相次ぐオスプレイ墜落に抗議し、訓練中止を求める声明

2017年8月 8日

相次ぐオスプレイ墜落に抗議し、

沖縄、北海道等での飛行訓練中止を求める声明

フォーラム平和・人権・環境

事務局長 勝島 一博

 またもやオスプレイの墜落事故が発生しました。オーストラリア東海岸で、米豪共同軍事演習「タリスマン・セーバー」に参加していた沖縄の米海兵隊普天間基地所属のMV−22オスプレイが、現地時間の5日午後4時ごろ、強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」への着艦訓練中、海上に墜落しました。米海兵隊の発表によれば、乗員、乗務員を含め26人中3人の海兵隊員が行方不明になった「事故」だとしています。普天間基地所属のオスプレイの墜落事故は、昨年12月13日に沖縄県名護市沖で発生した事故を含め2度目となります。この間日本国内に限っても、名護市沖の事故の同日に起きた普天間基地での胴体着陸事故、2017年6月6日の沖縄・伊江島補助飛行場、続く6月10日の鹿児島・奄美空港への緊急着陸など、オスプレイの事故が相次いでいます。

米軍当局や日本政府がオスプレイの有用性をいくら強調したところで、欠陥機である同機の運用は許されません。すべての飛行訓練の中止と普天間基地の配備及び予定されている東京・横田基地への米空軍CV−22オスプレイの配備計画を撤回すべきです。そして、陸上自衛隊が導入しようと計画しているオスプレイの佐賀空港配備も白紙撤回することを強く求めます。

これまでのオスプレイの事故の多くは、事故に至る経緯や原因が明らかにされてはいません。防衛省のホームページで事故報告書が公表されているのは、普天間基地配備前に起きたフロリダ、モロッコでの事故の2件のみです。昨年の名護市沖での墜落事故に関しても、夜間空中給油訓練途中で事故が発生し、名護市沖の浅瀬に「不時着水、大破」するまでの経緯が全く不明で、事故原因の究明がなされていないにもかかわらず、事故から6日後には飛行訓練を再開しています。オスプレイの安全性に対して多くの人々が懸念を示しており、日本政府は、米当局に「自粛」を要請するだけでなく、経緯や事故原因が明らかにされるまでは飛行訓練等を中止するよう求めるべきです。

沖縄では、北部訓練場をはじめ、キャンプハンセンなどで住民の安全を無視したオスプレイの訓練が連日行われています。そして8月10日から28日かけては、北海道で陸上自衛隊と米海兵隊の約3300人が参加して行われる大規模な共同軍事演習「ノーザンヴァイアー」が行われ、普天間基地所属のオスプレイ6機が参加し、夜間飛行訓練などを行うとしています。沖縄の負担軽減のための訓練移転と説明されていますが、政府は米軍機の飛行訓練について「日米安保の目的達成のため飛行訓練を行うことは当然の前提」として、訓練空域以外での飛行訓練すら容認している始末です。つまり米軍基地の過重負担を負わされている沖縄の現状を省みるまでもなく、すでに縦横無尽に日本の空を、米軍機が飛行訓練することは既定路線になっているのです。

平和フォーラムは、日米軍事一体化、基地の共同使用による米軍機等の運用の拡大、SACO合意違反の基地使用などを許さないとりくみを進めていくとともに、相次ぐオスプレイの事故に抗議し、飛行訓練の即時中止を強く求めていくことを表明します。

以上

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1933年(昭和8年)桐生悠々氏社説にて「関東防空大演習を嗤(わら)う」

桐生悠々 軍に屈せず一人の戦い 戦争と言論人 足跡を訪ねて(2) 

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2010/8/8 4:00

 

「言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である」

抵抗の新聞人として名を残す桐生悠々が使っていたと伝えられている机が信濃毎日新聞本社(長野市)にある。主筆にふさわしい重厚な作りだ。2005年の社屋建て替えまで、歴代の編集局長はこの机の前に座ることになっていた。

信濃毎日新聞主筆時代=同社提供

「権力に敢然と立ち向かった立派な記者がいたという誇らしい気持ちと、軍の圧力に負けて彼を守りきれなかったジャーナリズム企業としての敗北感の両面がある」と同社専務の小坂壮太郎さん(48)は語る。

