講演録
「有事法制、国民保護法と憲法」
講師 : 山口民雄 弁護士
第4回北信越ブロック地域活動交流集会
会場:山代温泉「雄山閣」
2005年6月17日~18日
講演録発刊にあたって
さる6月17日から18日にかけて、北信越5県の平和運動センター加盟組織の組合員が石川県にあつまり、第4回北信越ブロック地域活動交流集会を開催しました。
戦後60年、被爆60年の今年、憲法改悪への動きが大きく加速しています。4月には衆参両院の憲法調査会が最終報告書を提出し、自民党の新憲法起草委員会も改憲草案要綱をまとめました。11月の自民党結党50年の大会には「新憲法」草案を発表しようとしています。また、一昨年の有事関連三法、昨年の有事関連七法の成立を受け、都道府県では国民保護計画の策定作業もはじまりました。
こうした情勢下、今回の交流集会は、1日目は小松基地の騒音被害や爆音訴訟の闘いについて学び、2日目は山口民雄弁護士を講師に招いて「有事法制、国民保護法と憲法」というテーマで講演を受け、さらに分散会で議論を深めました。
石川県は今年度中に石川県国民保護計画を策定する予定としています。県民を有事体制に組み込むものであり、県平和運動センターとしては3月に計画策定に抗議し、反対の申し入れをおこなっていますが、今後、計画の問題点を県民の前に明らかにしつつ、計画策定を阻止する運動を強化しなければなりません。
同時に憲法改悪阻止の運動も大きなヤマ場を迎えようとしています。まさに憲法理念の実現をめざす護憲運動の真価が問われるときですが、いま、護憲勢力内から今後の運動の柱として「平和基本法構想」の実現が提起されています。早急に議論を重ね、対応を明らかにしていかなければなりません。
このような運動課題に直面する私たちにとって、今回の山口弁護士の講演は非常に有益なものでした。そこで山口弁護士の了解をいただき、憲法問題、平和問題の学習教材として講演録を作成しました。ご活用いただければ幸いです。
2005年7月
「有事法制、国民保護法と憲法」
今日は平和問題について根本的な話になりますが、わたしなりに弁護士としての経験も踏まえ、1時間程度お話をさせていただきたいと思います。
1.はじめに
(1)有事法制を下支えするもの
有事法制、あるいは国民保護法という法体系を考えるにあたって、まず見ておかなければいけないことがあります。有事法制は法律としてはつくられました。本来はスタートしてもおかしくないんですが、実際は稼働しておりませんし、現実化する動きも目立っていません。もちろん稼働することがあっては困るわけですが、差し迫った現実の問題とはなっていません。しかし実際には有事法制を下支えする動きが広まっており、皆さんのまわりにもいろいろあるのではないかと思います。
(2)体感治安の悪化
例えば、治安の悪化が叫ばれ、生活安全条例や暮らしの安全条例といったものが制定されたり、あるいは制定しようという動きが各地で進んでいます。また、皆さんお気づきかと思いますがボランティア活動、例えば犬の散歩をしている飼い主が付近のパトロールをする。そういった形で、いま住民がいろんなかたちで自分たち周辺の治安を守っていく動きがある。ボランティアといえば響きがいいですが、実際は周りの人を監視する体制がつくられていくわけです。
この他、石川県では片町という繁華街で防犯カメラが据え付けられています。他の県でも同じようになっているのではないかと思いますが、必要以上に自分たちの生活を監視するような動きがあります。これが表向きは、たとえば不審者が出るからこどもの学校の送り迎えをしなければならないとか、いまの日本の治安は決して芳しくない、とにかく危ない、だからいろんな工夫をして自分たちの身の安全を守らなければならない、そんな理由で住民側からむしろ積極的に進めていくべきだというトーンで語られています。
安心して暮らせる社会といえば響きはいいですが、見方を変えればお互いがお互いを監視する社会であり、大前提として人間不信を前提としてそういう体制が作られていくわけです。
(3)個人情報保護法施行による新たな管理体制の出現
これと直接つながるかどうかはわかりませんが、皆さんの職場でもこの春から個人情報保護法の関係で、例えば改めて誓約書を書かされるような動きがあったりするのではないかと思います。個人情報保護が大事だと言われればその通りであり、情報を取り扱う以上は誓約書を取り交わしておかなければいけないということのようですが、中身は詳しく教えてくれません。個人情報保護ということをきちんと言うのならいいのですが、個人情報保護法ができたということで、必要以上の規制が行われています。
