志賀原発2号機用核燃料搬入に対する抗議声明

北陸電力の核燃料搬入に対する抗議声明
 

 3月11日、地震と津波によって福島第一原子力発電所は、一度に4基が爆発炎上し、世界史に残るレベル7の過酷事故となってしまいました。絶対安全と言われてきた原発の「安全神話」は完全に崩壊し、その放射能禍は東日本のみならず全世界を覆い、百年、千年単位の「放射能対策」が必要となっています。
 国や電力会社が押し進めてきた「原子力政策」はまさに見直しの時であり、「自然エネルギーへの転換」は世界の流れとなっています。

 私たち、石川県平和運動センターに結集する組合員・市民は、今後ながきにわたり放射能汚染におびえ、そして蝕まれていく悔しさと怒りを胸に、「脱原発社会の実現」を全国の仲間とともに取り組んできました。3000名が結集した「7.24さよなら!志賀原発」金沢集会は、市民・勤労者の怒りの表れでもありました。6万人以上が結集した「9.19さようなら原発」全国集会は、「わたしたちは、静かに怒る東北の鬼」と語った福島県代表の思いを全ての仲間が共有する場となりました。
 世論調査でも8割近くの人が「脱原発」の意向を示しており、全国に広がる「脱原発」のうねりは止めることができません。
 それにもかかわらず北陸電力は11月30日、神奈川県横須賀市から志賀原発2号機用の核燃料285体を専用トラック16台に乗せ、マイカーやトラックが走る高速道路やサービスエリア、能登有料道路、一般道を利用して、高線量放射能をまき散らしながら搬入しました。北陸電力は、「既定の輸送計画であり、再稼働を前提としたものではない」とコメントしていますが、「新燃料」は再稼働のためのものにほかなりません。
 福島第一原発の「メルトダウン・メルトスルー」の原因も検証されないなかで「再稼働」するということは、「第二のフクシマ」を容認することに等しい行為であると断罪しなければなりません。政府・原子力安全・保安院や「原子力ムラ」を中心に強まっている「脱・脱原発」の動きは無責任との誹りをまぬがれません。

 石川県平和運動センターは、県民・市民の安全・安心を全く意に介さない北陸電力の「核燃料搬入」に対し、満身の怒りを込めて抗議するとともに、「志賀原発の運転再開を許さない」取り組みをさらに強化することをあらためて表明します。

2011年12月1日

                     石川県平和運動センター
                       代 表  柚 木  光

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12/10「「さよなら!志賀原発」七尾集会呼びかけ用チラシ

印刷(12.10七尾集会呼びかけ用チラシ(2)

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申し入れ書 ひな型

201○年○○月○日

○ ○ 首長        様

申 入 書

私たちは、かねてよりその危険性を訴え警鐘を鳴らしてきた原子力発電所が、3月11日、巨大地震と大津波によって複数の原子炉がメルトダウンにいたるという世界に例のない事故が福島第一原発において発生しました。8カ月近くたった今でも毎時1億ベクレルの放射性物質を出し続け、日本全土を覆っています。北半球の各地でも放射能が検出され、「FUKUSHIMA」の名は世界に知られるところとなりました。

この放射能の影響は、生活破壊にとどまらず、食品、飲料水、大気、土壌などすべてに、そして長期にわたり汚染します。まさに原発被災地は、「地上から消える」かもしれない地となってしまいました。しかも、子どもや未来の子供たちへの危険性は計り知れず、「ガン」「循環器疾患」「精神的苦痛」が強制され、「緩慢な死」さえ強要されていると言わざるを得ません。                                                          
石川県においても北陸電力志賀原発があり、二度とこのような悲劇を繰り返さないためには、危険性が実証され、福島第一原発と同形の志賀原発を動かさないことしかないと考えます。

ところが北陸電力は、この事故を踏まえた「国」の指示に従い、「防潮堤の構築」や「非常用電源の確保」等の対策を発表し、「再稼働」の準備を粛々と進めているのです。唖然とする事態だと言わなければなりません。崩れさった「原発の安全神話」を振りまき、原子力行政を推進してきた原子力安全・保安院が、「再稼働向けた安全対策」を提示して誰が信用・信頼するのでしょうか。「御用学者」が群がる「原子力ムラ」が進める「安全対策」のどこに「信頼性」があるのでしょうか。しかもその「安全対策」は、いずれも現実の後追い、場当たり的対応でしかありません。

福島第一原発では、観測された最大加速度が4月1日の公表暫定値によれば、2号機、3号機、5号機は新耐震設計指針で想定した揺れを上回っています。さらに、その後の余震では国も東京電力も「活断層ではない」としていた活断層が動いたことが報告されています。しかも、地震発生の翌日の12日に水素爆発が起きた1号機においては、津波や電源喪失以前に地震で配管が破損し冷却材喪失事故が起きた可能性が東電発表のデータからも指摘されています。観測された揺れが想定の範囲内に収まっていた1号機において配管が破損したのであれば、耐震設計の基準地震動の想定そのものを再検討せざるを得ません。

小手先の「津波対策」以前に、まず地震による情報公開とその検証、さらにそれらに基づく耐震設計指針を抜本的に見直すことが不可欠です。志賀原発においても、原発から約1kmの福浦断層が安全審査で評価対象になっていないことや沖合いにある活断層の評価をめぐって議論があり、津波対策以前の耐震性こそ検証が必要です。しかし、北陸電力は耐震安全性の見直しを全く行なおうとはしていません。