大演習を批判

悠々が主筆時代、「経営は編集に介入せず」の方針のもと、オーナーである小坂順造社長、弟の武雄常務(のちに社長)は、悠々の社長批判の論説でさえ容認した。壮太郎さんは武雄常務の孫だ。その小坂家が悠々を切らざるを得なかった痛恨事があった。

1933年(昭和8年)、「関東防空大演習を嗤(わら)う」という社説が掲載された。数日前に行われた陸軍の大規模な演習を論じたものだが、悠々は「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」と断言した。敵爆撃機は日本沿岸までで防がねばならず、本土に侵入を許せば東京は関東大震災と同様に焼け野原になると警告した。

「中身は悪いものでも何でもないんです。きわめて妥当な意見です。それを(あざける意味の)『嗤う』ときたからばかな兵隊、頭にきたわけです」と当時を知る同社の元編集局長、坂本令太郎さん(故人)は証言している。

以前から信毎の反軍的論調を快く思っていなかった軍関係者はこの機を逃さなかった。地元の在郷軍人会幹部が同社に乗り込み、不買運動を展開すると脅した。当時の信毎の発行部数は約2万部。在郷軍人会は8万人にも及ぶ。信毎存亡の危機に悠々は社を去らざるを得なかった。

05年に同社として50年ぶりに復活させた主筆を務める中馬清福さん(74、元朝日新聞論説主幹)は「悠々の時代の新聞社は丹頂鶴のように頭の上の主筆だけが論じていた。それがいかに弱かったかを感じる。記者全員が共通の論を持っていなければ圧力に屈するのは早い」と一人で戦うことの難しさを語る。

弾圧に次ぐ弾圧

しかし、悠々は一人で戦い続けた。退社翌年の34年から個人雑誌「他山の石」を発行。二・二六事件の際は「だから、言ったではないか、はやくに軍部の妄動をいさめなければ、その害の及ぶところ実に測り知るべからざるものがあると」と書くなど、舌鋒(ぜっぽう)鋭く軍部批判を続けた。

これに対し軍当局は発禁・削除処分で弾圧。11人の子だくさんだった悠々の生活は困窮した。日本が太平洋戦争に突入する3カ月前の41年9月に廃刊を余儀なくされる。「廃刊の辞」に「この超畜生道の地球から喜んで去る」と書き、同月喉頭(こうとう)がんで亡くなった。通夜の席には追い打ちをかけるように廃刊の辞の発禁命令書が届いた。

――蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜

東京・多磨霊園の悠々の墓の隣に自身の句碑が建っている。軍国主義の暴風の中、「言わねばならないこと」を言い続けた悠々の死の4年後に敗戦。焼け野原にたたずむ人々は、彼の予言の正しさと軍部が指導した戦争の嗤うべき愚かさを思い知ったのだった。

きりゅう・ゆうゆう(1873~1941年)本名政次。金沢生まれ。大阪毎日新聞、朝日新聞などを経て、1910年に信濃毎日新聞主筆に就任。乃木将軍殉死批判の社説が物議を醸す。

14年に他社に移ったが、28年に信濃毎日新聞主筆に復帰。33年の社説「関東防空大演習を嗤う」で軍関係者の反発を受けて退社。以後、個人雑誌「他山の石」を発行して時局や軍部の批判を続けるが、度重なる発禁など弾圧を受ける。太平洋戦争直前の41年9月に死去。

 

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護憲集会も使用不許可とした金沢市と上告を棄却した最高裁に抗議(記者会見)

2014年金沢駐屯地陸自パレードに反対する集会に市役所前広場を貸さなかった金沢市は、今度は、従前から貸していた「護憲集会」にも貸さず、憲法を守る会は提訴も辞さずとして記者会見を行った(2017.8.8 12:35より市政記者室にて)  詳細は近々にて。

また、8.3には最高裁から、陸自パレード「市庁舎前広場使用不許可」違憲!訴訟の上告を「却下」する通知があった。表現の自由への束縛が、制限が、いとも簡単に「合法」とされた瞬間です。

会見でも述べましたが、マスコミの方々も使命感を持って「表現の自由」を守り、発揮しなければなりません。ともにがんばりましょう。

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水位低下 警報 水位計の故障と判断 現場確認せず 通報は20時間後 また北電か?