住基ネット訴訟にも関係しますが、確かにプライバシーは大事ですが、個人情報保護法というのはプライバシーというのを逆手にとって、プライバシーというのは大事なんだから取り扱いを厳重にしなければいけないということで、本来ならば会社とか行政側がきちんとプライバシーを守りますと約束をすべきところを、なぜかそこに働く人たち、公務員や会社員など働いている人たちの方にきちんと守れというように問題がすり替えられているわけです。
われわれがやった住基ネットの裁判もあくまでプライバシーの権利を保護してくれといった相手は国であり地方公共団体、あくまで権力を持っている側に対し住民のプライバシーを守ってくれという意味で裁判を起こし、裁判所はそういう観点からプライバシー権というのは当然保障されなければならないし、いまの住民基本台帳のシステムは実際に住民、国民のプライバシーを侵害するおそれがあるということをはっきり認めてくれたわけです。
プライバシー保護、個人情報保護に関して、本来、プライバシーを保護する側というのは公権力側なんですが、ところが権力側が私たち市民に対してプライバシーを守れというすり替えがあります。いま、こういう形で新たな管理、監視体制というものが出現しています。
(4)精神面からの総動員態勢づくり~教育基本法の改悪
当然ながらこれらの動きの背景には有事体制というものがあるんですが、現在、いろんな形で国民を管理しようとする動きがあります。それは体制面だけでなく精神的なことについても注意する必要があります。
単に体制だけを整えても国民が言うこと聞かなければ意味がない。器をつくっても国民がいうことを聞かなければ意味はない。国民を器の中に押し込むのに一番手っ取り早いのは教育なんですね。それで教育基本法を改悪しようという動きになります。
いまの我々のような年をとった人はもういい。戦後の憲法の体制下で十分感化されてしまっているからしょうがない。これからの日本を背負っていく若者に愛国心や伝統を重んじる心を育て、お上の言うことを素直に聞くような国民に育てる。一部のエリートを育て、あとのエリートでない人はエリートの指示に素直に従うようにするのがいまの教育基本法改悪の要点、核心です。有事体制、国民総動員の体制をつくるだけでなく、器に従うような精神面をあわせてつくっていこうとする動きもあるわけです。
そういった有事法制が行き着く先は、最終的には憲法の改悪です。完全に国民を一致団結させる、そういった体制を完成させるために、有事体制は最終的には憲法改悪というところにつながっていきます。
2.有事法制の構築とその問題性
(1)構築のきっかけの欺瞞性
ここでもう一度、制定されてはいるが有事法制というのはどういうものか、そしてその中の国民保護法がどういうものかということについて少し話をしていきたいと思います。
皆さん思い返してほしいのですが、有事法制がつくられるきっかけ、そのスタート地点として、小泉さんの「備えあれば憂いなし」という言葉を覚えておられると思います。ちょうどその頃、いいタイミングで北朝鮮のミサイル、そして不審船事件。ちょうど有事法をつくらねばならないという議論をしているときにそんな動きにあおられたわけです。さらに有事法制をつくる追い風になったのが9・11の事件。これが決定打になりました。
今の有事法制というのは、典型的な戦争になったらどう対処するかということも含まれていますが、9・11を受けて、戦争だけではなくテロ、法律上は緊急対処事態といいますが、そういったテロなんかが起きた場合の対応も含めて有事法制といわれています。
(2)有事法制の概要
その有事法制ですが、どういうケースが有事といえるのか有事発動の要件、これからは非常事態ですよと認定するための、そして認定してそれに対してこういう対応をとらなければいけませんよということを決める基本法、プログラム法として武力攻撃事態対処法という法律があります。
しかし、これはしょせんプログラム法で、戦争になったときに必要な対応をとりますとしか言ってないわけです。具体的にどういう対応をするかとなると、武力攻撃事態対処法で具体的に非常事態ということ判断されたときの米軍支援、あるいは自衛隊が動く時の作戦兵站計画、そして今日中心的にお話しする国民保護法、つまり実際に戦争状態になったときに被害を被る国民をどうしますかという3つに整理されています。これらの法律は去年の夏までに成立しています。(参照:資料1)
