この間の主な経過について(年表形式で紹介)

この間の主な経過について(年表形式で紹介)

1996年 大碑建立委員会設立、以降建設募金呼びかけを開始
2000年 3月21日 地鎮祭・建設工事着工
4月24日 石川県が「公園施設設置許可申請」を許可
6月15日 刻銘募金締め切り(400近い団体と2,300人あまりの個人から総額で6千万円あまりの寄付が集まったとのこと)
8月 4日 「大東亜聖戦大碑」完成式典
8月15日 「鉄血勤皇隊」、「ひめゆり学徒隊」の無断刻銘問題が発覚。沖縄でトップ記事にとりあげられる大問題に発展
2001年 1月~2月 情報公開請求によって石川県の関与を確認
2月27日 石川県平和運動センターの呼びかけにより、「大東亜聖戦大碑問題に関する有志懇談会」が発足。発足時のメンバーは、各級議員・元首長・大学教授・弁護士・労組役員・各種市民運動グループのメンバー・一般市民を中心に約30人
3月22日 第2回有志懇談会
3月 3月定例石川県議会で、藤井肇、山根靖則、若林明夫の各県議(いずれも県議会会派「スクラム喜望」に所属)が県の関与を追及
3月28日 第3回有志懇談会。同会において「大東亜聖戦大碑の撤去を求め、戦争の美化を許さない石川県民の会」設立準備会への移行を確認
4月 6日 設立準備会が記者会見し、対県申し入れの実施を発表
4月10日 中島浩・石川県土木部長に対して申し入れ行動を展開
5月 8日 第1回設立準備会
5月26日 約100人が参加して「大東亜聖戦大碑の撤去を求め、戦争の美化を許さない石川県民の会」設立総会を開催。
共同代表=竹内伊知(元小松市長)、鶴園裕(金沢大学教授)、細井満夫(石川県平和運動センター代表)、事務局長=冨瀬永(石川県平和運動センター事務局長)、事務局=田村光彰(北陸大学教授)、藤場俊基(真宗大谷派僧侶)、松井潔(南京60カ年金沢連絡会)、森一敏(石川県教組金沢支部)、山口隆(金沢指紋の会)
6月 1日 「公開質問状」形式で対県交渉を実施(杉本勇寿副知事が対応
6月 9日 約60人が参加して「対県交渉報告集会」を開催
7月 3日 社民党国会調査団(山口わか子・今川正美両代議士、藤田高景・党市民委員会事務局長)が来県し、大碑を調査。合わせて杉本副知事と懇談
7月 6日 石川護国神社との間で締結していた「土地賃貸契約」を解除し、石川県が土地管理権を返還
7月16日 太田昌秀前沖縄知事が参院選遊説のため来県し、大碑を視察
8月 4日 「第1回大東亜聖戦祭」を開催
約200人が参加して「大東亜聖戦大碑の撤去を求める全国集会」を開催。同集会で会の名称から「石川県民の」をはずし、名実ともに運動の全国展開を図る方針を確認