イラク戦争開始から1年~私はなぜ反対したのか

講演録発行にあたって

米英によるイラク侵略戦争開始から1年。大義なき戦争、国連憲章を無視した戦争は、罪なき多くのアラブ民衆を殺戮し、アラブ民衆の「自爆テロ=レジスタンス」を招き、まさに泥沼化の一途をたどっています。

駐レバノン大使としてイラク戦争反対を訴え、そして外務省を「解雇」された天木直人氏が、戦争開始から1年を経た今、最新の情報も交え改めてイラク戦争の不当性と対米追従の小泉外交を徹底批判した講演録です。

長年の外交官の経験を踏まえ、中東の歴史や文化、日本外交の空洞化など広い視野からイラク戦争を捉え直す氏の発言は、平和運動に取り組む私たちに多くの示唆を与えてくれるものであり、正念場を迎えた自衛隊派兵反対運動にさらに大きなうねりを巻き起こす契機になると確信します。

本書が職場や地域の学習会をはじめ、様々なイラク戦争反対運動の場で活用いただければ幸いです。

イラク戦争開始から1年 ~私はなぜ反対したのか~
講師:天木 直人 氏(前レバノン大使)

2004年3月5日(金) 午後6時~
石川県教育会館 3Fホール

――― 天木直人氏 プロフィール ―――

1947年、山口県生まれ。1969年外交官上級試験に合格し、外務省入省。マレーシア大使館公使、オーストラリア大使館公使、カナダ大使館公使、米国デトロイト総領事等を経て2001年駐レバノン全権特命大使。2003年8月末にイラク侵攻のブッシュ米国政権に追随しようとする小泉外交の異議を唱え、意見具申したがために実質的に解雇される。著書に「マンデラの南ア」(サイマル出版会)、「さらば外務省!」(講談社)、最新の著書に「アメリカの不正義-レバノンから見たアラブの苦悩」(展望社)がある。

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みなさんこんばんは。本日は金沢地区平和センター、そして金沢市の勤労者協議会の招きで、こうしてみなさんの前で話す機会をいただき、非常にありがたく思っています。

私の生き方を変えたイラク戦争

ちょうどもうじき1年経ちます。1年前の今頃、私はどうしていたかと最近つくづく思います。あのときアメリカがイラクを攻撃しなかったら、そしてその攻撃した時 に、私がレバノンという中東の国に大使として勤務していなければ、恐らく今日こうした形で私がみなさんの前に立って話すことはなかったでしょう。これは私の人生そのものも変えた大きな事件であったとつくづく思います。さらにいえば日本の首相が小泉純一郎という政治家で、ああいう形でアメリカを支持していなければ、私のああいう電報、そして今日の言動もなかったでしょう。この3点が私の30数年間の外交官人生を大きく変えた要素だったと思っています。したがって今日もその三つについて話したいと思います。
天木直人氏 今イラクがこういう状況になって、日本が自衛隊の派遣という形でイラク戦争にかかわっていく。私はずいぶんいろんな所から呼ばれて話す機会に恵まれてきました。私は話すたびにいつもみなさんのことを考えます。まず私の話は聞いていて決して愉快ではないと思います。それはなぜかというと、私は怒りを持って政府を批判し、アメリカを批判し、そしてそういう日本の現状に対して立ち上がらない国民を非難する。ですから聞いていても決して楽しいことはないだろうと思います。さらにいえばいくら批判して文句をいっても、物事は全く変わらない。過去半年間驚くべき静けさで事実が進行していく。私も今年56歳で、もうじき57歳になります。若い頃に安保闘争、そしてベトナム戦争の経験が一応あります。当時と比べて人々のこういう平和、あるいは憲法問題に対する熱気というか怒りが本当になくなっています。その虚しさもあって、聞いているみなさんもそうですが、私が話し終わったあとでも心が晴れない。
さらにいえば、今日も最後に少し話しますが、今の日本の現状、すなわち永久政権政党である自民党とその相互依存関係で今日まできた官僚組織が驚くべき権力を濫用してきた。日本は戦後、国民の努力で経済的な豊かさと国力をずいぶん蓄積したと思います。それをここまで無責任に使ってきて、挙句の果てにこれだけの赤字になってしまった。どうしたらこれを変えられるかですが、残念ながら政権を持った人間が政権を使ってその地位を絶対に手放さない。これは驚くべき壁というか強さです。したがってこの点でも非常に虚しい思いがします。
こういう話ですから、私の話は決して楽しくはないと思います。しかし私は、この間までずっと官僚をやってきました。ある程度中から見た日本の政治の現状、あるいは外交の実態を話せます。願わくば、改めてみなさんと共に怒りを共有して、日本を何とか変えなければいけないと認識を新たにしていただければ、これから私が話すこともあながち無意味ではないと思って話します。私は役人で、決して話術がうまくありません。そしておもしろい話もできませんがお付き合いいただきたいと思います。

