憲法理念の実現をめざす第51回大会(護憲大会)開催の呼びかけ(案)
1945年8月15日、15年戦争に敗北した日本は、国内310万人、アジア全体で2000万人ともいわれる犠牲者を出し、植民地支配と侵略の歴史を閉じました。敗戦時に少年特攻兵であった城山三郎さんは「敗戦で得たものは、日本国憲法だけだ」と述べています。
日本兵の多くは、上官の命令の下、アジア諸国そして米軍を主体とした連合国と戦い、残虐な行為を繰り返しました。加害者であった彼らは、しかし故国の土を踏むことなく異国に倒れました。石ころとなって帰還した彼らは、靖国神社に合祀されることで「名誉の戦死」とされました。加害者であった彼らは、また、被害者でもありました。日本国内においても、沖縄戦や度重なる空襲、原爆投下などで多くの犠牲を強いました。権力の選択としてなされた戦争は、無辜の市民の犠牲の上に遂行されていったのです。
アジアの、そして日本の多くの犠牲の下に、「日本国憲法」は徹底した平和主義を持って成立しました。だからこそ、日本は戦後70年を迎えようとする今日まで、他国民に銃を向けることなく、そして銃を売ることもなく、侵略の国、ファシストの国という汚名から、平和国家の信頼を重ねてきたのです。このことは、日本国民の変わらぬ願いであり強い意志であったのです。
しかし、安倍晋三政権は、戦後70年変わらぬ日本社会の願いを、意志を踏みにじり、集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲の閣議決定を持って「戦争をする」ことに踏み出そうとしています。「国民の財産と生命を守る」ために、平和への脅威を対話と協調の外交政策をもって排除しようとする努力を行うことなく、歴史の事実とその反省を顧みることなく、市民社会の願いを一顧だにせず、「戦争をする」ことをいとも簡単に選択しようとしています。憲法99条の「憲法の尊重義務」を果たすことなく、憲法96条の「改憲の手続き」を踏むことなく、立憲主義を無視する行為を行おうとしています。それはまさに犯罪に値するものと言わざるを得ません。法によって決められた民主主義の手続きを踏んで選ばれた首相は、その法の支配を受けることを忘れてはなりません。それが立憲主義であり、法治国家の基本なのです。
一方で、教育もまた「戦争をする」ための基盤づくりを企図し、改悪の方向に動いています。道徳の教科化は「修身」を、日本史の必修は「国史」を、検定制度の改悪は「国定教科書」を想像させます。下村博文文部科学大臣は「教育勅語は現代でも通用する」とし、「一旦緩急あれば義勇公に奉仕、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」との文言でさえ肯定をする発言を行っています。この言葉によって、いったいどれだけの人々が死んでいったのかを私たちは忘れてはなりません。
植民地支配の中での強制連行などによって、戦後日本社会で生きていくことを余儀なくされた在日韓国・朝鮮人は、多くの差別と闘ってきました。安倍政権の国家主義的施策や歴史修正主義とも言える発言などによって、「ヘイトスピーチ」など、在日韓国・朝鮮人社会に対するあからさまな差別が生まれています。「朝鮮高校への授業料無償化措置の不適用」など、国連人権委員会が勧告する日本政府による差別も改善されません。日本国憲法の規定する基本的人権は、日本社会に生きるすべての人々に適用されなくてはなりません。
私たちは、2014年11月1日から3日までの予定で、岐阜県岐阜市において第51回の「憲法理念の実現をめざす全国大会」を開催します。憲法の規定する平和主義、人権主義、民主主義が、これほどまでに危機的な状況にあったことはありません。今年3月4日には「戦争をさせない1000人委員会」が発足し、平和を守る全国運動を展開しています。今、私たちは、歴史に事実に学び、「命」の犠牲を強いることなく、日本国憲法の規定する崇高な理念を実現するために立ち上がらなくてはなりません。第51回、半世紀を迎えて新しい一歩を踏み出すために、全国から多くの仲間が結集されますことを、心から訴えます。
2014年*月**日 憲法理念の実現をめざす第51回大会実行委員会