(3)有事法制の根本的な問題性
有事法制ですが、根本的問題点をまず指摘しますと、皆さんはすでにお気づきだと思うんですが、今まで有事という規定は法律的になかったわけです。単につくってなかったということではなく、本来、有事の定義をすることは日本の憲法に照らして考えれば非常に矛盾した状態、本来はそういう法律を作ること自体がおかしいのではないか。法律の大前提に根本的問題があるわけです。しかし時代の流れというか、いまの政治状況の中で有事法制がつくられてきた。したがって有事法制は出来上がった段階で平和主義とか人権尊重主義を定めた日本の憲法の理念を踏みにじる、そういう問題点が存在することは当然だと言えます。
これが一点目の大きな問題ですが、さらに問題なのは、実はこの法律が有事の時だけに使われるのであれば、つまり理念的に有事のときだけに使われるというものであるならばそれはそれで一つの考え方だと思われますが、実はそう甘いものではありません。実際には、有事法制は平時の段階から、あくまで有事ではない段階から、いつ有事になってもおかしくないんだから有事に備えていろいろ対応しなくちゃいけないんじゃないかというふうに、どんどん法律の適応範囲というか射程範囲が広がっていくところにもう一つ大きな問題があります。有事になって国民の権利が侵害されるというのも大きな問題だが、それ以上に問題なのは、有事でなくても有事を意識し有事体制どんどん広げられてしまう。そこが一番怖いところではないかと思います。
実際、国民保護法の規定をみれば、有事になったときだけに発動されるというものだけではなく、有事に備えて日頃からいろんな体制を整えておきましょうという規定が盛り込まれています。有事ではないこの時点でも国民保護法自体が作動している、これが大きい問題だということです。
3.国民保護法の内容と地方自治体の関係及びその問題点
(1)国民保護法の内容
平時だけど動いている国民保護法がどういう内容になっているかを見ていきたいと思います。国民保護法の構成は、まず「総則」と言うところで国や地方公共団体の基本的な役割分担が規定されています。つぎに国民保護というのはどういうのかというと、自衛隊や米軍が戦闘を始めたら国民は戦闘の妨げにならないように避難しましょう。これが避難の規定です。避難の時に負傷したら救援の規定があります。それから国民保護法で新しく出てきた概念なんですが、武力攻撃災害への対処ということで、実際に戦争活動で災害が発生したときに具体的にどう対応するかということが規定されています。避難したあとの経済的なことをどうするかとか、復旧、復興に関する規定もあります。基本的には、時間経過を追って災害が起こったときにどう対応するのかという災害対策基本法の規定と似た構成になっています。
しかし注意しなければいけないのは、戦争と災害というのは全然違うわけでして、国民保護法に災害対策をスライドさせるには無理があります。どう違うかといいますと、予期せぬかたちで起こる災害が自然災害ですが、そのあとも積極的に、意図的に我々に危害を加えてくるものではありません。しかし戦争とはなんなのかといえば、法律の建前から言えば、自衛隊や米軍は攻めてくる相手を排除するために闘っていますよ、国民の方が軍事行動を妨げないような行動をとりなさい、となっています。
あくまで理念的な話ですが、実際に市街地に軍隊が攻めてきて自衛隊や米軍が闘っているときに、邪魔にならないように避難しなさいといわれて、自分たちが避難できるかといえば実際にそんなことはできるはずがないんですね。自然災害と違って戦争状態では相手の軍隊が攻めてくるので、建前上、軍隊は闘って住民は避難といってもなんの意味もありません。国民保護法というのは規定の仕方自体が現実を踏まえていないということが大きな特徴であり疑問点だといえます。
(2)国民保護法と地方自治体の関係
国民保護法の内容上の大きな特徴の2点目は、戦争状態になったときに地方自治体は避難など必要な対応を考えなきゃならんということがあります。国の側から避難措置の指示が出たら、それをスムーズに都道府県 市町村に降ろしていく。上から下へ、そういう縦の流れというのがこの法律の特徴です。