大義なきイラク戦争

まず第1点は、今回のアメリカのイラク戦争です。これは今でこそいろんな形であの戦争がでっち上げだったと間違いなく明らかになっています。いかなる意味でも戦争は避けるべきである。それは当たり前の話です。私は戦後生まれで、戦争がいかに悲惨であるか、身をもって体験したことがありません。ややもすれば戦争に対して抽象的に考える危険があります。しかし中東の国に勤務していて、アメリカの中東政策によって日常茶飯事のように悲惨な状態が行われていることを間近で見てきました。そしてまた改めて、太平洋戦争前後の日本の状況を思い出して、いかなる意味でも戦争は避けるべきだという認識は持っています。そのいかなる意味でも戦争を避けるべきだという観点に立ってこの戦争を見た場合、全く必要性がなかった。要するに大義がなかった。ただアメリカから見れば、これはすでに前から決まっていて、アメリカの利益のためにやる必要があった戦争でした。1年前の国連の議論を思い起こすと、改めてあの時のアメリカの状況が分かってくると思います。
要するにアメリカは、大量破壊兵器が極めて強い可能性でイラクにある、サダム・フセインが隠し持っている。そしてそのサダム・フセインが3年前の9月11日のニューヨークのテロを起こしたオサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダ、いわゆるテロリストと結びついている。その二つを考えれば差し迫った脅威があって、アメリカが攻撃される。それは単にアメリカのみならず、世界すべてにとって脅威だ。こういう論法で、戦後国際社会が守ってきたルール、すなわち国連憲章に基づく戦争以外のいわば国連の約束を全く無視した一方的な先制攻撃を行いました。

外交を放棄した小泉内閣

私はあの時、現地にいていろんな情報を東京に流しました。一つにこれはもうアメリカが自分たちの利害に基づいて起こした戦争である。これを認めると戦後の平和に対する約束がすべて否定される。国連が全く否定される。したがって日本としてはこれを支持できない。そしてアメリカの思惑は世界の平和ではなくて、まさに自分たちの利害であると伝えました。あの時にアメリカに強く反対したフランス、ドイツ、ロシア、中国の中でも、特にフランスは極めて強い態度で最後までアメリカの戦争を反対しました。
私もCNNのテレビで、安全保障理事会でフランスのドビルパン外務大臣がアメリカの攻撃反対の演説を見ました。「もう少し査察を続けるべきだ」と演説した時に拍手が起こりました。すなわちあのときの国際社会の認識はどう見てもフランスの方が正しい。ところが我が外務省、その時の私の同僚というか先輩である駐フランス大使などは、「フランスは今ああいう形で反対しているけれども最後はアメリカについていく。したがって国際社会が分裂することなく、アメリカが単独で戦争することは起こらない。だから安心してアメリカをサポートしてもいい」と電報を送っていたと報道されています。
それが事実だとすると、私は本当に残念です。すなわち我がフランス大使がシラクと会って、シラクがそういっているのであればそれは貴重な情報であり、正しかった。しかしレバノンにいてフランス大使と話した時の私の認識では、フランスは本当にアメリカのあの戦争は止めさせたかった。つまりああいうことをすれば、単に国際社会の約束事を踏みにじるだけでなく、イラクの状況が混沌とする。つまり戦争を始めてサダム・フセインを排除することはアメリカにとって簡単なことだけれども、そんな形で攻撃したあとのイラクをアメリカはとても安定させられない。あるいは世界の国が協力しても安定させられないかもしれない。それだけイラクの将来の見通しがはっきりしない。こういう認識を持って最後まで反対しました。
ところが残念ながら日本は誰がどういう根拠、思惑で判断したのか分かりませんが、あの時にイラク戦争を支持しないとアメリカが怒って日本を守ってくれない。特にその時に北朝鮮の問題はすでに表面化していました。北朝鮮の核の脅威から誰が守ってくれるのか。それはアメリカではないのか。それでもう選択の余地がないとしきりに報道されてきました。私はよもや外務官僚がきちんとした情報に基づいてそういう意見をいっていると思えませんでした。仮にそうであっても、選択の余地がないと自らいうことは外交の放棄です。外交努力はあらゆる可能性を考えて最後まで戦争を回避する。これを最初から全く放棄している。それに対して私は非常に強い憤りを持っていました。
ちなみにあの時、日本がイラク戦争を支持しなければ、アメリカは本当に日本を守ってくれなかったのかという点については、今発売されている『文藝春秋』の3月号でアメリカの国務副大臣のリチャード・アーミテージがインタビューに答えてはっきりいっています。それはばかげた議論だと。インタビュアーが「あのとき日本ではずいぶん議論があって、もしイラク戦争に反対したらアメリカは怒って日本を守ってくれなかったか」といったら、「イラク戦争の支持と日米同盟は一切関係ない」と一蹴しています。したがってこのこと一つとってみても、アメリカに対する日本の従属外交、一貫した追従外交、すなわちむしろこちらからアメリカの機嫌をとる形で先回りをする、アメリカの思っていることをこちらから先取りして政策を決めていく、そういう非常に危険で、なおかつ屈辱的な日本の外交の、まさに行き着くところであったと私は思っています。
少なくとも私が知っている限りの情報では、小泉さんは全く勉強しない。外交の事実関係には全く興味がない。ましてや中東問題の知識はゼロです。その人がどういう配慮であるか知りませんが、私の推測するところ、アメリカにさえついていければ、つまりアメリカに気に入られた総理であれば地位は安泰だ。恐らく彼の頭には田中角栄のロッキード事件があると思います。
これは事実関係はもちろん確認されませんが、政治家の間で田中角栄はアメリカのしっぽを踏んだといわれています。つまりあの時に中国と独自の外交を展開しようとした。あるいは日本独自の石油外交をしようとメキシコとかロシア、インドネシアなどいろんな所の石油資源に手をつけようとした。それがアメリカに危険視されて、ロッキードではめられた。本当か嘘か分かりませんが、自民党の政治家の中では当たり前のようにこういわれています。つまり田中角栄の二の舞だけはしたくない。逆にいえばアメリカが喜ぶようなことをしていれば、アメリカが守ってくれる。私は間違いなくそういう配慮があったのだと思います。したがってそういう実態を見ようとせずに、別の配慮でこれだけ大きな決定をしていく日本の最高責任者の総理の態度が私は非常に不愉快で、なおかつ耐えられなかった。そこで私は電報で小泉さんに意見を申し上げました。