水位低下、警報無視、現場確認せず、連絡遅れ20時間‥、また北電か!  いやいや安心めされい、東電です。(お笑い)

内堀知事が東電批判「緊張感足りない」 汚染水漏れ問題

2017年08月08日 09時00分

東京電力福島第1原発4号機の原子炉建屋地下の汚染水が外部に漏えいする恐れがあったにもかかわらず、警報の発生を水位計の故障と判断し通報が遅れた問題について、内堀雅雄知事は7日の定例記者会見で「結果として緊張感や危機意識が足りなかったのではないか」と東電を批判した。

さらに内堀知事は、原発事故の以前から、東電の通報遅れが「あまたあった」と強調。その度に、問題の改善を申し入れてきた経緯を踏まえ「危機意識を組織全体で持ち、作業することが何より大切。申し入れする必要が二度とないよう、東電にはしっかり対応してほしい」とくぎを刺した。

第1原発では、1~4号機の建屋地下にたまる汚染水の漏えいを防ぐため、建屋周辺の地下水位が汚染水の水位よりも高くなるよう調節している。一連の問題では、2日午後6時半ごろ、4号機近くの井戸「サブドレン」の水位が一時低下し、建屋地下の汚染水の水位を下回った。水位低下を知らせる警報が鳴ったが東電は水位計の故障と誤って判断し、現場を確認しなかった。水位計は故障しておらず、関係機関への通報は発生から約20時間後となった。

東電によると、井戸の水位が建屋内の汚染水より低かった時間は20分程度で、既に水位は回復。問題の発覚後、東電は4号機周辺の井戸の水を毎日採取、分析しており、これまで汚染水の漏えいは確認されていないとしている。

 

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沖縄配備のオスプレイが豪州沖で墜落、飛行自粛要請を無視

沖縄の米部隊に所属、オスプレイが豪州沖で墜落

読売新聞 / 2017年8月5日 23時18分

米海兵隊は5日、オーストラリアの東の海上で、沖縄県に司令部がある第31海兵遠征部隊所属の輸送機「オスプレイ」1機が墜落したと発表した。(訓練中に、米艦に接触した、との情報。)

乗員26人のうち23人が救助されたという。同部隊などが残る3人の捜索活動を行っている。

オスプレイを巡っては昨年12月、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の所属機が同県名護市沖で不時着し、大破する事故を起こしている。

オスプレイ墜落「またか」 沖縄の事故から7カ月 県民ら不安と怒り

8/6(日) 9:53配信琉球新報

 米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが5日、オーストラリア沖で墜落した。名護市安部の海岸に昨年12月、今回と同じ普天間所属のオスプレイが墜落した事故から7カ月余り。県民からは「また事故か」「いつどこに落ちるか分からない。本当に危険だ」「二度と飛ばすな」などと不安や怒りの声が上がった。

昨年12月の名護市の墜落事故後、米軍はわずか数日後に飛行再開した。普天間を飛び立ったオスプレイが宜野湾市や東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場、宜野座村城原区、那覇市、伊江村など県内各地で訓練を続けている。

名護市安部区に住む川田正一さん(66)は「安部に墜落してから1年たたずにまた事故だ。二度と飛ばすべきではない」と憤った。オスプレイは今年6月、伊江島に緊急着陸している。伊江村真謝区の平安山良尚区長(55)は「欠陥機だとあらためて証明した」と強調した。「どれほど私たちが危ない、(配備を)やめろと声を上げても聞かない。情けない政府だ」と話した。

東村高江区に住む伊佐育子さん(56)は「常に高江の上空を飛んでいて、いつ墜落するか分からない。もう一度、県民はオスプレイ撤回の要求をしないといけない」と強調した。オスプレイの離着陸訓練による騒音・粉じん被害に苦しむ宜野座村城原区の崎浜秀正区長は「安部の墜落や米軍キャンプ・ハンセン内のつり下げ物落下もあった。事故が今後も起こることは容易に想像できる」と話し、米軍機による訓練の危険性をあらためて指摘した。