国民の保護に関する「基本指針」および「計画」を見れば、基本的には国民を守るのは国家の責任ということで、国がイニシアティブをとって都道府県に、さらに市町村に指示を出していく。上から下に向かってということが分かります。本来、地方自治からすると、国家が地方の活動に介入するということは抑制的でなければいけないのですが、こと国民の保護という問題に関してはあくまで国の側から、上から下へ国から指揮命令が流れていくという体制が国民保護法によってつくられているわけです。
そこで結局は国からの指揮命令、圧力をいかにつぶしていくという議論になっていきますが、国民保護法と地方自治体との関係をみたとき、実は、法律の建前上は住民保護のイニシアティブは地方自治体にあるとされています。あくまで国民保護計画は地方自治体でつくる。いろんなアドバイス、あるいは協議をすることになるのでどこまで主体性を発揮できるか問題はありますが、あくまで法律の建前上は地方自治体が国民保護計画策定の実質的な権限をもっているわけです。
そこでイニシアティブを完全に発揮できるかということで「法定受託事務としての国民保護」という問題がでてきます。
どういうことかといいますと、災害対策は第一義的には地方自治体の事務です。災害対策はあくまで災害が起きた地域で対処するのが原則。もともとの権限があって、災害の規模によって対応できないときに都道府県や国にあがっていきます。国民保護法制は逆で、国の方から逃げろ、逃げなきゃいかんと言った指示が都道府県へ、そして市町村の方へと出されます。上から下へという意味あいが法定受託事務ということでして、国民保護はあくまで国の事務なんだけど地方自治体が肩代わりしていますというのが法律の建前になっています。その意味では国の方がなにかと口出しできることになるわけで、ここのところの解釈が一つの問題点となっています。(参照:資料2)
(3)計画策定と国民保護協議会の設置
次の特徴として、国民保護計画をつくっていくにあたって、すでに各県で国民保護協議会がつくられているようですが、この協議会がつくられて多様な意見を反映させようということになっています。やむを得ないのかもしれませんが、協議会の委員の中に自衛官が入っています。法律の規定では自衛官も選ぶことができるとされてはいますが、選ばなきゃいかんとはなっていません。本当は自衛官を選ぶ必要はないわけです。ところが実際には自衛官が選ばれています。国民保護協議会は諮問機関と言いながらも、十分注意して見ておく必要があると思います。(参照:資料5)
(4)国民保護法の問題点
① 想定している事態の欺瞞性
国民保護法ですが、どんな問題点があるといいますと、そもそも想定している事態がでたらめだと言うことです。国民保護法の規定の仕方は、軍隊が日本に上陸してくることを前提に避難しましょうということになっていますが、実際そういう可能性があるかということです。日本がヨーロッパのような地続きの国であれば現実的な想定かもしれませんが、日本は島国で、実際のところ、北朝鮮や中国が攻めてくるかと言えばそういうことは現実的に起こらない。政府が決定した新防衛計画大綱(2004年12月)でもそういう可能性は低くなっていると書いてあるわけです。そもそも起こりえないような事態を想定して計画をつくりましょうということ自体がでたらめ。本来起こりそうもないことを、起こるかもしれないから計画を立てなさいというのは極めて詐欺的であるといえます。
さらに想定される事態として、ゲリラ攻撃や特殊部隊による攻撃、ミサイル攻撃とか航空機攻撃とかがあるが、これは書いてある説明をみても、実際上、あっという間に飛んでくるからあらかじめ準備できない。そもそも予測が難しい。それでも保護計画をつくりなさいと言っているわけです。そもそも起こりえない事態を前提に計画をつくりなさいとか、対応ができないことを前提に計画をつくりなさいと言っているわけで、国民保護計画をつくる大前提自体が欠けているんじゃないですかと問題提起をしていかなければいけません。
さらにそもそも現実に起こりえないことへの対応とか、起こりうるんだけど予測できないし、どう対応したらいいのかすぐにはわからない状態ですから、国民保護計画といっても実効性ある計画ができるはずがない。結局のところ、この国民保護法が今後どうなるかというと机上の空論みたいな計画ができることになります。
②「保護」の実質は「動員」 志賀原発防災訓練より
そのなかで唯一意味があるというか実効
性があるのが訓練です。原発テロを想定して訓練を行うということが報道されていました。(参照:資料7)福井県美浜の方で国と県で行うとのことですが、これが国民保護計画の最大のメリットです。