また、北陸電力が発表した計画によれば、「津波等への安全対策」がすべて講じられるまでには今後2年程度はかかるにもかかわらず、すでに対応した対策だけで原子炉を再起動するための技術的課題はクリアされたとして、早期の再稼動を目論み、4月14日に開催された石川県原子力環境安全管理協議会の資料では、“6月上旬に原子炉起動試験、中旬に発電開始”と明記されています。また、8月19日に開催された安全管理協議会では、「今の緊急対策にさらなる対策が加われば、絶対に炉心は損傷しない」と、ある委員がまたしても「安全神話」を振りまいていました。全ての電源が断たれた場合に備える大容量の追加電源が設置されるのは約2年後であり、現状では電源喪失時に原子炉を安定的に冷温停止状態にするには容量不足です。このままの状態で運転再開を絶対に認めることはできません。

そもそも志賀原発では、定検の際の人為ミスが原因とされる事故・トラブルが頻発しており、「北陸電力には原発を安全に運転管理する能力がはたして十分に備わっているのか」、「これでは、たとえ地震や津波がなくても、いつどんな事故を起こすか分からない」と、地域住民だけでなく北陸電力管内の消費者らは不安を抱いてきました。現在、福島第一原発で高レベルの放射線量下における過酷な作業が長期化するに伴い、全国各地から福島へ作業員の応援派遣が相次ぐ中で、総被曝線量の上限を撤廃する動きがあるなど、福島以外の原発の保守や定期検査にあたる作業員を確保するための“当面の間の措置”という、いわば泥縄式の対応がいくつも見られます。   このように作業員の不足が心配され、とくに専門的知識をもつ技術者の確保が困難な状況下で原発の運転を強行すれば、今後はさらに人為ミスによる事故・トラブルが頻繁に発生するのではないか、ささいな事故が大事故に発展してしまうのではないかと危惧しています。

原発事故が現実のものとなってしまった今でも、北陸電力の「安全性よりも経済性優先」とい う企業体質は少しも変わっていません。「安全最優先」を口にしながら、実際には「早期の運転 再開のためには安全対策など後回し」という北陸電力の対応は、今まで事故・トラブルが発生するたびに何度となく繰り返されてきたものです。最近のUPZ(緊急防護措置区域)拡大に関するコメントでも消極的な姿勢が見えます。
また、増え続ける放射性廃棄物の処理場や処理法もない中で、次世代の子どもたちに対して誰がどう責任をとるのでしょうか。北陸電力からまったくコメントがありません。このような北陸電力に、これ以上、原発の運転を任せてはおくのはあまりにも危険です。

福島で起きてしまった原発事故を北陸で繰り返さないために、下記の事項を申し入れます。

(1)地震のゆれで、送電鉄塔が倒れ、配管が破断し、全電源(交流、直流とも)が喪失しました。地震国日本では原発を推進できません。ゆえに、志賀原発1号機、2号機とも再稼働させないこと。

(2)使用済み核燃料の処理も処理地も、そして原発の廃炉も、場所的にも技術的にも確立されていません。ゆえに、志賀原発1号機、2号機とも再稼働させないこと。

(3)過酷事故が起きた場合、市(町)の住民を将来にわたって生命と暮らしを守るということができません。したがって、志賀原発1号機、2号機とも再稼働させないこと。

(4)原発に頼った行政をおこなうことは、「潤沢な予算」に頼り他の産業の発展を阻害することとなります。したがって、志賀原発1号機、2号機とも再稼働させないこと。

(5)津波対策などに使う予定の200億円余は、省エネルギーや再生可能エネルギー利用の促進のために活用するよう北陸電力に申し入れ、また国に要望するよう県にも働きかけること。

(6)○○市(町)民の不安解消のためにも、食品の放射線濃度を調査し、住民に公表すること。

○○地区平和運動センター 議 長 ○○  ○

○○勤労者協議会連合会  会 長 ○○  ○

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TPP(環太平洋経済連携協定)で国会議員要請

アメリカオバマ大統領との首脳会談以降、野田政権は急に「TPP加盟」を急ぎ出しました。まさにこのことは「アメリカの一つの州になってしまう」という危機感から、しかも対象エリアが24部門と広範囲に渡っており論議も尽くされていないことから時期尚早であり、拙速な加盟には反対するという趣旨の申し入れを、全農林と連携して県平和運動センターは推薦議員に対して行いました。

10/23近藤和也代議士、10/26奥田建代議士(秘書対応)、10/29田中美絵子代議士、市川保夫参議院議員(秘書対応) ※全農林労組推薦議員のみ

申し入れ書

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福島第一原発は地震の「ゆれ」で損壊  「さよなら!志賀原発」実行委が声明

2011年10月27日

福島第一原発は地震の「ゆれ」で損壊(政府・東電は津波に特定)、

「同形の志賀原発も耐震設計の根本的見直しが必至」の声

「さよなら!志賀原発」実行委員会

3月11日に発生した福島原発における原発震災の原因に関して、国および東京電力は、「津波が到来するまでは、安全上重要な機器の機能は維持されていた」として、過酷事故の原因は「想定を超える津波と、それによる電源喪失である」としています。

しかし、去る6月1日に、政府が公表した『原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府報告書/ 東京電力福島原子力発電所の事故につい て』には、地震に関連して「地震によって外部電源に対して被害がもたらされた。原子炉施設の安全上重要な設備や機器については、現在までのところ地震によ る大きな損壊は確認されていないが、詳細な状況についてはまだ不明であり更なる調査が必要である」と記載されています。それから4ヵ月以上が経過した今も なお、原子炉建屋内の放射線量は非常に高く、原子炉付近の状況に関する詳細な調査は不可能です。原子炉系配管は保温材に包まれており、たとえ損傷していて も外観目視だけでは正確な状況の確認は困難です。詳細な調査が可能になるまでには、まだ時間がかかるのではないかと予想されています。

地震による配管や機器類の損傷状況について詳細な調査はできず、運転記録等のデータに関しても情報公開が不十分で、地震による被害状況の実態は不明 であるにもかかわらず、現場検証やデータによる科学的裏づけがないまま、津波対策・電源対策が講じられれば運転再開に支障はないものとして、いま停止中原 発の運転再開への動きがすすめられています。