普天間飛行場から約150メートル離れた場所に住む、第2次普天間爆音訴訟団の高橋年男事務局長(64)は「最近、緊急着陸や夜間訓練が増えている。夜だと(視界の関係で)事故の確率が高くなる。安全性に不安を抱く」と話した。島田善次原告団長(77)=宜野湾市=は「オスプレイが欠陥機であることをこれまでも訴えてきた。オスプレイの配備が全国に広まれば、沖縄だけの問題ではなく県外でも(墜落事故が)発生するだろう」と指摘した。

12日には、新基地建設断念を訴える県民大会が開かれる。辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議の共同代表を務める玉城愛さん(22)=うるま市=は「米軍基地があることから、沖縄の人たちはいつも事故の危険性と隣り合わせだ。国は『沖縄や日本の人の生命や財産を守る』と言うが、全く守られている気がしない」と憤りを見せた。

琉球新報社

【関連記事】

オスプレイ飛行を強行 国の自粛要請無視

豪での墜落事故後、初めて離陸し、飛行後に米軍普天間飛行場に戻るオスプレイ=7日午後1時ごろ、宜野湾市

 米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ1機が7日午前10時40分ごろ、同飛行場から離陸した。5日には同基地所属のオスプレイがオーストラリアで墜落し、日本政府が米軍に対して飛行の「自粛」を求めていたが、これを無視して飛行を強行した形だ。
関係者によると、オスプレイ1機が7日、伊江島で離着陸訓練を繰り返す様子が確認されている。同日正午すぎには名護市の大浦湾上空をオスプレイ1機が南下しているのが確認された。

 5日の事故を巡っては小野寺五典防衛相が6日、米軍に日本国内での飛行自粛を求めたと明らかにしていた。国内外で相次ぐオスプレイの事故を受け、県内ではオスプレイの訓練や配備に反発の声が高まっている。米軍は県だけではなく、政府の要請を無視する形でオスプレイの訓練を再開しており、反発がいっそう広がりそうだ。
県は7日午後に外務省沖縄事務所の川田司沖縄担当大使、沖縄防衛局の中嶋浩一郎局長を県庁に呼び、事故に抗議する。【琉球新報電子版】

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福島第1原発、井戸の水位低下、報告遅れる 毎日・福島

毎日新聞

  東電によると、4号機周辺の1カ所で2日午後6時半ごろに水位低下の警報が鳴り、二つの水位計がいずれも2・2メートル急低下。東電が定める汚染水漏えい防止のための基準を最大で約1メートル下回った。しかし周囲の他の井戸の水位に変化がなかったため、当直長は水位計の故障と判断。東電は公表や規制委への報告を見送った。3日に故障ではないことが分かった。近くで行われている掘削工事の影響が出た可能性があるという。【尾崎修二】
※警報無視、掘削工事の影響かなど、志賀原発「雨水流入・危機一髪」事故を想起させるもの。いずれの電力会社も、危機対応能力という意味では、鈍感・無関心・危機感なしは共通している。やはり反核・脱原発しかない。
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3.11「以前」の福島第一原子力発電所のトラブル

福島第一原子力発電所のトラブル

福島第一原子力発電所のトラブル(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょのトラブル)では、東京電力福島第一原子力発電所で発生したトラブルの内、2011年3月の爆発事故前に起こったトラブルについて説明する。

目次

舘野淳は1997年までの各機のトラブル件数を下記のようにまとめている。

  • 1号機:68件[1]
  • 2号機:42件[2]
  • 3号機:24件[3]
  • 4号機:10件[4]
  • 5号機:18件[5]
  • 6号機:14件[6]

初期に建設されたプラントにて不具合が多い傾向が見られ、舘野の著書でもそういった傾向には触れられているが、1980年に『投資経済』が取材した際の回答によれば、4号機以降では先行機の経験をフィードバックして最初から改善策を盛り込んだため、配管において1970年代後半に1〜3号機の稼働率を低迷させた応力腐食割れ問題は起こっていなかったという[7]

トラブル一覧[編集]

下記は報道、公表されたトラブルの一部であり、小規模な事故は建設当初から発生している[注 1]