要するに机上の空論である国民保護計画で、どこに意味があるかというと、有事は起こりえないが平時の状態で訓練をやる。それも国や県を上げて大がかりな訓練をやる。国民にとってはやるたびに危機感があおられます。こういうときにいろんな機関を動かして、それによって協力態勢や指揮命令系統をつくっていくことになります。
最初は国や県の思い通りにいかないかもしれません。しかし、こういう訓練を繰り返していくなかでだんだん指揮命令系統が整っていきます。国が地方を指示し、さらに指定公共機関も巻き込んで、いつでもいろんな国に動員できる態勢がつくられていく。まさに国民動員体制をつくっていくことに意味があるわけです。
結局、国民を保護しましょうということではなくって、常に何かがあったら国民を動かしていくための体制になっていかざるをえません。軍隊が攻めてくるようなことはまずありません。テロはあるかもしれないけど、災害と同じように突然おこります。そこで特段にテロの危険性を強調したいがためによく使われるのが 生物兵器などNBC攻撃です。理念的には考えられなくはないが、実際はまず起こりえない。恐怖感を前提に漠然とした不安感をあおり、きちっとした体制をつくらなければいけないと国民を感化していきます。
我々の方の対応としては、そういった有事ということが本当に起こりうることなのか。そこにウソ偽りがあるということをきちんと指摘をしなければいけません。さらに、皆さんもすでに申し入れを行われていますが、国民の権利、特に表現の自由を確保できる体制、そして情報公開というものをきちっと確保しなければいけないということを繰り返し必要に応じて申し入れていかなければなりません。
もう一つ問題だと思うことは、繰り返し国民の人権は保障しなければいけない、人権を最大限保障しなければいけないと、法律自体にわざわざ書き込んでいるわけです。ということは国民保護法が実際に本格的に動くとなると明らかに国民の人権を侵害することは目に見えているわけです。目に見えているからこそ繰り返し人権を守りますよといっていますが、逆に言えば人権を侵害しますよと言っているようなものです。
③ 地方自治体への過度の規制の危険性
法定受託事務ということを言いましたが、今後、国が国民保護計画を早く策定しなさいと、いろいろ指示、圧力をかけてくることが予想されます。国民保護法では、国民保護計画の最終的な策定の権限、責任は地方公共団体にあるんです。そういう意味では、いくら国がこういう形でつくったらどうですかと助言や指導があっても、それに従わなければならない義務はありません。中身はいくらでも換骨奪胎にできないことはない。これから皆さんが都道府県や市町村に働きかけるに際しては、国からいろいろ言われるかもしれないけど、地域住民の問題を考慮に入れて、独自の国民保護計画をつくるべきだという観点からの主張が成り立ちます。
国の意向をストレートには反映しないようなかたちでどんどんやっていくことも不可能ではありません。そういう意味で、国民保護計画をつくらなければならなくなった時でも、中身については積極的に地方の側から国とは違う形でやっていくんだということで、逆にこちらの側から、難しいかもしれないが、こういう内容にすべきだという提言をしておくことも一つの方法だと思います。
もちろん、これはあくまで計画を作らざるをえなくなった段階の話であって、まずはなぜ国民保護計画をつくらなければならないのか、その認識を明らかにさせるのが大事であり、そこをきっちりやったうえで、国の言いなりではなくって、独自に計画をつくっていけるんだとやっていくのが一つの進め方ではないかと思います。
4.有事法制の先にある憲法問題=憲法改正(悪)
(1)「憲法」とは
国民保護法などの有事法制を円滑に動かしていくために何が最大の障害かといいますと日本国憲法です。いまの日本国憲法が有事法制を円滑に動かしていく最大の障壁になっています。憲法9条だけが障壁になっているということではありません。そもそも憲法というのはどういうものなのかというところから考えていかなければなりません。
原理的にかいつまんで説明しますと、憲法というのは基本的には国家権力を規制するものです。権力を規制してその結果として国民の権利が保障される、そういう法律が憲法というわけです。本来、国家というのは権力をもって国民に向かってくるものですが、権力を濫用させない、きちっと適切に行使させるためにいろんな制限を加える。それが本来の憲法の目的です。あくまで国に対してこういうことをやっちゃあいけませんよと規制をかけていくのが憲法の規定で、人権保障というのは国家に対して義務づけているわけです。