日本列島は、現在、地震の活動期に入っており、いつ、どの地域でどのような大地震が発生して不思議ではないのが現実です。このまま福島原発における 地震による被害の実態に目をつぶって、小手先の津波対策等だけで運転再開を強行すれば、またどこかで原発震災が繰り返されることになりかねません。

このような現状を危惧して、昨日、いずれも沸騰水型原発の圧力容器や格納容器の設計に携わった三名の元原発の技術者らが「地震による大きな損傷は確 認されていない」とする東京電力の報告書を批判する「議員勉強会&記者レクチャー」を開催しました。この勉強会では、ストレステストの実施以前に、まず福 島でいったい何が起きたのかを徹底的に調査するべきであるとして、とくに 1)地震による配管損傷の可能性、2)沸騰水型原発の格納容器が地震で機能を喪失した の二点が原発の耐震性に関わる重要な問題として指摘されました。福島第一原発で観測された地震動は、「新耐震設計審査指針」に基づく基準地震動を必ずしも 超えていないにもかかわらず、深刻な被害が生じた可能性が高いのであれば、「新耐震設計審査指針」の見直しが必要になります。

昨日の「議員勉強会&記者レクチャー」における指摘は、沸騰水型原発である志賀原発にそのまま該当する重大な問題です。とくに志賀原発1号機は、福 島第一原発と同じマーク1型の格納容器です。改良型といえ、ドライウェルの体積が大きくなっただけで、圧力抑制室の耐震脆弱性に何ら変わりはありません。

私たちは、国と電力会社が、この技術者らの指摘を真摯に受け止め、「耐震設計審査指針」の見直しを速やかに開始することを求めます。さらに、小手先 の津波対策等だけで志賀原発の運転を再開しようとする動きに抗議するとともに、ストレステストよりも、まず「原発の耐震設計審査指針の見直し」の結果に基 づき志賀原発の耐震強度の再検証を求めます。耐震強度の確認なしには、志賀原発の運転再開を認めることはできません。

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石川県原水禁、5団体とともに、県、北電に「原発の廃炉」を要望

石川県知事 谷本正憲 様

北陸電力志賀原発の稼働再開をしないことの申し入れ

私たちは、広島・長崎の悲劇を繰り返さないため、核のない平和な世界を求めて運動をすすめてきました。
1945年8月6日広島、8月9日長崎に米軍が投下した原爆は、熱線と爆風により二つの街を壊滅させ、同時に強力な放射線と放射線降下物による残留放射能で20数万人の市民が老若男女の区別なく殺傷され、地獄を生み出しました。
辛うじて生き残った者も住む家を失い、職場、学校、家族、友人、知人を失った上、66年経った今も自らの健康障害に苦しみ続けています。
東京電力福島第一原発事故は広島・長崎、そして被爆者の66年間の苦しみに重なり、心が痛みます。
原爆は人間を殺すために使用されました。一刻も早く一発残らず地球上からなくさねばなりません。
原発は平和利用と称して開発されました。しかし、安全であったはずの福島第一原発が炉心溶融事故を起こし、7ヶ月過ぎたというのにいまだに収束されていません。10万人とも言われる避難民を生み出し、チェルノブイリ事故に匹敵、或いは上回るとも報道されています。
原発はいったん事故を起こすと、人間が制御することができない大変危険なものであることをまざまざとみせつけています。
私たちの美しい故郷、石川県を「第二の福島」にしてはなりません。下記の事項を強く申し入れします。

一、 北陸電力志賀原子力発電所の稼動再開に同意しないこと。
一、 エネルギー政策は原子力発電所から再生可能エネルギーに転換するよう国に要請すること。
以上

2011年10月13日
石川県原爆被災者友の会
石川県青年団協議会
原水爆禁止石川県民会議
原水爆禁止石川県協議会
核戦争を防止する石川医師の会

 

 

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燃料タンクの破裂・落下に抗議


2011年10月12日
小 松 基 地 司 令
井 筒  俊 司 様

抗 議 文

さる10月7日早朝、小松基地へ着陸体制に入ったF15戦闘機が、左翼下部にある燃料タンクを「炎と轟音」とともに破裂・落下させ、能美市、小松市の住宅地直近には多くの破片が落ち、県下水道公社翠ガ丘浄化センターでは1mを超す部品が直撃するという事故となった。
「あわや大惨事」かと住民を恐怖のどん底におとしいれた今回の事故は、日頃より安全を後回し、「国家、国民を守るためには騒音は我慢の限度内」「補償金を払っている」「早朝発進は我慢せよ」などと「高圧的」な姿勢が目立つ小松基地の「高慢」と「ゆるみ」が招いた事故であると言わざるを得ない。それは、本年7月沖縄那覇基地のF15が東シナ海上で墜落した原因調査も程ほどに小松基地で訓練を再開したことなど、「住民の安全より国防優先」の姿勢に根本的な問題がある。県民の平和、安全・安心を追求する私たち5団体は強く抗議するものである。
過去にさかのぼれば、国内外でF15戦闘機の重大事故は起き、その度毎に再発防止が叫ばれてきた中での今回の事故に私たちは強い憤りを覚える同時に、基地の安全管理体制に大きな不信感を抱かざるをえない。2002年8月沖縄で墜落、2006年1月沖縄で墜落、2007年11月米国ミズーリ州で墜落、2008年2月米国ハワイ州で墜落、2008年9月山口県沖で墜落と、墜落事故が続発している。2009年11月には、千歳基地で重さ200キロのエンジン部品が落下、築城基地でも水平尾翼の一部が落下、同年12月には小松基地において胴体着陸するなど、「欠陥機」の烙印が押されても仕方がない異常事態である。
これらのことは、自衛隊やメーカーの安全管理体制が場当たり的であり根本的欠陥が放置されているか、あるいは老朽化による機体の限界、もしくはF15がそもそも欠陥機であると考えざるをえない。F104戦闘機の金沢市街地墜落事故から42年、根拠のない「安全宣言」の繰り返しで訓練再開を強行し、再び市民の命を危険にさらすことは許されない。以下の事項を強く要請する。

