「拘束事件の真相・イラク市民の暮らし」

6.15反戦平和を考える青年・女性集会
「拘束事件の真相・イラク市民の暮らし」
講師:安田純平

講師:安田純平さんこんばんは。安田と申します。よろしくお願いします。
ご紹介いただきましたが、今回、4回目のイラク取材をしていまして、4月の中旬に地元のイラク人に捕まりまして、4日目に無事解放されました。どうもありがとうございました。ご心配をおかけしました。(拍手)

1.物事の単純化が思考停止を招く

◇ イラク戦争取材のために新聞社を辞めた

元々私は長野県の新聞社におりまして、6年ほど記者をやっていました。9.11以降の戦争の状態を是非見ようと思いまして、休暇をとってアフガニスタンとかイラクの取材をしていまして、これを機にイラク戦争そのものを見てみようということで、昨年の1月に退社してフリーになりました。
「どうしてイラク戦争を取材するんですか?」とよく聞かれるんですが、テロとの戦争ということの何となく気持ち悪さというものがありました。なんなんだろうこれは、という思いで日々仕事をしてました。報道なんかを見ていましても、テロとの戦争というのがどういう意味なのかイマイチわからない。どうも気持ち悪い。そんなことがありまして、まずは現場を見てから、生々しい現場を見てから考えてみようという、そんな考えで取材をはじめました。

◇ テロリストって誰のこと?

テロリストという表現なんですが、今回、私たちを拘束した連中も、政治家なんかに言わせるとテロリストなんです。一部の新聞なんかを見てましてもテロリストです。テロリストという言葉の定義はなんなのかと考えてみますと、はっきりしないんですよね。人によっては農民とかも全て入りますし、人によっては民間人を対象に爆破事件を起こす人がテロリストとなる。どこからどこまでがテロリストなのかはっきりしない。そうした中でテロリストならばミサイルをぶち込んでもいいというのがテロとの戦争ですよね。
ようするにテロリストと言われる人の中にはいろんな人が含まれているんですよ。今回、私らを拘束したのは農民であり普通の住民なんですね。普通の住民が、米軍の掃討作戦に抵抗するために闘ってまして、その中で戦闘地域に近いところに入った人間を捕まえたということで、普通の戦争をやっている地域ならば普通に行われる範囲のことなんです。そういうものとは別に、民間人を対象に爆破事件を起こすグループもいる。
一つひとつのグループの種類も違うし、手口も違う。理由も違うし、背景も違う。ですので、それぞれを別々に分けて、別々に用語を当てはめて考えなければならないのに、テロリストという枠に当てはめて、一つひとつ理由があってやってることを考えなくなってしまうんですね。非常に物事を単純化するのがテロリストという表現であり、テロとの戦争のわけですね。
どういう人をテロリストと呼んでいるかと考えると、イラクの場合で考えれば、爆破事件を起こす人や米軍を襲う人も含めて全部テロリストなんですね。占領体制に反対する人も含めて全部テロリストと見ていくとですね、非常に恣意的な言葉なんですね。定義がはっきりしないんですよ。欧米のメディアなんかでは最近使われなくなっています。
非常に物事を単純化する危険な表現でして、しかも爆破事件をおこす人間をテロリストと呼びますけど、よく考えますと日本国内で爆発事件をおこす人間っていうのは犯罪者じゃないですか。犯罪者というのは逮捕する前にはちゃんと逮捕令状が出て、裁判になって、有罪になったら罪を負うんですね。有罪になっても人権はあるんですね。犯罪者であっても人権はあるんですね。ところがテロリストと言われると人権ゼロなんです。テロリストならミサイル打ち込んでいいという理屈なんで、犯罪者にもなれないわけなんですね。
しかもそのテロリストは非常に恣意的に決められてしまう。小泉であったりブッシュであったりが、奴がテロリストだと言ってしまえば、何の権利もなく、ミサイルを打ち込まれても文句は言えない。これがテロとの戦争の理屈でして、危険だなあと感じているところです。

◇ 私たちは「人質」ではなかった

こういった物事を単純化させる表現が増えているなぁというのが実感でして、今回、私が解放され、テレビに出ましたところ、コメンテーターの人が、「あなたたち人質は・・・」と言うわけですよ。人質というのは身柄と交換条件があっての人質ですよね。辞書を見ればわかりますよ、誰でも。私らの場合は、捕まえた連中の声明とか一切なくって、要求がなかったんですね。日本語として人質と言うのはおかしいんです。
でも前の三人と一緒くた[平和センター1]にするために人質という表現をするわけですね。テレビに出るような人でも日本語が全然わかってなくって、物事を一緒くたにして、ひとまとめにしてしまう。
前の3人のケースと私らのケースは全然違いまして、前の3人というのはバグダッドを目指している途中に捕まったんですね。ということは、もっと違う方法で入れなかったかとかいう検討ができますよね。飛行機で入れなかったかとか別のルートで入れなかったとか、別の検証ができる。
私らの場合は、あの時期のたくさん捕まっている地域なのに入った。捕まるべくして捕まりましたけど、そういう地域にどうやって入ればいいのかという別の検討になるわけですよね。別々に検討していないと対策も練れない。原因もわからないし、その先にも進めないんですよ。それも全部一括りにするもんですから、全く議論が深まらず終わってしまいます。メディアを含め、物事をすごく単純化させてしまって、一個一個の要素を別の適切な用語を当てはめて考えないもんですから分析も全然できなくて、ものごとを考えず、感情的に反応して終わってしまうというのが最近の傾向かなと、当事者になって実感しているところです。
そうしたテロリストにしろ人質にしろですね、聞けば誰もが感情的に反応しやすい言葉なんですね。そういう用語をあえて政治家は使って感情的に市民を動かそうという傾向があると思うんですが、おそらく彼らはわかってやってるんですね。考えさせずに感情的に動かそうと、私らをアホにさせようとしているわけですよ。考えさせないようにしようということなので、言葉というのはしっかり考えなければいけないなぁと自分も感じているところです。

