中学校道徳教科書展示会での視点(いしかわ教育総研より無断転載)

中学校道徳教科書展示会での視点
教育政策部会長 半沢英一

「子どもの権利条約」の道徳
日本をふくむ世界196の国・地域が批准し、人類共通の教育理念となっている「子ども
の権利条約」はその前文で、子どもは平和・尊厳・寛容・自由・平等・連帯の精神で育てられなければならないとしている。「子どもの権利条約」を含む国際人権論は、この小さな惑星・地球で生きる人類に、平和・尊厳・寛容・自由・平等・連帯という普遍的かつ妥当な道徳規範を提示している。

安倍政権による道徳教科化の目的
平気で嘘を言い、自由にものをいえず他国を侵略し女性を無権利状態においた戦前への
回帰を妄想する政権が、道徳の教科化を行い今年は中学校教科書の採択まで行われる。政権の意図はいじめ対策などにあるのではない。その意図は先行するテキスト『私たちの道徳』や教科書検定の姿勢から見て取れるように、自民党憲法「改正」案と同様に国際人権論やそれと整合する(戦争放棄という先進的条項さえ持つ)日本国憲法を貶め、戦前の暗い日本に近づけ最終的にはそれに回帰することにある。直接的には平和・尊厳・寛容・自由・平等・連帯という、表立っては否定できない価値観から児童および教職員を引き離すことに、隠された真の目的がある。

予測される中学校道徳教科書の状況
先行した小学校道徳教科書を見ると、『私たちの道徳』を出版した廣済堂あかつき、安倍
政権背後のカルト組織・日本会議が造った教育出版教科書を除き、各教科書会社は安倍政権が目指す思想統制に、不十分だがそれなりの抵抗を示している。中学校教科書でも、廣済堂あかつき、教育出版、また教育出版以上に日本会議に近い新規参入の日本教科書以外の5社(東京書籍、学校図書、光村図書、日本文教出版、学研みらい)はそれなりの抵抗を示すと推測される。少しでも良い教科書を採択させるため、教科書展示会において適確な意見を述べることはそれなりに重要である。

道徳教科書評価の大原則
展示された中学校道徳教科書をどのように評価するか。要は、子どもを平和・尊厳・寛容・自由・平等・連帯といった価値観を持つ主権者に育てる姿勢ができるだけ強く、それとは逆の自由にものをいえず権力に従順な「臣民」に導く姿勢ができるだけ弱い教科書を評価し、そうではない教科書を批判することに尽きる。しかしより具体的な目のつけどころを知りたいという方もおられるかと思い、以下その点について愚考を述べる。もちろん最終的にはお一人お一人の自主的判断が必要だが、愚考がその判断に少しでも参考になることがあれば幸いである。
『私たちの道徳』から見えてくる道徳教科書の目のつけどころ私は拙著『こんな道徳教育では国際社会から孤立するだけ』合同出版2017で、『私たちの道徳』全4冊を分析し、『私たちの道徳』を理解する4つのキーワードは「夢」「家族」「きまり」「国」だとし、『私たちの道徳』の意図は
① 「夢」を持ち、競争させられることに疑問を持たない人間を造る。
② 「家族」を絶対視し、疑問を持たない人間を造る。
③ 「きまり」を批判せず、自他の人権と尊厳そんげんを考えない人間を造る。
④ 「国」を絶対視し、日本人である前に人間であるなどと考えない人間を造る。
ことにあるとし、これを標語的にまとめれば『私たちの道徳』とは、「理性」なき「夢」、「個人」なき「家族」、「人権」なき「きまり」、「人類」なき「国」だと総括した。これは教科書展示会で道徳教科書を評価することにも有効な視点と思われる。以下、上記項目にそって、道徳教科書のどういう点を見ればよいかを具体的に提示する。

「理性」なき「夢」
「夢」の同義語として「理想」「情熱」「やりがい」などが考えられる。ブラック企業が労働条件や低賃金を考えず働く都合の良い労働力を得るために喧伝する言葉である。『私たちの道徳』でも企業のみならず、国家や社会に疑問を持たない人間を造ることを目指して乱発されている。二宮尊徳や成功したアスリートのみが顕彰され、挫折や限界のことは小学校テキストでは語られない。中学校テキストで初めて限界が語られるが、驚くべきことに(あるいは見え透いたことに)、自分の挫折の原因は自分にあったと「自己責任」が結論とされていた。したがって留意されるべきは次のようなことである。
(1)「夢」「理想」「情熱」「やりがい」などが強調される程度、異常さはどうか。
(2)一般人の参考にならない成功者のみが取り上げられていないか。挫折や失敗談が
排除されていないか。
(3)社会や企業の問題を考えさせないように「自己責任」が強調されていないか。