1.今回の事故原因の究明にとどまらず、国内外でF15の事故がなぜ繰りかえされるのか、その原因を徹底究明し、明らかにすること。
2.機体全体の構造、安全管理の総点検を行い、その具体的内容を明らかにすること。
3.抜本的対策が講じられるまで、飛行・軍事訓練を中止すること。
4.航空祭の中止は当然として、小松基地50周年事業は「延期」ではなく「中止」すること。
5.以上4点について、県民、自治体の理解と同意を得ること。

石川県平和運動センター
代 表  柚 木  光
社民党石川県連合
代 表 盛 本 芳 久
小松基地爆音訴訟原告団
団 長 出 渕 敏 夫
小松能美勤労協連絡会
代 表 長 田 孝 志
加賀地区平和運動センター
議 長 小 畑 伊久江
(なお写真は10/7共同通信)

2011年10月12日
小 松 市 長
和 田 慎 司 様

要 請 文

さる10月7日早朝、小松基地へ着陸体制に入ったF15戦闘機が、左翼下部にある燃料タンクを「炎と轟音」とともに破裂・落下させ、能美市、小松市の住宅地直近には多くの破片が落ち、県下水道公社翠ガ丘浄化センターでは1mを超す部品が直撃するという事故となった。
「あわや大惨事」かと住民を恐怖のどん底におとしいれた今回の事故は、日頃より安全を後回し、「国家、国民を守るためには騒音は我慢の限度内」「補償金を払っている」「早朝発進は我慢せよ」などと「高圧的」な姿勢が目立つ小松基地の「高慢」と「ゆるみ」が招いた事故であると言わざるを得ない。それは、本年7月沖縄那覇基地のF15が東シナ海上で墜落した原因調査も程ほどに小松基地で訓練を再開したことなど、「住民の安全より国防優先」の姿勢に根本的な問題がある。県民の平和、安全・安心を追求する私たち5団体は強く抗議するものである。
過去にさかのぼれば、国内外でF15戦闘機の重大事故は起き、その度毎に再発防止が叫ばれてきた中での今回の事故に私たちは強い憤りを覚える同時に、基地の安全管理体制に大きな不信感を抱かざるをえない。2002年8月沖縄で墜落、2006年1月沖縄で墜落、2007年11月米国ミズーリ州で墜落、2008年2月米国ハワイ州で墜落、2008年9月山口県沖で墜落と、墜落事故が続発している。2009年11月には、千歳基地で重さ200キロのエンジン部品が落下、築城基地でも水平尾翼の一部が落下、同年12月には小松基地において胴体着陸するなど、「欠陥機」の烙印が押されても仕方がない異常事態である。
これらのことは、自衛隊やメーカーの安全管理体制が場当たり的であり根本的欠陥が放置されているか、あるいは老朽化による機体の限界、もしくはF15がそもそも欠陥機であると考えざるを得ません。F104戦闘機の金沢市街地墜落事故から42年、根拠のない「安全宣言」の繰り返しで訓練再開を強行し、再び市民の命を危険にさらすことは許されません。以下の事項を小松基地に対して申し入れることを要請します。

1.今回の事故原因の究明にとどまらず、国内外でF15の事故がなぜ繰りかえされるのか、その原因を徹底究明し、明らかにすること。
2.機体全体の構造、安全管理の総点検を行い、その具体的内容を明らかにすること。
3.抜本的対策が講じられるまで飛行・軍事訓練を中止すること。
4.航空祭の中止は当然として、「軍隊の威容」を鼓舞する小松基地50周年事業は「延期」ではなく「中止」すること。

石川県平和運動センター
代 表  柚 木  光
社民党石川県連合
代 表 盛 本 芳 久
小松基地爆音訴訟原告団
団 長 出 渕 敏 夫
小松能美勤労協連絡会
代 表 長 田 孝 志
加賀地区平和運動センター
議 長 小 畑 伊久江

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原子力環境安全管理協議会に公開質問書  「さよなら!志賀原発」実行委

2011年10月7日

石川県知事 谷本 正憲 様

「石川県原子力環境安全管理協議会に関する公開質問書」

北陸電力と石川県および志賀町が締結している安全協定第4条には「地域住民の安全確保及び生活環境保全について必要な事項を協議するため、石川県原子力環境安全管理協議会を設置するものとする」と明記されています。しかし、去る8月19日に開催された県原子力環境安全管理協議会(以下、安管協と略)は、残念ながら地域住民の安全確保及び生活環境保全のために必要な事項に関する協議が十分に行われたとは言い難いものでした。
事故発生から半年以上経過しても収束の見込みがつかない福島第一原発の過酷事故に関して、原子力安全・保安院と北陸電力による説明は「津波とそれによる電源喪失が事故原因」と断定し、地震で配管や機器類が損傷した可能性を全く考慮しないものでした。大事故を繰り返さないためには、徹底的な事故調査と原因究明、そして明らかになった新知見を各原発の安全対策に反映させていくことが必要なはずです。ところが8月19日の安管協では、そのような観点からの議論は全くないまま、「津波対策と電源喪失対策、シビアアクシデント対策が講じられているので、志賀原発の運転再開に支障はない」という原子力安全・保安院の見解が示されたのです。これでは「いったい何のための安管協なのか」と疑問を抱かざるを得ません。
そこで、安管協が「地域住民のみならず県民の安全確保及び生活環境保全」に資するものとしてより有効に機能することを願って、8月19日の安管協では協議されなかった問題点に関して、とくに耐震安全性に関連する問題を中心に、以下、質問をいたします。
速やかに文書にて回答していただけますよう、よろしくお願いいたします。