◇ 自己責任、社会的責任、そして国家の責任

自己責任論にしても生きている以上は当たり前じゃないですか、生きている以上は。みんなが負っているわけで、自分の命をどう守るかという意味での自己責任ですよね。そういう自己責任がある一方で、生きている以上は周囲に影響を与えますので社会的責任も同時に生じるわけですよね。イラクなんかに行った場合でも、何か発生すれば社会的影響が発生するんで、社会的責任も負っている。これは別な議論じゃないですか。社会的責任どう負いますかとか、どう説明しますとかという部分ですよね。
さらに本人がどう準備していようと国家は国民を守るべきかどうかという国家のあり方の議論ですよね。本人が助けないでもいいですよと言ってもですね、国家というのは救出しなきゃいけないというのが世界的な常識であるわけですけれども、そうしますと本人の自己責任とは別の議論じゃないですか。本人の意思とは関係ないんですよ。ですので、本人の自己責任云々の議論とは別のところで国家とはどうあるべきかという議論をすべきなんですよね。それを全部ひっくるめて誰が聞いても「そりゃそうでしょう」という自己責任という用語を当てはめてしまった。
テロリストや人質という用語と同じようにいろんな要素のものを一括りにして、単純化させて、誰もが反応しやすい用語を当てはめて 感情論にして一個一個の検証は全然しないで終わらせてしまう。いつの間にか年金問題に移ってしまうという形になっちゃうわけで、そのあたりも言葉をしっかり使わなきゃいけないなぁと、言葉を仕事にしている者として実感しているところです。
いきなり10分程度で結論じみた話をしてしまいましたけど、眠くなる前に難しい話をするようにしてまして、ご静聴ありがとうございました。(笑い)

2.拘束事件の真相

◇ 4回目のイラク取材

講師:安田純平さんさて、拘束の顛末をお話しなければと思っています。
今回、4回目のイラク取材をしてまして、ちょうど開戦から1年後ですよね。3月20日に開戦ということで、私は3月16日に入国しました。3月16日は私の誕生日でして、そのことを事前にイラクの友人にメールで伝えておきましたら、着いた瞬間に迎えに来てまして、そのまま拉致されまして、(笑い)彼の家で誕生日パーティで一泊しなければならなかったんですけど、こんなことなど、日頃からイラク人と遊びながら付き合ってましたんで、今回のようなケースがあってもそれほど慌てずにすんだかなと思っています。その(今回、私たちを拘束した)イラク人もそれほど英語が得意じゃなかったんですが、英語の通じない相手でも驚かなかったのは、日頃のおこないがよかったからかなというところです。(笑い)

◇ ファルージャの虐殺と日本人拘束事件

フセイン政権崩壊から一周年ということで、3月の中旬から4月にかけまして、米軍襲撃、意味不明の爆破とかいっぱい増えてまして、非常に不穏な空気がありました。そんな中で発生したのが3月31日のアメリカの民間人4人を焼き殺したという事件でした。バグダッドから東に60キロくらいのところにあるファルージャという町で起きました。焼き殺して鉄橋につるして、蹴っ飛ばして。民間人と言ってもですね、傭兵でして、アメリカは戦争の民営化を進めてまして、元々軍の特殊部隊にいた人間が除隊して、警備会社に入社して、社員として下請けで入っていくのがアメリカの戦争です。実際殺されたのはアメリカの傭兵なんですが、米軍として「犯人寄こせ」ということでファルージャの町を包囲しまして、テロリスト掃討作戦というものを始めたわけですね。一週間程度に子どもとか女性とか年輩の人とかを含めて700人以上が死亡したという話が流れていまして、4月中旬という段階で、すでに虐殺という表現がされ始めてたんですね。

◇ イラク市民と日本人拘束事件

そういう中で発生したのが日本人3人の人質事件でして、発生した時期といい、場所といい、ファルージャの虐殺が背景にあることは誰の目にも明らかなわけですね。そういう中で、民間人が捕まるというのは非常に気分が悪くて、どう防げばいいのかわからないところがあるんですが、街中を歩きまして、市民の反響を聞いてまわったんですね。
まず行きましたのがバグダッドの東の方にあるサドルシティという地域です。そこにはイスラム教シーア派のサドル派というグループがいまして、米軍との戦闘をやってたんですね。市内に入っても4月に入って空爆をかなりやってました。本当に一年前を彷彿とさせるような爆音がドカンドカンと響いてます。今回の事件をおこしたのは反米意識の強い皆さんだろうということで、そういった意識に近いような地域ということで行ったわけです。
すぐに米軍と戦闘をやっている民兵がやってきまして、案内をしてくれました。米軍がやったんだということで、空き地に丸焦げのバスが放置されてまして、数日前に米軍のヘリが上空にきてミサイル撃ち込んだんだと。その周りの民家もボコボコと穴があいてですね、横では葬式をやってる。兵士なんかいないんだけど、米軍がいきなり現れて ミサイルを打ち込んでいったという話をしてまして、日々市民が死んでるわけなんですね。
そういうところに行って、今回、日本人3人が人質になったことをどう思うかということを聞くこと自体がはばかられるんですが、あえて聞きますと、非常に同情的な意見が多くてですね、自分らも彼らが戻ることを祈ってるとみなさん言ってました。やったのはイラク人だから心配ない。イラク人は民間人を殺すことをしないだろうというようなことを言ってましてですね、非常に心強かったですね。
というのは、実はイラク人は陰謀説が好きで、街中で爆破事件とかがありますと、
「アメリカに違いない。アメリカがイラクを混乱させて、居残ろうとするためにやったんだ」
「シーア派とスンニ派を分断するためにやったに違いない」
とかですね、いろいろ言うわけです。たとえば大量破壊兵器はどこに行ったのかと聞きますとですね、
「アメリカはすでに発見していてシリアに持って行ったに違いない。シリアで発見して次はシリアを攻めるんだ」
と言ったりしてですね。(笑い)
昨年サダム・フセインが捕まる前にサダムはどこに行ったんだと聞いたらですね、
「奴はフロリダで遊んでるに違いない、アメリカもサダムも同じようなものだ」
こんなふうに必ず陰謀論に走るんですが、今回は初めからイラク人だと言ってまして、非常に不思議だったんですが、ファルージャで起きたということと、住民の法学者がすぐに非難する声明を出しまして、イラク人向けに出したものであればイラク人だと受け止めてるのかと思いました。現場としては死ぬこともないのかなと、ある程度楽観的な見方がありました。
そんな調子でもう一つ別の地域に行きました。そこはイスラム教のスンニ派の人たちが住んでいる地域なんですが、ファルージャとかと同じ宗派のみなさんなんですね。アメリカはスンニ派の住民に対し非常に厳しい対応をしてまして、フセイン政権と非常に近い関係にあっただろうということで、当初から扱いが厳しかったんですね。ファルージャの対立というのも最初に起きたのが昨年の4月ですね。米軍が占拠した小学校を返してほしいというデモをやったら撃ち殺したということがあって、その頃から対立が深まっていました。スンニ派のみなさんが非常に米軍を厳しく見ていまして、そういう皆さんに(人質事件について)話を聞いていますと、同情的な意見が非常に多くてですね、
「非常に申し訳ない。自分らも彼らが無事に帰ることを祈っている」
という話をするんですね。その一方で、
「お前は日本人3人が心配で来たんだろう。それはわかる。だけども、この1週間程度で何百人も死んでいるイラク人については、おまえ、どう考えるのか」
というわけですね。日本でも人質事件が発生してからですね、3人を守るために自衛隊を撤退させよという運動が広がったということを聞いていましてですね、それはいいんですよ。だけど人質事件が発生する前からイラク人がどんどん殺されてまして、その間は何をしていたんですかという話になるんですね。日本人はexpensiveであると、つまり命の値段が違うんだと言われましてですね、反論できないわけなんですよ、被害者の現場にいる自分としてはですね。