「個人」なき「家族」
自民党改憲草案で日本国憲法第13条「すべて国民は個人として尊重される」が「すべて
国民は人として尊重される」とされたように、日本の反動支配層は「個人」が嫌いで、『私たちの道徳』でも「個人」を否定するために「家族」が強調されている。戦前の家父長制復帰への妄想や、生活保護を家族に押し付ける意図が「家族」礼賛の背後にある。小学校道徳教科書の検定でも「家族の絆を考えよう」が「家族にとって自分のできることは何か」に変えさせられた。つまり「家族」は絶対的なものであり、その内実を考えることは許さないという姿勢が文科省にある。こうして留意されるべきは次のようなことである。
(4)「家族」がステレオタイプなものしか取り上げられず、ひとり親の家族や障がい者をもつ家族が無視されていないか。
(5)「家族」によって「個人」が抑えられることが美化されていないか。
(6)「家族」の問題を客観的に考える姿勢が排除されていないか。

「人権」なき「きまり」
『私たちの道徳』では様々な「きまり」は護らなければならないものであり、それに疑問
を持つことや、変えようとすることは叙述から避けられていた(主権者なら自分の国の欠点や悪いきまりは変えられるはずなのに)。その一方では、国際人権論や日本国憲法を「きまり」の中には数えず、すべての人間に無条件に与えられているはずの「基本的人権」は、社会的秩序を護る義務をはたした上で与えられるものだという(自民党憲法「改正」案同様の)主張が繰り返し行われていた。労働が語られるとき、労働者の権利が語られることがなく、企業が果たすべき社会的責任の中に基本的人権の遵守が挙げられないといった露骨なバイアスが見られた。したがって留意されるべきは次のような点である。
(7)「きまり」の絶対性が強調される程度、異常さはどうか。
(8)国際人権論、日本国憲法の扱われ方、歪曲の具合はどうか。
(9)基本的人権の扱われ方はどうか。無条件のものとされているか。そうでないとしたら、義務との関係はどう叙述されているか。

「人類」なき「国」
『私たちの道徳』の一大特徴は「日本」を古代から現代まで一貫して変わらず独自に存在
し続けたものとイメージさせようとしていることにあった。その結果、牛肉やジャガイモがメインの食材である肉じゃがを「日本人が昔から食べてきた」「和食」とするような珍妙な記述も見られた。小学校教科書の検定でパン屋が和菓子屋になおされたという新聞報道は、『私たちの道徳』の偏狭な国家礼賛(逆に「日本」を貶めている)路線が踏襲されていることを示している。また小学校教科書の検定でも今回の中学校教科書の検定でも、杉原千畝記述で「日本がナチスドイツと同盟を結んでいた」ことを意味する記述が消された。文科省が「特定の価値観を押し付けない」と言っているのは真っ赤な嘘で、歴史修正主義を犯してまで、日本人である前に人類の一員であるという発想を子どもの段階で奪おうとしていることから目を背けてはならない。以上のようなことから次のようなことに留意してほしい。
(10)「日本」を「人類」から切り離す姿勢が、どの程度のものか。
(11)「日本」を美化するために、無理がどれだけなされているか。
(12)「人類の一員である前に日本人であれ」というメッセージがどの程度、露骨になされているか。

臣民の道徳か主権者の道徳か
以上、「少しでもまともな教科書」を選ぶための愚考を提示した。しかし「少しでもまと
もな教科書」を選ぶだけでは、子どもたちを「臣民道徳教育」から護ることはできない。そのためには、道徳教育を担当する教職員のみならず、一般の市民が、主権者として日本社会のあり様に責任を持ち、かつ日本人である前に(少なくとも、あると同時に)人類の一員として人類の未来に対して責任を持つ「主権者の道徳」を持たなければならない。その「主権者の道徳」の立脚点は、国際人権論、日本国憲法、反歴史修正主義、知性主義である。この「主権者の道徳」に立脚するとき、文科省さえ「特定の考えを押し付けたりしない」と建前上言わざるをえない国際環境や社会状況下では、文科省の「臣民道徳教育」など恐れるにたりないのである。

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