「さよなら!志賀原発」実行委員会
岩淵 正明(憲法九条を広める会・代表)
森  良明(石川県勤労者協議会・事務局)
柚木  光(石川県平和運動センター・代表)
中村 照夫(原水禁県民会議・事務局)
北野  進(珠洲市議会議員)
堂下 健一(志賀町議会議員)
中村 一子(津幡町議会議員)
水口 裕子(内灘町議会議員)
森  一敏(金沢市議会議員)
盛本 芳久(石川県議会議員)
山根 靖則(石川県議会議員)
林  秀樹(ストップ!プルサーマル・北陸ネットワーク)
中垣たか子(原発震災を案じる石川県民・世話人)

連絡および回答送付先:Tel&Fax076-263-9328
〒920-0942金沢市小立野2-26-8
中垣たか子

【質問項目】

(1)原子力施設への地震動の影響について

①「福島第一原発は地震による安全上重要なシステムや設備、機器の被害は確認されておらず、津波到達までは正常に作動し、管理された状態にあった」当日配布資料No.2-2、5ページ)という原子力安全・保安院の見解は妥当であると認識しているのでしょうか。
また、この原子力安全・保安院の見解は、8月19日の安管協で了承されたのでしょうか。

②津波到達以前に発電所内において配管やケーブルの破損等、深刻な事態が発生していたという発電所幹部の証言も報じられています。とくに3月12日に水素爆発が起きた1号機においては、地震動により配管が損傷し冷却材喪失事故が起きた可能性が高いことが田中三彦氏などにより指摘されています。3月11日、地震発生からわずか3時間後の17時50分に原子炉建屋内に放射能が充満し、事故時に炉心を冷却するための非常用復水器担当の作業員は放射線指示値上昇のため撤収しました。
さらに1号機のベントが実施される以前の3月12日未明に、すでに原発敷地境界で高い放射線が検出されていますが、これらの事実は地震動による配管類、あるいは格納容器や原子炉建屋の損傷を示唆するものです。
(詳細は岩波新書『原発を終わらせる』Ⅰ-1「原発で何が起きたのか」や「美浜の会」ホームページ http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/1f1ic_hasonron_20110903.pdf 等を参照してください。)

また2号機の爆発も、地震動により圧力抑制室が損傷したことが原因であると指摘されています。地震発生後の原子炉の状況について東京電力および国の情報公開はきわめて不十分で、「正常に作動し、管理された状態にあった」はずの地震発生から津波到達までの原子炉内の各種のデータも、限定的にしか公表されていません。基本的な情報公開が不十分な上、「事故調査・検証委員会」の中間報告さえ出ていない段階で、「安全上重要なシステムや設備、機器の地震による被害は確認されていない」と断定する根拠は、どこにあるのでしょうか。津波対策、電源喪失対策以前に、地震動による配管や機器類の損傷の可能性について、十分な検証を求めるとともに、各種パラメーターのすみやかな情報公開を求めるべきではありませんか。

③原子力安全委員会委員長も、耐震設計審査指針を含む原発の安全審査に関わる指針類の見直しの必要に言及しています。2006年9月に改訂された耐震設計審査指針にもとづくバックチェックで耐震安全性が確認されたはずの原発で、地震とそれに伴う津波で過酷事故が発生してしまったのですから、いま必要なことは福島原発事故の調査および検証そして原因究明に努め、その過程で明らかになった知見にもとづき新たな安全基準を設定することではないでしょうか。その上で、あらためてバックチェックを全面的にやり直す必要があるのではないでしょうか。

④3月11日14時46分に発生したマグニチュード9.0の本震の揺れは3分以上続いたにもかかわらず、原子力安全・保安院が安管協に提出した資料によれば、福島第一原発に設置されていた地震計は約130~150秒程度のデータしか記録されていないということです。M9.0の本震の後、大きな余震が繰り返し起きていますが、余震による地震動に関しては全く記録がないことになります。
このような事象が福島原発で起きていた事実に鑑み、志賀原発においてはM9.0以上の大地震や大きな余震に繰り返し襲われることを想定して何らかの対策が立てるべきだと考えますが、すでに対策はとられているのでしょうか。あるいは、これから対策を立てる予定なのでしょうか。

⑤福島第一原発だけでなく、福島第二原発、女川原発、東海第二原発、六ヶ所村の再処理工場等における地震による被害状況については全く説明がありませんでしたが、福島第一原発以外の施設の事故やトラブル、被害状況も検証すべきではないでしょうか。「炉心損傷・溶融さえ起きなければよい、大量の放射能漏れが起きなければよい」というわけにはいきません。各施設の状況について、原子力安全・保安院に説明を求めるべきではないでしょうか。

(2)「安全性に関する総合評価」(いわゆるストレステスト)の実施について

①ストレステストでは「解析により安全裕度を確認する」という説明でしたが、安全審査に関わる指針類が見直されようとしているときに、何を基準にして「裕度」の有無を判断するのですか。
福島原発事故では、現行の安全審査指針の破綻が明らかになりました。破綻している指針と比べて裕度を確認したところで、安全性を担保することにはならないのではないでしょうか。

②原子力発電に対する信頼が大きく損なわれている現状では、事業者が実施したテスト結果を原子力安全・保安院が審査し、安全委員会が形式的にダブルチェックするという従来通りの方法では、住民の理解は得られません。ストレステストを実施したからといって、志賀原発再稼動の可否を判断することはできないのではないでしょうか。

③志賀原発は福島原発と同じ沸騰水型であり、とくに1号機は格納容器の耐震脆弱性が問題になっているマークⅠ型です。志賀原発では、ストレステストの実施を急ぐよりも、まず耐震性の検証を優先するべきではないでしょうか。