◇ ファルージャの住民を探し求めて

そこで事件の元々の原因であるイラク人のおかれた状況を見ないといけないと思い、現場の取材の準備に入るわけですよ。スンニ派の住んで居るところですから、ファルージャの方から住民が逃げてきていたわけなんですね。4月中旬の段階で1万人近くが逃げてきてました。
住民に聞いていますと、ファルージャから逃げてきたという60代の男性がいました。おととい、自分の家の隣が爆撃を受けて25人が死亡して、みんなで穴を掘って埋葬をした。昨日は自分の家が爆撃をされて、なんとか生き残って逃げてきたという話をしてました。まだ自分の娘の婿が家に残っていて心配だと。家から出ようとすると米軍が占拠したビルから狙撃をしてくるので出られない。かといって家の中にいると空爆される、一体どうすればいいのか。興奮し始めてみんなで押さえてました。
もう一人の青年は、ファルージャの東14~5キロにガルマという小さな村がありまして、そこの家が今朝、空爆をされて、なんとか命からがら、家族散り散りになって逃げて来た。何時間もかけて歩いて来たと言うんですね。今日はモスクに泊まって、明日から家族を捜すと言ってました。
人質事件が発覚したのが4月8日ですね。「8日の前後から米軍と地元勢力の停戦が結ばれて戦闘は今日もありませんでした」というニュースがありましたけど、実際はかなり広い範囲でやられてました。停戦期間中といってもだいぶ空爆やってるんですね。ファルージャを含め、周囲にいたジャーナリストはですね、米軍の攻撃が始まる前からいたカタールの衛星放送のアルジャジーラの記者がいるくらいで、ほとんどジャーナリストがいないんですね。だから中の様子が全然見えてこない。
なんで中にいないかと言いますと、外国人を信用しないような空気がすごくありまして、私が拘束される一週間くらい前に行った日本人記者も住民に包囲されて、石を投げられて、体当たりされて、逃げてきた。要するに暴徒と化してしまうので、会話もできないままリンチにあう可能性があるということで、街に入ることが非常に危ないんですね。いきなり入ると危ない。しかも4月に入りまして、ファルージャ周辺で17~8カ国の外国人50人近くが拘束されてました。要するに入ると捕まるというおそれがありましたんで、欧米の超一流の記者の連中も、どうやって入るかを検討しているような状態だったんですね。
そういう中で、話を聞いてますと、ファルージャとバグダッドの間のアブグレイブという、例の刑務所で有名になった、あの付近まで逃げてきているという話があったんです。アブグレイブというのは要するに戦闘地域に入ってないんだろうと。住民がいますんでね。要するに住民が逃げて来てるんですから、その周辺までは行けるんじゃないかって話があったんですね。(ファルージャの)中ほどはピリピリしてないだろうということで、欧米のメディアの連中からいろいろ情報をとりながら、アブグレイブがぎりぎりかと考えて偵察に行きましたら、あっさりと捕まりました。あの情報は何だったんだという話なんですが・・・。
車でずっと入りましてですね、アブグレイブの手前で米軍がもう封鎖してるんですよ。で、封鎖してるんで脇道入っていきますと、今度、この先はムジャヒディンがいるぞと。ムジャヒディンというのは武装勢力ですよね。そういう話が地元住民とかすれ違う車の運転手とかから聞こえてくるんですよね。でも地元住民は乗り合いバスとかなんかで行くんですよ。アブグレイブまで普通に。だから地元住民にとっては危なくないんですよね。だから地元住民に聞けば危なくないかどうかわかりますと言いますし、それはそうなんですが、地元住民は危なくないんですよ。でも私らは捕まるんですよ。ようするに地元住民がやってるわけで、地元住民に危ないかって聞いても言ってくれるわけないんで、非常に判断難しかったかなと思ってます。

◇ 地元住民による拘束

そんな中、車で走ってますと目の前にイラク人の車が入ってきまして、
「止まれ!お前ら何者か?」
と聞くものですから、日本人というと危ないと言われてましたんで、中国人と嘘をつきまして、
「中国人の記者である。米軍がイラク人をたくさん殺してると聞いてるんで、様子を見に来たんだ」
と言いますとですね、不審そうに見るわけですね。
今回の偵察はどこまで近づけるかという偵察だったわけですから、厳しいなと思いながらも撮影するわけなんです。ビデオカメラを足の上に乗せて、こっち見ながらあっちを写すという隠し撮りをしてました。隠し撮りなんて日本ではやらないんですがね。ようするに米軍とか地元武装勢力とかですね、なかなか撮影させてくれないもんですから、隠し撮りなんて当然の手法なんです。これは厳しいなと思いながら写したんですよ。彼らの仲間を写しまして、それが後々のスパイ容疑の理由になったのかなぁと思ってます。
渡辺さんは巻き添え食らった被害者なのかなと思ってまして。これはこの場だけの話なんですけど、彼は訴訟起こしましたよね、自衛隊派遣によって捕まったと。ひょっとしたら私の撮影のために捕まったのかもしれない。下手したら私が訴えられるかもしれないんで、この場だけの話にしておきたいんですけど。(笑い)
そんな調子で厳しい質問されまして、
「じゃあわかった。米軍のヘリが落ちたんで見に来い」
と言われまして、のこのこついて行きましたら、仲間が来ました。陽動作戦ですよね。10人くらいのイラク人が 覆面などつけないで、普通の服を着て待ってまして、包囲されていて、あっさり捕まったわけです。

