※太字、下線は石川県平和センターが加筆しました。全文掲載は無断盗用です。<(_ _)>
高市自民党は、855億円もの巨額の税金を投じ、不都合を覆い隠し、追及をかわすため国民に考える時間を与えない総選挙において、圧勝を収めました。しかしながら、その結果を前にして、わたくしの胸にあるのは、ただ重く、そして拭いがたい違和感とやり場のない深い悲しみと怒りのみです。
わたくしは反日でも、中国人でも、いわゆる親中派でもありません。日本が大好きで、この国の行く末を真剣に案じている、ただの日本人です。
だからこそ、嘘と無責任が是正されるどころか、成功体験として温存される政治の現実に、言葉を失っています。
嘘を吐き、誤魔化し、追及されれば言い逃れ、最後は責任転嫁する。その繰り返しを重ねてきた人物である高市早苗氏が、国家のトップに立つ…. 正直に言って、悪夢です。
選挙が始まった日、わたくしはFacebookにこう書き投稿しました。
「選挙は、人々の心に希望を灯し、未来を語る前向きな祭りであってほしい」
明るく、楽しく、次の時代を思い描ける時間であってほしい….それが、わたくしの一貫した願いでした。
しかし、今回ほど怒りと憤りを覚えた選挙はありません。何故なら、今回起きたのは、政策を選ぶ選挙ではなかったからです。
争点は避けられ、選挙は「高市か、それ以外か」という人物イメージの人気投票へと、意図的に置き換えられました。
高市氏は、選挙前の段階で「勝利後には国論を二分するテーマに踏み込む」と明言していました。
であれば本来、その中身を具体的に示し、その是非を国民に問うことこそが、総選挙の最低限の要件だったはずです。
しかし、選挙期間中、その核心が具体的に語られ、正面から検証されることはありませんでした。
これは結果論ではありません。選挙前から分かっていた事実です。にも関わらず、この勝利が、あたかも「国民からの白紙委任」であるかのように読み替えられている….それは民主主義ではありません。
そして、この異常なすり替えを止めなかったどころか、助長した最大の要因が、日本の主要メディアでした。
選挙期間中、多くの報道は、政策の是非や争点の検証ではなく、「どちらが勝ちそうか」「空気はどちらに傾いているか」といった情勢やイメージの反復に終始しました。
その結果、有権者が本来判断すべき材料は意図的に薄められ、選挙は政策を選び取る場ではなく、人気投票へと変質していったのです。これは報道ではありません。民主主義の手続きを骨抜きにする行為です。
その帰結として、人物の本質が検証されることもなく、表層的な印象だけが流通していく….
高市氏の柔和さの欠片も感じさせぬ表情、常に苛立ちと攻撃性を張りつかせた佇まい。不自然に作られた笑顔の奥から滲み出る焦燥と狡猾さ。追い詰められるほど、ヒステリックな性向が前面に現れてくる。
人の顔には、その人がどのように生きてきたか、その積み重ねが如実に刻まれるものです。
今や、高市氏は嘘を隠そうとする素振りすら見せません。
国民の生活を切り捨てるかのような発言を平然と重ね、それでもなお拍手が起きるその光景にわたくしは政治以前に、社会そのものへの絶望を覚えます。
もはや問題とすべきは、高市氏がなぜ支持を得ているのかという点ではありません。
問われるべきは、いまだに #高市早苗という人物の本質を見極めようとしない社会全体 の姿勢の問題です。
「野党が不甲斐ないのだから致し方ない」という言葉に触れるたび、わたくしは言い知れぬ倦怠を覚え続けてきました。
その一票、その自己弁護の積み重ねが、長年にわたり日本の政治を硬直させ、社会の活力を静かに奪ってきました。
多数を得たから正当である…. 勝利したのだからすべてが免責される…. その発想は支持ではなく、思考の放棄にほかなりません。
更に、長年にわたり政権を担ってきた側が、なおも「改革」を掲げるその姿は、「明日から本気を出す」と言い続ける者と、果たしてどこが異なるのでしょうか。
本来、最初に求められるのは、自らが歩んできた道が誤りであったことを認める、率直な総括のはずです。
加えて、円の価値も国力も下落を続けるなかで、それを危機としてすら認識しない感覚….
「日本を強く、豊かに」という言葉が、これほどまでに現実と乖離して響く時代が、かつてあったでしょうか。
支持の根拠は、「高市さんなら何とかしてくれる」
「何かを変えてくれるかもしれない」という期待だけで、イメージと感情に、日本の未来を預ける、その危うさに、わたくしは言葉を失います。
さらに深刻なのは、高市氏の統治スタイルと、これを検証しないメディアの姿勢が、極めて危険な形で噛み合っている点です。
数を得たことをもって、自らの判断を国民の総意とみなす自己正当化。その先にあるのは独裁ではありません。しかし、より現実的で、より制御しにくい「独断の常態化」です。
本来、日本の政治は、与党内調整や官僚機構、合議慣行によって首相権限を抑制してきました。そのブレーキは、今、急速に壊れつつあります。
その状況下で、権力を疑い「それは白紙委任ではない」と言い切る最後の装置であるはずのメディアが沈黙するなら、民主主義は形式だけを残して空洞化します。
今、問われているのは高市首相の資質だけではありません。争点を隠し、選挙を人気投票に変質させ、この結果を招いた報道の責任です。
これは好き嫌いや保守かリベラルかの問題でもなく
国を任せるに値する統治の姿勢が、選挙で本当に検証されたのか….ただそれだけの話です。
高市氏に関する投稿を行う度、支持者達からは罵倒され、レッテルを貼られ、怒りを覚えたこともありますが、今は、それ以上に、悲しさと悔しさの方が大きいのです。
それはこのまま進めば、気づいた時にはもう戻れないところまで、社会は変わってしまうかもしれないからです。
高市氏が意欲を示している憲法改正やスパイ防止法は、安全保障を掲げた政策論争という枠を超え、社会の統治構造そのものを静かに組み替えかねない性質を帯びています。
いったん成立すれば、定義の曖昧さと行政裁量の広さを背景に、権力行使の範囲は拡張され続け、司法による歯止めも事後的かつ限定的にならざるを得ません。
その結果、言論や表現、研究や報道は明示的な弾圧を待たずして萎縮し、人々は「踏み越えないための沈黙」に慣らされていきます。
こうした変化は急激ではなく、段階的に進むがゆえに、社会は危機を危機として認識できないまま、気づいた時にはもはや元に戻れない地点に立たされている可能性が高いのです。
いま我々が突き付けられ、問われているのは政策の好悪ではなく、拡張された権限を誰に、どのような統治能力と倫理観の下で委ねるのかという、民主主義の根幹そのものなのです。
選挙は終わりましたが、ここから先、日本がどこへ向かうのか。
#これからもわたくしは諦めることなく怯むことなく粘り強く声を上げ続ける所存でございます。
権力の座に安住する高市早苗という人物を、必ずやその座から引きずり下ろし、まっとうな政治を取り戻すこと….そして、誰一人として取り残されることのない社会を実現するその日まで。
さらに何より、平和で未来に希望と夢を抱くことのできる国を後世に遺すことこそ、今を生きるわたくしたち大人の責務であるとの信念に忠実に、わたくしは、いささかも退くことなく、いささかも臆することなく、粘り強く声を上げ続けてまいります。
長文、乱文一読くださりありがとうございました。
皆様にとりましても、さぞかし重く、最悪の心中であろうと拝察いたします。
それでもなお、ほんのひとときでも心穏やかな素敵な夜をお過ごしになられますように


