか百かという営業でありまして、実際に採用されなければそれこそ会社の倒産に直結するという問題を抱えております。そういった状況の中で、ご存じのように小・中学校の教科書は国庫負担ですから、自民党の文教族がそれを逆手にとって脅しをかける。すると、教科書会社は全くお手上げの状態になってしまうという構図であります。ですから、例えて言うなら相撲をとる前に自分でコケてしまったというのが日本書籍を除く6社の現状です。

名乗りをあげた「扶桑社版歴史教科書」

 今ほど申し上げたように、2002年度の歴史教科書というのはただでさえとんでもない状況になっておりますが、それに輪をかけているのが産経・扶桑社版歴史教科書の存在であります。以下、問題になっているその中身を見てみたいと思いますが、パッと見ただけでも大東亜戦争という言葉を平然と使っておりますし、天皇に関する記述がやたらと多い。さらに核を認める記述すら堂々と書かれているという状況です。
 ここで沖縄戦に関する記述を具体的に見てみたいと思いますが、この教科書では以下のように書かれています。
 「1945年4月には、沖縄本島でアメリカ軍との激しい戦闘が始まった。日本軍は戦艦大和を繰り出し、最後の海上特攻隊を出撃させたが、猛攻を受け、大和は沖縄に到達できず撃沈された。沖縄では、鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って、10万の島民が生命を失い、日本軍の戦死者も11万を数えたといわれている。戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらが正義でどちらが不正という話ではない。国と国とが国益のぶつかりあいの果てに、政治では決着がつかず、最終手段として行うのが戦争である。アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである。」
皆さん、これを読んでどのように思われるでしょうか。もちろん見解の相違があるといってしまえばそれまでですが、この記述の中に明らかな数字の誤りがあることを指摘しておきたいと思います。それは、具体的な戦死者の数についてですが、戦後行われたいろんな調査資料を見る限り、どう少なめに見積もったとしても一般住民の間で15万~16万に達する戦死者が出たという数字が出ておりますし、もう一つ大切な事は、これまでのどのような教科書あるいは研究者の報告を見ても、今回のように軍人の戦死者の方が一般住民より多いという記述がなされたことは一回もないという事実です。にもかかわらず、産経・扶桑社版はあえてこのような記述を行っているわけでして、私たちはこの意図がどこにあるのかをしっかりと見抜く必要があると思います。

教科書の優劣とは?

 次に日米安全保障条約に関する記述を見てみたいと思います。
 「わが国は、アメリカ合衆国との間で日米安全保障条約を結んでいる。これは、他国がわが国の領域へ攻撃をしかけてきたときに、アメリカと共同して共通の危険に対処することを宣言したもので、アメリカ軍がわが国に駐留することも認めている。この条約は、わが国と極東の平和と安全の維持にも役立っている。なお、1999年に制定された周辺事態法によって、わが国周辺における有事にさいして、アメリカ軍への後方支援が強化されることとなった。」と書いてあります。また、憲法に関する記述では「わが国としても自衛隊を増強するなど、これまで現実的な対応をしてきた。そのため憲法と自衛隊の実態とが整合しておらず、憲法の改正が強く主張されている。」とあります。中学校の教科書にここまで書いてあるんですよ。まぁ、確かにこういう意見もあるのでしょう。けれども、先程も少し説明したように数字を意図的に改ざんし、あるいは「・・・になった。」、「・・・されている。」という具合に、自らの主張を断言し、押し付けるような記述法には問題があると思います。
 そもそも学校の授業というのは、事実関係を示した上でいろんな意見を紹介し、それらにもとづいて子どもたちに自らの頭で考えさせるというのが基本ですから、このように考える余地を全く与えない教科書は極めて不適当であると言わざるを得ません。
いずれにしても、こうした内容の教科書が本当に検定を通るのかという疑問を私はずっと持っていましたが、執筆者の側が137カ所といわれる検定意見をすべて受け入れて修正するという表明をしましたので、この教科書は間違いなく検定をパスすることになります。ですから、私たちが次にやるべき事は、実際に採用させないという取り組みを進める段階に移っているということを是非とも認識しておいていただきたいと思います。