④ストレステストに関する議題について、議長は「ストレステストの結果については、国におかれましては再度、説明をお願いしたいと思います。実施につきましては、北陸電力は厳正に取り組んでいただきたい。国においては厳格な評価をお願いしたい」と、ストレステストの実施はすでに既成事実として取りまとめて、次の議題へ議事を進めてしまいました。
しかし、志賀町長や隣接の七尾市長から「志賀原発の運転再開は安全上支障がないというのなら、なぜストレステストが必要なのか」、「まだ原因究明をしている時にストレステストやって、どこでどう“安全ですよ”と判断されるのか分からない」といったストレステストについての疑問や不安が繰り返し表明されており、それに対する原子力安全・保安院の回答は、とうてい納得のいくものではありませんでした。
議長は、ストレステスト終了後の説明を求めるのではなくて、まずストレステストを始める前に、実施の理由やテストの内容、テスト結果の審査基準等について、立地町や周辺自治体の住民が納得できるような、きちんとした説明を国に求めるべきではありませんか。

(3)原子力防災について

①安管協における原子力安全・保安院の福島原発事故に関する説明は原発サイト内で起きたことに限られていましたが、現地の保安検査官事務所の事故対応について、検証は行われているのでしょうか。とくに原子力防災専門官の対応は適切なものだったのか、明らかになった課題は何か等々、住民の安全確保の観点から、安管協で検討すべき問題がいろいろあるはずです。これらが、まったく協議の対象になっていませんが、原子力安全・保安院に説明を求めるべきではありませんか。

②緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)が活用されなかった原因の検証、および同様の事態の再発防止対策は、「住民の安全確保」の観点からきわめて重要なことです。この問題は安管協ではまったく言及されませんでしたが、やはり原子力安全・保安院に説明を求めるべきではありませんか。

(4)安管協委員の構成について

原子力工学の専門家である片岡勲委員および宮崎慶次委員は、各々、「手順さえしっかりしていれば、電源喪失しても、水の循環がなくても、海水に熱を逃がせなくても、炉心を損傷させないような事故対策はあったのではないか」、「ハード面でのシビアアクシデント対策はできていたが、ソフト面の手順書がなかったことが問題だった」という趣旨の発言をし、さらに「今の対策が加われば、絶対に炉心は損傷しない」という発言もありました。
しかし福島では、それまで「絶対に起きない」と言われてきた炉心溶融事故が現実に起きてしまったのです。炉心が溶融したのみならず、いまだに放射能漏れを止められず、格納容器や建屋も底が抜けているかもしれないと危惧されている現実を踏まえれば、事故の検証がまだ終わっておらず原子炉がどういう状態になっているのかさえ分からない段階で、上記のような発言をするのは、住民の不安な気持ちを逆なでするものであり、あまりに不見識ではないでしょうか。
しかも、両委員のこれらの発言に対し、安管協の席上では何ら質問はありませんでした。
これは、安管協の委員構成が、あまりに原発推進および容認に偏っていることを示しているのではないでしょうか。現状の委員構成では「地域住民の安全確保及び生活環境保全について必要な事項を協議する」という安管協の本来の役割を果たすことができません。委員の構成を抜本的に見直すべきではありませんか。

(5)安管協を「安全確保や環境保全に必要な事項」が実質的に協議される場に

質問(2)④で指摘したように、安管協の会議は多くの場合、原子力安全・保安院や北陸電力の説明を聞くだけに終始し、その見解や方針を追認する場になっています。
福島事故を踏まえて、安管協が地域住民のみならず県民全体の安全確保及び生活環境保全について必要な事項を実質的に協議する場になるよう、安管協の役割や権限の見直しが必要だと考えますが、どのように認識していますか。

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石川県平和運動センターは10月3日、第12回定期総会を開催

石川県平和運動センターは10月3日、労済会館において第12回定期総会を開催し、2011年度の方針などを決定しました。
反戦・平和、人権、環境を中心とした課題のほか、3.11フクシマ原発事故を受けた「脱原発」運動の強化など 、活発な論議のもと全体で確認しました。

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原水禁世界大会・長崎大会の報告

原水禁世界大会・長崎大会の報告

時兼秀充さんの報告 中澤毅さんの報告 小原正義さんの報告
杉浦直人さんの報告 新村郁さんの報告 森 一敏さんの報告


66原水禁世界大会(長崎大会)に参加して

県教組 時兼 秀充

「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。

自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか…、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。

(中略)原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です(長崎平和宣言)。

長崎市の平和宣言が「脱原発」に踏み込んだように,今年の被爆66周年原水禁世界大会は「脱原発」が大きな焦点となった。全体会では,主催である3つの団体の合意がなされていない状態で,脱原発に関しては曖昧な表現が多かったが,核の「軍事利用」で放射線被害にあった「ヒロシマ」「ナガサキ」と,核の「商業利用」で同じく放射線被害にあった「フクシマ」から,あらためて「核と人類は共存できない」ことを参加者全員で確認することができた。分科会(脱原発2)では,原発は,廃炉になろうとしているのに技術が進んでいない古い技術である。産業革命時代は,日本は資源がない国であったが,これからは,自然大国である日本は自然エネルギー大国となる。など,脱原発にむけたエネルギー政策について学習することができた。今回,原水禁に参加して,珠洲原発問題で市を二分して戦った時代が終え,何となく今の現状に満足してしまっている自分に気づかされた。そして,核廃絶にむけてとりくんでいる高校生平和大使の「私たちは微力ですが,無力ではない」という言葉に,2020年までに核兵器廃絶をめざす「2020年ビジョン」実現に向けてとりくんでいく元気をもらった。


