「大東亜聖戦大碑」とは?
金沢の中心部(兼六園の裏手)にある石川護国神社の参道に建てられた石碑です。碑の正面には、「日の丸」と「大東亜聖戦大碑」、裏面には「八紘為宇」という文字が刻まれています。「八紘為宇」とは、「全世界を天皇のもとに一つの国家にする」という意味で、表と裏の碑銘によって、「大東亜戦争とは、現人神(あらひとがみ)である天皇によって遂行された<聖戦>、すなわち崇高な戦争であった」と賛えているのです。
高さが12メートルもあるこの石碑が除幕されたのは、2000年8月4日のことです。碑の下部には、建立の中心となった二人の詠が刻まれ、三方には賛同寄付者の個人名(650余)と、団体名(250余)が刻まれています。
この碑の建立は、1995年の国会において、「植民地支配や侵略行為がアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、反省の念を表明する」とした「戦後50年決議」が採択されたことに端を発しています。この決議に対して、「亡国の謝罪」であると怒った「日本をまもる会」は、「この亡国状態への反撃は百千万の口舌より、まず大碑建立をもって形象化すべき」として、建立委員会を結成して、全国に寄付を呼びかけました。この呼びかけに対して、「石川県軍人恩給連盟」や「遺族連合会」の内部から、「大きすぎる」「<聖>の字は必要ない」「護国神社にこんなものを建ててくれるな」との声が上がりました。集まった寄付金は、総工費1億円の予算を大きく下回り、建立の中心人物などの個人負担によって賄われたと言われています。このように、戦争体験者や遺族の完全な支持を得ないまま、ようやく完成させ、神道の儀式に則って竣工式典が挙行されたのです。