「脱原発~21世紀における私たちの選択」

講演タイトル「脱原発~21世紀における私たちの選択」
講師 岩淵正明(弁護士、能登原発差し止め訴訟弁護団事務局長)

注.この講演録は、2000年11月16日に開催した「臨界事故1周年!原子力政策
の転換・脱原発社会の実現を求める県民集会」における記念講演の内容を要約したものです。

画期的な日弁連の「脱原発決議」

講師:岩淵正明さん 話の本題に入る前に、私ども弁護士が加入する団体である日本弁護士連合会の動きを少しご紹介しておきたいと思います。
 さる10月6日に日弁連の人権大会というものが岐阜で開かれましたが、その大会において「原発の新増設を停止し、既存の原発については段階的に廃止する」などとした脱原発に関する決議を私たちは採択しました。まぁ、日弁連としては原子力偏重政策を改めるべきであるという程度の決議はこれまでにも2回ほど採択してきていますが、脱原発を明確に掲げたのは今回がはじめてであります。
 ところで、日弁連というのは弁護士である以上必ず加盟しなければならない団体でありまして、つまり、思想信条で統一されている団体ではない。だから私のように脱原発という立場で裁判をしている弁護士もいれば、逆に電力会社の顧問弁護士ということで私と反対の席に座っている弁護士も当然いるわけですが、私が何を言いたいかといえば、そういったいろんな立場の弁護士全員が加入する団体でこうした決議がなされたということでして、これには計り知れないほど大きな意味があると私は考えております。

完全に破綻した推進理由

 それでは本題に入りたいと思いますが、私たちが脱原発を進めるべきだと考える根拠の一つは、原発を推進する側の理由が完全に破綻してしまっているということであります。以下、具体的に見ていきたいと思いますが、第一点目はエネルギーの安定供給でありまして、電力を安定的に供給するためには、石油ばかりに頼っていることはできないというのが推進派の主張です。確かに石油危機が発生した当時はそういった主張にも多少の正当性があったかも知れません。しかし、最近の状況がどのようになっているかと言えば、日本が権益を持つ大油田がカスピ海やイランなどで発見されているという状況。つまり、採掘技術の飛躍的な進歩によって、むしろ可採埋蔵量は伸びているという現実があるわけで、一頃言っていたように、そのうちに石油が無くなるから原発に代えていかないといけないというような議論はそんなに逼迫した話ではない。確かに徐々に代えていく必要があることは事実だが、だから原発をという議論は暴論であるということをはじめに申し上げておきたいと思います。
 二点目は、電源多様化いわゆるベストミックスであります。バランスのとれたエネルギーの需給構造を確立するためには電源の多様化が必要で、そのために原発は欠かせないというのが推進派の主張です。これはある意味では全くその通りだとも言えますが、そのベストミックス論を根拠として、だから原発が必要なんだというのは論理の飛躍だと思いますし、何よりもベストミックス=原子力推進という今の構図が最大の問題だと私は考えております。
 三点目は、地球温暖化対策であります。化石燃料はCO2を出すので地球温暖化への影響が大きいが、原発は出さないので温暖化対策としても有効であるという主張です。しかし、私に言わせればこれも暴論でありまして、そもそも原子力発電というものは燃料となるウランの採掘や加工・輸送にはじまって、原発の建設・運転、さらには廃棄物処理といった過程で大量の石油を使うわけですから、CO2を全く出さないという主張は当てはまりませんし、実際に温暖化対策の一環として原発推進を主張する国は日本以外どこにもないのが実態であります。
 最後の四点目は、経済性であります。他の発電コストと比較して原子力発電は経済的であるとの主張です。資源エネルギー庁が99年に出した資料を見ますと、円/kwh当たり5.9円ということで原子力が一番安くなっていますが、同時に石炭火力やLNG(天然ガス)火力と比較してそれほど差がありません。
 ところで、通産省はこうした資料をなかなか出そうとしませんでした。今から6年前の94年に前回の数字が出されていますが、これはいったい何故なのか。だんだん原発に近づいてきたからであります。つまり、比較すること自体が役に立たなくなってきたわけで、それで通産省がどうしたかというと、計算の方法を自分勝手に変えたわけです。一例をあげますと、これまでは16年間としていた原発の耐用年数を一気に40年に延ばした。また、設備利用率についても10%アップを図るなど、言わば原発にとって有利な計算方法に変えたという実態があるわけですが、それでも競っているという現状ですから、経済的に有利であるという主張はもはや全く通用しません。
以上、いろいろと申し上げてきましたが、ここで一旦まとめますと、推進派が原発推進の根拠としていた理由はいずれも完全に破綻してしまっているということを特に強調しておきたいと思います。