真の狙いはイラクの完全支配と石油資源の掌握

さらに少し付け加えていいます。ではあの時、アメリカはなぜサダム・フセインを排除したかったのか。しかもイラクを攻撃する形で排除したかったのか。ちょうど1年前の2月です。レバノンの3代前の大統領がまだ生きています。そのジュマイエルという元大統領と私は比較的親しくなりました。彼はサダム・フセインとも仲がよかったし、アメリカのラムズフェルドとも長年仲がよかった。そういうこともあって、去年の2月頃に彼はバグダッドに行ってサダム・フセインに会いました。そしてそのあとワシントンに行ってラムズフェルドに会ったと記事に出ていました。私は間違いなく何らかの調停努力をしたと思って、2月の末に彼に会いに行きました。
その時に彼はもう戦争は避けられないと私にいいました。それはどういうことかというと、サダム・フセインはもうできるだけの情報は出す。ただ自分は国外脱出だけはしたくない。死ぬにしてもイラクで死にたい。だからここを離れる気はない。これを強くいっていたそうです。そのあと彼はワシントンに行って、ラムズフェルドにイラクは石油についても、査察についても譲歩する用意があるといって説得しようとしました。しかし最初にラムズフェルドの周りの高官が「もう俺たちはそんなことを聞く必要がない。石油はいつでもどこからでも手に入る」といって、全く交渉の余地がなかったといってくれました。
アメリカの理由は単純にいえば二つあります。これはみんな中東の人たちのコンセンサスです。一つはサウジアラビアの石油資源を今後長きにわたってアメリカが安定的に確保できるかどうかが危なくなってきた。その1番大きな理由は3年前のニューヨークのテロの19名の首謀者のうちの15名がサウジアラビア人でした。オサマ・ビン・ラディンもサウジアラビア人です。サウジの今の王制はもちろん親米的でアメリカのいいなりです。しかしあそこのモスレム原理主義者は、アメリカが最も恐れている狂信的な反米集団です。
そしてまさにサウジの国自身がテロに脅かされるくらい、今の王制に対するモスレムの過激集団のテロが高まってきています。サウジは早晩不安定化して、その不安定な時期にサウジの石油資源が不安定になるとアメリカは見ています。したがってそれに代わった安定的な石油資源を確保したいという考えはずっと前から持っていました。
これも私がレバノンにいた当時はあまり気が付きませんでしたが、今から思うと非常に意味深長な話だと思います。2年くらい前にレバノンの友人で、彼はナイジェリアというアフリカの産油国と非常に関係があってビジネスもやり、ナイジェリアにしょっちゅう行ったり来たりしている男です。その彼がちょうどナイジェリアに行って帰ってきた時に私は一緒に昼食をとる機会がありました。そのときに彼が、この間ナイジェリアに行ってナイジェリアの石油大臣に会ったらおもしろいことをいっていた。つまりアメリカが来て、石油を200万バーレルくらい増産する余力があるかと話してきたといいます。そういう話を聞くと、アメリカはサウジの400万バーレルくらいの石油をとりあえず代替する先をいろいろ探していたと推測されると思います。
イラクはサウジに次いで大きな埋蔵量を持っている国です。さらにいえばイラクは13年前の湾岸戦争以来、石油資源をアメリカのみならずロシア、フランスに分散して供給していました。さらにこの点が人によってはアメリカを最も怒らせたらしいです。石油を売買する通貨をドル一辺倒からユーロにシフトした。私は金融には詳しくありませんが、基軸通貨は経済的に非常に大きな意味を持っているらしいです。アメリカは伝統的に赤字国で、財政赤字、貿易赤字で常に赤字です。ところがアメリカはドルを印刷して世界にばらまいています。そのドルが世界の基軸通貨である限り、いくら赤字でも経済がつぶれることがない。しかしドルに対する信認がいったん薄れて、世界が他の通過に一部シフトしていけば、赤字体質のアメリカは非常に困る。今日本はほとんど1国でアメリカの赤字の半分くらいを支えてきています。日本の貿易黒字でたまったドルは国内の経済で円に換算して我々の生活には一切役立っていなくて、そのままアメリカの国債に回って、アメリカの赤字の5割を補填しています。
サダム・フセインがそうして、一部中国とか他の産油国もユーロに切り替えつつあって、アメリカは非常に慌てました。そういうこともあって、アメリカはイラクを完全に自分たちがコントロールできる国にして、その石油資源を掌握する。みなさんも記憶があると思いますが、遺跡とかミュージアム、病院はどんどん攻撃で破壊していきましたが、石油施設だけは手をつけなかった。つまり破壊しなかったといわれています。それはもう明らかに戦争後にイラクの石油資源をすぐに使える体制を確保したのだと思います。

