核兵器禁止条約が発効した今、米新政権の核兵器政策を問う ~「核なき世界」へ向け核兵器の役割低減を求めよう~ 湯浅一郎
新たなステージに入った「核なき世界」への道
2021年初頭、世界では核兵器に関し新たな胎動が始まった。1月22日、核兵器禁止条約(以下、TPNW)が発効したのである。発効当日にカンボジアが批准したことで、加盟国52か国での船出である。この条約は、2017年7月、核兵器の非人道性の認識を基礎に、開発、実験、保有、使用、及び使用の威嚇などを禁止し、違法化するものとして、122か国・地域の賛成により国連会議で採択された。サーロー節子氏が、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞式で「核兵器の終わりの始まりにしよう」と訴えたように、核兵器の存在そのものを禁止する国際法が発効したことで「核なき世界」への道は新たなステージに入った。
そしてTPNW発効の2日前の1月20日、米国で民主党のバイデン政権が誕生した。就任演説でバイデンは、国内に向けて「米国を一つにし、国民を団結させ、この国を結束させる」と述べ、分断した国の修復の重要性を強調した。同時に、「われわれは同盟関係を修復し、再び世界に関与する。(略)。われわれは、平和と進歩、安全保障のための信頼されるパートナーとなる」と述べ、国際協調主義を強調した(注1)。
トランプ政権の一期は、核政策に関するオバマ政権の取り組みをことごとく覆した。オバマ政権が2010年に発表した核態勢見直し(NPR)は、「核なき世界」をめざし、核兵器の役割を縮小させることを目指したものだった。ところが、2018年2月に発表されたトランプ政権のNPRは、核兵器の役割を高める方向で安全保障政策を再構築する核軍縮に逆行するものだった。トランプ政権は、新しいNPRの下、局地攻撃を想定した小型低威力核弾頭や新型の巡航ミサイル開発を進め、宇宙軍を創設した。2019年2月には米ロ間の中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を一方的に表明し、INF全廃条約は失効し、それを踏まえて、INFのアジア配備を計画した。また2018年5月にはイラン核合意(JCPOA)からの脱退を表明し、米国とイランの対立が深まった。
ここでは、トランプ政権によって核兵器の役割の増大に向かった核兵器政策を、バイデン政権が、核軍縮・不拡散においてどのように変化しうるのかを、米露間の核軍備管理条約である新START(戦略兵器削減条約)問題などから考察する。
新STARTは5年延長
TPNWは発効したが、核兵器国はこぞってこれに反対し、それらの国々に対し条約の効力は及ばない。核保有国は、むしろ自らが保有する核戦力の近代化を進めることを意志表明している。そうした状況においては、とりわけ2国の核兵器を合わせ世界全体の91%にもなる米露2国が、核軍縮に向け足並みをそろえることは、核軍拡競争を食い止め、核軍縮を進めるために極めて重要である。
しかし、現実は、米国のINFからの脱退により2019年8月に同条約が失効したことで、米露2国間の核戦力の軍備管理条約は、唯一、新STARTのみとなっている。
新STARTとは、2010年4月に米露間で結ばれた核軍縮条約で、2011年2月5日に発効した。新STARTは、第1条第1項で発効から7年後に達成すべき削減目標を次のように定めている。
米露の戦略核弾頭の配備数を1550発、その運搬手段である大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、及び重爆撃機などの配備数は700基/機、配備及び非配備運搬手段数を800基/機に制限する(注2)。さらに、重要なことは、それらの履行状況を相互に検証する制度を定めている点である。そして両国とも2018年には削減目標を達成している。
その新STARTは、放置すれば2021年2月5日に失効することになっていた。2月に期限切れとなれば、米露間の核軍縮の枠組みは1972年以降初めて消滅することになる。核軍縮を考えるとき、米露2国が相互に核戦力を厳密に検証しあえる条約を有していることは、透明性や相互の信頼醸成の面でも極めて重要であり、当面は新STARTを延長し、その上で、今後の二国間の新たな条約の在り方を産み出していくことが求められていた。
この問題につき、トランプ政権は、2020年になり大統領選挙をまじかに控える頃から、条件を示しながら新STARTの1年延長に動いた。20年8月18日、米国のベリングスリー大統領特使(軍備管理担当)は、新START について、条約に含まれない戦術核を制限する合意などを条件に、延長を検討可能だとする見解を述べた。
当初、米国は条約を延長する条件として、①ロシアが条約枠外で増強する短・中距離の核ミサイルを含むすべての核戦力を制限対象とすること、②査察の枠組みを強化すること、③将来的に中国が参加する枠組みにするという3項目での合意を目標として掲げていた。この米国の提案に対しロシアのリャプコフ外務次官は、「条約延長を支持するが、何らかの代償を払うつもりはない」と述べ、米国が示した延長条件に難色を示していた。
これらの動きに対し、核戦力で米露に圧倒的に劣る中国は、条約への参加を拒否していた。米国は、条約延長には中国の条約参加が必要だと強く主張するだけでは、何も前進しないと判断し、この態度を軟化させ米露交渉を先行させる姿勢を示したのである。