事故の多発と深刻化

 では次に、なぜ日弁連が脱原発を主張したのかという具体的な根拠をみていきたいと思いますが、まず第一の根拠は事故が多発し、かつ深刻化しているということです。実際に、90年代に発生した主要な事故、特に事故レベルの推移を見てみますと、国際評価尺度で0から7までのレベルが定められていますが、最初に2(91.2.9美浜原発2号炉⇒蒸気発生器細管が破断、原子炉自動停止、緊急炉心冷却系作動)が来たあと、しばらく1が続いてまた2(93.12.27東海再処理施設⇒分離精製工場で放射性物質が飛散、作業員4名が被曝)が起きる。そしてまたしばらく1が続いたあとに今度は3(97.3.11東海再処理施設⇒低レベル廃棄物のアスファルト固化施設で火災・爆発、環境中に放射能放出)が来る。さらに1が続いたあと、ついにJCO事故によってレベル4に達するという具合です。ちなみに、4のレベルというのはチェルノブイリの7、スリーマイルの5につぐ三番目に大きい数字で、世界三大事故の一つに数えられているものですが、つまり、日本の原子力事故というのはどんどん深刻化してきているということがこの10年の流れを見れば一目瞭然であります。
ところで、当然の事ですが、こうした事故の多発と深刻化は国民意識にも大きな変化をもたらしています。ここでJCO事故前後の世論の変化を見てみたいと思いますが、事故前(あまり不安を感じない15.4%、ある程度不安を感じる59.2%、非常に不安を感じる21.0%)、事故後(あまり不安を感じない7.0%、ある程度不安を感じる38.2%、非常に不安を感じる52.4%)という状況で、「ある程度感じる」を含めれば不安を感じている人がなんと全体の9割に達しているという結果が出ています。ちなみに何割の国民が不信任すれば首相を辞めなきゃいけないか知りませんが、こちらは9割ですから、こうした数字を謙虚に受け止めて、ただちに原発を廃止すべきであると私どもは考えております。

斜陽産業の行く末

 それから第二の根拠は、今ほどの話とも関係ありますが、技術の衰退ということであります。ここ十数年来、原子力産業を支えてきた研究者や技術者、そして現場労働者の数がどんどん減少し、かつ質が落ちてきているという現実があります。実際の数字をあげて説明したいと思いますが、平成10年の資料によると、平成元年と比較して研究者の数が約6割にまで減少しています。ちなみにその10年の間に新たに10基以上も原発が増えているにも関わらずです。また、これも平成10年の資料ですが、原子力関連企業の実に52%もの会社が「優秀な人材が集まらない」というアンケート回答を寄せているという実態があります。
 いったい何故なのか、答えは簡単です。かつては花形産業であった原子力産業ですが、今や完全な斜陽産業に成り下がったからであります。先行きの見込みがないところに、優秀な研究者や技術者が行くわけがない。つまり、素人に近い作業員が現場で働いているという構造になるわけで、バケツでウランと揶揄されたJCO事故の例がまさにそうした実態を如実に示しているといえるのではないでしょうか。
言わば悪循環ですね。技術者や作業員のレベルが落ちてくる、そうすると事故が発生する。事故が発生するとますます人気がなくなって一層人材が集まらなくなる。するとまた事故が起きるという繰り返しです。

最大のネックは廃棄物処理

第三の根拠は、解決不能な問題が存在しているということであります。ご承知のように高レベル廃棄物の処分問題のことですが、全く見通しが立っていないのが現状ですし、これからも立つとは思えない。日本では、最終的に地中に埋めて処理をするという地層処理を検討しているようですが、地震大国といわれる日本において、しかも場合によっては数万年単位というレベルで安全に管理し続けることがそれこそ夢物語に過ぎないことは多くの専門家が指摘するところであります。

原発なしでも電力は十分にまかなえる!