よく自民党の議員が、今の憲法は権利ばかり書いてあって義務が規定されてないのはおかしいと言いますが、憲法の原理を全然わかっていない発言でして、本来、権利ばかり保障されているのではなくて、国家が悪いことをしてはいけませんよと規制している結果として権利が保障されているんです。憲法が命令している対象は国家権力です。国民に対して命令しているわけではありません。
(2)有事法制の整備と憲法改正(悪)の必然性
以上のことをふまえてみたとき、有事体制にとって何が邪魔かといいますと、権力を規制している憲法が一番邪魔なわけです。有事になったら好きなように国民をコントロールしようという時に、国家が好きなように権力を行使してはいけませんよという憲法は一番邪魔なわけです。だから憲法を改正しましょうとなっているわけです。
自民党などは、伝統の尊重や愛国心だけでなく、国民の責務も憲法に盛り込まなければならないと主張しています。しかし、これによって憲法は本来の目的を失ってしまいます。つまり、本来の国家権力を縛るという役割でなく、国民に対して国民はこうあるべきだ、日本国民は、日本が発展していくためにはこうあるべきだと、国民に対し指示、命令する法律に変わります。これは、「行為規範としての憲法」と呼ばなければならない状態です。結果として、憲法改正(悪)によって憲法の価値転換が行われるわけで、難しい表現になりますが「権力に対する制限規範から国民の行為規範への転換」が図られるということです。
いままで憲法というのは国家権力を縛って、そのことで国民を守ってきたはずなんだけれども、憲法改正(悪)しようと言う人たちはその根本のところを変えようとしています。国家権力は国民の安全を守らなければいけない。そのためには、あなたたちは国の言うことをきかなければならない。お上、国の言うことを聞いていろんな責務を果たしていくことが日本国民にとって大事なんですよという憲法をつくろうというわけです。本来の憲法の役割を壊し、そのことによっていつでも有事体制を発動し、維持できるようにしようとしています。憲法が有事法制の最後の障壁だというのは以上のような意味です。
5.今後の憲法改正(悪)阻止へ向けて=いわゆる「平和基本法」構想について
(1) 構想の意図
憲法改正(悪)に関しては、いまでこそ郵政民営化問題など他の問題の陰に隠れ表に出ていませんが、秋の国会にはそれなりの動きが必ず出てくるだろうと思います。憲法9条だけでなく、憲法そのものの基本的な考え方を変えてしまおうという改正がもくろまれています。当然、憲法改正というものは阻止しなきゃいかんとなるわけですが、憲法改正を阻止していく一つの方策として一昔前に言われ、そして最近また言われているものとして平和基本法構想という考え方があります。
これは「世界」という雑誌の1993年4月号で9人の方の共同提言という形で発表されました。その考え方、発想というのは、解釈改憲や明文改憲で憲法が変えられようとしている中で、護憲の側から憲法9条を守るための一つの方策として、積極的に平和基本法をつくっていこうと提言されたのもです。(参照:資料9)
一昔前の提言ですが、それが最近、こういう時世だからますます平和基本法を作る意味はあるんだということが言われているようです。(参照:資料10)平和フォーラム、平和運動センターの基本的な対応としても平和基本法を制定していく動きに乗っていくようです。平和フォーラムの総会議案(今年度)をみると「平和基本法の確立をはじめ、平和・人権・民主主義の憲法理念の実現をめざすとりくみ」ということで平和基本法の確立に向けて前向きに進んでいこうという基本的なスタンスが示されています。(参照:資料8)
わたしも憲法とか平和問題を取り扱う弁護士として、基本的な構想そのものというのは一つの考え方としてあり得るのかなとは思いますが、わたし自身は平和基本法構想には積極的には賛成しかねるという立場です。
(2)構想の問題点
平和基本法構想についてのどういう点が問題か、以下4点あげてみます。
① 平和主義の理念の弱体化
まず平和基本法ということで平和の問題を法案化すると言うこと自体が、実は平和主義の理念の弱体化につながるのではないかということです。法案化の仕方によっては逆に自らの手足を縛りかねません。