◇ 地域公認「民家での拘束」

目隠しをされまして、十数キロ走りまして、民家に入れられまして、目隠しをはずしますと、目の前におっちゃんがいまして、おっちゃんと10歳くらいのちびっ子がいまして、おっちゃんがすぐお茶もってこいと言うもんですから、ちびっ子がダァと走って持ってくるんですよ。周りからはお母ちゃんが怒ってる声がする。ようするに生活の場なんですよね。
ちびっ子のいる前で殴る蹴るもしないだろうし、射殺もないだろうとある程度落ち着くわけなんですよね。ちびっ子というのはしゃべるじゃないですか、絶対に。「うちに変なのがいたよ」とか言って絶対しゃべるわけで。ようするに秘密にするならちびっ子なんて入れないんですよね。ということは当初から覆面もしないで、白昼堂々と捕まえて、地域の中で秘密でないということは、地域公認の行動なわけですよね。要するに自治会運動なわけですよ、あれは。自治会運動の一環として自警団を組織して、入り込む怪しい人間を捕まえていくんですよね。米軍と地元の武装勢力の間の戦争だから、地域に入り込む怪しい人物全部捕まえていくわけですよ。
あの時期にファルージャ一帯でこういった自治会運動が行われていまして、自治会連合みたいなのがあって、一斉にやったんだろうなと。自治会連合というか、ああいう地域なんで部族ですよね。部族が一斉に拘束をはじめた。
地域に入りますと米軍も捕まえます。昨年、日本人のジャーナリストが米軍に捕まりまして、袋かぶせられて、手錠をかけられて、転がされて一週間、動いちゃいかん、しゃべっちゃいかんという扱いを受けてます。米軍に捕まると最悪の状態になるんで、米軍にだけは捕まらないようにと思っていたら、ムジャヒディンに捕まりました。そういう状態なんで拘束は全然珍しいことではないんですね。自治会運動ということでこちらもある程度安心するわけなんですね。
よく考えてみますと、4月の50人近くの外国人が捕まっている中で、4月の中旬で帰らなかったのは、日本人3人とイタリア人4人、ドイツ人2人だった。日本、イタリアは軍を送ってますよね。軍を送っているということで、占領軍の一部の人間ということで取引につかわれる。あと、韓国のNGOも捕まりまして、彼ら7人もいたんですね。7人もいますと扱いきれないということで、まずどうしようもなかったんだろうということと、彼らはまず現金払ったんですね。現金払って、しかも医療関係のNGOだったからマッサージしてやったら、
「お前、いい奴だから許す」
という話になって。陣容がしっかりしていて、しかも危機管理がうまかったんですね。あと、ドイツなんですが、ドイツは軍も送ってないですし、当初から戦争に反対してましたけど、彼ら2人は銃を持っていたんですね。警備員だったんですよ。警備員はスパイ容疑が晴れなくて殺される。私ら拘束されている間にイタリア人が1人死にましたけど、あれも銃を持っていたんですね。ということで、銃を持っているとほぼ死ぬと。銃がなくってあやしくなけば基本的には解放していたんですね。無差別と言われていましたが、実は一定のルールがあったのがあの当時のファルージャ一帯の行動だった。比較的こちらも落ち着いて対応ができたんですね。

◇ クフィーヤを使ってコミュニケーション

そんな調子でまた目隠しされて、今夜は一泊なので別の場所に移るんですね。街中だと目立つので、田舎の方に隔離するということで行きましたのが、見渡す中なにもない農場の一軒家だったんですね。農家なんです。中に入り、目隠しをはずしますと、またおっちゃんと三歳くらいのちびっ子が寝ているわけですね。また,ちびっ子なんで、ここでも大丈夫かなぁと思うわけなんですよ。
講師:安田純平さん「何しにきたんだ、お前ら」
と言うもんですから、
「米軍がイラク人をたくさん殺してると聞いてるんで、それを見に来たんだ」
と、身振り、手振りで説明するんですね。
農家の連中は英語をほとんど話せないんですよ。片言しか話せなくて、こちらもアラビア語が全然なんで、最初はアメリカが空爆しているという説明をするんですね。でもあっさり会話が終わりまして、沈黙してしまいまして、沈黙しても連中、見張りなんてずっと目の前にいるわけなんですよ。沈黙ってすごく気まずいものでして、皆さん、飲み会なんかでも沈黙するとそろそろお開きという話になるわけでして。(笑い)
お開きになってもこの場合、帰してくれませんし、お開きというのはちょっとまずいなぁということで、なんとかコミュニケーションをとろうとするわけなんです。言葉通じないんで、なんか道具を使おうと思って、あったのがアラブの布のクフィーヤという、アラブ人が頭に巻いたりしていろいろ使ってますよね。アラブ人が普通に使うものでして、自分で持っていたんです。目隠しの代わりにも使われてまして、他の荷物全部もっていかれた中で唯一残ったものだったんですね。初めてイラクに行ったのが、2002年の12月なんですが、買いまして、普段、マフラーの代わりに使ってるんですね。便利なんですよ。
頭に巻く方法なんかも現地の人に教わっていたんですが、覆面の仕方だけ知らなかったんですね。覆面は結構皆さんやってまして、街中でも。イラクは周りが砂漠でホコリっぽいんでマスクの代わりに使うんですよ。土木作業をしている人なんか普通に巻くんですよ。こうしてぴちっと巻くんですよ。あれはなんとか覚えたいなと思ってましたんで、せっかくのいい機会なので、本場武装勢力の覆面を是非を教えてくれっていうと、(笑い)お前がやるんかといいながら、教えてくれるんですね。
ちょっと時間ないんで一種類だけやってみせますけど、でっかい正方形になってまして、まず三角形にするんですね。普段私は首に巻いてすごくあったかいんですけど、かぶりまして、片方をくるりと巻きまして・・・これを前に巻けばこういう感じで、(拍手)こんな調子で、簡単なんですが、これをやりますとイラク人の連中も笑うんですよ。これって結構便利だと思うんですが、大掃除の日とか(笑い)、たぶんこちら寒いと思いますので自転車なんか乗るときも是非お勧めなんです。(笑い)
これをやりますとイラク人もすごく笑うんです。地域公認の運動ですから、農家の周りからお客さんが来るんですよ。そのたびに家主のおっちゃんが、「やれ」とかいうもんで、やると「わあっ」と笑って、「そうじゃないんだ」と言って、違う方法なんかも教えてくれまして、和やかな雰囲気になりまして。笑い合う関係ってすごく大事だと思うんですよ。笑ううちに情も湧きまして、「こいつ殺してもしょうがないかな、まあいいや、こいつは」という雰囲気になるもんで。最初に笑わせたんでなんとか結構いけるかなと。