沖縄における「歴史改ざん事件」

 ここで再び話を沖縄に戻します。実は今日、少し早く金沢に着いたもんですから護国神社に行って大東亜聖戦大碑をこの目で見てきました。ご案内のように、鉄血勤皇隊とひめゆり学徒隊の名前がこの碑に無断で刻銘されたということで、沖縄でも大きな問題になったわけですが、実は沖縄においても戦争美化という意味で良く似たことが行われようとした事実があります。それは、昨年の4月にオープンした新しい「沖縄県平和祈念資料館」における展示内容の改ざん問題です。この新しい資料館というのは前の太田知事の時代に着手されたものですが、途中で稲嶺さんに変わったという経過の中で、稲嶺さんが県の担当部局に圧力をかけ、具体的な展示内容を決める監修委員の承諾を得ぬまま内容の変更を命じていたことが事前に発覚したという事件です。
その一例を紹介しますと、「ガマ(鍾乳洞のこと)での惨劇」と題する展示物ですが、当初のキャプションではガマの中に隠れている家族のところに米軍が迫ってくる。ガマの中には赤ちゃんもいて泣き叫んでいる。これに対して日本兵が、その泣き声で米軍に見つかるという理由で「黙らせろ、絞め殺せ」と銃口を向けて命令しているというもの、実際に母親が自分の子どもを絞め殺した、あるいは日本兵が子どもを殺したという事例が沖縄には沢山ありますが、その銃がいつの間にかバケツに代わっていたというもので、この他にもキャプションの書き換えが百数カ所で発見されました。まぁ、最終的には県民運動の大きな盛り上がりもあって、元に戻させることに成功しましたが、いわゆる自由主義史観勢力の台頭によって、沖縄においてもこうした問題が発生しているということを紹介しておきたいと思います。

「安保」と「憲法」の関係

 話は変わりますが、極東最大といわれるカデナ基地が嘉手納町に占める割合は実に83%であります。そのカデナ基地の滑走路東端に通称「安保の見える丘」がありますが、どうしてこんな名前がついたか皆さんご存じでしょうか。
 私を含め、学校の先生は日本における最高の決まりは憲法であるということを子どもたちに教えていますが、はっきり言ってウソだと私は思います。沖縄にいると、どう考えてみたって日米安保条約が上で、その安保条約が許す限りにおいて憲法があると解釈せざるを得ないのが実態です。例えば石川や東京だって安保の傘の下にいることに変わりはありませんが、普通に生活していたのでは全く安保条約など見えないことと思います。けれども、あの丘に立つといやでも安保が見えるわけであります。だって、町の83%が軍事基地、しかもフェンスで囲まれて一歩も中に入ることができないのですから。
憲法9条も同様です。確かに良い事を書いてありますが、沖縄にいると本当にその精神が生きているのかどうか、あるいは憲法に明記された財産権や生存権といった権利が本当に保障されているのかどうかを疑いたくなるというのが現状であります。

沖縄戦に見る軍隊の本質

 ここで55年前の沖縄戦の話をしたいと思います。54万人という米軍の部隊に対し、沖縄守備隊というのはどう見積もっても11万人弱でしたから、ある意味では最初から勝敗がはっきりした戦いでありました。実際に大本営も、とにかく少しでも長く持ちこたえろという「戦略持久」が方針でしたから、1945年の4月1日に18万の海兵隊を無血上陸させ、そこから住民を盾にした戦いが始まったわけです。
 その後、約1カ月間で日本軍は壊滅的な状態に追い込まれますが、牛島司令官は「最後の一兵まで」ということで摩文仁の一番南の方まで司令部を下げ、10数万人といわれる沖縄の避難民が隠れている所へ3万の敗残兵がなだれ込みます。これに対して、アメリカ兵が徹底した敗残兵狩りを行う中で10万人以上の県民が死んでいったわけです。ですから、ある意味では実際の戦闘の中で死んでいったのではなく、敗残兵狩りの中で虐殺されていったというのが真実であります。
 そもそも日本の軍隊というのは明治以来、常に外国に侵略をかける、つまり相手の国で戦争をする軍隊であり、実際にそうした訓練を受けてきました。だから、ほとんどが前線部隊であって補給部隊を作らない軍隊でもありました。当然、食糧なども現地調達が基本ですから、例えば捕虜なんかも次々に虐殺したわけです。だから、沖縄戦というのは初めて自分の国内で、自分の国民を足元に置いて戦った唯一の経験といえますが、その時に日本の軍隊が住民に対してどのような事をしたのか。果たして本当に住民を保護したのか、地域を守ったのかということが非常に重要な意味を持ってくるのであります。
 沖縄戦の実態を見る限り、軍隊の本質は住民を守ることにあるのではありません。むしろその逆で、戦争に勝つためには住民を盾にして戦うというのが本質でして、実際に沖縄で起きたいろんな出来事、つまり住民虐殺や集団自決の強要は軍隊の本質を探る上で非常に重要な要素があるといえます。
当時、米軍は東京を落とさないと戦争は終わらないと考えていました。一方、大本営の側も当然本土決戦を考えておりました。横須賀や相模湾にある壕を見ればわかるとおり、完全に本土決戦を意識した陣地構築が今も残っています。ですから、もしかしたらこの石川の地にも米軍が上陸して地上戦になっていたかも知れない。その時に、住民と軍との関係はどうなっていたかという検証は、沖縄の中で何が起きたのかという事実関係を見れば一目瞭然であります。

