「新冷戦」への道か、経済統合による平和への道か

「新冷戦」への道か、経済統合による平和への道か

渡辺 洋介

1. 対中包囲網外交を続ける日米の新政権

2021年1月20日、米国でジョー・バイデン新大統領が就任する。一方で日本も2020年9月に菅義偉新政権が誕生した。一般に政権交代は政策変更のチャンスといえるが、日米で政権交代が行われたにも関わらず、政策変更の兆しが見られない分野がある。その1つが両国の対中国外交である。

バイデン政権の対中国外交では、2020年11月に発表された政権移行チームで唯一のアジア専門家と目されるイーリー・ラトナー(Ely Ratner)新米国安全保障研究センター(CNAS)研究部長がおそらく大きな役割を果たすものと思われる。同氏はかつてバイデン上院議員の下で上院外交委員会の専門スタッフを務め、2015年から2017年まではバイデン副大統領の国家安全保障担当補佐官代理を務めた。2人は旧知の仲なのだ。

ラトナーの対中スタンスだが、米誌『フォーリン・アフェアーズ』に同氏が寄稿した論文によると、中国は米国の手ごわい競争相手であり、日本などの同盟国と共同で対抗すべきと考えている。具体的には、中国が南沙諸島に建設した軍事基地に長距離ミサイルや戦闘機を配備するなら、米国は南沙諸島の領有権を主張する東南アジアの諸国を支援し、武器を売り、共同軍事演習を行って中国軍の行動を抑止すべきと主張している[1]。バイデン政権がこうしたラトナーの意見に耳を傾ければ、同政権はトランプ政権の対中強硬策を継続し、日本、韓国、ASEAN、オーストラリア、インドといった友好国は共同で中国に対処するよう協力を求められるであろう。

一方、菅政権も基本的に安倍外交を引き継ぐようである。安倍外交は大雑把に言えば、中国との決定的な対決は避けながらも、中国と北朝鮮を共通の脅威として「自由で開かれたインド太平洋戦略」(以下「インド太平洋戦略」)という名の対中朝包囲網を築くというものであったが、菅首相が就任してからの外交に関する演説や発言を追ってみると、残念ながら前政権との違いはほとんど感じられない。例えば、昨年10月の所信表明演説では「我が国外交・安全保障の基軸である日米同盟は、インド太平洋地域と国際社会の平和、繁栄、自由の基盤となるもので」「ASEAN、豪州、インド、欧州など、基本的価値を共有する国々とも連携し、法の支配に基づいた、自由で開かれたインド太平洋の実現を目指します」[2]としている。これは安倍政権が進めたインド太平洋戦略そのものである。

また、菅首相は就任後最初の外遊先にASEAN(ベトナムとインドネシア)を選んだ。訪問先のベトナムで菅首相は「ベトナムは『自由で開かれたインド太平洋』を実現するうえで要となる重要なパートナー」であると述べ、両国間で、防衛装備品・技術移転協定が実質合意に至ったことを歓迎した[3]。さらにインドネシアとは「インド太平洋地域における海洋国家である両国の伝統的友好関係を一層強化」し、両国の外務・防衛閣僚会合の早期実施や、防衛装備品移転に向けた協議を進めることで一致した[4]

これはインド太平洋戦略の下、ASEANを日米豪印の4か国戦略対話(以下「クワッド」)に引き込もうとする動きといえる[5]。インド太平洋戦略もクワッドも、以下に述べる成立の過程から考えれば、名指しこそしていないが、実質的に中国を仮想敵国とする反中同盟である。反中同盟に仲間を引き入れるような外交を日本が続ければ、米中覇権争いで日本は米国の尖兵となり、日米の軍事協力と軍事一体化が進み、東アジアの軍拡競争は激化し、北朝鮮は核を放棄せず、朝鮮半島と台湾海峡の分断は固定化されてしまうだろう。果たして日本はこの道に進んでよいのだろうか。こうした問題意識から、本稿ではそうした道に進まないための提言を行いたいが、その前にまず、インド太平洋戦略とクワッドがどのような事情から成立したのか、その過程を振り返っておきたい。

2. インド太平洋戦略とクワッド

(1)自由と繁栄の弧構想

インド太平洋戦略は第1次安倍内閣(2006年~2007年)の麻生太郎外相が2006年11月30日に表明した「自由と繁栄の弧」構想をその前身とする。同日、麻生外相が行なった演説によると、日本外交の基本は「日米同盟の強化、それから中国、韓国、ロシアなど近隣諸国との関係強化にある」のは言うまでもないが、もう一本「新機軸」を加えるとして、「海のシルクロード」にあたる国々、すなわち、東南アジア、インド、中央アジアなどの旧ソ連諸国、中欧・東欧諸国との関係強化を訴えた。このうち旧東側陣営に属していた国々は冷戦後に社会主義経済から市場経済へ移行し、民主化を達成した新興の民主主義国であった。こうした国々において民主主義、自由、人権、法の支配、市場経済といった「普遍的価値」が定着するように米国、豪州、インド、欧州連合といった日本と「思いと利益を共有する友邦諸国」と協力して共に支援するというのが「自由と繁栄の孤」構想であった。