◇ 農家の暮らしの中で

様子を見ていますと、長方形の部屋があって、一番奥に座らせられてまして、連中が壁際に両側に座るんですね。偉い順なんですね、年齢とか、家の格順なんですよ。自分より偉いお客さんが来ますと立って迎えるんですよ。場合によっては半分くらい向こう側が立って迎える。お客さんと全員握手して、適切な位置に座るんですね。
入り口付近の末席の方には、10歳くらいのちびっ子がいまして、彼は奴隷状態になってまして、人が来ますとお茶持ってこいとか水持ってこいとか言われて走り回ってるんですね。外のトイレとかに行きますと、戻るとタライと石けんと水を入れたじょうろみたいのを持って待っているんですよ。手を洗わせてくれるんですよ。奴隷状態になってまして、すごくかわいそうなんですけど、彼はハイダルという名前なんですが、お客さんがきて握手するときはちゃんと参加させてもらってるんですね。末席にいても のけぞって握手してまして、どんなに偉い人でもちゃんとちびっ子とでも握手するんですよ。ようするに大人社会に入りたてで、下っ端なんで奴隷状態なんですが、ちゃんと大人として扱ってもらえるということで、すごくうれしそうに握手してるんです。
イラクというのは、いま、政府もないし、行政も機能していないという中で、社会の秩序を保っているのは部族のルールだと思うんですね。ちびっ子が大人になる過程で、何歳かわかりませんが、境があって、奴隷状態に扱われながら、部族のルールを覚えていくことになっているんだなあということを感じました。
非常におもしろいなぁ。この調子ならもうちょっといてもいいかなぁ。一ヶ月くらいいてもいいのかなと思いました。彼らの生活が見えますので。一ヶ月もいるとなると、タダ飯を食うのも申し訳ないので、是非働かせてくれという話をしました。周りが農場なので、ようするにファーム・スティということで、乳搾りをさせてくれとかいろいろお願いしまして、連中すごく笑うんですが、だめだと言うんですよ。
「何でだめなんだ」
と聞くと、
「米軍の戦闘機がしょっちゅう上空を飛んでいて、お前らの顔を見たらすぐに気付く。気付いたら撃ち殺すだろう。撃ち殺しておいて、ムジャヒディンが日本人を捕まえておいて、殺したと言うだろう。非常に困る」
そう言うわけです。
「そのために覆面を習ったんじゃないか、顔を隠せばいいじゃないか」
といったら、
「覆面をしていたらムジャヒディンとして撃ち殺されて終わりだろう」(笑い)
「そりゃ確かにそうでした」
と笑っちゃったんですが、ちょうどそのときに上空を戦闘機が飛んできまして、窓から見ますと、AC130という戦闘機なんですね。C130の改良型というか、戦車の迫撃砲みたいなのを積んで、バルカン砲みたいなのも積んでまして、とんでもない火力でボコボコ爆撃する戦闘機なんですね。昨年のフセイン政権の崩壊まで私イラクにいましたけど、あんなの見ませんでしたので、本当に激しい戦闘地域なんだなあと感じるんですね。AC130から撃ち込んだ劣化ウラン弾を使うようなミサイルで、戦車なんかも破壊しますんで、それくらいの戦闘機が超低空で飛んでまして、戦場の一部だと実感しました。
そうこうしてますと夕方になりまして、日没のお祈りが目の前で始まりまして、
「今からお祈りするからちょっと待っておれ」
と言われまして、目の前に並びましてですね、スンニ派なんでメッカの方向に向かってお祈りを始めるんですね。コーランをみんなで唱和してまして、コーラスのようで美しいんですよ。夕暮れで薄暗いですよね。停電してまして電気もほとんど通じないので、ランプなんですよ。ランプの光の下で、みんなで並んでコーランを唱和している。非常に神秘的で美しい光景でして、これはなんてきれいなんだろうと感動していたんですね。
一番後ろの端の方に、ちびっ子の三歳くらいの男の子が参加してまして、みんなと一緒にやるんですね。立ってお辞儀をしたり、座ってお辞儀をしたりというお祈りをまねしながらやるもんで、お辞儀がみんなとずれちゃうんですよ。かわいいなと思って見ていますと、途中で飽きちゃって止めちゃうんですよ。横にいるお兄ちゃんのハイダルにつつかれてまた参加する。小さいのでお祈りの意味はわかってないと思うんですけど、自然の中で暮らしていて、自然の中から採れる作物を食べて、毎日みんなで一緒に神に感謝する生活を繰り返している。
彼らが信仰心というものをこんな風に身につけていくのかなぁということがなんとなく見えました。イスラムというのは彼らの心の中心なわけですね。倫理観や死生観であったりというものを、小さいうちからこうやって身につけるのかと感じまして、感動的だったですね。彼らの生活が見えまして、ほとんどテレビのウルルン滞在記のような状態になってまして、ウルルンとおもしろいんですね。(笑い)

◇ 武装集団への引き渡し

そんな調子で前半はよかったんですが、二日目の晩から別のグループに代わりまして、メンバー全部代わったんですね。最初は民家だったんで前みたいな扱いかなと思ってましたら、トイレに行かせてくれないんですよ。別に拷問と言うわけじゃないんですけど、家の中にないものですから、外にあるんですけど、外へ行っちゃいかんというわけですね。そこのタライにしろとか言われまして、翌朝になっても頬被りをして行け、回りを絶対見るなと。ようするにそこから秘密になったんですね。事実上の武装勢力への引き渡しがそこだったんですね。
3日目の朝、どこに行くのか車に乗せられて目隠しされて、着いたところが学校でして、ドアが開くときに、英語で、
「お前ら、アメリカと動いてるのか、ファックアメリカ!(くたばれアメリカ!)」
と言いながら引っ張られまして、座らされて、目隠しはずしますと学校だったんですよ。黒板があって、長細い机があって。二日目の晩から連中の仲間に渡されてました。なんで彼らが秘密にしているかというと、米軍は武装勢力に対して掃討作戦をしていますので隠さなきゃいかん。米軍の掃討作戦がどんなふうに行われるかと言いますと、密告に基づいて行われていまして、かなりの部分が密告によって捕まったり、殺されたりしています。ほとんどがいい加減な密告だったりしまして、関係ない人間もどんどん捕まる。
アブグレイブの虐待の話がよく出まして、なんなんだと思いますけど、密告者を作ってるんだろうなと感じるんですね。精神的に破壊したうえで「お前、密告しろ、ここに連絡しろ」と。これはまだ真偽のほどははっきりしなくて、今、調べてるとこなんですけど、あれだけの米軍という組織が個人的なことで、あれだけのことをやるとは思えないんですね。組織的に密告者作りをやってると考える方が自然かなと思ってます。イスラエルのモサドなんかもよくやるんですよね。他宗派の者を捕まえて、精神的におかしくして、マインドコントロールをしてスパイにさせるということをやってますんで、アブグレイブの管理にはモサドが関与しているとかですね、収容所の最高責任者が昔、イスラエルで研修を受けたという話もありますんで、なんの目的もなく、あんな虐待をしているとは思えないんで、密告者づくりをしていると考える方が自然かと思います。
そんな調子なので武装勢力のメンバーを隠さなきゃいけない。地域の人もメンバーを知らないんですよ。地域全体で自治会運動として自警団をつくってますよね。地域公認の運動であると。その一方で武装勢力が同時に存在していて、メンバーは秘密である。メンバーは秘密だけど連携はとっていて、私らなんかの引き渡しは行われるということで、2段階のグループがあるということがなんとなくわかるんです。

