小児甲状腺ガンは原発事故が原因 政府・原子力村はこれを隠蔽!

広島の「甲状腺」専門医 武市宣雄さん(武市クリニック院長)

 チェルノブイリ原発事故後の現地調査から、小児甲状腺ガンの多発、萎縮硬化に驚き、発症事例ゼロという知見を覆す結果となった。しかし、反論が・・・。

放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)の国際会議が1991年9月、広島で開かれ、チェルノブイリ原発事故後の実状報告がなされた。ウクライナで詳細な研究・調査をしてきた武市さんがその報告に立った。(小児甲状腺ガンは、罹患率が100万人に1~3人と極めて珍しい疾病である)

キエフでは、チェルノブイリ事故前の83~86年の三年間では、小児甲状腺ガン手術は0か、多くて2件でした。ところが、88年3件、89年6件、90年20件と急増。

ベラルーシでは、85年~87年に0か1件だったものが、88年6件、89年18件と急増し、90年には30件に増えた。

武市さんは、広島と長崎の被爆者カルテから甲状腺ガンの早期発症は考えられないと認識していた。だが、チェルノブイリ原発事故後の手術件数はその知見を覆した

次に、放射性ヨウ素を体内に取り込んだ場合、甲状腺ガンを発症させると類推されるが、広島では被ばく後10年で大人に発症した甲状腺ガンが、チェルノブイリ原発事故では、子どもに発症している。しかも、3年目、4年目、5年目に。

この報告後、討論に移ったが反対意見が出された。「福島では5年経過したが、被災者に甲状腺ガンが多発している傾向にはない」と。

実は、国際原子力機関(IAEA)から委託された国際諮問委員会が1991年4月に「チェルノブイリ原発事故で放射線に直接起因したと見られる健康障害はない」と発表したばかりだった。そう結論を出した委員会の委員長は広島放射線影響研究所の理事長が務めていたのである。

この2年後(1993年)、世界保健機関(WHO)は結論づけた。「患者の半分以上は大量の放射性ヨウ素にさらされた地区に集中しており「原因が原発事故にあることは明らかだ」と。チェルノブイリ原発事故から7年の月日がたっていた。

※福島の小児甲状腺ガンの「数」は原発事故後、異常に増えている。しかしその「数」でさえ恣意的に「低め」られたものと言わなければならない。2013.3.9北中新聞「こちら特報部 県の診断結果と他機関の結果が違う」参照

※広島・長崎の知見は「放射線学会」の基準とされているが、その「知見」も恣意的なものと言わなければならない。なぜなら放射線影響研究所はABCCの後継組織であり、原発や核開発の危険性を矮小化し、核開発を推進する機関である。

チェルノブイリ原発事故とは

1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉で、大きな爆発事故が起こりました。この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生しました。火災を消火するためにヘリコプターから原子炉の炉心めがけて総計5,000トンにおよぶ砂や鉛などが投下されましたが、火災は爆発から14日後の5月10日にようやく収まりました。

被害は世界各地へ広がった
この原発事故により、原子炉内にあった大量の放射能(※)が大気中へ放出されました。放射能は風にのり、世界各地に広がりました。チェルノブイリから約8,000キロ離れたここ日本でも、野菜・水・母乳などから放射能が検出されました。
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