矛盾を抱えたアメリカの中東政策

そういうことからもアメリカのイラクに対する関心は極めてはっきりしている。しかしもう一つ大きな理由があります。私はむしろこの点の理由が強かったというか、よりはっきりした理由だと思います。それはイスラエルに対する安全保障です。私は最初に自分がレバノンにいなければ、中東問題についてここまで関心がなかっただろうといいました。私がレバノンに2年半勤務して、毎日のように問題提起されたのがまさにこのイスラエル・パレスチナ紛争でした。私は中東和平問題に対して漠然と知識はありましたが、レバノンに行くまでここまでひどい状態になっていると知りませんでした。
日本にいて中東全般のことはなかなかなじみがないし、それは歴史的にも地理的にもほとんど関係がないので当然だと思います。石油の9割を中東に頼っているといいますが、今となっては昔のような石油危機はもう起こらない。お金さえあれば石油は買える状態になっているので、この点についても日本の問題意識は希薄です。しかし現地に行くと、アラブの22カ国のどの国もイスラエルのパレスチナ政策に対してはほとほと辟易しています。しかしイスラエルに対して戦争を起こすほどの力はもはやない。
この中東紛争について若干説明します。ご承知のようにユダヤがナチに虐殺されたホロコーストがみなさんの頭にあると思います。ユダヤ人は歴史的に国なき民で、2000年間いろんな国で難民として生活してきました。それぞれの国でいろんな形で迫害を受けてきました。その中で最も非人道的な出来事がナチのホロコーストでした。ユダヤ人は自分たちの安全保障をはかるためには自分たちの祖国を持つ必要がある。これがいわゆるシオニズムというか、シオンという今のイスラエルのある場所に戻る悲願を一貫して追及しました。今のイスラエルはもちろん歴史的にはユダヤ人が住んでいた時期もあるし、そしてまさに今のパレスチナ人が住んでいた時期もあります。
あの地がイギリスの植民地でした。ところがイギリスもこの中東紛争にだんだん嫌気がさしてきました。当時はむしろユダヤ人のテロの方が激しくて、イギリスに対してずいぶんテロを仕掛けました。そういうこともあってイギリスはあれを投げ出して国連に預けました。国連はあそこを分割しようとただちに決議を作りました。1947年にパレスチナ分割決議が国連に出されて、33対13で可決しました。しかしその分割決議はどう見ても平等ではない。つまりイスラエルに有利な決議でした。当時3割程度の人口のユダヤ人が50数%の土地を確保しました。したがって当然パレスチナは「それは飲めない」と、ただちに戦争が始まりました。当時はまだアラブ地域には一体感があって、イスラエルはすべてのアラブの敵だとまとまって戦争を仕掛けて中東戦争が始まりました。イスラエルは最初劣勢でしたが、アメリカの軍事協力を得て勝利を収めました。それ以来イスラエルは急速に軍事を強めていきました。アメリカもイスラエルを徹底的に支援していきました。
中東の地図
国連パレスチナ分割決議採択
48年 5月
イスラエル独立宣言
第1次中東戦争勃発
67年 6月
第3次中東戦争勃発
イスラエルがエルサレム旧市街,ヨルダン川西岸,ガザ地区,ゴラン高原を占領
82年 6月
イスラエルがレバノンに侵攻
87年12月
インティファーダ(抵抗運動)始まる
91年 1月
湾岸戦争に突入
93年 9月
PLOとイスラエルが相互承認
(オスロ合意)・
パレスチナ暫定自治協定調印
94年 5月
ガザ・エリコ先行自治協定調印

