2.8青年・女性集会

2.8青年・女性集会 教育会館

2.8闘争の起源

自衛隊機金沢墜落事故
1969年(S44年)2月8日、航空自衛隊小松基地所属のF104Jジェット戦闘機が基地に帰還中に被雷し、金沢市泉野2丁目の密集地に墜落。この事故で住民4人が死亡、18人が重軽傷を負い、南北約100m、東西約50mの範囲内で民家14戸が全焼全壊、10戸が半焼半壊した。23世帯、114人が被災し、この他周辺約70戸がガラス破損などの損害を受けた。航空自衛隊機が民家に墜落した事故としては過去最大の惨事であった。

この事故に対して反安保実行委員会(社会党、県評などで構成)は12日、「自衛隊機墜落事故に抗議し軍事基地撤去を要求する石川県集会」を開催。5,000名を越える労働者、市民が参加し中央公園から事故現場までデモ行進を行った。
また、この2日前の10日には、石川県反戦青年委員会が北信越規模の大抗議集会を開き、2,000名の青年労働者が結集した。3月23日には北信越5県評の抗議集会も開かれている。
その後も一定の期間、闘争は作られたが、反安保実行委員会としての闘いは、被害者への補償問題や自衛隊機の飛行コースの変更を県や防衛庁に求めていくものであったため、一定の条件が満たされた段階で終息してしまい、その後の小松基地を巡る運動の基軸は爆音訴訟に向けられていった。
他方、県評青年部を中心とする青年労働者は、条件闘争の弱さを指摘しつつ「小松軍事基地撤去」の反戦・反基地闘争として「2.8闘争」を位置付け、闘いは続けられた。
その後、親組織が県評から県評センター、連帯労組会議、平和運動センターへと移行するなかも青年連絡会、女性運動連絡会の中で「2.8闘争」は闘い続けられ、今年は新たに石川県平和運動センター青年女性部として取り組まれることとなる。

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