真の狙いは「本土の沖縄化」

 1972年に沖縄が日本へ復帰しました。その時の私たちの主張は「核抜き、無条件全面返還」でしたが、当時の佐藤首相は「核抜き、本土並み返還」と言ったわけです。当時、沖縄の人々は日本に対してあまり良い印象を持っておりませんでした。日本に帰りたいという気持ちもそれほどのものではなかったわけですが、何が沖縄の人々を動かしたかといえば、それは憲法第9条であります。平和憲法を持っている日本の国民になることによって、これまでさんざん苦しめられてきた基地被害の問題、犯罪の問題、治外法権の問題、そして生存権の問題などが解決されると判断して日本を選んだというのが本当のところであります。
 最近公表されたアメリカの公文書には、復帰前の沖縄に約二千発の核弾頭があったことが記されています。もちろん、その他に毒ガス兵器なんかもあったわけですが、そうした事実が最近になって続々と明らかにされております。ご存じのように日本には非核三原則があります。まぁ、誰もそのことを信じていませんが、当時の沖縄はまだ日本ではありませんでしたから、ある意味では核を置くことにも多少の正当性があったかも知れません。ところが、72年に日本国沖縄になった段階においても沖縄から核が無くなることはなかったのです。ですから、逆に言えば沖縄が本土並みになったのではなく、本土が沖縄並みになるということがその時点で明らかになったのだと私は考えております。
同じ日本である以上、沖縄に核を置くことができるとすれば、当然石川県にも置くことができるはずです。例えば有事立法やガイドラインの問題が皆さん方にどんな影響を及ぼすかという事は、沖縄を見ればすぐにわかります。まさに復帰前なんかは有事立法の典型ですよ。だって軍隊がすべてを支配するわけですから。とにかく簡単に言えば、日本全国が沖縄のようになると考えれば非常にわかりやすいと思います。沖縄は決して特殊な地域ではない。近い将来の本土の姿を先取りした極めて平均的な地域であることを特に強調しておきたいと思います。

巧妙に仕組まれた普天間移設計画

 95年9月に沖縄で少女レイプ事件が発生しましたが、日本政府の反応は極めて冷淡なものでした。日本のマスコミも「沖縄県民は怒っている」と書きましたが、「日本国民は怒っている」とは決して書きませんでした。いわば差別ですね。仮に横須賀で同様な事件が発生したとすれば、神奈川県民は怒っているなどとは決して書かないはずで、当然日本国民は怒っていると書くことと思いますがそれはさておいて、クリントンの対応というのは実に素早いものでした。あのレイプ事件によって安保条約が崩れかねないと即座に判断し、日本政府の頭越しに動いたわけです。結果としてその動きが普天間基地を返還するという発言につながるわけですが、その実態が「県内移設」という条件付きであったことは皆さんもご存じのとおりです。
ところで、そもそも普天間基地を名護に移設するという計画は1960年代からあったものであります。ベトナム戦争当事に主力であったCH46、CH53というヘリコプターが今でも沖縄では使われておりますが、旧式を理由に2005年段階で退役し、オスプレイ22という最新鋭の機種が新たに配備される計画になっています。けれども今の普天間基地では、その基地機能的に見てオスプレイを配備することができない。つまり、普天間基地に代わる新しい基地がどうしても必要になるという長期的な見通しにもとづいて、それこそ40年越しに進められてきたというのが普天間移設計画の実態であります。