どういうことかと言いますと、いまの憲法9条の規定というのは非常にシンプルですっきりしています。平和を尊重して、そのための手段として軍隊をもたない、これほどシンプルで効率的な規定はないわけです。その規定を維持して、平和基本法を作って平和を維持していくための基本的な体制をつくりましょうと言うんだけど、当然9条が一番徹底したシンプルな形になっているので、平和基本法の中身がどうなるかといえば、予想されるのは、平和基本法構想の中にもでてきますが、最小限防御力というものを認める、あるいは一定の力の行使を認めるということになってしまいます。当然憲法9条より引いた議論になるわけです。
また、平和基本法をもって平和と定義し、平和を維持していきましょうと言ってみたところで、その時点から平和というのは一体なんなんだという根本的問題が生じてきます。戦争状態ではないのが平和だと言われたりしますが、それは戦争状態にないというだけで、本来の平和とは言わないわけです。平和というのは単に戦争がないだけでなく、差別や貧困とかを生み出す構造的な問題自体がなくって、誰もが幸せに暮らせる状態が平和というものだと思います。
② 政治的インパクトの弱さ
今回の平和基本法でいう平和とは、本来の平和の理念というよりも憲法9条をなんとか守りたいがために一歩引いて、その一歩引いたところを防波堤にしてなんとか平和を維持しようというのが基本的な考え方になります。ですからどうしても一歩引いた議論になってしまします。護憲勢力が批判勢力として一定の力をもっているのあれば一歩引いた議論というのもありうるのかもしれませんが、ただでさえ護憲とか批判勢力が弱い中で、理念で引いた形で法案かしようとしますとどんどん押し込まれてしまうのではないでしょうか。こういうときだからこそ理念を明確に打ち出さなければいけないはずです。
③「現実論」という幻想
憲法9条を守ろう、守ろうというのは理念に過ぎないということは繰り返し言われて来ています。確かにそういう面もあるかもしれませんが、じゃあ平和基本法構想というのは現実論としてそんな説得力のある議論ですかと逆に問いただしてみると、どうということはないわけですね。平和基本法構想も現実論だと言いつつも、理想論の域をでないと私は思います。むしろ向こうがはっきりとした価値観、理念を提示して改憲しようと時期だからこそ、こちらもきちっとした理念を打ち出して対抗すべきではないでしょうか。
平和基本法構想の実現を考えている人たちは中間をとったというかもしれないけれど、改憲しようとする人たちから見ればそんな中途半端な意見を出されても乗れないのは明らかです。では一方で護憲の立場から乗れるかといえば、乗れると言う人もいるかもしれませんが、理念がぼやけており、本当に平和運動をきちんとやっていこうという中で、私は理論的にも弱いのではないかと思います。憲法9条に規定があるわけなので、それをきちっと守っていくという前提からしますと、平和基本法というのはどうしても弱腰と言わざるをえないのではないでしょうか。
④ 基本法制定が自己目的化することの危険性
さらに、平和基本法を制定したらそれでいいのかという問題があります。仮につくったとしても、それで済むという問題ではありません。平和基本法は今回の有事体制の似たようなもの、といいますか有事体制の裏返しみたいなところがあります。有事体制は武力攻撃事態対処法というプログラム法をつくって、さらにいろんな対処法をつくりました。平和基本法も、当然その理念を実現するための対処法をつくらなければなりません。
平和基本法構想を掲げている人たちは自衛隊を段階的に縮小して、自衛隊の力をどんどん弱めていきますという提言をしているわけですが、じゃあそれを具体的に法案化してやっていけるのか。平和基本法を積極的につくっていこうとするのであれば、そこまで考えなければいけない。平和基本法をつくったら終わりということではなく、つくった以上はそこから平和を実現していくために自衛隊をどうするかとか、第2、第3の提案、立法をどんどんやっていかなければならない。先々まで考慮に入れて、それが実現できるんだという確信があればやっていけばいいと思うが、少なくとも今の政治状況からすると、平和基本法自体はつくることはできるかもしれないが、つくった段階で反対側から骨抜きにされてしまう危険性が大きい。それが必然ではないかと思う。少なくとも先の見通しをきちんと立てないと、いまの状態でただ平和基本法だけ作りましょうというのは、私は危険きわまりないと思います。
6.今後の展望~われわれがこれからなすべきこと