この構想は、当時外務事務次官であった谷内正太郎を中心に企画・立案された。谷内氏は2012年に成立した第2次安倍内閣でも内閣官房参与に就任し、インド太平洋戦略の策定でも大きな役割を果たしている。この構想は第1次安倍内閣の基本的な外交方針となったが、2007年に安倍内閣が退陣し、2009年に民主党政権が誕生すると「自由と繁栄の弧」という看板は下ろされた。

(2)セキュリティーダイアモンド構想

「自由と繁栄の弧」構想が再び外交の表舞台に戻って来るのは2012年12月に安倍晋三が再び首相となってからである。内閣が発足した翌日の12月27日、プロジェクト・シンジケート(PROJECT SYNDICATE)と呼ばれるチェコのプラハに本拠を置く民間団体が、安倍氏が寄稿した外交構想に関する論文「セキュリティーダイヤモンド構想(Asia’s Democratic Security Diamond)」を掲載した。この論文で安倍氏は以下のように述べている。

中国海軍の拡充により南シナ海などの周辺海域を自由に航行できなくなると、これまで同海域を支配してきた米国や、米国の保護のもとに同海域を使用していた日本や韓国などの周辺諸国が損害を被る恐れがある。こうした事態を防ぐため、利益を共有する日本、米国、インド、豪州の4か国を中心に、さらに英国、フランス、東南アジアを引き入れて海洋権益を保護しようというのである[6]。この考え方は、その後、インド太平洋戦略に引き継がれることとなる。

(3)「一帯一路」への対抗戦略としての「インド太平洋戦略」

2014年9月、中国の習近平国家主席は訪問先のカザフスタンで「シルクロード経済地帯(絲綢之路經濟帶)」構想を、同年10月にはインドネシアを訪問し、「21世紀海上シルクロード(二十一世紀海上絲綢之路)」構想を発表し、両者を合わせて「一帯一路」と呼ぶようになった。前者は中国西部から中央アジアを経由してヨーロッパにつながる「陸のシルクロード」、後者は中国沿岸部から東南アジア、インド、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ「海のシルクロード」と重なる。こうした国々のインフラ整備に積極的に協力するのが「一帯一路」構想である。たまたまかもしれないが、「一帯一路」と「自由と繁栄の弧」は支援対象国がほぼ重なっており、日本は改めて戦略を練ることとなった。

そうした中で、2016年8月、安倍首相はケニアを訪問し、当地で開かれたアフリカ開発会議(TICAD)で「インド太平洋戦略」を打ち出した[7]。その内容は「自由と繁栄の弧」構想と「セキュリティーダイアモンド構想」を合わせたうえで、アフリカ諸国を主な支援対象国に加えたようなものであった。アフリカ諸国を加えたのは、中国のアフリカ諸国におけるプレゼンス拡大を日本が意識した結果と思われる。

インド太平洋戦略に対しては、まずインドが積極的に呼応した。2016年11月、インドのモディ首相は安倍首相との会談で「インド太平洋戦略」とモディ政権が取り組む「アクト・イースト政策(Act East Policy)」との連携に前向きな姿勢を示し、2017年9月の両国の首脳会談ではさらなる連携強化で合意した。その背景には、2017年6月から8月まで中国とブータンの国境で中印両軍が対峙し、一触即発の事態に陥ったこと、また、1962年の中印国境紛争以来、インドは中国を脅威と感じ続けてきたという事情があった。

つぎに反応したのが米国であった。2017年10月18日、米国のティラーソン国務長官は米国国際戦略研究センターでの講演において「自由で開かれたインド太平洋」という概念を示し、将来、米国、インド、日本、豪州の4カ国を中心とする地域の安全構造(航行の自由、法の支配、公正で自由な互恵貿易といった開かれた秩序の保たれる地域)の構築をめざすという趣旨の構想を披露した[8]。このアイデアは日本から借りてきたようで、同年11月5日、日本の河野太郎外相が東京でティラーソン国務長官と会食した際、長官は「事前に断らずにアイデアをお借りして申し訳ない」と陳謝したそうだ[9]