95年 9月
暫定自治拡大協定調印
96年 1月
パレスチナ評議会選挙実施

他方アラブはほとんどが独裁国家で、アラブの団結よりも自分たちの国をいかに守っていくかでばらばらになって協調関係が乱れていきました。そしてエジプトが最初に単独でイスラエルと和平協定を結び、続いてヨルダンが結びます。そして湾岸諸国はアメリカに石油を守ってもらうことで親米政策をとっていきます。その中で最後までイスラエルに対して抵抗姿勢を示していたのがサダム・フセインです。
サダム・フセインは91年の湾岸戦争の時に、イスラエルに対して挑戦的な態度をとりました。すなわち自分たちがクウェートを侵攻して占領した。自分たちはクウェートから占領を撤収する用意はあるけれども、イスラエルがアラブの土地をまだあれだけ占領している。したがってイスラエルも軍事占領を止めろといいました。さらにいえば大量破壊兵器は当時から議論されていました。ではイスラエルの大量破壊兵器はどうかといったのもサダム・フセインでした。つまりアメリカの中東政策はことほどさようにダブルスタンダードです。つまりイスラエルに対しては一切何もいわない。
今回アメリカがサダム・フセインを攻撃した理由の一つが、小泉さんもそれをしきりに国会でいっていましたが、「国連の決議を全く無視した。つまり大量破壊兵器の査察に対する決議を無視して、国連に対して一向に明らかにしなかった」からだといわれています。サダム・フセインは国連が始まって以来、国連の決議を最も無視した国はイスラエルであると指摘しました。それは事実その通りです。イスラエルによるアラブの軍事占領、すなわち今シリアとレバノンを占領しています。それに対して国連は毎年占領を止めろと決議を上程しますが、イスラエルは一切聞かない。しかしアメリカはそれに対して一切語らない。こういうダブルスタンダードが行われている。そういうことでサダム・フセインはことあるごとにイスラエルに対して嫌なことをいってきました。さらにいえば距離的にもミサイルを打ち込める。そういうことがあって、イスラエルはサダム・フセインをとにかく排除したい。

「究極の悲惨な状況」にあるパレスチナ

この中東紛争は今テロの戦いで、テロだといえば何でもかんでも攻撃してもいいとなっています。実は3年前のニューヨークのあの事件もいろんなことがいわれていて、実はユダヤ人が起こした事件ではないかという人さえいます。それはなぜかというと、あのビルにユダヤ人のビジネスマンが普通は何千人といたそうですが、あの事件があったときはほとんど離れていた。あるいはあのあと株が下がりましたが、ユダヤ人の資本はほとんどその前に売っていたといわれています。
1番疑われる根拠はあの事件以降、テロとの戦いでどんな形でも武力行使ができる。イスラエルがパレスチナに対する武力攻撃を一気に高めたのもあのテロのあとです。今日も昨日も、ほとんど毎日のように今のイスラエルではパレスチナの武装組織のリーダーが1人、2人と殺されています。あの事件以降、2、3年の間にパレスチナはほとんど壊滅する形でイスラエルからの激しい攻撃にさらされてきました。そしてPLOのリーダーであるアラファトは監禁に次ぐ監禁で、1歩も家から出られない状態です。さらにいえばいつ殺してもいいと。ところがさすがにアラファトを殺すとパレスチナが蜂起するので、それだけはできないでいます。事実上、イスラエルとアメリカはアラファトの力を完全にそいでしまった状況になっています。
私はレバノンにいて、どう考えてもアメリカの中東政策は一方的でひどいと思いながら毎日そういう状況を見ていました。私がもっと矛盾を感じたのは、パレスチナに対するイスラエルの締めつけがこれだけ激しくなっている、他方パレスチナは武器がどんどん先細りしていく。アメリカはまず資金面で完全に押さえました。つまりテロに資金が渡らないように国際的な協力を求めて、まずお金が入らなくなった。
レバノン人はイスラム系で、いつも断食祭などのイスラムの祭のときには貧しい人たちに寄付をする習慣があります。レバノンのある大臣が、あるチャリティー団体に500ドル、6万円くらいを寄付しました。ところがそのチャリティー団体がどんな団体か分からなくて、場合によってはテロを支援している団体かもしれない。したがってそのレバノンの大蔵大臣はテロにお金をやったとアメリカの法律で罰せられそうになって、その嫌疑が晴れるまでアメリカに入国できない。ここまで厳しくアメリカは資金をコントロールしてきました。
お金がないと武器も当然入らない。麻薬とかいろんなことでお金を集めて武器を船で運ぼうとしても、あの辺の海は完全にアメリカの艦船で包囲されているので武器も入らない。そうすると最後の抵抗手段は自爆テロといって、限られた火薬を使って相手にダメージを与えます。したがって私がいた2、3年前から自爆テロが非常に頻繁に起こりました。テロリストは普通男で、男に対する警戒が非常に強くなります。その隙をついて女の子にテロをさせる。17歳の女の子が自爆テロで死んでいく事件も目立つようになってきました。さらには赤ん坊を家に置いて、若いお母さんがテロをする。究極の悲惨な状況に追い込まれています。