実に偉大な教科書の力

 最後に教科書のことに話を戻したいと思います。石川県の場合、教科書の採択というのは基本的に採択区協議会単位で行うことになっていますので、県内9カ所にある協議会が教科書を採択することになります。それで、最終的には審議委員が決めるわけですが、その審議委員というのはいわば素人でありまして、実際に全学年、全科目の教科書に目を通して判断することは困難ですので、現場の教員などを選定調査員に委嘱した上で、そこから出される意見書を参考にしながら採択を行うということをやっています。
まぁ、新しい歴史教科書をつくる会の側は、こうした選定作業に現場の教職員を関わらすなということで議会対策を進めているわけですが、そもそもこうした教科書が本当に学校現場に出てきて、自分の子や孫の授業に使われると考えたら背筋が寒くなります。教科書が持つ力というのは本当に大きくて、例え先生がどのように教えようとも実際に違った事が教科書に書いてあれば、子どもたちはそちらを信用するんですから。

人海戦術で不採択をめざそう

 ところで、今の流れでいきますと検定をパスした教科書を実際に閲覧できる「法定閲覧期間」というものが6月下旬に設定されます。この期間内であれば教員だけではなくて例えば保護者や子どもたちも実際に手にとって見ることができるわけでして、同時に自分の意見を意見書という形で書くことができます。ですから、一人でも多くの人が会場を訪れ、今回問題になっている教科書に対して批判的な意見をたくさん書くことができれば、いくら県教委に圧力がかかったとしても、そう簡単に採択することは到底出来ないと思いますし、さらに情報公開という観点。つまり、どういった理由でその教科書が採択されたのかという情報公開を求めていくことにも取り組みながら、それこそ二重三重に市民の意見を反映させるような仕組みを作っていくことが極めて大切だと私は考えております。
 今日は先生方も何人かご参加いただいているようですが、とてもじゃないけど実際の授業で使えない内容がこの教科書には書かれています。それは何故か、もちろん記述内容にも問題はありますが、はじめにも申し上げたようにすべて断定的な論調で書かれていることが最大の問題であります。例えば文部省の側も、多様な意見・考える力をということを常々言っているわけでして、いかに幅広い観点で子どもたちに考えさせることが出来るのかが教科書の優劣を決めますし、何よりもこのような教科書では高校受験に通らない、これが一番キツいですねぇ。だけども絶対に通らない。とにかく考えられるあらゆる手法を駆使すること、まぁ、私たちの側はお金もありませんのでそれこそ人海戦術、口こみで理解を広げる努力が極めて大切であるということを最後に申し上げ、私の話を終わりたいと思います。

カテゴリー: 教育・歴史 | 歴史教科書の改悪を許さない県民集会 フレンドパーク はコメントを受け付けていません

原子力政策の転換・脱原発社会の実現を求める県民集会

講演タイトル「脱原発~21世紀における私たちの選択」
講師 岩淵正明(弁護士、能登原発差し止め訴訟弁護団事務局長)

注.この講演録は、2000年11月16日に開催した「臨界事故1周年!原子力政策
の転換・脱原発社会の実現を求める県民集会」における記念講演の内容を要約したものです。

画期的な日弁連の「脱原発決議」

講師:岩淵正明さん 話の本題に入る前に、私ども弁護士が加入する団体である日本弁護士連合会の動きを少しご紹介しておきたいと思います。
 さる10月6日に日弁連の人権大会というものが岐阜で開かれましたが、その大会において「原発の新増設を停止し、既存の原発については段階的に廃止する」などとした脱原発に関する決議を私たちは採択しました。まぁ、日弁連としては原子力偏重政策を改めるべきであるという程度の決議はこれまでにも2回ほど採択してきていますが、脱原発を明確に掲げたのは今回がはじめてであります。
 ところで、日弁連というのは弁護士である以上必ず加盟しなければならない団体でありまして、つまり、思想信条で統一されている団体ではない。だから私のように脱原発という立場で裁判をしている弁護士もいれば、逆に電力会社の顧問弁護士ということで私と反対の席に座っている弁護士も当然いるわけですが、私が何を言いたいかといえば、そういったいろんな立場の弁護士全員が加入する団体でこうした決議がなされたということでして、これには計り知れないほど大きな意味があると私は考えております。