◇ スパイ容疑

学校に入れられ、連中が来まして、
「お前はFBIか?」
びっくりして「違う」というと、
「ではCIAか?」
完全にスパイ容疑なわけですね。
「お前は全てを知っているはずだ。アラビア語も理解しているはずだ。おれたちの会話も全部理解しているはずだ。お前はスパイに違いない」
と言うわけです。こちらも緊張していて動けないんですよ。ほぼ全員がカラシニコフを持っていて、それまでは目の前にほとんど銃はなかったんですね。拘束の瞬間以外は誰も銃を持っていなかったのが、突然ほぼ全員が銃を持っていまして、見ると横の安全装置がはずれている。目の前でボルトを引きましてですね、弾を込めるんですよ。こりゃ、変なこと言ったら撃ち殺されそうだし、なにしろ学校なんですよね。生活の場じゃないんですよ。昼間っから拘束の場ですから生徒も来ないだろう。人も来ないだろう。完全に隔離状態にある中で殴る蹴るの暴行なり、場合によっては処刑してグラウンドに埋めるということはあり得るので、これはまずいなぁと。

◇ アメリカへの憎悪

連中は言うんですね。
「なんで俺たちがこれほどアメリカを憎むかわかるか。おれは以前、村を友人と歩いていて、米軍がやってきて、捕まえられて、どっか場所のわからない収容所に入れられた。そこに一ヶ月間入れられて、連日殴る蹴るの暴行を受けて、ある日、いつも番号で呼ばれているが、その番号で呼ばれて別の部屋に行くと、服を脱がされてわいせつ行為をされたんだ」
虐待経験があるんですね、彼も。
「あれでおれの人生は終わったんだ。あとは奴らに復讐するのみである。お前が同じ目にあったらどうする」
お前が同じ目にあったらどうすると何度も聞かれるんですね。なにも反論できないんですよ。それほど感情的なものをもって米軍と闘っているんだということを実感しました。米軍への恨みをこっちにぶつけられるんですね。
「お前、殺す」と、ほんとに撃ち殺されてもおかしくない状況でして、そうこうしてますと尋問が始まりまして、三日目の武装勢力の連中はほとんど英語を話すんですね。英語を話す中年のおっちゃんとか来まして、名前とかイラクになんで来ているのかとか、イラクに何回も来ているのか、何回目だとかいろいろ聞かれまして、項目分けて書いていくんですね。わかったと。あとはボスがどう判断するかわからんから待ってろと。ボスがいるんですよ。どっかに。
一緒に拘束された渡辺さんが尋問されている間、他の部屋に移されまして、監視されるんです。例の青年がまた来まして、
「自分たちはアメリカの占領と闘っているんだ。何で日本はヒロシマ、ナガサキの経験があるのにやつらを支援するんだ」
その頃すでに空自なんかは米兵を輸送してましたから、完全な支援ですよね。後方支援ですね。そういうことを彼らは認識しているわけですよね。そこで反論しても仕方ないわけです。スパイ容疑がかかってますから。いかに彼らに納得してもらうかなんで、
「日本もあの戦争以来占領されたんだ。その後も米軍基地が残っていて、今でも日本政府はアメリカに追随するような状態が今でも続いているんだ。事実上の占領状態が今でも続いているんだ」
という話をするんですよ。容疑者なものですから同じ「占領」という単語を使いまして、同じ単語を使うと気分が同調して彼らの気持ちも和らぐと考えたんです。さらに、
「日本でも日本政府に同調していない人がたくさんいる。私もあなたたちと同様、アメリカから独立するために闘っている。銃ではなくカメラでだ」
「しかし、ここのように市民が日常的に殺されているわけではないだろう」
確かにその通りで、ファルージャのことを想像すると沈黙するしかないわけですが、真剣に話を聞いてくれるんですよね。
そうこうしてますと夜になりまして、午前中に尋問したのに全然審査結果がこない。いったいどうなるんだと考えてましたら、若いのが来まして、
「今でもお前らのことをスパイだと言い張るのが何人かいる」
と言うんですね。よそで何人もで審査をしていて、その中の何人かがスパイだと言い張っているわけですよ。こりゃちょっと困ったなと思いました。目の前の若い連中はだいたい懐柔してましたが、それじゃどうしょうもないわけでして。連中は下っ端なもんですから。
これはどうしようもないなと思ってますと、突然、
「ところでお前、空手やるんか」
と言うんですね。イラク人は空手が好きでして、街中を歩いてまして、日本人とわかるとジャッキー・チェンと言うわけなんですね。ジャッキー・チェンとかブルース・リーとか言ってきまして、ジャッキー・チェンもブルース・リーも日本人の空手家だと思ってまして、「いや、あれは香港なんだ」と言いますと、すごくショックを受ける奴なんかもいましてね。そういう話かと思いまして、私を和ますために来たんだろうと思いまして、昔、私は少林寺拳法やってましたんで、面倒なんで空手と言ってまして、「やるんか?」と言われて「やる」と言ったらですね、笑うのかと思ったら、
「やはりお前はdangerousだ」
と言われまして、(笑い)スパイ容疑はそれだったのかという話でして、あれは香港なんだと、必死に説得してました。

◇ 解放 - 丸腰が決め手

そこで急にまた別の年輩の人間が来まして、「明日帰す」という話になったんですね。解放の経緯ははっきりしてませんで、若い連中なんかもびっくりしてました。解放先になった法学者委員会との連絡がついて、解放された理由ははっきりしないんですが、当然、スパイ容疑は晴れたからだろうと思うんです。
スパイ容疑が晴れた第一の理由は銃を持っていなかったこと。丸腰だったんですね。銃を持っていたら100%死んでるんですね。こちらが強調できるのは、丸腰であるということ。連中、武器を持ってますから、こちらが武器持っていても仕方ないんですよ。「欧米メディアは警備員を連れて行くんだ、だからあんたは甘いんだ」と帰国後、テレビで言われましたけど、カラシニコフ持った10人くらいに包囲されて、何人警備員がいればいいんだ。連中、米軍のヘリとか車を吹っ飛ばしていますんで、カラシニコフじゃ勝てないと思ったら、今度はロケットなんかを持ってくるわけなんですよ。武器持って、あの時期、あの地域に入るなんてナンセンスな話で、相手が武器を持ってる中で訴えられる最も強いのは丸腰であるということだと思うんですよね。それが解放された一番の大きな要因だったかなと思っています。