原水禁66長崎に参加して

県教組 中澤 毅

参加者集合写真

はじめて原水爆禁止長崎大会に参加することができました。広島大会には何度か参加しましたが、今回、長崎大会ならではの平和運動の可能性を感じることができ、有意義な3日間でした。特に高校生をはじめとした若い世代が平和運動に関わっている姿が印象に残りました。

2日目わたしは、西尾漠さんと藤井石根さんが講師となった「温暖化と脱原発にむけたエネルギー政策」という分科会に参加しました。そこでは、日本のエネルギーは投入されるうちの3分の2弱が利用されずに「損失」されており、コージェネレーションや新技術の導入でまだまだ省エネは可能であるとの話しを聞いた。また、再生可能エネルギーは可能性がきわめて大きいことや、利用方法による弱点の克服などでむしろ「頼もしい」存在になりえるとの指摘は新鮮であった。原発に頼る必要は全くないと強く確信することができました。原発推進政策の中、わたしたちには自然エネルギーのマイナス面ばかりが刷り込まれてきたのではないでしょうか。産業革命時の尺度(地下資源)でみれば日本は資源小国かもしれませんが、現代の基準(自然エネルギー)でいえば、むしろエネルギー大国ともいえ、これを有効に活用しない手はありません。

一本鳥居

フィールドワークでは、浦上天主堂や長崎医大、城山小学校等の被曝遺跡をめぐりました。中でも一本足で立つ山王神社の鳥居は衝撃を受けました。ただ広島同様、原爆の恐ろしさ物語る貴重な遺物が次々と姿を消したり、高層ビルや住宅に埋没している現状に「むなしさ」を感じました。唯二の被爆都市であり、ここにしか存在しないものがあるにも関わらず、それらを残すことができないとは…。

同様の「違和感」は初日の集会と最終日のまとめ集会でも感じました。福島第一原発事故をうけての大会だけに、来賓や主催者あいさつが注目されました。しかし、明確に「脱原発」に言及するものには、最後までめぐりあえませんでした。また公民館で、被爆者から直に体験を聞く機会もありましたが、その方でさえ「さまざまな立場の方もおいででしょうから、脱原発云々については…」と言及を避けておいでました(前後の話しのニュアンスからは、原発は無用との思いは感じとれましたが…)。

3・11後、福島では今現在もヒバクシャが生まれ続けています。放射線被害によって、ゆたかな自然が失われ、多くの人々がふるさとや仕事を追われました。子どもの健康に日々悩む母親がいます。このような厳しい現実があるにも関わらず、なぜ「脱原発」と声高に叫べないのでしょう。なぜ被曝当事者が、遠慮した発言をせざるをえないのでしょう。この壁をぶち破っていかなければ、原発はおろか核兵器も戦争もない平和な世の中の実現はありえないと思いました。


原水禁世界大会・長崎大会に参加して

県教組能登珠洲支部 小原正義

8年ぶりに長崎の地を訪れることになって、私自身期待していたことがありました。東日本大震災・福島原発の事故を受けて日本中が脱原発に向けて勢いを増し、大きな運動が展開されていくきっかけになる大会であると。ところが、いざ大会が始まりプログラムが進んで行っても、何のアピールもなく、宣言文、基調にもなく何か物足りなさを感じてしまいました。その中で、ひとつ心に残った言葉が高校生平和大使の代表のあいさつにあった、「私たちの活動は微力だけれど、無力ではない。」何か元気づけられる言葉でした。初日の晩は、懇親会を兼ねて中華街でお食事、紹興酒を片手に自己紹介をしながら長崎の夜は更けていきました。夜食に長崎ちゃんぽんは欠かせませんね。

2日目午前中は分科会②脱原子力2-交流・討論編「-温暖化と脱原発に向けたエネルギー政策-」に参加してきました。

私自身が脱原発といいながら、「実際今の日本から原発がなくなると電気不足になってしまう。」と言われると、何も言い返せない自分がいました。ところがこの分科会の講師である西尾漠氏(原子力資料情報室共同代表)や藤井石根氏(明治大学名誉教授)の話を聞いていると、勉強不足のため誤解していることが、たくさんあることがわかりました。まず、日本のエネルギー消費は90年代後半から伸びておらず、今では減少傾向にあること。日本のエネルギー構造を見ると、発電量の1.5倍のエネルギーが「損失」になっているそうです。そのことからも原発の開発より蓄電技術の向上や給配電網の整備そして、エネルギーの地産地消をすすめていくことが大事であることがわかりました。要は自然エネルギーに転換できることを、改めて確認できたことが何よりの収穫でした。

午後からは時間ができたので、一本鳥居や山王神社のヒバククスノキを見学してきました。

一本鳥居 山王神社のヒバククスノキ

改めて原爆のすさまじさをかんじさせられました。

最終日は、朝早くから被爆体験者の貴重な体験談を聞くことができました。自分の横で遊んでいた幼なじみが、気がつくと爆風で吹き飛ばされて亡くなった。私が今生きているのは、運が良かったからではなく、偶然なんだとおっしゃっていたのが印象に残りました。

そのあと、まとめ集会・平和行進に参加し、爆心地公園で黙祷をして解散となりました。最後に世話役をしていただいた県教組の中澤さんキップを間違えてご迷惑をおかけしました。どうもすいませんでした。


 

運輸労連 杉浦直人

原水禁長崎大会に参加して…2009~10年と原水禁広島大会で勉強させていただき、今年は長崎大会へと3年連続原水禁世界大会への参加となりました。私事で恐縮ですが、長崎県と言えば私の母方の祖父母が五島列島出身で、昭和8年までは長崎市内に在住しており、原爆が投下され破壊された三菱造船所に勤務していた事を、最近母親から聞かされてなんとも言いようの無い気持ちになったものです。もしも昭和20年8月9日まで祖父母が三菱造船所で働き暮らしていたならば、間違いなく被爆者になっており私自身もこの世に存在していない可能性が非常に大きいと思われ、人としての運命に感謝すると共に、不幸にも原爆に被爆した方々への悲運を悲しまずにはいられません。アメリカは広島・長崎に原爆を投下する必要が、本当にあったのでしょうか?