完全に破綻した推進理由

 それでは本題に入りたいと思いますが、私たちが脱原発を進めるべきだと考える根拠の一つは、原発を推進する側の理由が完全に破綻してしまっているということであります。以下、具体的に見ていきたいと思いますが、第一点目はエネルギーの安定供給でありまして、電力を安定的に供給するためには、石油ばかりに頼っていることはできないというのが推進派の主張です。確かに石油危機が発生した当時はそういった主張にも多少の正当性があったかも知れません。しかし、最近の状況がどのようになっているかと言えば、日本が権益を持つ大油田がカスピ海やイランなどで発見されているという状況。つまり、採掘技術の飛躍的な進歩によって、むしろ可採埋蔵量は伸びているという現実があるわけで、一頃言っていたように、そのうちに石油が無くなるから原発に代えていかないといけないというような議論はそんなに逼迫した話ではない。確かに徐々に代えていく必要があることは事実だが、だから原発をという議論は暴論であるということをはじめに申し上げておきたいと思います。
 二点目は、電源多様化いわゆるベストミックスであります。バランスのとれたエネルギーの需給構造を確立するためには電源の多様化が必要で、そのために原発は欠かせないというのが推進派の主張です。これはある意味では全くその通りだとも言えますが、そのベストミックス論を根拠として、だから原発が必要なんだというのは論理の飛躍だと思いますし、何よりもベストミックス=原子力推進という今の構図が最大の問題だと私は考えております。
 三点目は、地球温暖化対策であります。化石燃料はCO2を出すので地球温暖化への影響が大きいが、原発は出さないので温暖化対策としても有効であるという主張です。しかし、私に言わせればこれも暴論でありまして、そもそも原子力発電というものは燃料となるウランの採掘や加工・輸送にはじまって、原発の建設・運転、さらには廃棄物処理といった過程で大量の石油を使うわけですから、CO2を全く出さないという主張は当てはまりませんし、実際に温暖化対策の一環として原発推進を主張する国は日本以外どこにもないのが実態であります。
 最後の四点目は、経済性であります。他の発電コストと比較して原子力発電は経済的であるとの主張です。資源エネルギー庁が99年に出した資料を見ますと、円/kwh当たり5.9円ということで原子力が一番安くなっていますが、同時に石炭火力やLNG(天然ガス)火力と比較してそれほど差がありません。
 ところで、通産省はこうした資料をなかなか出そうとしませんでした。今から6年前の94年に前回の数字が出されていますが、これはいったい何故なのか。だんだん原発に近づいてきたからであります。つまり、比較すること自体が役に立たなくなってきたわけで、それで通産省がどうしたかというと、計算の方法を自分勝手に変えたわけです。一例をあげますと、これまでは16年間としていた原発の耐用年数を一気に40年に延ばした。また、設備利用率についても10%アップを図るなど、言わば原発にとって有利な計算方法に変えたという実態があるわけですが、それでも競っているという現状ですから、経済的に有利であるという主張はもはや全く通用しません。
以上、いろいろと申し上げてきましたが、ここで一旦まとめますと、推進派が原発推進の根拠としていた理由はいずれも完全に破綻してしまっているということを特に強調しておきたいと思います。