私を突き動かした「アラブの悲しみと憤り」

私はこの状態を見て、国際社会がどうして何もできないのかと思います。レバノンの人たちは半分あきらめて、この程度の人命ではもう麻痺している。一度に何千人という人間が殺される状態が来ない限り、国際社会は動かないとあきらめ顔でいっていました。そういう状況を毎日見てくると、どう考えてもアメリカの中東政策はおかしい。その中でイラク攻撃がありました。アメリカの戦争の目的がいかに誤りで、身勝手であるか。そんなアメリカの戦争に対して日本がどうして賛成できるのかと私は反対しました。先ほどいったように、日本の場合は「アメリカ支持ありき」で何の効果もありませんでした。
ああいう電報を打って、本気でアメリカを止められると思ったのかとよくいわれます。これは先ほどいったように、止められないことはもう分かっていました。それは止められると思って打ったつもりはありませんでした。結果的に小泉首相は読みませんでしたが、仮に彼が電報を読んで意見を変えるかと質問されても、それは難しいと私は思います。つまり1人の大使の意見くらいで小泉さんの政策が変わるとはとても思えない。しかし同時にこれだけ不当な戦争、そして特に先制攻撃という今までの国際ルールが全く無視された形での戦争ははっきりいってどう見てもおかしい。誰が見てもおかしい。
あの戦争が正しかったと小泉さんはいっていますが、本気で正しかったと思っている人はブッシュ以外1人もいないと私は思います。そのブッシュに最後までついていく。つまりイギリスのブレアがブッシュのプードルだといわれています。彼一流の表現ですが、小泉さんはブレアと会ったときに「あなたはプードルといわれているそうですが、俺はそれ以上にしっぽがちぎれんばかりに振っている」としゃべったそうです。つまりそういう配慮以外のまともな常識で考えた時に、あの戦争が正しいと思う人間は1人もいないと思います。それほど間違った戦争です。
私は外交官を30数年やってきて、今ここで何らかの形であれはおかしいのではないかと公にいわないで、いったい何のために外交官をやってきたのかという気が非常に強かった。そういうこともあって最終的に公電の形で記録に残しました。残念だったのは誰1人としてそれに続いて意見をいってくれる者がいなかったことです。私は自分が先例を切るにしても、何人かの同僚が「その通りだ」「自分もあれはおかしいと思う」というのが出てくると期待していましたが、ものの見事に誰1人発言する者がいなかった。これが今の外務省あるいは日本の風潮を象徴している気がします。
今回私も1人になってつくづく思います。人に嫌われることをやる、人に嫌がられることをやる、あるいは自分が1人孤立して何かを成すことに対して非常に強い抵抗感がある。同時にそれは日本の社会で生きていくためには大変なマイナス面を背負っていかなければいけないことがあると思います。ですからそんな辛いことをするくらいだったら、どうせ自分とは関係ない話だから黙っていた方がいいという気が働くのだと思います。残念ながらそういう形で私は結果的に外務省を辞めてくれとなりました。
ただ私はそれでよかったと思います。竹内大使が9月1日に「君は組織を踏み外した。だから覚悟はできているだろう」と私にいった後に彼はこういいました。「それでよかった。それは君のためにもよかった。君がこのままああいう考えを持って外務省に残っても、君が惨めになるだけだ。したがって君は外に出て好きなことをやればいい」といういい方で私に辞令を渡しました。私はその時に非常に憤りを感じたと同時に、吹っ切れました。自分は外務省と一切関わりを持つつもりもない。まさに彼がいったように好きなことを発言させてもらう決意を固めました。
それから数カ月間、先ほどいったように日本の社会では大変なプレッシャーがありました。具体的に身の危険を感じるとか、法律に訴えられることはありませんでした。しかし目に見えない疎外感というか圧力は大変なものでした。私もバカなことをしなければよかったと、実はずいぶん後悔した時期もありました。あの時に黙っていればよかったという気がずいぶんしました。
しかしそのときに本当に救いになったことが二つあります。一つはあの本がずいぶん売れて、いろんな所から励ましの手紙をもらいました。当時私は本当に心理的に心細かったし、ある程度は覚悟してその程度のことでへこたれないという気はありました。それでも今まで組織の中で生きてきた者としては孤独感というか、非常にプレッシャーがありました。毎日全国から寄せられる見ず知らずの人たちの励ましの手紙を読みながら、そして一つ一つ手書きで返事を書きながら、この人たちが応援してくれるから自分は助かっている気がしました。
もう一つは自分で勝手にそう思っているのかもしれませんが、アラブの人たちの悲しみ、アメリカの中東政策に対する憤りというか、そういう人たちの声援が私の背中に見えないけれどもあるという気がしました。これも私にとって忘れられない経験ですが、レバノンの親しい友人の1人に大統領の警護隊長の軍人がいました。私は時々彼のオフィスに行って、中東情勢の話をいろいろ聞いてきたりしました。ある時、アメリカの攻撃によって市民が巻き添えになった事件がありました。赤ん坊が死にました。そのお母さんが赤ん坊を抱いている写真が新聞に載りました。彼はその新聞の切り抜きを見せて、アメリカに対する強い憤りを私に説明してくれました。私がその写真を見ている時に涙のしずくが落ちたんです。彼のような屈強な軍人が涙を流したことで私は強烈な印象を受けました。私はこの話をするときにはだいたいここで泣きますが、ここまで非人道的なことが行われている。これは誰かが告発すべきだという気がしました。そういうのがあって、私は孤立した時に自分も正しいことをいっていこうといい聞かせて、何とか自分を鼓舞して来られました。
結局イラク戦争、そしてそのときのパレスチナ、中東の経験が私の大きなモチベーションでした。