昭和20年8月といえば日本は戦争を継続する国力は無かった…いろんな事情はあるにせよ当時の政府の判断力・決断力の欠如には怒りさえ感じます。

今年の原水禁は、3月11日の東日本大震災において福島第一原発事故が起こり、改めて『核と人類は共存できない』との思いを確認する大会でもありました。毎年、日本は8月に戦争や非人道的核兵器の原子爆弾への反省や批判を繰り返し述べているが、新たに3月11日が脱原発運動への起点になることで、1人でも多くの国民が脱原発を共通認識し将来(早急に)原発のない日本へ向けて運動を本格化させる事が喫緊の課題だと思いました。

8月8日のフィールドワークでは第4分科会に参加し東日本大震災直後、米軍の友だちともだち作戦の検証や新防衛計画大網・米軍再編計画と震災出勤との関係について講演を拝聴しました。北朝鮮が韓国の延坪島へ砲撃したことや尖閣諸島問題にも触れ、北東アジアの平和なくして非核兵器地帯実現への道は程遠い事だと思いますし、いまだ核兵器をチラつかせ平和維持への抑止力だと核兵器を正当化しようとする思想は多くの国が持っているのかもしれません。

私は、3年連続で原水禁へ参加し戦争・核兵器・原発と安心して日本で暮らしていくために捨てなくてはならないものが確実にあることがわかりました。そのことを組合員や家族に伝えていくことが、これからの私の使命の一つだと思って頑張っていきます。又、機会があれば積極的に原水禁に参加したいと思います。


被爆66周年原水爆禁止世界大会・長崎大会に参加して

金沢市公営企業労働組合 新村 郁

これまで広島や長崎への原爆投下に関しては、学校での授業やマスコミなどの情報である程度知っていましたが、今回、初めて大会に参加させていただいたことで、より深く理解することができました。
特に大会初日での「被爆者の訴え」や分科会での被爆者の証言(山川剛氏による)、さらに慰霊碑墓参の時にも、直接、被爆者の方のお話を聞かせていただく機会があったことは、初めてのことでもあり、被爆地・ナガサキの実情に触れることができた貴重な経験となりました。

さらにフィールドワーク「被爆遺構めぐり」で、原爆投下中心地(爆心地公園)からスタートして、浦上天主堂(落下鐘楼)、被爆者手帳友の会平和記念会館、長崎大学医学部(医大門柱)を徒歩で回り、見学させていただきましたが、吹き飛ばされた鐘楼や爆風で傾いた門柱などの被爆の爪跡を見て、原子爆弾の威力のすさまじさを改めて実感させられました。被爆者手帳友の会平和記念会館では、被爆者の方々が描いた絵を見せていただき、原爆によってもたらされた当時の悲惨な状況や人々の苦痛、現在まで続く苦悩がとても伝わってきました。

また、東日本大震災によって福島県で起こった原発事故に関しても、分科会で放射能というものをわかりやすく説明していただき、原子力発電所の事故がいかに危険で恐ろしいものであるのかが確認できました。

今回の大会を通じて、自分自身が感じたことは、「核と人類は共存できない」とより強く実感できたことと、日本が経験した原爆投下という事実を多くの人々、特に若い世代にキチンと伝えていかなければならないとのことです。被爆者の高齢化などで貴重なお話が聞けなくなってきている中で、より多くの若い世代の人達がこのような大会に参加し、理解を深め、行動することが核のない世の中を作っていくことに繋がるのではないでしょうか。

そのためにも私が実際に見て・聞いて・触れたことを多くの人に伝えていかなければいけないと思いました。


ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ そしてノーモアフクシマ

金沢市議会議員 森 一敏

「2011年8月、被爆66年の原水禁世界大会には、特別な意義がある。」私は長崎大会に参加する代表団にこうあいさつした。3.11福島第1原子力発電所の過酷事故をくい止められず、新たな被曝者を生み出してしまった私たちの社会を、働く者と市民総ぐるみで変えていく決意を固め合う最大の機会だからだ。正に世界が注視している。

しかし、全体集会の連合、原水禁国民会議、核禁会議三団体共同開催の積極的意義は、この最も重要な機会に発揮できなかったばかりか、核事故という今日的脅威に瀕して尚も足並みをそろえられないという非力を世界に露呈する結果となった。福島の被災住民の失望は計り知れない。脱原発を求める大半の民意と乖離する労働、平和運動は、世論から早晩見捨てられ、無力化させられるだろう。原発の根っこにある米日核戦略と核の商業利用を隠蔽する「核の平和利用」神話から平和運動自身が脱せなくして、人類に貢献することはできない。川野浩一原水禁議長が、脱原発エネルギー転換への足並みにむけて、二団体に働きかけたいと締めくくったことは、三団体共催の限界への挑戦と受け止めておきたい。

さて、9日は、断続的に大粒の雨が降る日となった。早朝、私たちは京都の参加団とともに、爆心地から1.5㎞にある家野町公民館を訪れ、住民被曝者の佐々木さんから被爆体験を伺った。74歳のる佐々木さんは、文字通り九死に一生を得た方だ。政治的な発言は控えたいといいながら、原発はもう終わりにしなければと言われた。被爆者としてやむにやまれぬ思いがそうさせるのだ。慰霊碑に献花し閉会集会場へと移動した。

雨中の平和行進の後、原爆投下時刻11時2分には、慰霊碑に向かって死者に黙祷を捧げた。全日程が終了して、私は、ナガサキの平和記念公園に立った。この下に眠る、三菱により強制労働を強いられ、監獄に置かれた中国、韓国・朝鮮被爆者たちに思いをはせて。


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