事故の多発と深刻化

 では次に、なぜ日弁連が脱原発を主張したのかという具体的な根拠をみていきたいと思いますが、まず第一の根拠は事故が多発し、かつ深刻化しているということです。実際に、90年代に発生した主要な事故、特に事故レベルの推移を見てみますと、国際評価尺度で0から7までのレベルが定められていますが、最初に2(91.2.9美浜原発2号炉⇒蒸気発生器細管が破断、原子炉自動停止、緊急炉心冷却系作動)が来たあと、しばらく1が続いてまた2(93.12.27東海再処理施設⇒分離精製工場で放射性物質が飛散、作業員4名が被曝)が起きる。そしてまたしばらく1が続いたあとに今度は3(97.3.11東海再処理施設⇒低レベル廃棄物のアスファルト固化施設で火災・爆発、環境中に放射能放出)が来る。さらに1が続いたあと、ついにJCO事故によってレベル4に達するという具合です。ちなみに、4のレベルというのはチェルノブイリの7、スリーマイルの5につぐ三番目に大きい数字で、世界三大事故の一つに数えられているものですが、つまり、日本の原子力事故というのはどんどん深刻化してきているということがこの10年の流れを見れば一目瞭然であります。
ところで、当然の事ですが、こうした事故の多発と深刻化は国民意識にも大きな変化をもたらしています。ここでJCO事故前後の世論の変化を見てみたいと思いますが、事故前(あまり不安を感じない15.4%、ある程度不安を感じる59.2%、非常に不安を感じる21.0%)、事故後(あまり不安を感じない7.0%、ある程度不安を感じる38.2%、非常に不安を感じる52.4%)という状況で、「ある程度感じる」を含めれば不安を感じている人がなんと全体の9割に達しているという結果が出ています。ちなみに何割の国民が不信任すれば首相を辞めなきゃいけないか知りませんが、こちらは9割ですから、こうした数字を謙虚に受け止めて、ただちに原発を廃止すべきであると私どもは考えております。

斜陽産業の行く末

 それから第二の根拠は、今ほどの話とも関係ありますが、技術の衰退ということであります。ここ十数年来、原子力産業を支えてきた研究者や技術者、そして現場労働者の数がどんどん減少し、かつ質が落ちてきているという現実があります。実際の数字をあげて説明したいと思いますが、平成10年の資料によると、平成元年と比較して研究者の数が約6割にまで減少しています。ちなみにその10年の間に新たに10基以上も原発が増えているにも関わらずです。また、これも平成10年の資料ですが、原子力関連企業の実に52%もの会社が「優秀な人材が集まらない」というアンケート回答を寄せているという実態があります。
 いったい何故なのか、答えは簡単です。かつては花形産業であった原子力産業ですが、今や完全な斜陽産業に成り下がったからであります。先行きの見込みがないところに、優秀な研究者や技術者が行くわけがない。つまり、素人に近い作業員が現場で働いているという構造になるわけで、バケツでウランと揶揄されたJCO事故の例がまさにそうした実態を如実に示しているといえるのではないでしょうか。
言わば悪循環ですね。技術者や作業員のレベルが落ちてくる、そうすると事故が発生する。事故が発生するとますます人気がなくなって一層人材が集まらなくなる。するとまた事故が起きるという繰り返しです。

最大のネックは廃棄物処理

第三の根拠は、解決不能な問題が存在しているということであります。ご承知のように高レベル廃棄物の処分問題のことですが、全く見通しが立っていないのが現状ですし、これからも立つとは思えない。日本では、最終的に地中に埋めて処理をするという地層処理を検討しているようですが、地震大国といわれる日本において、しかも場合によっては数万年単位というレベルで安全に管理し続けることがそれこそ夢物語に過ぎないことは多くの専門家が指摘するところであります。

原発なしでも電力は十分にまかなえる!

 最後、第四番目の根拠は電力需給の問題であります。これはともすると脱原発を主張する側にとってある意味では頭の痛い課題でしたが、現時点においては簡単にクリアできるようになりました。少し数字をあげて説明したいと思いますが、99年度における電力需要のピーク値は、8月4日の午後3時に記録した1億6743万kwでした。けれども、水力と火力を合わせますと1億5654万kwの供給力がありますので、差し引きして不足分は約1100万kwという計算になります。
 ところで、この1100万kwという数字は原発がないと本当に成り立たない数字なのでしょうか。私たちは原発がなくても十分に成り立つ数字だと考えておりまして、その一つの根拠は省エネ、つまりピークをカットするという手法です。ちなみにピークカットに熱心に取り組んでいる国としてアメリカをあげることができますが、アメリカにおいては夏場における長期休暇制度の導入などによって、3.6%のピークカットを実現したという具体的な数字が出ています。アメリカで出来たものが日本で出来ないはずはないのでありまして、仮にその3.6%という数字を日本の電力消費量に当てはめて計算しますと、680万kwという数字が出てきます。つまり、1100万kw足りないというけれど、努力すれば680万kw下げることが出来るわけで、いよいよその差は420万kwにまで小さくなってきました。
 そこで次に何が出てくるかといえば、いわゆる新エネルギーであります。ちなみにドイツにおいて盛んな風力発電(ドイツにおける設備容量実績は444万kw)に関して言えば、日本でも500万kw程度の目標設定が可能であると言われておりますし、また太陽光発電に関して言えば、2010年度までに500万kwという通産省が策定した目標値もあるという状況です。(電力中央研究所の試算によれば、日本全体で2474万kwまで可能という数字も出ている)
この他にも構造水力として1000万kw(93年に資源エネルギー庁が実施した第五次発電水力調査では1300万kwの能力があるという結果も出ている)という数字もあるわけでして、少なめに見積もったとしても500万+500万+1000万=2000万、これにピークカットの680万を加えれば実に2680万kwになるわけで、不足分である1100万kwという数字は軽くクリアできるという計算になるわけであります。もちろん、今すぐただちに出来るとまでは申し上げませんが、段階を踏めば確実に脱原発を図ることができる、その根拠の数字として捉えておいていただきたいと思います。

