NO1.2001年10月発行
〒920-0024石川県金沢市西念3-3-5
フレンドパーク石川5階「石川県平和運動センター内」
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「大東亜聖戦大碑」の撤去を求め、戦争の美化を許さない会
180人が結集して「大東亜聖戦大碑の撤去を求める全国集会」を開催!
聖戦大碑撤去の会は8月4日、金沢市の文教会館で「大東亜聖戦大碑の撤去を求める全国集会」を開催した。集会には地元石川はもとより、福井や京都などから約180人が結集し、「大東亜聖戦大碑」の撤去に向けた運動に全国レベルで取り組んでいく方針を確認した。
集会でははじめに主催者を代表して鶴園裕共同代表が「先の戦争はまぎれもない侵略であり、過去を反省することで日本が再び侵略国にならないことを世界に明らかにしなければならない
という言説が私たちにある。一方、南京大虐殺はデッチあげ、従軍慰安婦などなかったと発言する言説が碑建立者の側にあるわけで、私たちは歴史をどう解釈し、どう語っていくかという『言説の戦い』を続けなければならない。
根負けして向こうの言説ばかりになると本当に恐ろしいことになる。そのような中、『聖戦祭』に反対する集会を開くことは、建立者たちの言説を許さないという点で大きな意味を持つものと確信する」と挨拶。続いて、元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさん(74歳)が「沖縄に生きてきた私の思い」と題して、さらに昨年12月に女性国際戦犯法廷を開催した松井やよりさん(戦争と女性への暴力日本ネットワーク代表)が「アジアが見つめる日本、今何が起こっているか」と題してそれぞれ記念講演した。
「第1回大東亜聖戦祭」-宗教施設であることが明白に-
ところで、全国集会の開催に先立って当日午前10時から石川護国神社において「第1回大東亜聖戦祭」が開催された。日本をまもる会・聖戦大碑護持会・石川護国神社が主催した同集会は、君が代斉唱のあと「修祓の儀」(軍服姿の一隊が軍刀を抜いて整列)、護国神社宮司による祝詞、巫女の神楽、そして玉串拝礼と続く完全な宗教行事であり、これこそ石川県が慌てて護国神社に土地を返却して都市公園から除外した理由に他ならないことが明らかに。一連の神事のあと、草地貞吾(碑建立委員長)が大碑正面に刻印されている「大東亜おほみいくさは萬世の歴史を照らす鏡なりけり」という言葉を二回叫ぶとともに、挨拶に立
った中田清康(同実行委員長)は「土地を返すと言ってきた石川県当局のふがいなさ」を批判し、「撤去を求める会などという亡国の輩がいるからこそ、この碑が必要となっている」と声を大きくした反面、「今日の招待状を出したが、半数の会員から体調不良で出席できないとの連絡があった。またこの一年で、多くのの会員が亡くなった」と危機感を募らせていた。
戦争に「聖戦」などない。怒りで身体が震える思い。
宮良ルリさんは怒りを込めて静かに話りはじめた。「昨日金沢に到着して真っ先に大碑を見た。こんな恐ろしいものが建ってしまったのかと思った。私たちは戦争体験者として、戦争の真実を伝える活動を展開しているが、こんなものに『ひめゆり』の名前が無断刻銘されているのを目の当たりにして、私たちの顔に泥を塗られた思いだ」と話されるとともに「本土から来た兵隊は、『沖縄を守るために来たのにこんな粗末な食糧しかないのか』と怒り、沖縄の方言を使うものは『スパイとして射殺せよ』と命令すらした。大量の砲弾が打ち込まれ、沖縄の人は『鉄の暴風が荒れ狂う』と言った。そして、あとから来た兵隊は壕の中から住民を追い出した。捕虜になるなと教え込まれていたため、壕の外から『出てきなさい』という声が聞こえたが、誰も出ていかず毒ガス弾が投げ込まれた」と沖縄戦の体験を証言。
さらに聖戦大碑に関して、「戦争に『聖戦』などない。戦争のむごさを伝えねばならないと活動してきた私たちだからこそ、無断刻銘は絶対に許すことはできない。本当に悔しいし、心から憤りを感じる。一日も早くあの碑から名前を削除して欲しい」と訴えました。
戦争を起こしたのは誰か-天皇の戦争責任を追及-
松井やよりさんは、昨年の12月、戦時下における性暴力を訴追しようと「女性国際戦犯法廷」を主催され、そのため現在、右翼から執拗な攻撃を受けている。そんな関係で7月(横浜)、8月(千代田区)と連続して講演会が中止に追い込まれる中、だからこそ金沢の集会に来ていただこうと準備を進めてきたもの。