3.イラク市民の暮らし

◇ 親日的なイラク人

イラク人というのは非常に親日的なんですよね。連中、日本政府の決定を非常に非難している一方で、日本にすごく興味があってですね、ジャッキー・チェンも含めてですね、武装勢力の連中も「車はトヨタなんだよね」って話をし始めて、
「いや、日本車はすばらしい」
みんな80年代のぼろい車に乗ってるのに、
「こんなによく走るのは日本車だからだ。しかもエアコンまでついちゃうんだぞ。こんなボロくてもエアコンまで付くのは日本車くらいだぞ」
とすごく自慢するんですよ。
イラクには1970年代くらいから日本企業がたくさん入ってまして、日本企業と一緒に仕事した経験のある人がいっぱいいるんですよね。ファルージャの方まで通じている高速道路も丸紅が作りまして、そんなのがいっぱいあるんですよね。イラク中にある総合病院も日本企業が作ったという話がありまして、彼らと一緒に仕事した経験がある人がいっぱいいるんですよ。70年代までは、どうも日本はバカにされてまして、ただのアジア人であると扱われてまして、例えば、公共事業なんかでですね、ヨーロッパの企業が受注する金額の7割くらいしか受注できない。
そういう差別的な扱いを受けている中で、80年代に入りまして、イラン・イラク戦争が始まりまして、欧米企業というのは、契約と違うと言って帰っちゃうらしいんですよ。そういう中で日本企業はすごくマジメなので、しっかり契約守りまして、戦争やってる最中も道路とか作り続けていい仕事をしちゃうんです。
彼らが約束を守っていい仕事をしてくれた。一緒に仕事をしていても欧米人と比べて奥ゆかしい。あんまり人に対して怒るとかしないじゃないですか。特に仕事中なんかですね。すぐ怒る欧米人なんかと違って静かで、マジメで、いい仕事をする。非常に尊敬していて、しかも反米教育の一環としてヒロシマ、ナガサキをみんな知ってまして、ヒロシマ、ナガサキのような経験をしておきながらですね、ここまで発展した人々だということで非常に尊敬してます。そういうのが80年代に強く作られ、今でもだいぶ残ってまして、それが遺産として今でも生きている。自衛隊派遣は非常に批判されてますけど、遺産がすごく大きいものですから、それを食いつぶしながら、まだなんとかなっているというところかなと思います。

◇ 信頼関係を食いつぶす自衛隊派遣

今回、橋田さんと小川さんという二人の日本人が殺されまして、非常にショックだったですけど、あのバグダッドの南のハグディーヤという地域ですけど、米軍の掃討作戦をかなりやられてるんです。実は掃討作戦をやる前にジャーナリストと称していろいろ調査にくる奴がいるらしいんですね。そういう政府機関の人もジャーナリストというんですよね。前に殺害された井上さん、奥さんも殺される前にジャーナリストであると言いましたよね。どっかのお店で。民間人と言ってもどうも信用されないらしいんです。そういった民間ジャーナリストが行ったあとに掃討作戦なんかやられちゃいますと、やつらはスパイだったに違いないという話になり、激しい扱いをされてしまいます。外国人をはじから殺してしまえという感情を持つグループもあるわけですね。すべて私らを捕まえた素朴な農民というわけではないんですよね。そういう中で今のような占領を続けていけば、せっかく作り上げた親日関係が吹き飛んでしまう。そんな地域も少しずつ出始めているように思えて、非常にもったいないなと思うんですよね。
イスラムの住民を敵に回してこの先無事に済むとは思えないんですよ。いくら軍事とか警察力とかを高めてもですね、隙間を縫って入って来ますんで、この先無事で済むとは思えないんですよね。
基本はですね、敵だと思われないことであると思うんで、80年代につくった民間同士の交流であったり、裏で支える政府の外交であったり、というものがすごく大事だと思うんです。それをチャラにしてしまう方向に進んでいるんで、いろんな意味でもったいないと思うんですね。なんとか、彼らが抱く親日感情を育てていかなければと思うんですよ。
実際、イラクに傀儡政権のようなものをつくって、国と国が友好関係にあるように見えてもですね、一般市民が厳しい感情を持っていればいくらでも襲撃なんかしてきますんで、一般市民の感情を非常に大事にしなければならないと思うんですね。

◇ 求められる市民の力

そういう中で意味があるのは、市民と市民の交流だと思うんですよ。ようするに人と人の交流ですよね。政府にできるのはだいたい自衛隊の派遣ぐらいしかないもんですから、そんなものだけにしておきますと、ろくな方向にいかないんじゃないかと思うんで、それと別の民間人同士のなにがしかの交流をしていかないと、まずいんかなと思うんですね。
自衛隊派遣反対するのはもちろんいいんですけど、今回の戦争は日本政府が支持した戦争なわけですよね。選挙の結果とはいえ、日本の市民が支持している政府なわけですから、その政府が支持した戦争なので、日本の市民として、なんらかの落とし前をつけなきゃいけないと思うんですよね。撤退すればいいというだけではないと思うんで、撤退せよと言っても自衛隊は一応水を撒いていて、その一点に関しては貢献しているわけですよ。それ以上のマイナスはあるかもしれませんけど。そういう意味では撤退しろと言うだけでは全部ゼロになるわけですから、一応のプラスの部分もゼロになっちゃうわけですよ。今、撤退させますと、サマワの皆さんとかは、「何しに来たんだ奴らは」という話になるわけですよ。4月の段階でも、連中はいつになったら活動始めるんだみたいなこと言ってましたんで、今の水を撒いているような事業はほとんど活動として認知されてないんですよね。
そういう中で、撤退させれば全て丸く収まると思うのは大間違いというところがあるんです。政府のできることは限られてまして、変な方向にも行きかねないんで、市民の側で何かやっていくような代替案を提示していかないと、やはり弱いと思うんですよ。政府は人道復興支援であると言っているので、そうではないだろう、人道復興支援というのはこんなもんだろうと、それ以上のものを提示しないと、政府の側は、あんたらは復興支援に参加しないのか、一国平和主義だみたいなことをいうわけですよ。やはり代替案をしっかり示していく中でやっていかないと弱いと思うんですよね。そういうふうに市民の力を大きくしていくのが結果として国家の力を相対的に下げていくという効果がありますので、そのこと自体が社会をよくしていく要素になると思うんですよね。

◇ 自衛隊派遣の落とし前

講師:安田純平さん次ぎに写真をみていただきたいんですが、今回の戦争の占領を日本政府が支持している んですよ。そういう意味では日本の市民にも何かしらの責任があると思うんですよね。今回、私らの前に三人が拘束されました。高遠さんがボランティアをやっている。バッシングの中で、なんで彼らはイラクに行くんだ、もっと世界中に困っている人がいるのに、なんでイラクなんだという話がでました。それはそうなんですが、彼らはイラクに行くのは、今回の戦争を支持した日本の市民としての責任を感じて、何らかの落とし前をつけたいと思って行ってるんですよ。自己責任云々という話もありますが、今回の戦争をどう落とし前をつけるんだという市民としての責任を感じてやっていると思うんですよね。だから、そこんとこで共感できないと言うのは、市民としての責任感に欠けるとしか思えないんですよ。

