9月9日、長崎地裁において、これまで「被爆体験者」とされてきた44人が「私たちは被爆者だ」として、被爆者健康手帳の交付を求めた裁判の判決の言い渡しが行われた。判決の内容は原告の一部を「被爆者」と認め、手帳の交付を長崎県・市に命じるものであった。
44人の原告のうち、4人の方がすでに亡くなられている。原告の一人である山内武さんは、「私の周りではすでに200人以上の方が亡くなった」と述べている。この間「被爆体験者」支援にとりくんできた私たち自身、これまで問題解決に至らなかったことに、忸怩たる思いを抱かずにはいられない。本判決についても、「被爆体験者」の一括救済でない点に問題が残る。
そのことを踏まえたうえで、長崎県・市側から控訴するなどして訴訟をこれ以上長引かせるべきではないし、なにより政府が一刻も早い全面的な救済措置を具体的に実施すべきであると考える。
南北に長い旧長崎市の行政区域によって線引きされたため、爆心地から同じ12km圏内であっても、南側の被爆者手帳が交付された住民と、東側の「被爆体験者」とされてきた住民とで長年にわたり大きな違いが生じるという、差別的な扱いが続いてきた。
厚労省は2002年の「被爆体験者」事業の開始にあたり、その説明の中で「被爆体験者」をいずれは被爆者としていく方向性があることを示唆したうえで、まずは事業の開始にご理解いただきたいとする説明を行っていた。
今年8月9日には、岸田首相と「被爆体験者」との面談の機会が設けられ、この問題の「早急な」対応を厚労大臣に指示したことが明言されたが、それから一か月たった現在でも、厚労省に具体的な動きは見られない。
広島では、いわゆる「黒い雨」裁判の2021年7月の広島高裁判決によって、「黒い雨」が降った地域で被爆した住民を被爆者と認めて被爆者手帳を交付し、「同じ状況にあったとされる者」についても救済措置が取られた。同じ被爆地においても、広島と長崎で「黒い雨」が降った地域における対応が異なる、差別的な扱いが生じていたことは、同じ法制度下で生活する住民にとって看過することのできない大きな問題となっていた。
国による、幾重にも重なる差別的な状況の改善が図られることなく、今日を迎えてしまっていることは許しがたい現実である。もう一刻の猶予も許されない。
原水禁はこれまで「被爆体験者は被爆者だ」として、長崎とともに全国連帯でこの問題にとりくんできた。2022年3月には計29万9182筆の署名を国に提出し、その後も継続的に厚労省との協議を行い、救済の観点を明確にするよう訴えてきた。1945年8月9日から79年以上が経過した今日、被爆者の平均年齢は85.58歳となったのと同じように、「被爆体験者」もまた高年齢化が進んでいる。
司法判断を待つまでもなく、早期の解決が図られる必要のあった「被爆体験者」問題を、ここまで放置してきた国の責任は重い。さらにいたずらに時間をかけようとすることなど、決して許されない。一刻も早くすべての「被爆体験者」を被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を行うことが必要だ。
原水禁は、これまで国の政策に決定的に救済の観点が欠けていることを訴えてきた。今こそ国はこの救済の観点を明らかにした「早急な」対応をすべきである。そのことを改めて強く国に求める。
2024年9月9日
原水爆禁止日本国民会議
共同議長 川野浩一
金子哲夫
染 裕之