1973年6月25日 放射性廃液漏洩事故
発生時刻は16時32分で、原因は作業員のミスであった。この際東京電力は汚染土を除去し、残りの廃液を含んだ水を処理したが、従事した作業員の被曝量は安全基準を超えるものではなかったとされる。しかし、大熊町への連絡は何も無く、6月26日16時に共同通信記者からコメントを求められて初めて知った。東京電力は26日14時10分に報告していたが、その時点で事故から22時間経過していたことを大熊町は強く批判し、「地元をないがしろにし、場合によってはその信用を失ってもやむをえない」と述懐している[8]
1976年4月2日 2号機事故
構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一朗に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一か月後東京電力は事故の発生を認めた。東京電力は「溶接火花が掃除用布に燃え移った」と説明したが、実際にはパワープラントのケーブルが発火し、偽装のため東京電力社員がダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた[9]。同型のブラウンズフェリー(en)でケーブル火災による全交流電源喪失事故を起こした直後だったこともあり、東京電力はこの火災後、建屋内全域でケーブル類に耐火塗装工事を実施した。森江信は公式発表と実際の乖離例としてこの件を批判している[10]
1977年 墜落災害による死亡事故
森江信によれば、1977年にはタンク室で墜落災害による死亡事故が発生しているという。しかもこの時、救出された被災者は病院への搬送前にホールボディカウンターの検査を通すことになり、作業員への取材によれば搬送は数時間後のことだったが、東京電力は直後に搬送したと発表したとしている[11]
1978年11月2日 3号機事故
日本で最初の臨界事故とされるが、公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。2007年頃、東京電力は当時相次いでいた不祥事の洗い出しをするため、過去の記録の再調査を行っていた。3月21日夜、東芝から東京電力に3号機炉心の中性子の計測記録に問題があった旨連絡が入った。報告によると、1978年11月、同記録の計測限界を示す状態が約7時間半続いていたことが記されており、当時の3号機当直員(東京電力社員)は「朝出勤したら制御棒が抜けていたので入れなおすように指示した。中性子の数値が上がっていたように思う」と証言した。原因は制御棒水圧を調節する戻りの操作ミスで、1978年11月の事件の3ヵ月後に5号機、7ヶ月後には2号機で同様の制御棒脱落が起きていた。11月の事故が起きた時点で情報を水平展開していれば後の事故は防げた可能性を日本経済新聞は指摘している[12]
1978年 硫化水素中毒事故(号機不明)
森江信によれば、放射能以外にも作業者に対する危険はあり、1978年には2次系配管で硫化水素による中毒事故が起き、その理由として硫化水素ガスの発生が容易に予期出来るにも関わらず現場に満足な検知器も無かったためとしている[13]
1980年1月 1号機定期検査
証言者は平井憲夫、平井と一緒に作業に入った地元農家のS(匿名)という者で、原子炉建屋内での配管溶接作業前に溶接不良を防止するための清掃作業があり、平井の監督の下10数名で中に入った。汚染度はB区域[注 2]であったが、Sともう一名が高線量被曝し、作業後何度もホールボディカウンタによる測定を実施しても当時の作業者の平均が1000カウントのところ、ほぼ全員が5000カウント以上、Sについては特に高く52万4866カウントであった。その日以来Sは炉内での作業から汚染度の低いエリアでの作業に配置転換されたが、人並みのカウントに戻るまでに3年4ヶ月を要した[14]。更に、Sはその作業の日のホールボディの値を1986年に入って平井と恩田が聞き取りしに来るまで知らず、自身で初めて値を知ったのは32000カウントまで下がった時からだった。また、作業の日以降、だるさや頭痛、歯茎からの出血に悩まされたという[15]。その後チェルノブイリ原子力発電所事故が発生して原子力発電への関心が高まったため、Sは高木仁三郎の紹介で大阪の病院で診察を受け、被曝症状の兆候が見られる旨診断されたが、この顛末を『週刊現代』1986年5月24日号で報じた上で東京電力に照会したところ、許容線量内の被曝量との答えだったという[16]
1981年5月12日 2号機スクラム
1981年5月12日、福島第一原子力発電所2号機にて復水器から原子炉に冷却水を戻す「給水ライン」の電源装置に異常が発生、高圧復水ポンプ、給水ポンプ計4台が連鎖的に停止し原子炉に水が戻らなくなるトラブルが発生し、最終的にスクラムがかけられた。この際、圧力容器内に溜まっている水が抜けないように主蒸気隔離弁が閉鎖されたが、この時に、崩壊熱を受けて増大する上記の圧力を一定以下に保つためのもう一種の弁、主蒸気逃がし安全弁が開閉操作を繰り返すことなく、20分近く開いたままとなり、発生した蒸気が捨てられ続けた。その間、運転員は一度停止したポンプを再起動し、給水を回復させた[17]。山崎久隆は、運転員の操作について、一度異常で停止したことで信頼に疑問のあるポンプを再起動させ、主蒸気逃がし安全弁を開いて通常運転時の70気圧から25気圧まで減圧したことで、水が減圧沸騰により冷却水が急速に蒸気となる可能性も考慮するべきだったと主張、水位が燃料頂部より高い位置を示しているというだけで、すぐ水を補充しなかった判断を批判している[18]