まだまだある代替エネルギー

さらに話を進めましょう。実は今ほど申し上げた以外にもまだまだあります。例えば熱効率を高めるためのリパワリングシステムというものもありまして、簡単に言えば、発電機を1回まわしたあとに残った蒸気の余熱を利用して別の発電機をまわす。つまり、二つの発電機をうまく組み合わせて使うというもので、主として天然ガス発電を対象としたシステムでありますが、すでに東京電力や関西電力ではこうした発電所の建設に着手しておりまして、その発電総量は2000万kwにも達する予定であります。時間がありませんので詳しい説明は差し控えたいと思いますが、この他にも燃料電池やガス複合タービンなどなど、技術開発がどんどん進んだことによって、今では原発に頼らなくてもその他のいろんいろな発電システムでまかなうことが十分可能な時代になってきたわけでして、実はそれこそが脱原発を主張する最大の根拠であります。

国民世論は「脱原発」

 最後に国民意識の動向に関する話をしたいと思います。
99年の7月、つまりJCO事故が発生する前に日本世論調査会が行った意識調査によれば、「今後重視していくべきエネルギー源は?」という質問に対して、太陽光・風力・水力といった私が先程申し上げたものがトップ3を占めるという結果が出ています。また、「今後の発電の主力は?」という質問に対する回答の移り変わりを見てみますと、確かにある段階までは原子力が主力を占めておりましたが、99年の調査で一気に減少し、その代わりに太陽光・風力・省エネが急激に伸びております。もう一つ紹介しましょう。「原発を推進するか、廃止するか」という質問に対しての答えでありますが、99年の段階で推進と廃止が接近し、2000年の調査では完全に逆転するという結果が出ています。つまり、こうした各種世論調査の結果を見れば一目瞭然ですが、世論は完全に脱原発の方向にあるということをここでは強調しておきたいと思います。

四面楚歌の原発、今こそ脱原発を

 当然のことですが、こうした流れは単に国民世論といったレベルだけにとどまるものではありません。例えば裁判所なんかにおいても、原発推進に否定的な判決をここ最近出しております。皆さんもすでにご存じのとおり、志賀原発1号機訴訟の控訴審判決で「原発は負の遺産である」と明言しておりますし、また、「多少の不便を我慢できるのであれば、原発中止という選択肢もあり得る」と判示した泊原発札幌地裁判決もあります。
 一方、地方自治体のレベルにおいても、三重県知事による芦浜原発計画撤廃表明や、「過疎化を防ぎ、地域振興のために、潜在的な危険性を意識しながら、また住民間の軋轢を生む源となりかねないことを懸念しつつも、原子力発電を受け入れてきた。原子力発電ではなく、地域振興ができればそれに越したことはない。これが本音ではなかったのか」という東海村・村上村長のコメント、さらに当事者である電力会社においてでさえ、東京電力のあるお偉いさんなんかは「40年も動かしていなければ元がとれないという施設(原発)を、営利企業である電力会社がどこまでやれるだろうか。特に電力自由化という流れの中で、本当に太刀打ちできるのか大いに疑問を持っている」とまで公言しているという状況であります。
 以上、いろいろと申し上げてきましたが、事故の危険性・技術の衰退・未解決の問題・電力需給・国民世論といういずれの観点から見ても、原子力発電に関する今日的な必要性を見いだすことはできません。よって、現時点における脱原発の決断は必然であるということを最後に申し上げ、私の話を終わりたいと思います。

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