米大統領選がまじかとなった10月20日、ロシア外務省は新STARTに関し、米国の提案していた条約対象外の短・中距離の戦術核弾頭を含む「全核弾頭の保有数の凍結」を1年延長することに応じるつもりであると述べた。戦術核弾頭の保有数でロシアは米国に優位に立つため、ロシアは無条件での延長を求め、交渉が難航していたが、米国の提案を、追加の条件を米国が出さないことを条件に受け入れ、米国務省もこのロシアの譲歩を評価した。
いずれにしろ、大統領選の動向が微妙な時期に入り、新START延長どころではなくなり、1年延長の話は消えてしまった。さらに、大統領選挙で、事実上、バイデンが勝利したにもかかわらず、トランプ大統領が敗北を認めないという異常事態が続いていたため、米露交渉の実質的な前進は何もないまま、1月20日のバイデン政権の誕生となったわけである。
新START失効まで、わずか2週間しかない日程で誕生した米新政権は、新START延長にどのような提案をするのか、期待と不安が付きまとっていた。そもそも新START はオバマ政権が作ったものであり、その時、バイデン新大統領は副大統領として重責を担っていたことからすれば、延長の方向に動くことは十分、期待できるからである。
バイデン政権は、発足後、即座にこの問題に対する意思を表明した。1月21日、ジェン・サキ大統領報道官が記者会見(注3)で、以下のように述べている。
「米国は、条約が認めているように新STARTの5年間の延長を求めるつもりであることが確認できる。大統領は、新STARTが米国の国家安全保障上の利益になることを長い間、明確にしてきた。そして、この延長は、現時点のようにロシアとの関係が敵対的である場合には一層意味がある。新START は、ロシアの核戦力を制限する唯一の条約であり、両国間の戦略的安定の頼みである。」
さらに1月26日、バイデン大統領が、ロシアのプーチン大統領と初の電話会談を行い、「両国が新STARTを5年間延長する意思について話し合い、2月5日までに延長を完了するためにチームを緊急に働かせることに同意した。また、軍備管理と新たな安全保障問題の範囲に関する戦略的安定性の議論を検討することにも同意した」(注4)。トランプ政権が考えた1年延長から5年延長に転換したことになる。そして2月3日、米露両国政府は、新STARTを2026年2月まで5年間延長したと発表した。これにより新STARTの失効は回避され、両国間に唯一残っていた核軍縮の枠組みがなくなるという事態はひとまず回避された。
一つの焦点は、先行不使用政策の選択に
時間不足とはいえ、新START延長は、ある程度予想されていたことである。バイデン氏は、オバマ政権が終わる間際の2017年1月11日、スタンフォード大においてオバマ政権の核政策を総括する演説(注5)を行っている。その中で、バイデンは、新STARTについて「同条約で重要なのは、信頼や善意ではありません。重要なのは、世界で最大の核兵器保有国である米国とロシアの間の戦略的安定とさらなる透明性であり、それは、米国とロシアとの関係が徐々に緊張する中で、より死活的に重要になってきました」、「新STARTは、核兵器削減のための厳格な検証と監視のメカニズムを備えています」としていた。この考え方からすれば、5年延長は当然の方針であろう。
この経過から、バイデン政権の核兵器政策は、オバマ政権のものを引き継ぎ、スタンフォード大でのバイデン演説に示されていることを推進することが示唆される。同演説には、次のようなくだりもある。
「他国の核攻撃を抑止することが、核兵器保有の唯一の目的となるような条件を作り出すことを約束しました。この約束に従って、オバマ政権の期間中、私たちは、第二次大戦以来、米国の国家安全保障政策の中で核兵器が持っていた優先度を着実に減らしてきました。」とし、さらに「核攻撃を抑止すること、そして必要であれば報復することを、米国の核保有の唯一の目的とすべきであると強く信じています」と述べていた。
この演説からは、バイデン政権が、核兵器の役割と数を減らしていく方向をめざすことがうかがえる。オバマ政権として一度は検討し、日本政府がこれに強く反対したとされる先行不使用の政策が打ち出されることも十分予想される。とりあえずは、米露首脳が新STARTの5年延長を実現させたことを歓迎し、その上での核兵器の役割低減への動きが進んでいくことを期待したい。
このように見てくると、米政権の核兵器政策や、ここでは扱わなかったが、朝鮮半島問題に関し、日本政府の姿勢や行動が大きな要素となってくることが予想される。米政権が、核兵器の役割を低減し、先行不使用政策を選択しようとした時、日本政府は、どういう立場に立つのか? 北朝鮮政策を日韓とも協議しつつ選択しようとするとき、日本がシンガポール共同声明や南北板門店宣言を尊重する姿勢を示せるのか? 日本の菅政権は、ともにそれを阻害する要因になる可能性が高い。私たちは、日本の市民として、日本政府の安全保障を「核の傘」に依存する姿勢を改めさせようとの世論を形成していくことを急がねばならない。その答えは、核兵器禁止条約が発効した今こそ、北東アジア非核兵器地帯構想の真剣な検討を始めるよう政府に求めていく声を広げていくことである。(ゆあさ いちろう)
注1. ホワイトハウスHP(2021年2月20日)。
注2. ピースデポ刊:「ピース・アルマナック2020」102ページ。
注3.『ジェン・サキ報道官による記者会見』、2021年1月21日。
注4. ホワイトハウスHP(2021年2月26日)。
注5.ピースデポ刊:『核兵器・核実験モニター』第514-5号(2017年3月1日)。