講師に、元内灘町教育長であり現内灘町議会議員の西尾雄次さんをお招きして、当時、内灘村で強行接収され、米軍の「(爆弾)試射場」にされたなか、「命・平和の大切さ」を訴え、体を張って闘ったことの事実と教訓(行動し声を上げる、そして、政府・国家は嘘をつく)が語られた。
乳飲み子を抱いた母親までが座込みに参加するなか、闘いの炎は全国に広まり、特に、北鉄労組が「試射を止めるためは弾薬を運ばない」と、ストライキに起ちあがったことは、今日の岸田政権による「戦争準備」開始に際し、労働組合は「いまこそ起ちあがるとき」と訴え、45名の参加者はそれぞれの思いでしっかりと受けとめた。
F104ジェット戦闘機が墜落した1969年は、アメリカの反共政策によるベトナムの「共産化」を防ぐという名目の、まさに侵略戦争が激烈化している最中であり、日本における「臨戦態勢」が陸自、海自、空自ともとられていた。雨が降りしきるなか、航空自衛隊小松基地を飛び立った戦闘機が、落雷を受けて操縦不能になり、金沢市内に墜落したもの。女性4名の死者と22名の負傷者を出す大惨事となった。