「言論の自由が、そして民主主義がかつてない危機に瀕している」と述べて松井さんの講演は始まった。なぜ戦犯法廷が右翼の攻撃対象になったかというと、それは戦争責任を明らかにしたことに尽きるという。戦争は自然に起きるのではない。起こした人がいる。その人の責任を日本人は追及しなかった。日本政府は誰一人裁かなかった。それどころか罪を犯した人を靖国神社に神様としてまつるという本当に考えられないようなことをやっている。今、靖国にはA級戦犯が合祀されているから良くないと言われているが、罪を犯したのはA級戦犯だけではない。20万人ものアジアの女性を性奴隷にして暴力をふるったのは何もA級戦犯だけではなく、靖国にまつられている260数万人の中にも罪を犯した人はたくさんいるわけで、そういう人たちを英霊として拝むことは、アジアの女性にとって許せるものではない。
「神社参拝を強制し、植民地の若者を戦場に引っ張って行って、死んだら天皇を神とする神社に勝手にまつることは死者を冒涜するものである。合祀を取り消せ」という声が韓国で上がったのは1978年であった。つまり、靖国の問題というのは今にはじまった問題ではない。靖国は戦争の支柱であった。当時、この神社がどのような役割を果たしたかというと、「九段の母」「軍国の母」のように死ぬことを奨励するところだった。だから、被害を受けた中国や韓国の人たちだけでなく、日本人自身が国家に殺されたということについて靖国と対決しなければならず、また思想信条、信教、内面の自由という視点からも問題にしなければならない。そういう意味で靖国の支部である石川護国神社に「聖戦大碑」が建ったと聞いて、あらためてこの問題を考えたいと思って金沢にやってきたと語られた。
最後に「99年の大転換以来、メディアに対する規制(言論統制)と、教育に対する国家介入(軍国主義教育)がセットで進行し、これにグローバル化が重なっている。日本は軍事化しているが、これをいかにして民主化していくかが重要であり、今日の集会も民主化を進める一つの手段として発展させなければならない」と締めくくった。
「聖戦大碑」をめぐるこの間の主な動き~石川県議会の論戦より~
8月6日 土木企業委員会
藤井肇委員(スクラム喜望)が、「聖戦大碑が建つ土地の管理権を石川護国神社に返還した県の措置に問題はなかったのか」と指摘。これに対して福本俊明土木部長は「法律上は問題なかったが、結果として一部から批判を受けたことは残念」と従来通りの認識を説明。
その上で「都市公園法上、問題はなかったが、設置許可を出す際にもう少し踏み込んだ審査が必要」とも述べ、独自にチェック基準を設ける考えを示したが、藤井氏は「設置許可に落ち度がなかったとする県側の認識と矛盾する行為だ」と反発している。
9月6日 土木企業委員会
藤井委員が、県が新たに都市公園として指定した県立美術館西側の緑地に関し、「緑地の大半ががけ地で、都市公園としては機能しない」と追及したのに対し、福本部長は「都市公園には利用機能と保全機能がある。代替地のうち平地部分約2千㎡は利用機能、残る斜面部分1千㎡は保全機能だ」と強調したものの、「今後の利用、鑑賞に長年にわたって堪えられるかどうかについては検討していきたい」とも答弁した。
10月2日 予算特別委員会
宇野邦夫委員(新進石川)が、「県が設置を許可した事実は消えない。逃げ道がなくなったからといって、県民の声を聞くこともなく、帳簿上のやりとりのようにただ土地を返すのは決して良いやり方ではない」と県の対応を批判。同時に「責任の所在が曖昧だ」と追及したのに対し、谷本正憲知事は「個人的には問題のある法律だと思う」と述べるにとどまった。
「撤去の会」公式ホームページが10月末に完成!
会員の皆さん、お待たせいたしました。懸案であった「聖戦大碑撤去の会」公式ホームページが今月末(25~26日頃)にいよいよ完成する見通しとなりました。
財政の関係上、石川県平和運動センターホームページの中に組み込むという形になりましたが、以下のとおり盛りだくさんの内容になっておりますので、是非アクセスしてみて下さい。
①この間の主な経過について(年表形式)②大碑建立募金碑面刻銘団体一覧③設立趣意書および各種集会アピール④建立委員会側の発行資料⑤対県交渉の経過と県側の回答および県幹部の発言⑥入会のご案内⑦写真のページ⑧リンクのページ⑨ご意見・ご要望のページ http://www.ishikawa-heiwa-center.gr.jp/