国際社会から取り残される日本

日本に帰ってきて私はクビになって1人になった時に、中東情勢が非常に気になって、日本の小泉政権も気になって、毎日フォローしていました。本当に私が思った以上に小泉さんの態度というか、一国の総理としての姿勢が私は許せない気がしました。国会答弁を聞いていても、まともな議論を全くしようとしない。
今回、自衛隊の派遣がずいぶん騒がれました。私はもちろんあの自衛隊の派遣はあらゆる意味で間違いであり、かつ必要性が全くない派遣だと思っています。小泉さんがアメリカのブッシュを支持した時点で、ああいった形で自衛隊がイラクに派遣されることは十分予測できましたが、最初に紹介した『文藝春秋』の中のアーミテージへのインタビューでもう一つ見逃せない発言があったと思っています。アーミテージは「小泉先生」という言葉を使って、「大変立派な決断をされた。これで日本もやっと世界に貢献することを身をもって示した」とずいぶん褒めています。しかしそのあとにあの派遣は同時に象徴的な意味もあったといってい
ます。つまりアメリカはサマワに日本の自衛隊が行って何をやっているかに全く関心がない。まさにアメリカ1人が占領しているのではないと世界に示すためにイギリス、オーストラリアの他に日本と国を挙げて支持する国がいっぱいあると今年の1月の予算演説でいって見せました。その時点でもう日本の役割は終わっています。今アメリカはサマワのことに何の関心もない。サマワで自衛隊が何をやろうが何の関心もありません。
アメリカのみならず、今中東で何が行われているか。この間アシューラというシーア派の祭の時に、誰がやったか分かりませんが、アルカイダといわれていますが、テロが起こって170人が死にました。これは実は非常に深刻な事件です。イラクはひょっとして内戦に突入していくのではないか。これはみんなが心配しています。
レバノンも75年から90年の15年間内戦が続いて、国がめちゃくちゃになりました。その内戦の理由はいろいろありますが、アメリカが介入して内戦を止めさせようとした。ところがそのアメリカがテロに遭って、海兵隊が300人ほど死んだ事件もありました。アメリカは結局何もできずに引き揚げました。ですからもしイラクが内戦に入れば、これはもう誰も止めることができません。したがって今アメリカも含めてヨーロッパ、フランス、ドイツ、イギリスが必死になって国連を巻き込んでイラクの政権移譲を達成しようとしています。しかし見通しは全く暗い。
ですから今国際社会のイラクに対する関心はただ一つで、いかに政権を移譲できるか。しかもその政権がイラクを安定化させる強力なものになるかどうか。これだけです。しかし残念ながら日本はその中に全く参加させてもらえない。つんぼ桟敷に置かれて、日本がやっていることはサマワに自衛隊を派遣することだけです。これは日本だけの国内問題だと私は思っています。

戦争を待ち望む自衛隊

私はいろんな所に講演に呼ばれていて、この間も旭川に行ってきました。旭川は今度の1,000名の自衛隊の中のかなり中枢を派遣している所です。そこの師団長とテーブルで話し合ったときに、私はやはりそういうことだったのかと思いました。彼が「今回サマワに行く志願兵が殺到した」「みんな行きたがった」といっていました。その理由は、まずどう見ても安全が確保されている。もちろん何が起こるか分からない意味で100%の保障はありませんが、ありとあらゆる予算と防備を備えていっています。
新聞を読むとまずオランダに助けてもらって、アメリカに助けてもらって、そして現地の部族にまで助けてもらう。つまり自衛隊が行く前からこんなことをやっている。いろんな意味で装備を手厚く持っていく。1人15トンくらいの荷物だそうです。兵器を除いた装備で15トンは待遇からいうと圧倒的にいい。アメリカとかオランダの軍人はほとんど薄給の中で極めて厳しい生活環境を強いられていますが、日本の自衛隊については莫大な予算を使って行っています。そして行って何をするかというと人道援助です。しかしこれも報道されているように、医療とか水道か何か知りませんが、1,000名のうち人道援助に携わるのはわずか100数十名です。ほとんどが警備あるいはアメリカに対する物資の運搬の形で行きます。ですから人道援助は全くの嘘で、ほとんどが自分たちの身を守って行きます。
さらに驚いたことに、ちょうどその時にサマワに迫撃砲が落ちた事件がありました。今から3週間くらい前です。我々はみんなサマワもいよいよ危なくなってきたかと思って、その師団長に「大変ですね」といいました。その師団長は「あんな迫撃砲なんかは屁でもない。我々の装備ははるかに性能がよくて、何かあったらいつでも攻撃できる態勢だ」とあたかも戦争を待ち構えているような発言をしていて、私は本当に驚きました。ですからやはりあの自衛隊派遣は非常に大きな間違いであると私は思っています。
浅田次郎という作家が最近よく雑誌に書いています。彼は自衛隊の経験が多少あります。彼が今回の自衛隊派遣に極めて批判的な発言をしています。彼がいうのは当たり前でもっともな事です。我々は日本の国を守るために自衛隊に入った。日本国民が外敵から攻められて被害が出る時に身をもって最初に犠牲になって闘うのが自衛隊の本来の目的だ。その目的から見て今度のイラクにおける自衛隊の役割は自衛隊の趣旨から全く反している。したがってあらゆる意味でこれはおかしな派遣であるといって、彼は反対しています。私も全くその通りだと思います。これもすべて小泉さんの自分自身の思い込みによる政策決定です。
残念ながら最近自衛隊のニュースがほとんど流れなくなりました。それはなぜかというと何も起こっていないからです。何も起こっていなくて、自衛隊のやっていることはほとんど何もない。まだ設営の工事をやっているのでしょうけれども、それ以外に一通りのことはもうやってしまった。羊をやったり、サッカーをしたり、もう全部やってしまいました。ですからあとはもうニュースにもなりません。ニュースにならないと日本では全く何も起こってきません。