最後になりますが、私が今日の話で言いたかったのは、国家権力を規制して国民の権利を守るという憲法の存在原理をきちんと確認したうえで、反戦平和の運動をつくっていかなければならないということ。そう意味で平和基本法というのは結果的に一定の成果を得られる可能性は無きにしもあらずだが、理念が後退してしまいます。さらに、ただ基本法をつくればいいというものではなく、そのあとのいろんな課題をクリアしていかなければなりません。
これからの運動を考えるにあたっては、理念をきちんと掲げ、理念を守り行動していくことが肝心なのではないかと思います。今後、憲法改正の提案とかいろいろ出てくるとは思いますが、その中で我々がどういう意思を表示していくか、どういう意見を出していったかというプロセスが大事なんではないでしょうか。これから戦争に向けた動きがますます進んでいくかもしれませんが、平和の理念、憲法の理念に基づいてどんな問題提起をして、どんな闘いをしていったかというそのプロセスが大事、そのプロセスをきちっと残しておくことが大事です。最終的にそれで平和が守られることが理想だが、どこまで追いつめられたとしても我々としてはプロセスを大事にする。いずれ政治状況が変わるかもしれない。今の厳しい政治状況の中、何が肝心かといえば、結果を求めすぎずプロセスを大事にして、できることを一歩一歩取り組んでいくことが大事なんではないかと思います。
質疑
Q.憲法の制限規範について
A.憲法が国家権力を規制するというのは他の国の憲法も同じです。憲法というのは英語ではConstitutionと言われるが、枠組み、体制をきめるものという意味です。憲法学の話になりますが、歴史的な沿革、ヨーロッパなどでは絶対主義の王様がいました。王様でさえ従わなければならないのが憲法。憲法という法律でもって国王の権力も制限していきましょうというのが憲法です。権力を制限するのはむしろ当たり前で、それは日本だけではなく憲法という言葉がついていればそういうものと理解してもらえればいいと思います。
Q.トマス・ジェファーソンの「信頼は専制の親である」という言葉と通じるものがあった。
A.国家権力を規制するというのはまさにその観点からです。権力は腐敗すると基本的には考えられていて、権力者に対する不信の念から権力を縛りましょうということになっています。権力者を信頼できるかというと、とてもできないですね。例えばいまの小泉さんの靖国の発言を聞いていても個人の信念をいっているのか一国の総理大臣としての立場を考えて発言しているのかよくわからない。でもまだ40%の支持率があり不思議ですが、憲法に限らず法律は人間不信を前提にしています。権力機構は権力者は権力を濫用する危険性がある、憲法は権力者に対する不信の念を前提に、権力を規制しなければいけないという考えでできているといえます。
Q.国民投票法案について
A.現実に憲法を改正しようとすると今のままではできません。憲法96条の規定しかなく、そこには具体的な改正手続条項はありません。憲法を改正しようとすると改正手続法をつくらなければならない。改正手続法案の骨子はすでにできていまして、いつでも出せる状態にあります。いまのところいつでるかわかりませんが、秋にも出るかもしれません。
法案が出ること自体は避けられませんが、成立を阻止する場合に二つ考えられる。憲法改正をすること自体が問題であるという観点からの反対論。もう一つは改正手続法案自体が問題だというかたちで議論していくことが考えられます。
例えば、憲法改正にあたって、条文1項ずつ改正する、改正しないと問うやり方もあれば、新憲法全体が出てきて、条文は関係なしで全体を入れ替えてしまうというやり方もあります。個々の条文ごとの改正案ならまだ許容範囲かなと思いますが、個々の条文を無視して、全体としてまったく新しい憲法案を賛成というか、反対というかという話になってきますと、憲法9条の否定どころではない。全部がひっくるめて変わってしまいますから、そういう提案を許すような法案なら問題だという言い方もできます。
最終的には国民投票で過半数ということになるわけですが、次はその過半数の意味がよくありがちな有効投票の過半数みたいな話になると投票しない人が実質賛成にカウントされかねません。過半数のハードルが非常に低いような法案がでてくればそれはおかしい。過半数のハードルを高くするように反対はできます。
さらに引いた議論で申し訳ありませんが、現実的には手続法案が成立の想定しての反対運動をつくっていく必要もあるのではないでしょうか。
(文責:石川県平和運動センター事務局)