また、このトラブルは当時ECCSが作動していた事実が公表されず[2]、1992年9月29日に同2号機にてスクラムのトラブルが発生した際、資源エネルギー庁がマスコミの要求に応じて過去のECCS作動事故の一覧を公開した際明らかとなった。1992年9月のトラブルでは生チャートと事故の推移資料が提供されていたため、市民団体は追加の情報公開を求めたが「保存年限を経過してしまっているので、何も残っていない」と回答し、1981年当時東京電力が国会議員宛に提出した資料だけが公開情報として残されたという[19]。山崎久隆はトラブル隠しが行われた背景として、事故の前月の4月18日、日本原子力発電敦賀発電所にて放射性廃液の漏洩事故があったため、福島県議会も事故当日である5月12日に福島第一原子力発電所へ立入調査を行っていた事実を提示している。事故発生は深夜の0時17分であったので報告は時系列上に可能だったが、実際には東京電力は調査団に「水位低下による原子炉停止があった」としか知らせず、資源エネルギー庁にのみECCS作動の事実を分析結果の添付無しで報告したにすぎなかった。そのため、調査団は敦賀事故で問題になっていた廃液処分設備などを中心に視察し、7月1日の議会答弁で問題が無い旨で報告しめくくっているという[20]
1982年11月 4号機定期検査
恩田勝亘が平井憲夫に取材したところでは、1982年〜1983年頃、4号機の定期検査中に未熟な社員が間違ったバルブ操作をして汚染水を空調ダクトに流出させたことがあり、高濃度に汚染されたダクトを監督レベルの作業者を集めて秘密裏に処理したこともあるという。東京電力は1982年11月に指摘と類似の事故があったことは認めているが、過渡の被曝については認めていない[21]
1990年9月9日 3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル2。
1998年2月22日 4号機
定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチは約15cm)抜けた。
2000年7月 1〜6号機
過去の自主点検検査記録などのデータ改ざんが行われていたことが原子力安全・保安院への内部告発により発覚し、2002年には東京電力もデータ改ざんがなされていた事実を認め、社長南直哉等当時の首脳陣が引責辞任した(東京電力原発トラブル隠し事件)。
2004年8月 全プラント再調査
8月13日、本発電所、福島第二原子力発電所の建設時に使われたコンクリート用の砂利を納入した骨材製造会社の元従業員による告白で、アルカリ骨材反応性試験の成績書を捏造し、品質保証をすり抜けていた事実が報道された(報道時には主として浜岡原子力発電所4号機の建設での同様の問題が報じられた[22])。原子力安全・保安院は東京電力に対して事実関係の調査とコンクリートの健全性にかかわる調査を指示、同年10月22日に報告書が提出された。その後、11月11日、12日に渡り、保安院によって全プラントの目視調査、圧縮強度測定が実施された[23]。アルカリシリカ反応性試験に係る規準が整備されたのは1986年で、それ以降に竣工した建物は雑固体廃棄物減容処理建屋で、骨材を納入した5社の内東洋機工が捏造を行っていた。事情聴取の他、第3者機関が保有する成績書と納入業者が保有する成績書を照合し、健全性が確認されたとしている[24]。規準整備以前に建設された建物については以前より自主的にコア採取、促進膨張試験等を定期的に実施しており、8月に臨時試験、9月に目視検査を行った結果、設計基準強度を上回っていることを確認した、としている[25]。保安院は11月に自ら実施した調査を踏まえ、東京電力の報告を妥当と評価した[26]。再発防止策としては、試験成績書原本を第3者機関から直接受領し、サンプルすり替え対策として発送時に第3者機関の職員による立会い確認をすることとした[27]
2010年6月17日 2号機
水位低下事故。3号機プルサーマルのためMOX燃料を導入しようとした矢先、2号機で水位低下する事故が発生[28]
2011年3月11日 1・2・3・4号機
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とその地震による津波で、外部からの電源と発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源の双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉の冷却機能が失われたため、炉心溶融等により大量の放射性物質が放出された。原子力安全・保安院による暫定評価は最悪のレベル7。事故の詳細と経緯については福島第一原子力発電所事故福島第一原子力発電所事故の経緯の記事をそれぞれ参照。
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筑摩書房より「これを知らずに働けますか?」~学生と考える、労働問題 ソボクな疑問30~