失政の山を築く小泉内閣

2日前の『朝日新聞』にこういう記事が出ていました。小泉さんは山崎拓前副首相あるいは安倍晋三といった身内と酒を飲みながら、「それ見たことか。何も起こらない。もうこれで政局は当分安泰だ。参議院も勝って、これからあと2年半改革三昧だ」といっているそうです。つまりまさにこの世の春だ。第1野党の民主党が残念ながら力不足で、これだけ間違った政策をやっているにもかかわらず、何も追い詰められなかった。間違った政策は単にこのイラク問題だけでなく、道路改革にしても経済政策にしても何もかも私は本当に何も手がついてないと思います。
ちなみに経済政策に関していえば、そもそも構造改革の最大の理由は赤字を減らすことで、いわゆる公共事業にべらぼうに使ってきたための赤字で、そこを抑えようとしています。しかし税金を使うことでいえば今の銀行救済のためにはるかに大きな金を使ってきています。ご承知のように、この間長銀がつぶれて、それが新生銀行で復活しました。これはアメリカのリップルウッドという会社がわずか10億円で買い取りました。そしてその後、債務を100億円負担したというものの、この間上場して1兆円くらいの含み益を手にしました。さらにいえばあのつぶれかかった長期信用銀行に対して税金で数兆円の公的資金を投入する。さらにこれも専門的用語ですが、貸し担保といって買ったあとにその銀行がもっと大きな債務を持っていることが分かれば、それを日本政府が補填する。つまり至れり尽せりの形でアメリカに買ってもらいました。この間に使った日本の税金はもう数兆円に上ります。ですから公共事業でいくら何千億けちっても、お金の使い方からいうとはるかに無駄遣いをしている。この辺が何も議論されないままやりたい放題をやっている。
これだけ年金が足らないといっても、それは単に高齢化という話だけではなく、多大な特別会計のお金を厚生省や国内官庁が無駄遣いした。バブルのときにべらぼうな金を使っていろんな施設を造ったけれども、今はもう二束三文で売っている。このロスはいったい誰が責任をとってくれるのか。その辺の追求は全くなされていない。ですからそういうことを一つ一つ考えると、為政者の責任を誰もとらずに政権が続き今日に来ている。私は非常に残念で、耐えられない思いがします。

自民党政治に対抗し政権交替を

講演会・会場最後に私はどうしたら今のこういう日本の状態が変わるのかを考えて、結局自民党と官僚が持っている権限をいかに縮小できるか。日本国民が自分たちで作り上げたこの国の富を自分たちで使う。自分たちが取り返すことがどうしたら可能かを考えます。それはやはり政権交代しかないのではないか。本当は人によっては物理的な革命、つまり武力革命しかないというくらい今の日本の状況は二極化しています。つまり一部の日本国民は、統計的にいえば約100万人の日本人が1億円以上の資産を持って銀行に預けて、それでお金を回して優雅な生活をしている。ちなみにアメリカの場合は200万人だといいます。人口から見るとだいたい似た比率です。しかし大多数の人は日常生活がどんどん苦しくなっている。
この間ある週刊誌のインタビューを受けた時に、その会社の人が「最近は週刊誌が本当に売れなくなった。天木さんのインタビューで今月号は多少売れるかもしれません」といった時に、ちょうど吉野家の牛丼がつぶれる事件がありました。彼はこれでさらに売上が減るといいました。それはどういうことかというと、昼飯を700円のところを500円で済ませて、残りの200円で週刊誌を買うのがパターンだったけれども、吉野家がつぶれるとその昼飯代も200円ほど高くなって週刊誌が売れないということです。一方において間違いなくこういう人たちがいます。しかし他方で1億円以上持っている人はいろんな形で株屋と結託して、ただでも金儲けをさせてもらえる。そういう人たちは今の政権が続いてくれる方がありがたいので、いろんな形でどんどん支えていきます。
ですから日本はなかなか変わりようがないのですが、このまま1年、2年続いていって私は問題がもっと悪化していくのではないかと思います。去年の総選挙で民主党がもうちょっと勝てばおもしろくなってくると思いましたが、残念ながらあまり勝てませんでした。その後の民主党を見ていても、どうもバラバラになってしまっている。憲法改正にしても何にしても自民党と同じようなことをいい出したりして、これは政治もなかなか変わらない気がしています。
冒頭にいったように私の話はだんだんおもしろくない方に行って、これで終わりになります。にもかかわらずこれだけの人に集まっていただいて、今日のタイトルは「イラク戦争開始から1年、戦争反対」というテーマです。ぜひこれからの日本の成り行きを見て、私は間違いなくイラクの状況はある時点で深刻になると思っています。その時はぜひ私は小泉首相の責任を追及していきたいと思っています。ということで非常にとりとめのない話になりました。私は原稿も何も持たずに、いつもだいたいこういうことを1時間話します。今日は本当にありがとうございました。あと質問等があったら、何でも聞いてください。どうもありがとうございました。