◇ イラク市民に突きつけられる「究極の選択」

次は昨年の4月10日の写真です。政権崩壊の翌日ですね、街中がサダムがいなくなったといってお祭り騒ぎになっている中で遺体の回収をやっているんですよ。米軍が大統領宮殿を占拠した4月7日に、街中を車で走っていたら米軍に銃撃されたそうです。タクシーの運転手をやっていたものですから、空爆とか戦闘のあった地域の噂を聞きますと、そこに行って、負傷者を乗せて病院とか実家とかに帰す、そういう活動してまして、たまたま奥さんが実家に帰ってまして、迎えに行く途中だったという話なんです。このお父さんは65歳くらいの男性です。
今回息子さんをやっと見つけましてですね。当時、黙々と作業してて住所を聞けなかったものですから、やっと探し当てまして今回会ってきたんです。おやじさんの車を残してまして、「見ろ」と言うんです。穴が空いてますよね。これが全部銃痕です。斜め後ろから56発撃ち込まれて死んだという話をしてまして、どうしてそこまで撃つ必要があったのかと。タイヤでも撃って脅せば普通手を挙げて降参する。なんでここまでやる必要があったんだと非常に怒ってましてですね。お父さんはイスラム教シーア派の出身で、サダム・フセインを非常に批判してた。今回の戦争があって、アメリカがくればイラクは良くなるに違いないと言ってた。サダム(がいた時代)というのは、サダムの批判をすればすぐに秘密警察が来て、一家皆殺しにされるようなことはしゅっちゅうあったんだ。80年代のイラン・イラクの戦争をやり、90年代の湾岸戦争があって、今度の戦争だ。一体何人のイラク人を殺したと思うんだと。
非常にサダムを批判する人が大勢いまして、その中の一人だったんですね。そのお父さんが米軍によって撃ち殺されてしまったわけですよ。その息子さんもおやじさんが考えていたようないい社会にはなっていないと。治安が悪くて街も歩けないし、生活も苦しくなったと。こんなんだったら戦争前の方がましだったというわけですよ。戦争前はものも言えない、民主主義なんかない社会だったけども、いまよりも生活はしやすかった、前の方がましだったというわけです。もちろんお父さんがなくなったということもあるんでしょうけど、ほとんど究極の選択のような話をしてまして、戦争がなければ彼らが平和に暮らしていたなんてことはとても言えない。

◇ しょせん戦争は人殺し

(写真を見ながら)彼は一緒に作業をしてます男性ですね。英語をしゃべるもんですから話してたんですね。今度の戦争をどう思うかって聞いたんですね。街中お祭り状態なんでどう思う?って聞くと
「やあ、アメリカよくやったよ」
と言うんですよ。遺体回収しながら。なんなんだそれは、と思っちゃうんですよ。
「サダムはひどかった。おれはこの戦争を待ってたんだ、戦争でしか変えようがなかったんだ」
と言うわけなんですよ。これによってイラクもよくなるに違いないっていうんですよ。戦争がなくっても彼らの社会が平和とは言い難い状況になってたことはよくわかるんですよ。でもこうやっていても人は死ぬんですよ、戦争というのは。彼がそう言えるのは、今回の戦争で自分も生きてるし、家族も死んでないから言えるんですよね。
この男性も、半年後に会いに行きましたら死んでまして、びっくりして聞いたら、やはり米軍に撃たれて死んだんですよ。医者なんで、朝、病院に行こうと思って家の前にいたら、イラク兵が逃げ込んできたらしくて、米軍がそこにいる人間を全部撃ち殺した。そこにいた市民も全員巻き添えで死んだんだという話なんですよ。結局はやっぱり戦争というのは人を殺すわけなんですよ、しょせんは。
だけどもこの戦争がなければ平和であったというわけでもないんですよ。だから、平和というものを考えるうえでは、戦争に反対するというのは必要条件だと思うんですよ、人が死ぬわけですからね。その一方で必要条件であっても十分条件ではない。市民の暮らしを脅かすのは戦争だけではないわけで、戦争にだけ反対していれば平和だというのは大間違いですね、現場の人、イラクの市民がこの戦争を待ってましたと言っちゃうわけです。戦争をしかける側の国として、戦争に反対するのは当然として、現場の人との意識の差は何なんだろうと思うんですね。現場の人がそういったら話にならないじゃないですか。そのあたりの意識の差をつくらないようにしていかなければ、平和という言葉は自己満足に近いものになりかねないんですよね。そう感じざるをえないんですよ。
日本の市民が、今回の戦争を支持した国の人間として、このあたりをどう考えていくかというところは常に考えていかないといけないかなぁと思うわけです。

◇ 壊滅状態の国内産業

最後なんですが、イラクはビールがあったわけなんですよ、戦争前まで。メソポタミア文明の発祥地ですので、ビールの原産地なんですよ。水の中にパンを入れたら発酵してビールになったという話から始まってまして、ビールの原産地なんですね。結構うまかったんです。地ビールみたいで、三種類あって。それが今ないんですね。輸入ビールが100種類くらい入ってきてまして、負けちゃってるんです。戦前は関税が高かったんで、今の3倍くらいの金額だったんですね。輸入ビールはほとんどなかったんで、みんな地元のビール飲んでたんです。だけど、今、関税がゼロなんですよ、イラクは。国がないので。だから、輸入品がどんどん入ってきてるんですよ。国内産業は壊滅状態です。ビール会社が3社あるなかで、1社はペプシを作ってますね。ビールの原産地のイラクが、今、工業製品のようなアメリカのペプシを作っているという、まさに象徴的な話なんです。ビールが売れないもんで、作るのも簡単な、安いペプシを作るということで、250人いた従業員のうち100人をリストラしたっていうんですね。戦争でドカーンと生活を吹き飛ばすようなものだけじゃなくって、直接、間接に市民の生活が脅かされている面があるんですね。
いま、経済のグローバル化というのが言われて、自由競争をすべきである、関税はなるべく取っ払って自由に競争すべきだという話がありまして、アメリカとか日本が進めようとしているわけなんですけど、それをまさにやってるのがイラクなんですよ。関税ゼロですから。関税ゼロにしたらどうなるかというと、やっぱりこうなるわけですよ。自由な競争なんですが、それによって生活できなくなってしまう人も出てくるわけなんですね。アメリカ的発想でいくと負け犬なんだからしょうがないでしょうということで、人によっては軍に入るという話になるんですね。生活ができなくなってどうしようもないので抵抗し始めるとテロリストと言われて爆撃されちゃうんですよね。これがグローバル化とテロとの戦争の仕組みなのかなぁと感じてしまうんですけど。
戦争だけじゃなくって、戦争を脅かすのはいろいろあって、平和というものを考えるなら長い目で、広い目で考えなきゃいけないかと考えています。
たぶんイラクも産業が壊滅した中で、これから外国企業が入っていって、イラクの労働者を使い始めて、搾取の構造ができるかもしれないわけですよね。そういう中で、そういうところで作られた製品を安い金額で買うか、そういうことをする企業のものを買わないか、いろんな関わり方がありますんで、広い目で考えながら、自分らの生活も考えながら生活しなきゃいけないかなと思っています。
ご静聴どうもありがとうございました。

(見出しを含め文責:石川県平和運動センター事務局)