 最後、第四番目の根拠は電力需給の問題であります。これはともすると脱原発を主張する側にとってある意味では頭の痛い課題でしたが、現時点においては簡単にクリアできるようになりました。少し数字をあげて説明したいと思いますが、99年度における電力需要のピーク値は、8月4日の午後3時に記録した1億6743万kwでした。けれども、水力と火力を合わせますと1億5654万kwの供給力がありますので、差し引きして不足分は約1100万kwという計算になります。
 ところで、この1100万kwという数字は原発がないと本当に成り立たない数字なのでしょうか。私たちは原発がなくても十分に成り立つ数字だと考えておりまして、その一つの根拠は省エネ、つまりピークをカットするという手法です。ちなみにピークカットに熱心に取り組んでいる国としてアメリカをあげることができますが、アメリカにおいては夏場における長期休暇制度の導入などによって、3.6%のピークカットを実現したという具体的な数字が出ています。アメリカで出来たものが日本で出来ないはずはないのでありまして、仮にその3.6%という数字を日本の電力消費量に当てはめて計算しますと、680万kwという数字が出てきます。つまり、1100万kw足りないというけれど、努力すれば680万kw下げることが出来るわけで、いよいよその差は420万kwにまで小さくなってきました。
 そこで次に何が出てくるかといえば、いわゆる新エネルギーであります。ちなみにドイツにおいて盛んな風力発電(ドイツにおける設備容量実績は444万kw)に関して言えば、日本でも500万kw程度の目標設定が可能であると言われておりますし、また太陽光発電に関して言えば、2010年度までに500万kwという通産省が策定した目標値もあるという状況です。(電力中央研究所の試算によれば、日本全体で2474万kwまで可能という数字も出ている)
この他にも構造水力として1000万kw(93年に資源エネルギー庁が実施した第五次発電水力調査では1300万kwの能力があるという結果も出ている)という数字もあるわけでして、少なめに見積もったとしても500万+500万+1000万=2000万、これにピークカットの680万を加えれば実に2680万kwになるわけで、不足分である1100万kwという数字は軽くクリアできるという計算になるわけであります。もちろん、今すぐただちに出来るとまでは申し上げませんが、段階を踏めば確実に脱原発を図ることができる、その根拠の数字として捉えておいていただきたいと思います。

まだまだある代替エネルギー

さらに話を進めましょう。実は今ほど申し上げた以外にもまだまだあります。例えば熱効率を高めるためのリパワリングシステムというものもありまして、簡単に言えば、発電機を1回まわしたあとに残った蒸気の余熱を利用して別の発電機をまわす。つまり、二つの発電機をうまく組み合わせて使うというもので、主として天然ガス発電を対象としたシステムでありますが、すでに東京電力や関西電力ではこうした発電所の建設に着手しておりまして、その発電総量は2000万kwにも達する予定であります。時間がありませんので詳しい説明は差し控えたいと思いますが、この他にも燃料電池やガス複合タービンなどなど、技術開発がどんどん進んだことによって、今では原発に頼らなくてもその他のいろんいろな発電システムでまかなうことが十分可能な時代になってきたわけでして、実はそれこそが脱原発を主張する最大の根拠であります。

国民世論は「脱原発」

 最後に国民意識の動向に関する話をしたいと思います。
99年の7月、つまりJCO事故が発生する前に日本世論調査会が行った意識調査によれば、「今後重視していくべきエネルギー源は?」という質問に対して、太陽光・風力・水力といった私が先程申し上げたものがトップ3を占めるという結果が出ています。また、「今後の発電の主力は?」という質問に対する回答の移り変わりを見てみますと、確かにある段階までは原子力が主力を占めておりましたが、99年の調査で一気に減少し、その代わりに太陽光・風力・省エネが急激に伸びております。もう一つ紹介しましょう。「原発を推進するか、廃止するか」という質問に対しての答えでありますが、99年の段階で推進と廃止が接近し、2000年の調査では完全に逆転するという結果が出ています。つまり、こうした各種世論調査の結果を見れば一目瞭然ですが、世論は完全に脱原発の方向にあるということをここでは強調しておきたいと思います。

四面楚歌の原発、今こそ脱原発を

 当然のことですが、こうした流れは単に国民世論といったレベルだけにとどまるものではありません。例えば裁判所なんかにおいても、原発推進に否定的な判決をここ最近出しております。皆さんもすでにご存じのとおり、志賀原発1号機訴訟の控訴審判決で「原発は負の遺産である」と明言しておりますし、また、「多少の不便を我慢できるのであれば、原発中止という選択肢もあり得る」と判示した泊原発札幌地裁判決もあります。
 一方、地方自治体のレベルにおいても、三重県知事による芦浜原発計画撤廃表明や、「過疎化を防ぎ、地域振興のために、潜在的な危険性を意識しながら、また住民間の軋轢を生む源となりかねないことを懸念しつつも、原子力発電を受け入れてきた。原子力発電ではなく、地域振興ができればそれに越したことはない。これが本音ではなかったのか」という東海村・村上村長のコメント、さらに当事者である電力会社においてでさえ、東京電力のあるお偉いさんなんかは「40年も動かしていなければ元がとれないという施設(原発)を、営利企業である電力会社がどこまでやれるだろうか。特に電力自由化という流れの中で、本当に太刀打ちできるのか大いに疑問を持っている」とまで公言しているという状況であります。
 以上、いろいろと申し上げてきましたが、事故の危険性・技術の衰退・未解決の問題・電力需給・国民世論といういずれの観点から見ても、原子力発電に関する今日的な必要性を見いだすことはできません。よって、現時点における脱原発の決断は必然であるということを最後に申し上げ、私の話を終わりたいと思います。