神奈川・相模原補給廠からのレポート
米軍ミサイル部隊の新司令部?今後の動向を監視し、駐留撤回へ 沢田 政司(相模原補給廠監視団)平和フォーラム「ニュースペーパー」から転記
司令部庁舎に立った「星条旗」と「日の丸」 |
地元自治体を軽視した突然の駐留通告
2018年10月16日、相模総合補給廠に新たな司令部が駐留を開始した。第38防空砲兵旅団という耳慣れぬ名の司令部で、2019年10月までに115名の兵員になるという。
その半月前の9月28日、南関東防衛局が相模原市に駐留開始を通知してきた。米国が防衛省に通知したのは9月5日。3週間以上も通知を隠しておいてから、地元市に通告してきたのだ。
2018年4月、米空軍の特殊作戦機CV-22オスプレイ5機の橫田基地への飛来の時もそうだった。3月中旬の通知が半月以上も伏せられ、地元自治体への通告が後回しにされたのだ。
加えて、相模原市への通知は、週末の金曜日の夕方だった。市役所が一番対応をとりにくい曜日帯、時間帯を狙ったとしか思えない…。「このような情報が突然に、しかも決定事項として提供されたことは大変遺憾な事態です」。相模原市長は即座にこうコメントし、抗議の意思を示した。10月4日、同市は外務、防衛省に要請行動を行い、文書で改めて突然の通知に抗議し、基地の強化・恒久化は認めることができない旨を申し入れた。
駐留開始当日の2018年10月16日、 相模補給廠正面ゲート前で70名余の抗議行動 |
補給廠の恒久利用を許さない
10月31日、相模総合補給廠のほど近くにあり、在日米陸軍司令部の置かれるキャンプ座間で、第38防空砲兵旅団司令部の再編成式が行われた。その場で、1981年以来37年ぶりに同司令部が再編成されたこと、従来はハワイで執られていた指揮機能の一部を同旅団司令部に移し、青森県つがる市と京都府京丹後市に置かれるミサイル防衛中隊、沖縄県の嘉手納基地の迎撃ミサイル部隊の指揮、統制、調整を行うことが明らかにされた。さらに、グアムにある高々度迎撃ミサイルシステム(TAHAAD)部隊も指揮下に収めることも…。が、依然として指揮、統制の中身は全く不明である。
明けて2019年3月下旬、同司令部のオフィス機材の引越が終わり、5月には司令部庁舎前の掲揚塔に、「星条旗」の「日の丸」の2本の旗が立った。10月に司令部要員が115名となるのかどうか…。現在、要員は宿舎のあるキャンプ座間との間を米軍の公用バスで通退勤している。その数は20名にも満たない…。
東京新聞編集委員の半田滋さんは、新司令部の駐留開始は遊休化する相模総合補給廠の維持を図る方便と指摘する。半田さんの遊休化論には賛成しかねるが、新司令部の駐留は結果として、相模補給廠の恒久化に資するものであることは確か。1938年に旧日本陸軍が、1945年に米陸軍が占有してから81年が経った。新司令部の駐留により、この先も基地が存続し続けてしまうのか。今後の動きに目を光らせ、駐留の撤回を求めていきたい。
(さわだまさし)
相模原総合補給廠とは
相模原総合補給廠は神奈川県相模原市にある米陸軍の基地です。JR横浜線の矢部駅から相模原駅にかけての北側一帯は、旧日本陸軍時代から軍事基地として占有され続けています。
現在、敷地面積は197ヘクタール、横浜スタジアム75個分ほどの広さです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争。米国が陸軍を投入したアジアでの4つの戦争で、戦闘車両、地上戦用物資・資材、病院用資材等を送り出しました。
基地の一部返還は実現しましたが、国有地のため、道路を除き地元利用の道は開けていません。一方、共同使用区域については、相模原市が管理・運営するスポーツレクリエーションゾーンの造成、整備が進んでいます。
基地縮小の動きもある一方で、今回の新司令部駐留のような動きもあり、基地返還へのとりくみに予断を許せない状況が続いています。(「県民のいのちとくらしを守る共同行動委員会」のチラシから引用)