-大東亜聖戦大碑の問題点-
問題その1 歪められた歴史観
碑の建立者が、先の戦争を「聖戦(崇高なる戦)」であったとするものにあるのは、「日本は欧米諸国の植民地となっていたアジア諸国を解放し、独立させるための戦争であった。また、この時日本のつくった施設がアジアの産業基盤をつくった」とする、いわゆる「アジア解放論」と言われる考え方です。
しかし、このいわゆる「アジア解放論」とは、日本がアジア・太平洋地域の国や地域に招かれざる軍隊を派遣したという事実を正当化するために編み出された口実にすぎません。なぜなら、あの戦争は、「大東亜共栄圏」という日本の権益の確保こそが最大の目標として掲げられていたからです。その身勝手な軍事行動を、あたかも相手国のためになったものであるかのようにすり替えてごまかすためのものであると言わざるを得ません。
もし「アジア解放」が真の目的であったとするならば、日本は、当時日本の植民地であった朝鮮と台湾を、真っ先に独立させ解放しなければならなかったはずです。しかし、日本は最後まで手放そうとはしませんでした。
問題その2 無断刻名が
碑の台座部分には、寄付を寄せた団体や個人の名前が刻まれています。その中には、現在は実存しない団体名が数多く見られます。
「少女ひめゆり学徒隊」や「少年鐡血勤皇隊」などのように、現在も多くの関係者が生存されており、そうした方々の団体が現存しているにもかかわらず、関係者に何の断わりもなく刻銘されているものもあります。沖縄県の「ひめゆり同窓会」では刻銘の削除を求める声が上がり、「遺憾の意」が文書が建立委員会に送られました。
また、鹿児島県「知覧特攻平和会館」に掲示されている朝鮮出身特攻隊員の中の7人の名前が刻まれていることも判明しています。遺族の同意を得ているとは思われません。水戸市のある小学校の名前が刻まれていますが、現校長は「全く関知していない」と言っています。
こうした事態は、建立委員会が一定額以上の寄付については、寄付者が希望する通りの名前を刻銘するというきわめて無責任な方法をとったために引き起こされました。