その後、2017年11月にマニラで開かれたASEAN関連首脳会議に、米国のトランプ大統領、日本の安倍首相、インドのモディ首相、豪州のターンブル首相らが参加した。これを機に日米豪印4か国の外交当局者がマニラで一堂に会し、インド太平洋地域に関する協議を行なった[10]。このころから4か国戦略対話・クワッドは再活性化され、頻繁に会合を重ねるようになった。

3. 「新冷戦」への道か、経済統合による平和への道か

菅政権は安倍外交の負の遺産であるインド太平洋戦略とクワッドを引き継ぐようであるが、上に述べた通り、この戦略はもともと中国の「一帯一路」に対抗するために作られたものであり、クワッドも中国に対抗するための非公式同盟である。このままこの道を進めば、日本はバイデン政権とともに中国との新冷戦に突き進むことになるであろう。それでよいのだろうか。

一方で中国は米国との対立を望んでいない。2020年12月7日に新華社が報じたところによると、習近平主席は、バイデン次期大統領に宛てた祝賀電報で「(米中)双方が不衝突、不対抗、相互尊重、協力、共通利益の精神をもって、協力に焦点を当て、対立をコントロールし、中米関係の健全で安定した未来志向の発展を推進し、各国及び国際社会と協力して世界の平和と発展という崇高な事業を推進することを希望する」と述べている[11]。また、2020年12月31日に新華社と中央電視台が行ったインタビューによると、王毅外相は「現在、中米関係は新たな十字路に差しかかっており、新たな希望の窓を開くことを望んでいる。米国新政府が理性を回復し、対話を再開し、両国関係が正常な道に戻り、協力が再開されることを希望する」と語っている[12]。このように中国は、米国との間に意見の相違はあるものの、対話によって対立をコントロールしようという方針である。

こうした情勢の中、日本はどの道へ進むべきであろうか。東アジアが新冷戦に向かわないようにするためには、日本は米豪印と組んでASEANを引き入れ、中国を封じ込める、あるいは、コントロールするという外交方針を転換し、対敵同盟ではない多国間協力による安全保障の道を追求すべきである。第二次世界大戦後の欧州はまさにこの道を歩んできた。周知の通り、西欧の6カ国で始まった欧州石炭鉄鋼共同体は、欧州経済共同体、欧州連合(EU)に成長し、今日では欧州全域にまたがる27か国が加盟する超国家組織となっている。EUは経済統合を主な目的としたものではあるが、加盟国間で経済統合と人的交流が進み、それが加盟国間の戦争を抑止する力ともなっている。

この欧州の経験は東アジアでも生かせるはずである。東アジアにもRCEP(東アジア地域包括的経済連携)、APEC(アジア太平洋経済協力)、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)といった経済統合を進める多国間機構が存在する。このうち、中国が加盟していないTPPに同国が加盟できるよう、日本が後押しをしてはどうだろうか。中国がTPPに加盟すれば、加盟国間で貿易が盛んになり、経済統合が進むであろう。経済統合が進めば、武力衝突が起きそうだという噂ですら株式市場を混乱させ、武力行使を思いとどまるよう経済界から圧力を受けることとなる。こうした力が、米中対立を新冷戦に、新冷戦を戦争にエスカレートさせようとする動きを抑止する力となるはずである。


  1. 米誌『フォーリン・アフェアーズ』(英語)Beyond the Trade War
    A Competitive Approach to Countering China

    Course Correction
    How to Stop China’s Maritime Advance
     ↩︎
  2. 首相官邸 第二百三回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説 ↩︎
  3. 外務省 日・ベトナム首脳会談 ↩︎
  4. 外務省 日・インドネシア首脳会談 ↩︎
  5. 日米豪印の戦略対話(クワッド)は2007年に初めて実施された。2008年に豪州が離脱してしばらく4か国が揃うことはなかったが、2017年頃から再活性化され、その後、頻繁に会合が持たれるようになった。 ↩︎
  6. プロジェクト・シンジケート(英語) Project Syndicate
    Asia’s Democratic Security Diamond
     ↩︎
  7. 外務省 TICAD VI開会に当たって・安倍晋三日本国総理大臣基調演説
    (2016年8月27日(土曜日))(ケニア・ナイロビ,ケニヤッタ国際会議場)
     ↩︎
  8. 米外交問題評議会(英語) Tillerson on India: Partners in a “Free and Open Indo-Pacific” ↩︎
  9. 『毎日新聞』風知草
    インド太平洋戦略=山田孝男
     ↩︎
  10. 外務省 日米豪印のインド太平洋に関する協議 ↩︎
  11. 新華社(中国語)王毅:中美应一道努力,争取下阶段中美关系重启对话、重回正轨、重建互信 ↩︎
  12. 新華社(中国語)王毅就2020年国际形势和外交工作接受新华社和中央广播电视总台联合采访 ↩︎
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