20170714151605本の紹介「これを知らずに働けますか?」 学生と考える、労働問題ソボクな疑問30

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憲法第9条全文

<憲法第9条>

一項:「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

二項:「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。

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つくられる脅威・過剰な反応 危険を呼ぶ安全保障政策

2017年7月 1日

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、何度もミサイルの発射実験を繰り返し、国威の誇示を図っている。これは間違いなく米国政府に対する「意思表示」だ。これまで、北朝鮮政府は国連など公の場において、1953年7月27日に締結された朝鮮戦争における停戦協定を平和協定に変える議論を呼びかけている。朝鮮戦争は、私が生まれる前の出来事、多くの日本人には記憶の外にある。教科書で学ぶか、松本清張の小説「黒地の絵」や米国のドラマ「マッシュ」などでわずかに記憶しているにすぎない。しかし、北朝鮮にすれば未だ戦争は終了していない。

ブッシュ(子)米大統領は、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と非難し、2003年には大量破壊兵器の保有を理由にして対イラク戦争を開始し、フセイン政権を倒した。その米国の圧倒的軍事力は、今、北朝鮮・金正恩政権へと向けられている。追い込まれれば追い込まれるほどに、核兵器とミサイルに固執する北朝鮮政府を非難することはたやすいが、そもそも侵略戦争と植民地支配で南北分断のきっかけをつくった日本や、これまで60年以上も対米戦争状態に放置してきた国際社会には、何ら責任はないのだろうか。

4月29日、北朝鮮のミサイル発射のニュースを受けて、東京メトロは全路線で最寄り駅に緊急停車させた。発射の40分後である。秩父市では、北朝鮮のミサイル発射に際して「地下街への避難」をすすめるチラシを市民に配布した。軽井沢町では、職員30人分の防護服などの購入を検討している。このような過剰な反応は、ひとえに安倍政権の姿勢にある。北朝鮮のミサイル発射を「放置すれば安全保障上の脅威が伝染病のように広がる危険性を帯びている」などとして、その「脅威」のみ誇大に宣伝している。その安倍政権のあり方に迎合し、自治体や企業が過剰な反応を示す。右傾化する日本社会の危険性がそこにある。

 国連は、中国やロシアまで含んで6月3日に新たな追加制裁措置を決定した。国際社会は一致して北朝鮮の核やミサイル開発を許さない姿勢を示したと言うことだろうが、しかし、そのことで北朝鮮の「意思表示」に答えることができるのだろうか。安倍晋三首相は、米韓日の軍事同盟の強化や敵基地攻撃、高高度ミサイル防衛網の設置など、軍事的対抗政策しか示し得ないでいる。北朝鮮だけを非難し、軍事的圧力を強め、孤立させることが日本の安全保障政策であるならば、この政治の貧困は、将来に禍根を残すに違いない。

(藤本泰成 平和フォーラム共同代表)

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